24.燃える商魂Ⅱ~来島義男は結構律儀~
- 東京丸の内 -
「我が社の航空機の再利用とかいう話で騒ぎになってるんですよ。貴方の仕業ですね?」
「中島が新型の艦攻(の製造)に手間取ってると聞いてますからね。「納品が不透明な高性能新型」より「短納期の既存機材の改良型」を現場は選ぶに決まってます。自分の命がかかってますから。主翼の再設計が思ったより早かったのが勝因ですね。「時は金なり」。御社の技師の皆様にはご苦労をかけてしまいました」
三菱本社応接。ソファーに腰を落ち着けて羊羹に楊枝をぶっ刺し美味そうに高級茶をすする、九州に覇を唱える別府造船グループ総帥来島義男別府造船社長に、三菱財閥総帥岩崎小弥太は苦笑した。
この見た目こすっからい親父に大三菱は何度となく苦杯を舐めさせられている。仇敵とまではいかないが、別府造船グループは三菱の社是、「処事光明」で付き合う相手ではない。
にもかかわらず三菱が別府造船グループと微妙な距離の商売相手として遇しているのは三菱の利になることが多いことと、岩崎が来島義男という人間を「面白いヤツ」だと考えていることに尽きる。
今回の九七式艦攻の「魔改造(来島談)計画」にしても別府造船の利益は多くはない。にもかかわらず来島は積極的に動いてこの話を「三菱の利益」に変えてしまった。
「御前会議」で新興財閥グループの代表として大胆な行動計画を奏上した「九州の覇王」と眼の前の「こすっからい親父」との落差に岩崎は思考を乱されてしまう。いや、あの日を境に来島の行動の奇天烈さに歯止めがかからなくなっているような気さえする。
「海上護衛総隊専用の期間限定、数量限定の改造機だったんですけどねぇ~。海軍サンの食いつきがあれほどだとは思わんかったです。岩崎さんにはご迷惑をおかけして申し訳なく思っとります」
羊羹を名残惜しそうに口に運んで岩崎の(半ば)嫌味に応えた来島だが、これの半分は欺瞞であることを岩崎は良く知っている。最初からこれを画策していたのは間違いない。
御前会議直後に三菱本社に乗り込んで来た来島はいきなり海上護衛総隊向けの九七式2号艦攻の改造依頼を申し込んできたのだ。
曰く、
「(中島の)1号艦攻よりも優秀なんでしょ?引込脚にすりゃ見栄えも良くなるし、もっと優秀になるんでね?騙されたと思ってやりましょうよぉ。海上護衛総隊って「いらない子」扱いなんで新品なんて配備されないんですよ。可哀想でしょ?ウチ(別府造船)は「扶桑」「山城」を改装した責任があるんで何とかしてやりたいんですわ。ええ、損被ったらウチ(別府造船)が充当しますよ。何せ護衛総隊配備機ですから海軍に文句は言わせませんし、日出には追浜の人間※1もいますから上手く誤魔化せます。主翼の再設計なんぞ御社なら10日で終わる※2でしょ?」
※1志賀少佐のことらしい(不幸なことである)
※2無理。どう考えても無理
九七式艦攻は三菱の政治力、営業力を駆使して中島に軍配が上がりそうだったものを強引に海軍に採用させたものだ。しかしながら採用はされたものの生産数は百数十機に留まり、正式採用から5年経過した現在多くが訓練や哨戒用途と本来の任務以外に使用されている。来島はこれを改造して海上護衛総隊用に使いたいと言い出したのだ。
「海上護衛総隊用に4機、加えて1機!費用は別府造船持ち(別府造船経理部長の合議済み)」
という申し入れは三菱にとって手間はかかるものの、大損を被る案件ではなかった。
「別府(造船)さんとの付き合いもありますからね」
と半ば付き合いでそれを受けたのだが、承諾するややいなや、来島は他社のはずの三菱の設計部門にハッパをかけて改造を始め、あっという間に改造を完了してしまったところが全く予想外だった。
開発部門にあとで聞いた話だが2号艦攻の引き込み脚改造は難しくはなかったらしい。
競争試作の際、中島が引き込み脚を採用するとの情報を得た三菱も対抗上、引き込み脚を採用しようとしていたのだが、製造スケジュールと納期の問題で断念せざるを得なかった。
しかし技師達は「引き込み脚対応の九七式」を諦めきれなかったらしく、個人のノートやら図面の中に主翼の換装計画が残っていた。これに来島は気が付いていたたらしい。
「「こんなこともあろうかと」は一流技術者必須の資質です」
とは来島の言である。
改造機は護衛総体向けの発動機を「火星」に換装した4機と、主翼のみ換装した1機の合計5機の少数改造、性能評価機で終わるはずだったのだが、来島がいかなる売り込みをしたのか?海上護衛総隊に機体を引き渡してからしばらくして連合艦隊から突然、
「海上護衛総隊の改造2号艦攻が欲しい。今すぐ欲しい!ありったけ欲しい!」
との要望が届く。その対応で国内外に散らばっている2号艦攻が名古屋にかき集められている状況だ。三菱にしては全く悪い話ではなかった。だから岩崎はこれを持ってきた来島の扱いに苦慮している。
