8.「コンターク!」~日出飛行隊の訓練風景~
-昭和18年5月中 海軍大分練兵場-
「コンターク!」
何度目かになるA10の実機飛行訓練。俺が赴任した当初は試作機を併せてもたった3機に過ぎなかった「重迎撃機」A10だったが、飛行隊首脳と出資者である九州に覇を唱える別府造船グループ総帥来島社長の手腕により今では坂井中佐、志賀少佐をも含めた飛行隊全操縦士分と予備機3機にまで充足している。目下の悩みは操縦士不足だけだ。
けたたましいパルスジェットエンジンの始動音を確認した俺は、操縦席内で主翼向角設定ハンドルを回し迎え角を最大に設定する。A10の離陸時最大の面倒はこのハンドル操作だ。ハンドル操作は主翼迎え角変更だけでなく主脚の巻き上げ時にも行わなければならない。
設計段階では油圧もしくは電動にするという案があったらしいのだが、来島社長の
「あんまり使うことないと思うのよねぇ~」
という謎の言葉で却下された。来島社長は(ハンドル操作は)離着陸時にしか使用しないので不要だと考えている様だが、飛行機というものは必ず離着陸をする。絶対に手動にすべきではないと思う。あの親父。結構ケチだ。
実際、これのおかげで離陸後に脚収納を忘れる搭乗員が続出している。さすがに着陸時にはそんなことはないのだが、これの改善は早急に必要だろう。
離陸前に迎え角を変更するのは離陸直後に「戻すのを忘れないように」するための現場(操縦士)の知恵でもある。
迎え角はそのままだと離陸後に速度が上がらないし、そもそも機体の挙動がおかしくなる。簡単に気付くと思うのだが緊急迎撃の場合アタマに血が上って忘れる可能性もある。空戦性能の低下(そもそもA10に「空戦性能」などという立派なものがあるかどうかは不明だが)に気が付いた時が撃墜寸前という笑えない状況を回避するための正しい運用方法であはある。
滑走路に向かい後方を後方鏡で確認。発進の宣言を無線電話で行う。本日の訓練はここからが本番。翼下の補助噴進装置を使用しての緊急離陸訓練だ。
想定状況は、
「博多湾に低空侵入中の敵爆撃機の緊急迎撃」
というものだ。(どう突っ込めばいいのだろうか?)
緊急発進の現場である大分練兵場の緊急着陸用滑走路は、確かに日出飛行隊が間借りしているのだが、A10はここに常駐していない。大神工廠で整備などを受けているのだ。
飛行の訓練際は「艀」で大神から対岸の大分練兵場まで海上をノロノロ移動する。当然想定された事象に対応できる訳はない。
想定が実際であればA10が大分練兵場から離陸する頃には敵爆撃機は博多を火の海にして悠々と帰投しているだろう。もしかしたら出撃場所(俺は中国大陸を想定している)に戻って飯を食っているかもしれない。まぁ、突っ込んでも仕方がない。俺はやるべきことをやるしかない。
主翼迎え角調整が終わり主翼が角度が固定されたのを確認すると俺は機外に連絡する。A10のエンジン(PA-1)の騒音はすさまじいため声が通りにくい。整備員との意思疎通は機体に接続された有線電話で行われる。これはなかなかいい。他の機体にも採用してほしいくらいだ。
「チョーク(車止め)はずせ!いくぞ!」
チョークが取り外され、機体にとりついていた整備員が有線電話端子を機体から引き抜いて待避したのを確認しゆっくりと滑走路の端に向かう。
ここで通話を有線から隊内無線電話に切り替える。練兵場に仮設された発進指揮所と大神の飛行隊本部には俺の声がきっちり届いているだろう。
「夜野1番。翼下補助噴進装置での離陸訓練を開始する」
スロットルを最大位置にまでゆっくりと開き加速が始まったのを確認し左右翼の下補助噴進装置に点火する。この補助噴進装置。志賀少佐によると、
「点火が同時に起こることはまずない。であるのでまっすぐ滑走するのは難しい」
とのこと。(駄目だろ!それ!)俺の場合は左翼下の噴進装置がコンマ数秒早く点火した。
機体全体が一気に右側に振れるのフットブレーキと方向舵で調整、遅れて点火した右翼下との同期を取る。おおよそ3秒に満たない時間だが一番集中する時間でもある。ロケットに点火されたA10は一気に離陸速度に達し通常の離陸とは別物離陸距離と速度で空に駆け上がった。
「この!この!このっ!」
上昇を続けるA10の操縦席で、俺は左手で操縦桿を固定しながら右手で主翼迎え角ハンドル回していた。このあと脚も収納しなきゃならんのだ・・・。A10の操縦席は狭い。で、俺の身体はでかい。必然的にハンドル操作が面倒なものになる。主翼と脚。片方だけでもいいから機械化してほしい。
補助噴進装置の助けもあってA10は3000(m)までいつもよりもかなり早く到達した。この高度だと気温は氷点下に近くなり息苦しくもなるのだがA10専用飛行服と飛行帽のため寒さも息苦しさも感じない。
