始まりの悲劇
東方に、古より続く薬師の一族――久遠の花と呼ばれし一族がいた。
あらゆる病を治し、どんな瀕死の傷も癒す彼らに、人々は不老不死さえも叶うと夢を見た。
その癒しの力を手にしようと強引な手段に出る者もいたが、久遠の花を手折った者はいない。
花の隣には、いつも一族を守る者たちがいた。
一族を守るために存在する彼らは、守り葉と呼ばれた。
久遠の花に手を出せば、得るものは傷と苦しみだけ。
それを身をもって味わった者たちは、一族に二度と手を出そうとはしなかった。
何百年も変わらぬ営みは、一族の誰もが永遠に続くと信じていた――。
◇ ◇ ◇
その日は唐突に訪れた。
「ミナム、早く……っ!」
「う、うん……っ」
真昼でも薄暗い森の中、幼いミナムは姉に手を引かれながら懸命に駆ける。
鼓動がどこまでも騒がしくなり、ミナムの小さな胸を内側から叩く。
苦しい。辛い――でも、後ろからわずかに聞こえる喧騒が、震えるミナムの脚を急かしてくる。
隠れ里に響き渡る、誰かの絶叫に怒号。
ついさっき間近に聞いてしまったそれら。短い黒髪の頭を振っても、ミナムの耳にこびりついて離れない。
何度もミナムの脳裏でその時の光景が繰り返される。
人知れず密やかに存在していた久遠の花の隠れ里。
そこへ鎧をまとった兵士らしき者たちが、一斉になだれ込んできた。
顔なんて覚えられない。
ただ、彼らの白い肌が印象的だった。
すぐに大人の守り葉たちは応戦したが――なぜか彼らに守り葉の力は通じなかった。
次々と守り葉は殺され、捕らわれかけた久遠の花は自害した。
数多の知識を強奪者たちに悪用されないために。
その中にはミナムたちの両親もいた。
「――ミナム、足を動かして! 追いつかれるわ!」
姉の声にミナムはハッと我に返る。
途端に息苦しさが訪れ、思わず弱さが口から零れた。
「はぁ、はぁ……イザーミィ、姉さん……もう、走れないよ」
「我慢して! このままじゃあ、ミナムが殺されるわ! 走って。お願いだから……っ」
前を向いたまま、姉のイザーミィが叱咤する。長い黒髪が落ち着きなく揺れている。
深い焦りと心配を向けられていると分かっても、幼いミナムの体は限界だった。
四歳違いの姉だけなら、きっと逃げ切れる。
自分が足手まといになっている。このままだと二人とも――。
大好きなイザーミィが泣き叫び、小刀で自ら喉を突く姿を思い浮かべた瞬間、ミナムの足は止まった。
ぬるり、と。互いに汗ばんでいた手が離れる。
「……っ! ミナム、歩いてもいいから……お願い、前に進んで」
「イザーミィ姉さん、先に行って。私が囮になるから」
「駄目よ! ミナムはまだ十歳なのよ……囮になるなら私が――」
「子供でも私は守り葉だから。久遠の花を守らなくちゃ」
物心ついた頃から、大好きな姉は久遠の花としての道を歩いていた。
だから姉を守りたい一心で、ミナムは守り葉の道を選んだ。
一通りの知識は覚えた。力の使い方も分かる。
小さい体はついていけないけれども――戦うしかない。
ミナムは腰の短剣を抜き、踵を返す。
「行って、姉さん! 姉さんだけでも生きて――」
「貴女が生きるのよ、ミナム」
ちくり。ミナムのうなじに小さな痛みが走る。
途端にミナムは脱力し、地面へ膝をつく。
前に倒れかけた刹那、イザーミィが腕を伸ばして抱き留めた。
「ね、えさん……何を……」
「痺れ針を使わせてもらったわ。しばらくしたら動けるようになるから」
言いながらイザーミィはミナムを抱え、うっそうと茂った草むらへ入っていく。
そして木の足元にミナムを座らせると、イザーミィは一度向き合い、深く抱き込んだ。
「彼らの目的は久遠の花。絶対に私は殺されない。だから、痺れが消えたら逃げて。いつか、生きて会いましょう」
「やだ、姉さん……っ! 私が、守るから……」
「私は人の命を救う薬師。だから私に貴女を救わせて。ね?」
ぎゅっ、と腕に力を込めながら、イザーミィが呟く。
「大好きよ、ミナム。私の可愛い妹……元気でね」
優しい姉の温もりと、かすかに香る薬草の爽やかな匂いがミナムを包む。
私だって大好きだから――と、ミナムは小さく唇だけ動かす。
痺れが回り、もう声が出せない。
まぶたすら持ち上げられず、次第に閉じていく。
それでもミナムは自分から離れていく姉の背を、必死で見続けた。
姿が見えなくなるまでずっと――。