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4.飛行小隊長着任~夜野陸軍中尉の苦難のはじまり(1)~

-昭和18年4月 柏飛行場-


 第一七飛行団配下の第47飛行戦隊に配属されていた「俺」は今日も飛行場の隅で日課の鍛錬で汗を流していた。

 新米の教育は他の助教がおこなっている。実機の訓練となると俺よりも実戦経験が多い彼らの方が適任だ。

 何よりも新米搭乗員に課している鍛錬程度では俺の身体が鈍ってしまう。何事にも折れない心は強靱な身体にしか宿ることはないというのが俺の信念だ。

 教練では、翌日に立ち上がることができないほど筋肉を痛めつけているようだがアレは駄目だ。筋肉を八分生殺しの状態まで持っていって翌日にはなんとか動く程度に仕上げるのが正しい筋肉のつけ方なのだ。

 力こぶを作って一人悦に入っていたところに飛行師団付きの兵が戦隊長からの呼び出しを告げた。47飛行戦隊で暇を持て余している状態であるので恐らく別部隊、もしくは前線への異動だろう。十分に休養は取れたし今後は(嬉しくはないが)二式戦の出番も増える場面が多くなるだろう。戦闘してナンボの戦闘機乗りだ。行き先に文句は言わないが可能であればメシが美味いところがいいななどと気楽に考えながら身体を軽く拭き上げ飛行戦隊の詰め所に向かった。

 


「おお、夜野中尉。貴様異動せんか?ウチ(第一七飛行団)から士官搭乗員を推薦してくれと言われてるんだ。熟考したが条件に合うのは貴様しかおらん」



 戦隊長の坂川少佐は開口一番、俺に異動を打診してきた。異動は出世の急行券なので断る選択肢は最初からない。しかし俺は推薦される程の技量はないと考えていた。半端者をあてがわれても先方に迷惑になるだけだ。一応予防線を張っておこう。



「あ~。推薦されるほど優秀ではないと自分は自覚しておりますが、自分でかまわんのですか?」



 俺の「正直な」言葉に坂川少佐は苦笑する。



「過小評価が過ぎるぞ?確かに(貴様は)ぱっとせん。と言ってもウチ(旧第47飛行戦隊)がぱっとしなかったんだから問題ない。実験部隊であることを差し引いても外地転戦で総撃墜数が10機程度というのは全員が「技量ニ問題アリト認ム」と考課表に書き込まれても文句は言えん状況だ。だが、俺も貴様も生きている」

「自分は幸運に恵まれただけだと思います」

「運の良さはそれが幸運であろうと悪運であろうと搭乗員に一番必要な資質だ。海軍さんは操縦士を易者に選定させている。馬鹿にするかもしれん。が、すぐに死ぬ搭乗員よりしぶとく生き残る搭乗員の方がいいに決まっている。生き残れば技量は勝手に付いてくるんだ。おっと脱線した。中隊指揮教育を受けた士官搭乗員はウチ(一七飛行団)にもそう多くない。貴様はその数少ない士官搭乗員だ。あと、推薦の条件がもう1つあってな・・・「極メテ頑強ナル肉体ト心肺能力ヲ持ツコト」とあるんだなこれが・・・」



 ・・・なるほど。ぶっ壊れない身体が必要という訳か。



「新設の飛行隊だが「陸海軍共同」の部隊だ。何をやるかは「軍機」だそうで知らされていない。赴任したら情報を寄越してくれ。「軍機」というのは「仲間内で積極的に広めるべし」という意味だそうだ。俺が言ったんじゃないぞ?それと貴様水泳は達者だったよな?」



 水連だと?洋上任務でもあるのか?更に胡乱な表情をしていると坂川少佐は済まなそうに付け加えた。



「知る限りの伝手を辿ってみたが、詳細はまったくもってわからんのだ。そもそも「陸海軍共同」と言う時点で悪い冗談だと思わんか?」

「まったくです。なんか員数合わせの間に合わせ部隊のような気がします。いずれにせよ自分が適任だとのことでありますので異論はありません」

「おお!そうか!じゃぁ、早速だが明後日異動先に顔を出してくれ。こっちからはあと一名、下士官搭乗員を選抜しておく。羽間(軍曹)でいいな?アイツはガタイは小さいが貴様並に頑強だから問題はなかろう。新設の部隊では恐らく貴様は最低でも飛行小隊を任されるだろうから羽間の様な先任がいれば面倒も少なかろう。まぁ、アイツは手が早いから気をつけろよ?」

「了解しました。で、新設の飛行隊はどこに?」

「九州。大分の日出だ」

「・・・は?・・・地の果てじゃないですか」

「うん、明後日到着ということで列車の手配はしてある。丸一昼夜かかるが気をつけて赴任してくれ。逆算すると今から準備して東京駅に向かわないと間に合わんな・・・」


 かくして、身辺整理もほどほどにして列車に飛び乗り、かろうじて夜行列車にたどり着いたのだが、ここ(東京)から大分までは丸一昼夜。飛行機乗りの俺がなぜに地べたをノロノロ進まなければならんのかと思うようになるのにそうそう時間はかからなかった。


夜野哮陸軍中尉(航空士官)※架空の人物


1917年生(大分は地元)同期には南郷茂男※1がいる。

1935年(昭和10年)4月、陸軍士官学校予科入校。

1937年(昭和12年)10月陸軍航空士官学校(陸軍航空士官学校分校)に51期生として入校。

1938年12月 陸軍士官学校卒業。

1939年(昭和14年)4月分科戦闘として卒業。陸軍航空兵少尉任官。明野陸軍飛行学校乙種学生。戦技教育を受ける。

1940年 明野飛校甲種学生拝命。中隊長教育を受ける。

1941年4月 第47飛行戦隊配属

1941年12月 サイゴンに派遣

1942年1月 内地に航空機受領のため帰還

1942年2月 第12飛行団に編入

1942年5月 中尉に昇進

1942年7月 内地に帰還

1942年8月 第17飛行団に編入

1943年4月 独立日出飛行隊に異動

1943年7月 B-29迎撃戦


「日出独立飛行隊奮戦記」は1943年3月から8月頃までの話になります。


「頑強な精神は強靱な筋肉に宿る」

「不平不満が出るのは、筋肉に仕事をさせていないため」

「筋肉は決して裏切らない」

という、日本陸軍の精神主義に真っ向から挑戦する肉体(筋肉)主義者だが、自己評価が壊滅的に低い。

いわゆる陰キャの筋骨隆々大男。


 小尉任官後独立第47飛行中隊の士官搭乗員として各地を転戦。47飛行中隊の機材が十分でなかったのと、アシの短い乙戦搭乗のため戦歴はぱっとしない。(B-24共同撃墜が1機という状況)

 帰還命令で本土に帰還。第47飛行中隊とともに第17飛行団の配下で教官として新人搭乗員の訓練に明け暮れていたのだが「菊の粛正」後、配下の下士官1名とともに新設の「陸海軍合同日出特殊飛行部隊」に推薦され異動。第二中隊長に任命される。


身長190cmを超える(当時としては)破格の大男で、士官学校同期からは

「兵科を間違えてる」

「素手で軽く10人くらいはぶっ殺せる」

「肉の壁」

「人間山脈」

と評されていた。


 内地引き上げ後の17飛行士団では自分の体力を基準にした教練を新米搭乗員に課したため、音を上げる搭乗員が続出。「鬼」と言う笑えない渾名をもらっている。(彼が非難されなかったのは新米搭乗員に科した訓練を率先して実行。まったく平気な顔をしていたためである)

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