海上護衛総隊が編み出した新戦法「音速雷撃」は2号艦攻に新たな商品価値を生んでしまったのだ。
改造要求数が2号艦攻の総生産機数を上回ってしまい、
「こうなったら中島の1号艦攻を(魔)改造するしかない」
状況にまで陥っている。
「2号艦攻で思わぬ利益を得ることができた。どうやら貴方の無理難題を聞かなければならなくなった。で、どんな話ですか?」
この男の事だ。何らかの「お・ね・が・い」がある。絶対ある!聞きたくはないのだが、岩崎はそれを聞かないければならない。岩崎の言葉に来島は子供のような笑顔になった。
「開発中の局戦ですけど、問題解決に手間取って艦戦の設計に労力を突っ込めないと聞いてます。試作指示が出ている十七試艦戦は御前会議(さっさと戦争を終わらせる)もあるんで、採用されても調達数は少ないと思うんですよね。もしかすると試作中止になる可能性も高い。仮に採用されても戦争が終わってる頃に採用ですから(戦闘がないんで)消耗も少ないですしね。なんで、局戦と統合しちゃいません?」
「はぁ?」
「例の開発計画の発動機試験用の機体として試作局戦を「改造して」使用するという名目で最初から作り直す。問題は財布と、時間、御社社員の「やる気」です。
費用は十七試艦戦の予算をぶっ込みゃいいし、やる気の方は(岩崎サンの)許可が出れば私が直接ハッパかけて何とかしてやりますよ。どうです?」
「統合といっても、局戦と艦戦では要求されるものが違うだろう?素人の私でもわかるよ?」
「そりゃ、軍人サンの考えでしょう。商売人は商売人の考えがあります。で、岩崎さん。商売人の考える最強の戦闘機の第一要件は何だと思いますか?」
「高性能の万能機・・・という当たり前の回答じゃなさそうだね?」
「そうです!商売人の考える最強のヒコーキは「人が死なないヒコーキ」です」
「死なない飛行機?」
「命あっての物種です。生き残れば操縦士の頭数が増える。戦訓、経験も残る。戦争は物量です。頭数です。例え操縦士がヘボだったとしても「石の上にも」の諺がある。生き残ってりゃ自然上達するんです。何せ毎日命懸けですから。で、死なないヒコーキが増えるとどうなるか?保守部品とかの注文が増えます。新規配備の機体もあるから確実に増える!で、儲かる!これに尽きます!だから「死なないヒコーキ」が経営者にとっては最高のヒコーキなんです。反対に簡単に落っこちれば零戦なら1機14万円がパーになります。搭乗員にぶっ込んできた育成費用もおじゃん。加えて遺族年金やら何やら、落っこちてから数十年はカネを払い続けなければなりません。そんなもったいないことはしない!だから絶対に落っこちないヒコーキが最強なんです!」
・・・なるほど、これが来島ドクトリンというやつか。大日本帝国の精神論に真っ向から喧嘩を売る、人命第一主義でありながら、それを意図的に金銭という世俗に汚れた話題にすり替え「下品な戦略論」と真面目な軍人達から蛇蝎の如く嫌われている来島の戦争理論に岩崎は感じるものがあった。恐らく初代(岩崎弥太郎)もこうやって無理難題を押しつけられていたんだろう。そう思うとなぜか楽しくなってきた。
「よろしい。設計部門には私から直接指示をしておきます。来島さん。「死なない飛行機」を是非お願いします」
岩崎の言葉に来島は満面の笑みと浮かべた。
「私は航空機は門外漢だが、どこが悪いか?くらいはわかる。いいものはいい。悪いものは悪い。これが工業製品だ。これ(十四試局戦)は酷い。大元の設計が間違ってる」
大三菱総帥の「御免状」を手に追浜に現れたこすっからい親父は整備中の十四試局戦を一瞥するや壮大に毒を吐く。周囲では「聞こえないふり」をしながら全身耳状態の日出飛行隊(兼務)の志賀少佐が様子を伺っていた。
「設計条件を満足するように機体を製作するとこうなるんです」
突然の来訪者とあまりの暴言に技師たちは怒りを抑えながら反論しようとしたが、それも半ばで、
「ほぅ、じゃアンタら満足してんの?じゃぁ、どうなの?似たような機体の二式戦は不具合はあんまり出てないんだけどさ」
の言葉に声を失くしてしまう。図星をさされてなおかつ思いっきり煽られたからだ。
「(これだから素人は)いいですか!十四試局戦の発動機はですね・・・」
「わーってる!特別製なんだろ?だからフツーの発動機を載せてみりゃいいじゃん?設計には問題はないんだろ?」
「それでは空力特性が・・・」
「飛べねぇ豚(十四試局戦)はただの豚っしょ?アンタ達が完璧を望むのは理解できる。が、たかだか空力程度で要求仕様を大きく損なうことがあんの?天下の大三菱が。天下の堀越二郎の設計で?な?やってみなよ?問題なけりゃ設計は間違ってなかったってことが証明できるしさ。発動機の積替えなんぞ3日ありゃできるだろ。普通の発動機は明日にも搬入されっからさ!無論、ここ(追浜)の連中には根回し済みだ。んじゃ、頑張って!5日後に来るわ」
