25.重迎撃機増殖する?
派手な戦果と盛りに盛られた報道で一躍一億国民の注目となった「日出独立飛行隊」。
「地域・数量・期間限定」(来島社長談)と前置きしたはずの飛行隊と「空中戦車A10」だったのだが、国内各地と国外拠点から「我が隊にもA10を」と配備要望がバンバン飛んできている。そう、
「書類出すだけならタダだ。ならば出したほうがいい!雄弁は銀。沈黙はカネにすらならん」
である。
もっともらしい理由を付け加える文才さえあれば、書類は簡単にでっち上げられる。声を上げることが重要だ。そしてその声(書類)の山を片付けるのも「戦争」の一つだ。
「A10案件」と調達部門が怨嗟を込めて呼称した配備要請書に埋もれた担当者の悲痛な叫び、
「おまいら!空気嫁!」
は全く通用しかった。
加熱の原因はA10を運用している日出飛行隊の面々が「それほど腕利きではない(と思われている)」面子で構成されていたということがあげられる。
確かに、隊長の坂井中佐は陸軍の飛行機乗り達からは神様のごとく崇められているし、副長の志賀少佐は真珠湾攻撃にも参戦した勇士だなのだが、それ以外の搭乗員ははっきり言って「誰?それ?」的な者ばかりだ。
(夜野中尉は身体的特徴「兵科を間違えてる」「素手で軽く10人くらいはぶっ殺せる」「乗れる飛行機がない」で陸軍戦闘機乗り達の間ではそれなりに有名なのだが、戦績とは全く関係がない)
実際は、「重迎撃機」の飛行特性に対応に短期間で対応できるであろう乙戦乗りや「射出」に適応できそうなカタパルト射出経験のある水偵乗りを選抜したからなのだが、戦闘機乗り達はその様な事情なんぞ知らされていない。
「ぱっとしない」連中が大型爆撃機を片っ端から叩き墜としているのが血の気の多い戦闘機乗りを刺激したのだろう。
「俺にA10があればあのくらい!」
と思うのは当然だ。
これに運営母体。九州に覇を唱える別府造船グループを率いる来島義男社長が日出航空隊の結成を陸海軍に根回しした際にブチ上げた、
「A10の単価は7万円」
という数字が大暴走していることもある。
通常の戦闘機よりも安価であるため、要望書の山に負けた調達が「お試しで1機くらいなら・・・」と、決裁してしまったのだ。
三菱、中島等の軍用機メーカーと異なり生産量割当枠がないので調達する側も「俺は決裁した」というアリバイを作ることができれば程度だったのかも知れない。あと、「こんな事するのは俺だけだろう」という甘い考えもあったのかも知れない。
塵も積もれば山となる。陸海軍から半端でない数の増産依頼が飛び込んできた別府造船は大いに慌てることになった。
電探、ロケット、高性能の無線装置が必須の迎撃システムがA10運用のキモだ。ガラだけ作っても役には立たない。
「お断り」すべきだと、
「A10の装甲板は「扶桑」「山城」の改装時の余剰品を流用したものなの調達のアテがつかない」
「37ミリ砲は鹵獲品なので入手が難しいので(A10の)新規製造を見合わせている」
と幕引きを図ったのだが、「伊勢」「日向」が「扶桑」「山城」同様の改装を行うとのことになったため製造に必要な資材が揃ってしまった。
加えて、米国製の37ミリ砲の代替品として新規開発の海軍30ミリ機関砲がなぜか最優先で割り当てられることになってしまった。こうなるとA10の製造を引き受けるしかない。
「地域・数量・期間限定に弱いのは軍隊も例外じゃないのか・・・やっちまったよ・・・」
来島社長はやり過ぎを嘆いたが既に遅し。しぶしぶ全力増産を指示、総数28機が突貫で製造され、九州地方の防空強化のため、海軍筑城航空隊、陸軍大刀洗航空隊岩国航空隊に配備。それとは別に評価用として数機が多摩、追浜に配備されることになる。
筑城、大刀洗はB-29を日出飛行隊と一緒に迎え撃っている、任務に限れば「身内」なのでそれなりの理解がある。なにせ間近で飛行性能を見ているため余分な幻想など持たない。ハナから「使いにくい機体」だと理解してくれていた。
残念ながら、射出要員(勤労女学生)と射出設備(可動式発射台)が整わないため仮設射出台を北に向けて固定したままになっているのだが、
「両子山管制(日出管制ではないらしい)があれば方向とか高度とかは上昇中に補正できる。あの声が俺達を奮い立たせる」
ということで、それなりに工夫して運用されているようだ。(幸せとは日常の些細なところに落っこちているものらしい。戦時中なのに本当に幸せなことである)
