5.飛行小隊長着任~夜野陸軍中尉の苦難のはじまり(2)~
1000キロに及ぶ鉄路を経由し、おおよそ丸一昼夜以上かけて俺は日出にたどり着いた。内地に帰還した後何度か帰省(実は大分出身だ)する機会はあったが実行に移さなかったのはひとえにこの距離が原因だ。
二式戦なら最大速で2時間を切る(そのかわり航続距離もギリギリだ)のだが、戦闘機を使うわけにもいくまい。ただ、列車の中で「二式戦だったら・・・」と考えたのは一度や二度ではないことだけは確かだった。
特別な計らいで一等寝台を充てがわれたのだが、それでも疲れるものは疲れる。日出駅に降り立ったときには身体のどこかに小型の発動機があるのではないかと思われるくらい全身に振動が残留していた。
日中ということもあってか日出駅の人影はまばらだ。皆工場で働いているのだろう。
地図で確認したが目的地の別府造船は日出駅と大神駅との中間点の海岸にある。つまり日出からも大神からも微妙な距離がある。
大神から造船所までは貨物線が引かれているらしいが、部外者の俺が「乗せろ」とねじ込むわけにもいかない。
さて、どうしたものかと考えていたら 白色の軍装に身を固めた海軍中尉に声をかけられた。
「貴官は、陸海軍合同飛行隊に用務があるのではないのか?」
後で聞いてみると、日出というあまり軍とは関わりなさそうな場所(あとで大きな間違いだとわかったが)で「よそ行き」の格好の淡紺青色襟章を付けた陸軍士官がウロウロしていたので同輩だと感じたそうだ。
「あ、ええ、正確には関係するようになるのではないかと言ったところです」
俺の微妙な回答に年上と思われる海軍中尉は、柔らかな物腰で応じた。
「異動先がそこ(日出)ということだね。俺もそうなんだ。ああ、俺は相川。海軍の飛行機乗りだ」
「あ、失礼しました。自分は夜野と申します。相川中尉殿は・・・」
「中尉で構わん。海軍では「殿」はつけないんだ。俺も「殿」はつけんが、かまわんだろ?敬語も要らん。歳はどうやら俺が上らしいが、どっちも中尉だ。気を使う必要はない。よろしく頼む」
「それは楽でいいですね。こちらこそよろしくお願いします」
「早速で悪いんだが日出の(飛行隊の)情報持ってないか?俺は巡洋艦の水偵乗りだったんだが、配属予定の巡洋艦から航空艤装が撤去されたんで、部隊搭乗員ごとこっちに異動することになって、転属挨拶に行って来いと言われて放り出されたんだ。俺と一緒に異動することになってる下士官があと数名いるんだが、皆偵察機乗りだ」
「はぁ、自分は「(極メテ頑強ナル肉体ト心肺能力ヲ持ツ)士官搭乗員」ということだけで推薦されて、丸一昼夜かけてここ(日出)にたどり着きました。私と一緒に異動する下士官搭乗員が1名いますが、選考基準は似たようなものですね」
「夜野中尉は「推薦」か。となると、戦闘機部隊なのかな?俺は空戦経験なんぞないんだが」
「そういえば「泳ぎは得意か?」とも聞かれました。もしかしたら部隊ごと南洋方面へ進出ということも考えられますね」
「俺は水偵乗りだから水練は問題ないんだが。夜野中尉は何に?」
「試作の乙戦に乗ってました。戦果はからっきしです」
「乙戦かぁ。海軍では局戦というんだ。アシが短いそうだからあまり出番はなかっただろう」
「ええ。実験部隊なんでお客さん扱いで前線でも後方に配置されてました。で乙戦の航続距離の短さが仇になって大した戦果を上げられずに内地帰還です。しばらく同期の戦闘機乗りに顔を合わせたくなかったです」
「ははは・・・いくら墜としても死んでしまったらそれでおしまいだろ?夜野中尉が生きているということはそれだけで大したことだよ。水偵乗りは「死んでも生きて帰れ」と言われてるからね」
「そう言われると少しは気が楽になります」
「しかし・・・大神の別府造船所とは聞いてるんだがどうしたものかな?乗合自動車はなさそうだし、タクシーみたいなものは見当たらん・・・歩くのはやぶさかではないのだが・・・」
一般に犬猿の仲だと思われている陸海軍の将校が駅前で立ち話をしているのが目立ったのだろうか?駅舎から出てきた背広姿の親父が俺たちに声をかけてきた。
「そこの軍人さん。そうそう!貴方たちです!陸軍さんと海軍さんの取り合わせは珍しいので、つい声をかけてしまいました。ところで、どちらまで?」
「自分達ですか?別府造船大神工厰に所要がありまして」
人懐っこそうな声に思わず答えてしまった。よく上官から「貴様は腹芸ができんからな」と言われていたのを思い出す。
俺の答えが気に入ったのか、親父は喜色満面といった表情になった。
「おお!やっぱり。てことはアレかぁ。そうか!そうか!うん!うん!。陸軍サンも海軍サンもきっちり「仕事」してくれてるんだなぁ~。有り難いことだぁ~。
ああ、大神工厰までこっから結構ありますよ?よろしければウチの車に乗ってゆかれませんか?私も今から造船所に戻るところなんです。軍人さんを歩かしちゃ悪いや。今、電話したとこなんでぼつぼつ迎えが来ますんで是非乗って言って欲しい」
地の果て(としか今は思えない)でこのような厚意に接するとは思わなかった。まだまだ暑いとは言い難い陽気だが一昼夜の移動で適度に身体もへばってきている。
相川中尉と目で確認を取った俺は、成金ぽい親父の厚意を受けることにした。
