13.此ハ訓練ニ非ズ!~日出の案外長かった日~
-昭和18年8月 大神工廠-
午前7時。大神工廠の大食堂で朝食を済ませた私は寮入り口の大鏡の前で作業服の乱れを直す。
複数設置された大鏡の前では別府造船の濃紺の作業服を身につけたお姉様方(溶接女子団と呼ばれている)や私達と同じく勤労奉仕で防空管制室に勤務している「射出班」の女学生達も身だしなみの確認を行っている。
女子寮玄関の壁面を埋め尽くすように設置された大鏡の枠には、
「女性ハ常ニ美シク」
と大書きされている。納得のこの言葉、別府造船の社長夫人によるものだ。
女子職員、工員の積極的採用を行っている別府造船は、口の悪い連中(主に男子だ)からは「好色親父」とか「助平」とか揶揄されているが、女子採用を積極的に推進されているのは奥様らしい。
(しかしながら、事務員の事務服や私達の作業服は来島社長の趣味だと聞いている。まぁ格好いいのでヨシとしよう)
6月の衣替えで私達の作業服も上着を廃した略装になっている。スカートは生地が若干薄くなった短袴に替わり、膝下まであったソックスはくるぶしまでの短いものになっている。これも岸和田の洋装店であつらえたものらしい。最後に薄手の布製の帽子を軽く頭に載せ、顎紐を締めた。
大鏡の前の自分の姿に及第点を与え、ついでに来島社長の奥様を脳裏に思い浮かべ感謝の念を込め会釈する。
鏡の中の国防女子は同じように会釈を返してきた。
大神工廠入り口の車止めからトラックの荷台に乗った私達「山班」はいつものように両子山に向かった。
両子山管制室は(暑くなるまで気がつかなかったのだが)何と!冷房されている。真空管とかの熱で冷房がなければ真冬でも蒸し風呂状態になるかららしい。大神の管制本部も同じなのだが迂闊だった。もう、普通の女学生には戻れない様な毎日を過ごしているんじゃないかなと思ってる。
そんな訳で管制室内は寒い。そのため、袖なしのチョッキ(ベスト)が作業服として支給されている。
いつもの様に管制を交代し、スコープを眺める。今日は宇佐の海軍は爆撃訓練。曽根と陸軍は福岡上空から玄界灘にかけての空域で訓練を行うとのことだ。最近は「無線を占有する馬鹿者が増えた」とのことでなぜか九州一円に加え岩国、松山あたりからも飛行計画書が大神に軍事郵便の速達で郵送されてる。意図せず両子山から半径200キロメートルの空域の飛行機の状況を完全に把握できるようになったため、最近は大神の管制本部に飛行機の現在位置の問い合わせ電話が入ることもある。
随分便利に使われている様な気がするが迷子にならず、衝突せず仲良くやれるのはそんなに悪いことじゃないと考えている。日出飛行隊が他の航空隊を敵に見立てて迎撃訓練をする以外は・・・。
そんな事を考えていても私の目は、スコープの上端のわずかな光点を見逃さなかった。
「朝鮮半島南端に機影!すごく大きいです!距離150キロ。方位320速度・・・速度おおよそ400」
両子山管制室に緊張が走った。スコープを凝視する私の背中に複数の視線が突き刺さり主任さんの気配からいつものおっとりとした様子が消える。
「引き続き監視。機数確定急げ!高度は?」
私の後ろに立った主任さんが息を飲む気配がはっきりわかる。次の瞬間、主任さんは大声になった。
「敵襲!直ちに戦闘管制に移行!管制本部に緊急報告!これは訓練にあらず!・・・です。でも訓練と同じように落ち着いて対処しなさい」
想定していた事態がついに発生したみたいだ。
「高度9000!密集して飛んでます!」
測高手が敵の飛行高度を測定した。私も負けてはいられない。
「機数。30機は確実です!」
「案外長かった一日」と言われる日出飛行隊の奮戦は両子山からこのようにして始まった。
-日出管制本部 志賀少佐-