これに対して、多摩(陸軍)、追浜(海軍)に評価用として配備されたA10の評判はある意味予想どおりだった。
多大な期待を込めて機体に乗り込んだものの、通常の「戦闘機」とは全く異なるA10の機体特性に、
「極端ナ単機能機ニテ爆撃機迎撃以外ノ任務ニハ適サズ」
「戦闘機動ニハ格別ノ注意ヲ要スルモノ也」
「特殊ナ飛行特性ヲ有シ、習熟ニカナリノ時間ヲ有ス」
との評価を得ることになる。つまり、
「使えねぇ」
「簡単に二階級特進できる」
「戦闘機乗りはまず乗らない」
ということだ。
これを受けた陸海軍上層部は一旦決定したA10の大量配備を即時撤回することになった。当然、製造元の別府造船は激怒。
「勝手に増産指示して止めろだぁ?絶賛放尿中の小便を止めるようなモンだぞ!ふざけんな!」
と来島自ら陸海軍に乗り込み、生産中止で無駄になった資材、設備と引き換えにロケット推進薬の原料(火薬)の融通や、余剰36サンチ主砲弾の「音速雷撃弾」転用を引き出すことに成功する。
かくして製造されたA10の行先が消滅。本気で爆撃機の迎撃を考えていた海外に展開する基地航空隊用機材を除き余剰品のA10は、実態のなかった「日出飛行隊第1小隊」編成用に転用され、めでたく2飛行小隊分の機材が揃うことになった。
無論、第1小隊の搭乗員のアテはない。難儀なことである。
昭和18年9月 日出
「自分の下(小隊)にですか?」
日出管制室の外に広がるコンクリート舗装の地表には秋の気配が忍び寄ってはいたが、地面から這い上がってくる熱気が身体にへばりついて不快なことこの上ない。零下数十度の高空や、今出てきたばかりの管制室が恋しくなるのには数秒程度しか必要としない暑さだ。
志賀少佐に誘われた俺は、管制室の入口で周囲を警戒する警備員(今日は陸軍だ)の敬礼に砕けた敬礼で応え日陰に移動した。
管制室は禁煙だ。志賀海軍少佐殿はポケットから煙草を引っ張り出して口に咥えると俺の質問に答えた。
「搭乗員をなんとかして定数揃えたいのだ。他の部隊からの引き抜きは陸海軍とも厳しくてな。当初は機種転換を申し出る搭乗員も多かったんだが、多摩と追浜の評価でそれも皆無になった。築城と大刀洗でA10部隊戦力化できたのは奇跡に近いんだ。それでも全力迎撃させるとA10部隊は早晩疲労、摩滅する。頭数が必要だ。
背に腹は代えられんので、実戦で教育するしかない。で、飛行学校から青田刈りをすることにしたんだ。ああ、できるだけ貴様らに近い連中を選んでいるので「普通の」戦闘機乗りの適性はないから安心しろ」
と、第2小隊(定員割れ)の搭乗員補充を告げられた。
何だか納得できない。人員不足に悩んでいるのは事実だし、週に3日、あるいは4日も多大な犠牲と大量のお宝(来島社長談)を伴って飛来するB-29の迎撃で自分の小隊も若干疲れ気味らしい(俺は何とも思わないのだが)
搭乗員充足のための手段としてヒョッコを実戦で鍛えるという方法は一応理解できる。A10は「まっすぐに飛んで、竹槍を叩き込んで、さっさと逃げる」ことをするだけの簡単な戦闘機である。 しかし「戦闘機乗りの適性はない」というのはあんまりではなかろうか?一応、俺達は戦闘乗りのはず・・・だ?
自分の存在位置を確認するため考え込んだ俺に構わず志賀少佐は俺の列機となるであろう新米搭乗員の素性を話し始めた。いや、まだ了承してないんだが・・・
「海軍航空士官なんだがいろいろ問題があるヤツでな。夜野中尉なら教育できるだろう。なんならそのガタイで「熱血教育」してもいいぞ?ほれ、(大分)練兵場で飛行機を壊しまわるアイツだ」
「ああ・・・アイツですか・・・滑走路を何度か塞がれて宇佐に降りる羽目になったことがありました。いや!自分陸軍なんで!海軍なら相川中尉の方が適任ではないですか!」
「実戦経験なしにもかかわらず、向こう気と鼻っ柱はだけ超一級品だそうだ。上手く育てれば一流になる。というわけでヤツを一人前にするには一流の戦闘機乗りが必要だ。相川中尉は「夜野中尉は適任だろう」とのことだ」
きたねぇ!押しつけやがった・・・それと、俺が「一流」だと?さっき「普通の」戦闘機乗りの適性はないとか言ったんじゃないのか?
数日後、壊し屋の渾名を持つ海軍航空士官が着任した。というか湾を挟んで向こうからやってきただけなんだが・・・。
「菅野直少尉!着任いたしました!日出航空隊の活躍は日頃から目にしております!一緒に戦えることを光栄に思っております!」
なんか嫌な未来しか見えない・・・。それと菅野・・・そんなキラキラした目で俺を見るな・・・