迎えの車を待つ(といっても5分程度だったが)間、成金親父と短く言葉を交わしたのだが、大神工厰へ向かう場合、大神駅からの方が便利そうだが造船所関連の車両で混雑するため時間短縮を狙うのなら日出駅から向かうほうが早いらしい。
まもなくドコドコというエンジン音をたてながら鼠色っぽい水色の丸車が駅前に到着した。左ハンドルということは外車らしい。
親父は俺と相川中尉を後席に乗せると自らは助手席に陣取った。
「変わった車ですね。舶来車ですか」
造船所までの道を俺と相川中尉、それとおっさんの3人を乗せた「まるっこい」クルマは結構な速度で海岸を走っていた。見たことのないクルマでなおかつ陸軍で使用しているくろがねなどよりも圧倒的に乗り心地がいい。高性能の機械を見ると素性を確かめたくなるのは飛行機乗りの性だろう。
俺の質問におっさんは嬉しそうな顔で車の素性を話し始めた。
「ええ、ドイツの「KdF-Wagen」というクルマです。さんざか乗り回したお古をドイツの友人が※プレゼントしてくれましてね。
このとおり国産よりもいいんで社用車にしてます。このご時世、米国車は乗れませんからねぇ~。本当は私が運転したいんですが、家内に運転禁止を言い渡されてまして・・・」
と、玩具を褒められたように嬉しそうに答える成金親父に、ハンドルを握っている若い運転手が茶々を入れた。
「社長は運転席に座ると性格が変わりるんですよ。「ドイツの技術は世界一ぃ~」とか「なんぴとなりとも~」とか叫びながらアクセル踏み込むんでものすごく危ないんです」
「最初のうちだけだったろ?最近はそんなこたーない」
「社長・・・さん?ですか?」
何となくというか、運転手付きの社用車がある時点で只者ではないと思うのが当然なのだが、何者かはっきりさせておいた方がいい。
「ああ、申し遅れました。私は来島と申します。日出の飛行戦隊は弊社も若干関係させていただいてますので、今後身内の様なお付き合いをいただければ幸いです。正式なご挨拶は後日ということで」
社用車は大神工厰正門を顔パスで通過すると、俺と相川中尉を墨痕も新しい「陸海軍合同独立日出飛行隊」の看板がかかっている造船所内建屋の前まで送り届け、造船所構内を走り去っていった。
俺は(相川中尉もだろう)この成金親父が異動先の「陸海軍合同独立飛行隊」の事実上の最高指揮者であることをこの時点で全く知らなかった。
「よく来た。俺が隊長の坂井だ。陸軍中佐を拝命している。こちらはは副長の志賀海軍少佐。聞いてのとおりここは陸海軍の寄せ集め所帯だ。陸海軍の違いに戸惑うことも多かろうが慣れて貰うしかないな。実際、俺たちも困惑することが結構多かった。多少まともにはなってるけどな」
飛行隊長の自己紹介に俺は飛び上がった。坂井中佐!陸軍の飛行機乗りにとっては伝説的なお方じゃないか
横目で相川中尉を見ると同じく、驚きの表情になっている。恐らく志賀少佐も海軍では相当な有名人なのだろう。
「早速だが、俺と志賀少佐は兼務になってる。俺は陸軍。志賀少佐は海軍の試作機の試験搭乗員を兼務している。従って機体の完熟訓練と運用訓練の実務は貴様等小隊長2名に担って貰うことになる。
ああ、心配せんてもいい。訓練計画は策定済みだし、俺も志賀少佐も日程調整しているので大抵どちらかはここ(大神)に居ることになっている。細かい点は先にこっち(大神)に詰めてる別府造船から派遣されてきている軍属に聞いてくれ。でだ。貴様らには第二中隊の分隊長を務めて貰う。近く陸海軍から兵が異動してくるのでこいつらの統率をやってほしい。何か質問はあるか?」
質問?ある!山ほどある!と、俺より先に相川中尉が質問した。
「第二中隊ということは、第一中隊があるということですが、それは?」
「ああそれか。ないぞ」
「は?」
「人員とも充当のアテが今のところ全くない。独立日出飛行隊は書類上2個飛行中隊構成の陸海軍合同の飛行部隊ということになっている。が、搭乗員の手当が全く付かん。俺が陸軍に、志賀少佐が海軍に掛け合っているんだが未だ色よい返事がもらえん。機材は今月中に1飛行中隊12機分と訓練用の機体が2機が揃うんだがいかんせん搭乗員が足らん。相川中尉の部隊を「大淀」から引き抜けたのは奇跡だ。当面2飛行分隊で頑張って欲しい」
「・・・」
絶句している俺と相川中尉を更に絶句させるような爆弾を投下した。いや、この際一気に絶句させておこうという心積もりなのかも知れない。
「我が隊は新機軸の機体を運用する。機種は「重迎撃機」・・・らしい。相手は爆撃機のみ。既存の戦闘機乗りの常識なんぞ全く役に立たん。搭乗員選抜にあたって戦闘機搭乗員としての技量は求めなかったのはそのためだ。いや、かえって邪魔になる。
A10(えーてん)。我が隊が運用する機体の名前だ。コイツは常識を全く越えている。俺はありとあらゆる飛行機に乗ったがこれほど常識外れの機体はなかった。見て驚け、乗って驚け。そんな機体だ」
A10。「重迎撃機」という訳のわからない機体が俺の運命(戦歴)を大きく変えることになるとはこの時俺は全く自覚していなかった。
ドイツの友人
来島に言わせると「ドイツ人の画家で、本職以外で成功を収めた人」らしい。
陸海軍に加え政府首脳までが来島に一目置いているのはこの「友人」のせいだといわれている。