ある無敵の人の遺書
初めまして、僕は無敵の人です。失うものが何もありません。強いて言うなら命くらいでしょうか。
つい最近まで、僕にも色々ありました。
夢とか希望とか、情熱とか、そういうあったかいものが確かにあったのは覚えてます。
でも、もう疲れました。
僕は小説家を目指していました。脚本家もいいなと思ってました。
物語が好きでした。
三島由紀夫の金閣寺とか、トルーマン・カポーティの冷血とか、そういう闇の淵に立っている人々の心を描きたかった。伝えたいと思っていました。
今思えば、僕はみんなに分かって欲しかったのかも知れません。愛して欲しかったのかも知れません。もうどうでもいいですが。
だから、せめて最後にこれを書き上げてから、全部に別れを告げようと思います。
死にたいのです。
いや、本当は生きていたいんです。けれど、この人生を続けるのかと思うと、それが死ぬより苦痛な事に思えて恐ろしくてたまらないのです。
ほんの一瞬の恐怖や痛みを受け入れる勇気がなく、幾度となく死にぞこなってきたような不甲斐ない臆病者の僕です。この先の人生の長い苦痛を思うと、天秤が死に傾くのも仕方のない事でしょう?
僕は僕が嫌いでした。ヒステリックで暴力的な母に怯えて育ち、女が怖くて触れる事すら叶わないまま大人になりました。
父は嫌いです。悪い人ではないですが、弱くて薄くて、情けない人でした。
感謝はしています。尊敬もしています。けれど、強く強く、恨んでいます。
僕なんか作らないでくれればよかったのにと。
学生時代はいじめを受けました。体が小さく、頭も悪く、運動も出来ない子供でした。何をやってもダメで、褒められた覚えなど殆どありません。
鼻炎持ちのせいか鼻息が荒く、子供時分に散々それを指摘されて恥をかいたのを覚えています。
その名残でしょうか。電車やバスでとても苦しくなる時があります。呼吸を意識してしまって、幾ら吸っても、幾ら吐いても苦しくてたまらなくなる時があります。
この煩悶は僕の人生の象徴です。
劣等感や疎外感に弾かれて、何か手に入れようともがいてみるけれど、僕の足元はゼリーか、はたまた沼のように脆くぬかるんでいるのです。
自信の土壌が腐っているようで、僕が何をしようと、どう足掻こうと、足ばかり盛んに動かして、上にも前にも進めやしないのです。
母もまたそうでした。今でもそれが続いています。
生きていくために、楽観主義や快楽主義を身につけようと意識しましたが、気の向くままに手をつけたものすべてに、己の無能さを垣間見ては沈黙してしまうような人でした。
幼少期から成年までを過ごしたアパートは、母や僕の砕け散った情熱の破片がそこら中に打ち捨てられて、足の踏み場もない有様でした。
その家の中では、どこに目をやろうとも、自分の浅学非才、無知無能の片鱗が転がっているので、しきりに気持ちが萎むばかりでした。
絵を志した事もありましたが、祖父に言われた一言、
「お前は学年で一番絵が上手いのか?」
に嫌気がさして、画材だけを残したまま熱意を自ら潰しました。
歌を志した事もありましたが、生来の鼻炎のせいか、聞き苦しく醜い鼻声に嫌気がさしてやめました。
言い訳です。何もかも言い訳に過ぎません。
祖父に何を言われようと、僕は絵を続けるべきでした。鼻声であろうと僕は歌を続けるべきでした。
僕には根気が無いのでしょう。堪え性が無いのでしょう。
周りの大人には、ずっとそうやって詰られて来たのを覚えています。
「何か一つでも頑張ったのか」
「すぐ逃げ出す、投げ出す、そればっかりだな」
「少しは我慢できないのか」
この手の言葉を礫のように投げつけられて、僕の心にはずっと、何かを頑張らねばならないという内なる監視者のような強迫観念がありました。
けれど、頑張らねば、努力せねば、打ち込まねばと思えば思うほど、僕の内からは何も出てこなくなるのです。
キャンバスの前で項垂れて、マイクの前で項垂れて、今はこうして、明滅するカーソルの前で項垂れています。
僕は一体、どんな事なら頑張れるのでしょうか。
時折、食事の為に立ち寄ったファミレスなどで勉強に打ち込む学生達を目の当たりにすると、自分が酷く矮小で醜くて、見窄らしく思えてならない時があります。
僕にはあんな風に、遮二無二に努力した事などありません。手を動かすより先に、頭が否定で埋め尽くされてたまらなくなるのです。
お前には出来ない。お前には意味がない。お前には才能がない。お前には可能性がない。
その否定の思念を、僕は無視できません。そんなもの、無視して押し殺して、励むべきだろうと何度言われたか分かりませんが、一度、その否定が頭を埋め尽くすと、それ以外の事が全て頭から追い出されてどこかへ消えてしまうのです。
僕は我慢の出来ない子供だったのでしょうか。
蹴られても、殴られても、死ねと言われても、お前には価値がないと言われても、それでも我慢して生きてきたつもりでした。
蛆の湧いた炊飯器で米を食べました。
カビだらけの洗面所で手首を切ろうとした事もありました。
母を恐れて真冬の公園で寝泊まりした事もありました。
誰か教えて下さい。
僕は我慢の出来ない人間でしょうか?