来島の視界の外で志賀少佐が頭を抱えた。
5日後、追浜に急遽呼び出されてエンジンの換装を「やらされた」三菱のエース堀越二郎技師は悔しそうな表情で来島にエンジン換装の効果を報告した。
「発動機を火星12型に換装しました。ええ、異常振動は出なくなりました。懸念されていた速度も12型の方が出力が大きかったので思ったほどではありませんでした・・・最初からこうしておけばよかった・・・」
「へぇ、そりゃ良かった。志賀少佐。ぶっちゃけどんなモンですか?」
大神から「連れてきた」(正確には志賀少佐の二式練習戦闘機に来島が乗り込んだ)志賀少佐は所見を述べる。
「これが本来の十四試局戦であれば、なかなかなものです。速度は・・・A10には及ばんが中低高度での迎撃であれば十分やれるでしょう(比較対象が確実におかしい)」
「う~ん。でもこのまんまじゃ中島の二式戦と性能に大差がないよ?ダメダメなモノがダメになっただけじゃん。消化不良、不完全燃焼だわ。堀越二郎の「仕事」とは言えないよなぁ~。よっしゃ、いっそ作り変えちゃお!今ならやりたい放題だよ?幸いといっちゃあなんだけど、三菱と中島が火星の改良版を試作中なんだわ。コイツを評価名目で分捕る手はずは整ってる。機体も「発動機評価のため改造する」とか言い訳して全面改設計するんだ。予算はお宅の大将(岩崎小弥太)と話がついてる。問題は時間がないことなのよ。2ヶ月半で飛べる機体を作るんだ。ああ、発動機は「火星(魔)改」になる。諸元はこんなモンだ」
来島の差し出した「(仮称)Z発動機想定諸元表」を見た堀越の目に狂気が宿った。
「やる!やります!やってみせます!」
十四試局戦「雷電改」
雷電改は、大東亜戦争(太平洋戦争、第二次世界大戦)末期に大日本帝国海軍(一部陸軍)が運用した局地戦闘機。略符号はJ2MX。連合軍のコードネームはBIG-0(ビッグオーと誤読されることが多いが、ビッグゼロが正しい)
原型機は陸上基地及び都市防空のため、速度、上昇力、火力を重視して開発されていたが、野心的な機体形状のため不具合解消に手間取った。そのため設計を大幅に変更。エンジンを再度選定して要求性能を満たすことに成功している。名称の「改」は大幅な設計変更があったことを示す。
-概要-
敵攻撃機、爆撃機の迎撃を主任務とする局戦に要求される性能は、爆撃機の飛行高度に短時間で到達する上昇力、爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに致命傷を与え得る火力の三つで、これらを重視して性能要求が出されたのが原型雷電だったが、この過剰な要求のため開発は著しく困難であった。
しかし、開発末期に高高度を飛行する爆撃機を迎撃するA10が実戦配備されたため、雷電への要求性能が緩和。またB-29の機体を入手できたという幸運が重なり、雷電は排気タービン搭載エンジンの実装評価機として試作機を改設計し、それが「雷電改」として軍に正式採用された。
改設計の時間短縮のために設計主任の堀越が採った手段は既存設計の徹底流用で、機体は零式艦上戦闘機の意匠を多く残しつつも、原型機「雷電」の設計ノウハウが取り入られている。
実戦配備時、その機体のサイズに
「この零戦(雷電改)何食わせたんだ?」
という冗談が出たが、零戦譲りの運動性能と強力なエンジン出力により性能は良好で、改設計した堀越自身も「(零戦でできなかった)全てをやりきった」と後に語るほどの機体となったが、元々実勢配備が遅れていた上に改設計も加わり実戦配備は遅れに遅れた。
この間に陸軍の二式戦を海軍が採用したことや、爆撃機専門の重迎撃戦闘機A10の配備もあって、生産機数は少数に留まったが、高馬力、高機動、強武装の三拍子揃った万能機として本土防空の一翼を担った。
戦時中は目立った活躍はなかったが、1964年(昭和39年)にアメリカで開催された第一回リノ・エアレースに海軍退役航空兵有志が軍払い下げの雷電改をチューンナップした「Hero's Thundervolt(勇者の雷鳴)」を持ち込み、アンリミテッドクラスで入賞。一躍有名になる。
これ以降もP-47(サンダーボルト)との「元祖・本家雷電対決」で日米の航空ファンを熱狂させた。
しかしながらP-47が1000機を超える生産数であったのに対し、雷電改の生産数はわずかであったため改造素体が枯渇。1975年(昭和50年)の大会に「Final Thundervolt(最後の雷鳴)」の出場を最後にエアレースから姿を消した。