A10部隊の錬成度は日に日に向上している。日出飛行隊発足に際し「搭乗員は乙戦(局戦)乗り、もしくはカタパルト射出経験のある偵察機乗りを」という来島社長の意に沿った人事は間違っていなかった。
「ゲテモノ」「イカモノ」と称されるA10の運用はそれ程までに既存の航空機運用とは異なる。
飛行隊副官を命じられた際「なんでこのような部隊に」と反発しそうになったのだが、気が付くとA10迎撃機を最終手段とする迎撃体系の構築と運用にのめり込んでいる自分に気が付いた。正直、「極秘計画」とやらで軒並み技術者が中島(飛行機)に引き抜かれている海軍の仕事なんぞ放棄したいくらいだ。
この迎撃体系の特筆すべきところは既存技術の徹底流用というところにある。全くの新機軸は両子山の新型電探(別府造船の試作品だ)くらいしかない。A10のエンジンも理論は広く知られているし、武装に至っては米軍の鹵獲品と迫撃砲(いや、打ち上げ花火か?)の焼き直しだ。
飛行隊の事実上の最高指揮者、別府造船来島社長の仮想敵は「成層圏を時速500キロ近い速度で雲霞の如く」飛んでくる爆撃機なのだ。
実際に「雲霞の如く」飛んでくれば防衛はまず不可能なのだが「様子見」の時点で手痛く損害を与えていれば「なんとかなるんじゃね(来島社長)」とのこと。今のところそれに縋るしかないのが残念だ。
まぁ、ここ(日出)の防空体系を短期間で日本全土に展開するのは難しかろう。
恐ろしく費用がかかる(と言われている)新型電探を見晴らしの良い山の天辺に設置し、そこを起点に陸海軍すべての航空機の管制を行う事なぞまず不可能だと断言できる。有史以来、仲の良い陸軍と海軍は存在しない。(ただし、海軍がない国は別だ)
唯一稼働している日出の防空体系だが、これにしても電探の索敵距離限界でどう頑張っても180~200キロまで敵が近づいてこないと対応できない。敵機の速度が速ければ迎撃も遅れる。
来島社長は「迎撃当番」を選出して常に発進できる体制を整えておくべきだと述べている。私もそう思う。敵が200キロ圏内に時速500キロで侵入した場合、迎撃側に与えられた時間は20分程度。この時間で武装して発進し、爆撃機の飛行する成層圏まで迎撃機を到達させなければならない。普通なら無理だ。そう、普通なら。
それを可能にするのがA10だ。今日の飛行訓練はそれの実証訓練でもある。
そう考えているといきなり警報が鳴り響いた。
「敵襲!距離、両子山より150キロ。朝鮮半島の先端あたり。機数おおよそ30。方位320速度400、高度は9000!」
「本当に来やがった・・・A10はどうしてる?まだ飛んでないよな?」
「現在地上で発進準備中です」
「訓練中止。直ちに機内タンクを満タンにして竹槍を装備させろ!訓練想定で実戦に移行する」
「夜野1番から管制本部。敵襲だって?」
1番機夜野中尉から問い合わせが飛んできた。ぶっつけ本番だがヤツは実戦経験者だ。上手くやるだろう。
「夜野1番。志賀だ。想定通りの場所から想定通りの高度で、想定通りの進路で飛んできてる。つまり訓練と何ら変わりはない。想定どおりに対応しろ。機数は30程度だから一発食らわせて成層圏から叩き出せ!後は・・あ、連絡してないな・・・おい!九州各地の航空隊に敵襲を連絡しろ。来島社長もだ。仲間はずれにすると根に持ちそうだからな・・・あ~夜野1番。そんなところだ」
「夜野1番了解。で、高角度射出は・・・」
「竹槍を装備してたら想定の低角度では間に合わなくなる。ぶっつけ本番だが高角度射出だ。「先生」もすぐこちらに来るから大丈夫だ。整備班。どのくらいかかる?」
「おおよそ10分・・・いや5分でやります」
「焦らず急げ!迎撃空域を対馬南方から玄界灘までの海域に設定する。射出諸元確定急げ!日出飛行隊全力出撃!梟敵を叩き落とせ!」
来島夫人の名前は「茜」さんです。来島社長より随分若いです。