想定訓練を終え(というか、補助推進装置を使用しての離陸が本訓練のミソでその他はオマケに過ぎない)国東半島上空を航過し博多湾上空でゆっくり旋回を開始。予定飛行経路の下関上空から大分練兵場に向かう進路をとろうとしたとき無線に大神の飛行隊本部からの連絡が入る。
「こちら管制本部。志賀だ。芦屋から陸軍機がそっちに向かう。高度2500(m)で最高速度勝負をしたいそうだ。かまわんから遊んでやれ。胴体の噴進補助装置を使ってもいいぞ?」
「夜野1番了解。翼下の補助噴進装置の投棄はどうしましょうか?」
俺が聞き返したのには意味がある。
補助噴進装置は燃焼後投棄するのが普通なのだが、航空隊の出資者である来島社長(というか別府造船の経理部長)から、
「外装は再利用できるよう設計されてるので着陸直前に飛行場近辺の海上に投棄すること」
と厳命されている。装着したまま着陸しないのはただでさえ不安定なA10の低速飛行性能が余分な抵抗で壊滅的な状況になるからだ。
何せ「名人」坂井中佐でさえ「できれば(補助推進装置を装着したまま)着陸はしたくない」と述べる程だ。俺ごときでは手に負えない。
補助噴進装置は機体から切り離した後に落下傘が開く。おまけに着水時には発泡剤が噴出され沈まないようにもなっている。
主翼の迎え角変更や脚は手動なのに・・・本当に(別府造船は)ケチだ!
俺の質問に無線の先で一瞬考えるような気配がした。おそらく地図を確認しているのだろう。沈黙の後志賀少佐から返事があった。
「かまわん。合流は国東半島の北になる。合流点で投棄しても豊後水道まで流されることはない。流される途中で日出の漁師が拾ってくれるだろう。俺は海軍の零戦と勝負して勝ってるから今度は貴様が陸軍に勝つ番だ。A10の速度性能を見せつけてやれ」
「夜野1番了解。責任重大ですね」
「そう気負わなくてもいいぞ。いまのところA10より優速な機体は存在しないからな」
高度を2500に落として飛行していると前方に連絡のあった航空機を発見した。俺はゆっくり旋回し同航する。排気煙が2本。双発らしい・・・ということは・・・。
機体が近づくにつれ俺の予想は確信に変わる。陸軍の韋駄天新司偵(100式司偵)だ!(こんなモノ持ってくる暇があんのか?)
A10を確認して接近してきた新司偵の操縦士に身振りで先行を指示。加速して瞬時に遠ざかってゆく機影視界から逃さないように注視しながら両翼下の補助噴進装置を切り離し、スロットルを開く。補助噴進装置は漁師が拾って届けてくれるだろう。何せ噴進装置には「薄謝進呈 別府造船」とデカデカと書かれている。
エンジン音が急激に上がり小さくなっていた新司偵の機影が大きくなる。速度は時速600キロ、新司偵の最高速度をすでに超えている。よし、ここで度肝を抜いてやろう。
俺は胴体内の補助噴進装置に点火した。PA-1の加速と異なり、いきなり凶暴な加速が俺を操縦席後部に押しつけA10は一気に増速。補助噴進装置燃焼終了の4秒後には機体速度は700キロを超え、先行していた新司偵を一瞬で後方に置き去りにした。
俺が知る限り日本軍最速機は陸軍の新司偵なので、この瞬間A10は日本軍最速の機体であると証明されたことになる。来島のおっさんはこの「戦果」に大喜びするに違いない。
新司偵との速度競争に勝利し大分練兵場の滑走路に着陸する。ここ(大分)の難しいところは着陸時に速度を落とすために制動用落下傘を開くことだ。これがないと滑走路を大幅に超えてしまう。
着陸態勢に入るため再びハンドルをグリグリ回して主翼迎え角をあげ脚を下ろす。うん、どう考えても面倒だ。
脚の接地を可能な限り滑走路の手前に設定し慎重に着陸を行う。脚が設置したと同時に緊急制動傘展開レバーを引きエンジンを停止させると俺の身体が計器板に引きつけられ急激に着陸速度が落る。A10は滑走路の中央部で停止した。待機していたA10牽引のためのドカがバタバタと音を立てながら近づいてきた。
大分練兵場の訓練は好きではない。着陸に使用した制動用落下傘は操縦士が破損を確認して畳まなければならないからだ・・・。
大分練兵場の仮設指揮所に戻ると相川中尉が新司偵との速度勝負の勝利を祝福してくれた。偵察機乗りということもあって新司偵には憧れていたそうだ。
で、言いにくそうに別府造船経理部からの出頭命令を伝えられた。勝利の高揚した気分が一気に地の底まで落ち込んでしまった。
別府造船の経理部長はあの来島社長ですら歯が立たない、超のつくケチなのだ・・・。
経理部長の小言は、
「日出近辺で投棄した場合は日出漁協との協定で薄謝金額は抑えられるのて投棄場所に注意」
とのこと。