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「見て、ハルト。あれがスタツの街よ」
森を出発してから、一時間くらい経った頃。リサさんの言葉で顔を上げると、目の前には大きな街があった。建物のほとんどが石造りでできており、昔テレビでみたヨーロッパの街並みに似ている気がする。
まだ距離はあるが、たくさんの人がいるのが遠目でもわかった。かなりの規模の街のようだ。
「リサさん、早く行きましょう!」
「はいはい、転ばないように気を付けてね」
異世界の街を見た瞬間に、さっきまでの疲れが嘘のように、走る気力が湧いてくる。僕は気が付けば、春の陽気の中を駆け出していた。
それから十五分もしないうちに、街の前まで到着する。
「うわぁ……凄い……」
街の中は川が通っており、水路が張り巡らされている。道は石で舗装されており、日本とはまるで違う景色がそこには広がっていた。
行きかう人々の服装も、日本とはまるで違う。Tシャツ姿で街を歩いている人なんか一人もいないのだ。
広場の噴水は透き通る水を空中に噴き出していた。太陽に照らされて、虹がうっすらと浮かび上がっている。噴水の周りでは子供たちが無邪気に、はしゃいでいた。
「スタツは綺麗な街よね。それに武器屋や宿屋も充実してるから、冒険者からも人気の高い街なんだよ」
僕の頭の中は既に街の探索でいっぱいだった。とりあえず、近くのお店に突入しようとしたとき、服を後ろから摘ままれて身動きを封じられる。
「ストップ! 街の観光もいいけど、宿を取らないといけないでしょ」
そっか、これからは寝るところも、自分で用意しなきゃならないんだ。病院の外に出たのは久しぶりだから、そんな当然なことまで頭の中からすっぽり抜け落ちていた。
そこで僕は重要なことを思い出した。
「あの……僕この世界のお金を持ってないんですけど……」
今の僕は一文なしだ。宿屋に行っても払うお金を持っていない。
「だから、先に冒険者ギルドに行きましょう。タイラントベアーの魔石を売って、お金にするの」
「それって、僕がもらってもいいんですか?」
「貴方が倒したんだから当然でしょ。というか、嫌といっても無理やり渡すからね。それからせっかく冒険者ギルドに行くから、登録もしておいた方がいいかも」
「僕が冒険者ギルドに登録?」
「ギルドに登録しておけば身分証の代わりになるから。ギルドカードは何かと便利だから、今のうちに作っておいても損はしないよ」
リサさんの提案で、僕たちはさっそく冒険者ギルドに向かう。見慣れない街の景色に視線をキョロキョロとさせる。目に映るもの全てが新鮮だった。
街の入り口から歩くこと五分。目的の場所に到着する。
「大きな建物ですね」
冒険者ギルトは石造りで出来た立派な建物だった。大きな銀行くらいはあるんじゃないだろうか。周りの建物たちと比べても、頭一つ抜けている。
「大きな街には多くの冒険者が来るから、必然的にギルドも大きくなるの。さあ、入りましょう」
彼女のあとについて冒険者ギルドの中に入っていく。室内は想像していたよりも、洗練された場所だった。天井は吹き抜けになっており、電球のようなものが、いくつかぶら下げられていた。淡く発光する球体のおかげで、室内でも暗いといった感じは受けることはない。
受付が横一列に設置されていて、女性の人が何人も座っていた。彼女たちは同じ制服のようなものを着ているので、ここのギルドの職員なのだろう。制服姿の女性が並んでいる姿を見て、冒険者ギルドがますます銀行に見えてきた。お金の取引もするみたいだし、あながち銀行でも間違いないのではないかと思う。
「お前今日はやけに嬉しそうじゃねーかよ」
「わかるか? 実はさっきの依頼で冒険者ランクが上がってよ。これで俺もDランクの仲間入りだぜ」
「やるじゃねーか! だったら、今日は豪勢にやるか!」