僕の堪えてきた事は、耐えてきた事は、我慢ではないのでしょうか?
暖かくて、笑顔に包まれた家庭で、褒められ、与えられて過ごした子供達が、自信に満ち満ちた顔で、失敗を責められる事も、生ぬるい結果に溜息を吐かれる事もなく自尊心と成功体験を積み重ねて育ったのを思うと、僕は僕を責められなくなります。
それでも僕はダメな人間でしょうか?
僕は大人になり、そして大人になる事を拒むようになりました。
これまでだって、散々堪えてきたつもりです。耐えてきたつもりです。
なのに、これから先も理不尽に耐え、孤独に耐え、疲れに耐えて日々を生きるのかと思うと、暴れ出したくてたまらなくなるのです。
ならばせめて、僕は僕の思うままに生きてみようと思いました。
内なる監視者から逃れようと、ニーチェに縋りました。サルトルと共に吐きました。
ですが、彼らは僕に何の答えも与えてくれませんでした。
彼らが言うのはただ一つ、答えも意味も自分で決めていいのだと言うばかりです。
自分で決める。そんな事、僕には出来ません。
決めた事を全て否定されて生きてきました。相対化され、批評され、非難されて育った僕には、今更、自己決定など出来ません。
僕がようやく答えを見つけたのは数年前の事でした。
有り体に言えば、僕はヒーローに憧れたのです。
僕を救うヒーローになりたかったのです。
壊れた家庭で生き、無能の誹りを受け、日々を血と涙に塗れて生きているような人々の気持ちや苦しみを僕が言葉にして、世の中に、世界に叩きつけてやりたいと思ったのです。
その日から、僕の夢は小説家になりました。
三ヶ月で処女作を書き上げました。
文学賞に応募して、数日はやり遂げたという陶酔を味わって過ごしました。
しかし、僕はやはり、現実のままならなさを前に屈しました。
初めての小説です。クズ同然の出来である事は承知していました。
すぐに新しいものを書かなければと思いました。
しかし、僕はそこである事に気付きました。
僕の文章は、僕の小説は、僕の削り落とした血肉で出来ていたのです。
心の瘡蓋を引き剥がして、血塗れの傷口にペン先を突き刺して、赤黒い文字で綴ったような物語ばかり書いていたのです。
僕はすぐに、心の痛みでまともに動く事すら出来なくなりました。
それでも、僕が身を削る事で、僕のような誰かを救えるかもしれない、理解を勝ち取れるかも知れないと思うと、そこには希望が見出せました。
初めて、誰かの役に立てるかも知れないと思いました。
愛されなかった事、必要とされなかった事、生きている事を喜ばれなかった事を、思い出せる限り克明に綴って、それが誰かを照らす光になれれば、それだけで良いと本気で思えたのです。
ですが、今はもう、それもどうでもよくなりました。
僕のやっている事は結局、子供の頃から何も変わっていなかったのです。
母に愛されようと、母の苦しみに共感しようとしてきました。
父に愛されようと、父の好みの音楽をわざとらしく口ずさみました。
友達に愛されようと、母からくすねた金で菓子を買い与えました。
女に愛されようと、あらゆる悩みを聞きました。
小説家になろうと志したのも同じ事です。
理解して貰いたい、愛されたいが為に、自分は可哀想な人間ですとアピールするのに終始して、その為に古傷を自ら抉って、わざとらしく血を流しているのです。
滑稽でなりません。こんなに見窄らしい道化があるでしょうか。
いつだって僕は、愛を乞う為に下手に出て、子供のように甘えているだけなのです。
優しい人なんて言われた事もありました。
良い人と言われた事もありました。
ですが、僕にはそれだけです。その優しさも善良さも、全ては衒いの裏返しでしかないのですから。
そして、僕は疲れました。飢えることにも、泣くことにも、求める事にも疲れました。
テレビを付ければ、僕とそっくりの目をした狂人が逆恨みで人々を傷付けた事ばかり報道されています。
僕はあんな風にはならない。人を傷付けるのではなく、人を癒す為に生きるのだと誓って生きてきました。
けれど今、僕の心の底にも、彼等のような暗い憎しみが渦巻いているのが分かります。
愛され、必要とされ、求められる人間達に対する堪えようのない嫉妬が、今にも僕の全身を飲み込もうとする程に大きく強くうねっているのが分かるのです。
だからこそ、僕は死ぬ事にしました。
僕は遂に、怪物への変化の戸口に立たされてしまったのです。
生きていれば良い事がある。諦めるにはまだ早い。
そんな風に諭してくれる人も居ましたが、僕には分かります。
今ここで死ななければ、僕は癒すどころか傷付けるだけの怪物になってしまう。
今ここで諦めなければ、僕の望みは反転した憎しみに変わってしまう。
せめて最後に、僕の事を誰かに知って欲しかった。
人であろうと思うが故に、死ななければならなかった者が居たのだと、確かに記憶して欲しかった。
それが叶うなら、小説家を志したあの日の僕も、幾らか報われるような気がするのです。
それでは、さようなら。
もし次があるのなら、どうかその時は、愛すべき人間になりたいと思います。