ギルドの中には、僕たち以外にもたくさんの人がいた。今会話していた若い男性二人は、動きやすそうな服装に腰に短剣をぶら下げていた。胸部には金属製のプロテクターに似たものを装着しており、大きな爪で引っかかれたような跡もあった。
彼ら以外にも、巨大な剣を背中に背負っている人や、全身を鎧でまとっている人。魔女のような三角帽子に、銀色の杖を持っている人などがいた。掲示板を見たり、他の人と談笑したりしている。
以前、叔父さんに見せてもらったコミケっていう場所の写真の風景とよく似ていた。違う点を挙げるとするなら、ここにいる彼らにとっては、この服装が普段着だということだろうか。
リサさんは目の前の光景に見慣れているせいか周りの様子を気にも留めず、そそくさと受付の方に向かって行く。僕も慌てて、彼女についていく。
「エルザさん、魔石の買取をお願いしたいんですけど」
「あら、リサちゃん。おかえりなさい」
赤色の長髪の女性が笑顔で出迎えてくれる。まつげが長く、美人という印象を受ける女性だった。
「それで何の魔石を持ってきてくれたのかしら」
エルザさんは白い布が、かぶせられた箱を取り出すと、受付のカウンターへと箱を置いた。リサさんは、ポーチから魔石を取り出して、その箱の中に並べていく。
「ゴブリンの魔石をいくつかと……あとは、タイラントベアーの魔石です」
「タイラントベアー!?」
最後にひときわ大きな魔石を置いたリサさんに対して、エルザさんが驚いた声をあげる。
「リサちゃんが倒したの? 貴方まだDランクになったばかりよね?」
「いえ、倒したのは私じゃないです。もう死んでいたタイラントベアーから魔石だけ取り出してきました
」
「そういうことだったのね。貴方が倒したのかと思ってびっくりしちゃったわ。今日は随分と森の奥まで行ってきたのかしら?」
「タイラントベアーの死体があったのは、森の中層の開けた広場でした。一応、そのことも報告しようと思って、これを持って帰って来ました」
「生息地が森の奥のタイラントベアーが、中層で死体になっていたのね。他に詳しい情報はあるかしら。タイラントベアーの死体の様子はどうだった?」
「……何かに噛み千切られた跡がありました。それ以外は、よくわからなかったです」
一瞬、リサさんの視線がこっちに向かってきた。彼女はどうやら僕が召喚したパーダンの存在を、エルザさんに話すつもりはないようだ。つまり、隠しておいた方がいいと判断したに違いない。
僕は黙って彼女に頷き返した。
「ありがとう、情報提供に感謝するわ。魔石の料金はすぐに持ってくるから、少し待ってて」
「エルザさん、実はもうひとつ用があるんです」
魔石を持って移動しようとしていたエルザさんをリサさんは呼び止める。後ろを振り返って、僕に手招きしてくる。僕は急いで彼女の横に移動した。
「この子のことを冒険者ギルドに登録したいんです」
「あら可愛らしい子ね。書類を書いてもらうことになるけど、貴方は文字を書けるかしら?」
エルザさんはカウンターの下から一枚の書類を取り出して、机の上に置いてくれた。
「えーっと……」
目の前に差し出された書類に掛かれている言葉は、初めて見る文字ばかりだった。アルファベットに似ている気もするが、少なくとも僕が読み書きできるものではなかった。
「私が代筆してもいいですか?」
「正確に記入してくれるなら大丈夫よ。リサちゃんなら、問題ないわね。私は魔石を換金してくるから、その間に記入しておいてね」
エルザさんはそう告げて、カウンターを離れて奥の部屋に移動していった。僕たちはその間に書類を完成させることにした。
「それじゃ、上から聞いていくわね」
リサさんが文字を翻訳して、内容を僕に伝えてくれる。中身は、名前や年齢。出身地などの記入が必要なようだ。
そういえば、文字の内容はわからないのに、リサさんと普通に会話できているのは何故なのだろうか。僕には彼女が日本語を話しているように聞こえるが、相手はどんな風に聞こえているのだろう。僕がこの世界の言葉で話しているように聞こえているのかな。あとで、聞いてみることにしよう。今は書類の作成を優先させるのが先だし。
「名前はハルトでいいよね」
「苗字とかは書かなくていいんですか?」
「家名があるのは、貴族とか王族とかだけでしょう? ハルトって、あっちの世界では偉い家の生まれだったりしたの?」
「いえ、ただの平民です」
「それなら名前だけの方がいいかも。色んなトラブルに巻き込まれる心配も少なくなると思うし」
リサさんと相談して、結局下の名前だけを書くことにした。貴族の子どもってだけで、身代金目的の誘拐にあったりするらしい。そういうトラブルを避けるために出来るだけ、苗字は名乗らない方がいいと言われた。
「年齢は?」
「十三歳です」
「えっ? 私より二つ年下なだけ? 本当に?」
「リサさんに嘘つく必要なんてないじゃないですか……すみませんね、幼く見えて」
四捨五入すれば僕だって身長は百五十センチある。子ども扱いされるのは納得できない。
「ご、ごめんね」
「幼く見られるのは慣れてますから、別に気にしてませんよ」
「でも、機嫌悪くなってない?」
「むっ」
「つ、次の質問にいくね」
リサさんを恨めしく睨みつけると、彼女はそそくさと書類の方に視線を戻した。まったく、失礼な人だ。僕の成長期はこれからだ。絶対に彼女より大きくなってやる。
「出身地なんだけど……異世界って書くわけにはいかないよね」
「この世界には、他に異世界から来た人とかいないんですか?」
「私はハルトしか知らないよ。博識で有名なエルフとかだったら、もしかしたら知ってる可能性もあるけど、一般的には知られてないよ」
エルフとかもこの世界にはいるようだ。流石ファンタジー世界。勇者とか魔王もいるのだろうか。これもあとで、リサさんに聞いてみよう。
結局、出身地は日本と書くわけにもいかなかったので、リサさんの故郷の名前を書くことになった。ここから南に進んだ小さな村が、リサさんの出身地らしい。彼女は出稼ぎの為に、このスタツの街に来ているそうだ。
書き終わる頃にちょうど帰ってきたエルザさんに提出する。一通り目を通したエルザさんは険しい表情を浮かべた。
「リサちゃん、性別が男と書かれているけど、これは間違って記入してないかしら?」
「ハルトは男の子ですよ……たぶん」
「たぶんってなんですか。僕はれっきとした男ですって」
ハッキリと反論してくれないリサさんにツッコミを入れる。もしかして、彼女はまだ僕が男だということを信じてくれていないのだろうか。
「疑ってごめんなさいね。貴方があまりにも可愛らしかったから」
エルザさんはウィンクしながら、謝罪の言葉を口にする。大人の色気を醸し出すエルザさんが、子供のような仕草をしたギャップが可愛らしかった。
「幼く見られるのは慣れてますから……」
「なんか私のときと態度が違くない?」
リサさんが細めた目でこちらを見つめてくる。あんな可愛らしい謝り方をされたら仕方ないでしょ。誰だって許したくなるに決まっている。
「ふふ、記入してくれた書類を元にギルドカードを作っておくから、明日また取りに来てくれるかしら」
「わかりました」
「それと、こっちはリサちゃんが持ってきてくれた魔石の換金分ね。全部で十二万ゴールドあるわ」
「そ、そんなにですか……」
リサさんが小さな袋をエルザさんから受け取る。彼女の様子を窺うに、かなりの大金が手に入ったようだ。
「タイラントベアーはそれほど強敵ってことなの。見かけても絶対に戦おうなんてしちゃだめよ?」
「もちろんです。今日はありがとうございました」
「二人とも気を付けて帰ってね」
エルザさんに笑顔で見送られて、冒険者ギルドをあとにする。