007 能力
「また……来てしまわれたのですね……」
「あ……ああ……女将さん?」
伊作が目を覚まして目に入ったのは見覚えのある和室と包帯で目を隠した青い和服の女性。
数時間前まではただの夢だと思っていたこの光景も、今では超常現象の一種だと認識している。
「もうお分かりでしょう、ここは伊作様がここに来ることを望む、あるいは無力化されると強制的に転移させられる伊作様の世界”寄す処の郷”です」
あまりにも突飛な説明ではあるが、伊作は耐え難い痛みを経験しているという事実が女将の話を飲み込ませる。
少なくとも今見ている光景が夢ではないと思う。
「ちっ……つまりあれですか、それを説明するためにわざわざ僕がもう一度死ぬのを待ったというわけですか」
「はい、伊作様は見ず知らずの者に口で説明されてもそう簡単に信用しないことを知っていますから」
(なんだコイツ頭沸いてんのか?知り合ってまだ10分と経ってないだろうに)
自分に対して知っているとか理解していると言われるのが嫌いな伊作は頭に血が上った。
しかし一方で10分も顔を合わせていない女将の言葉をそう簡単に信用しないことは的中しているため、警戒心が増すと同時に多少の冷静さも取り戻す。
「ほとんど会話をしたことがないのに僕にお詳しいですね、それなら僕があなたに聞きたいことも知ってたりするんですか?」
「私には伊作様の記憶や思考を知ることはできません、私が知れるのはなにが好きでなにが嫌いか、どういったことを望みどういったことを望まぬか」
(俺が何かを知りたがってるのは分かるがそれがなんなのかは分からないってか?)
「じゃあ……あのグールとかムーンビーストとか、さっき僕を殺したカニみたいな怪物たちはいったいどういう存在なんですか?」
「わかりません」
「怪物や土地や物や人が突然現れた原因は?」
「わかりません」
短く簡潔な言葉から嘘をついているのではないかと疑って苛立ちを覚えた伊作は座っている女将の喉を指で掴んで脅すように問いかける。
「じゃあなにを知ってんだよ?」
「私が最初から知っているのはこの場所を管理する力と役割を与えられたということだけ、伊作様の趣味嗜好を知っているというのは管理する力に由来しています」
(つまり世界に起きてるおかしなことに関しちゃ何も知らないってことじゃねぇかよ)
伊作の苛立ちが増して喉を掴む指に力を入れようかと考えた時、女将が伊作の手に触れた。
「私はたとえ殺されようともいずれ元に戻ります、遠慮する必要はないのですよ」
「っ……はぁクソ……」
暴力を振るうことを容認されたが伊作は一旦手を離し、深呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻そうとする。
そして一度頭を整理して具体的な質問を考えてから会話を再開。
「僕は死ぬとこの場所に転移して、あの仏壇を拝むと死んだ場所に戻るということで合ってますか?」
「その認識で正しいと思います、ただ死んだ場所に戻るのではなく死んだ場所に一番近い安全な場所、それも伊作様が知っている場所を優先します」
このような質問を繰り返して伊作は自分に与えられた――あるいは押し付けられた――能力の確認を続けた。
「それとこの郷に転移するのに死ぬ必要はありません、集中してこの場所に帰りたいと強く願えばそれは叶うでしょう……それともう一つ」
「なんですか?」
「こちらへ」
女将が立ち上がってそう言ったので伊作は渋々ついて行く。
和室を出て廊下を歩いて突き当たりの所にある部屋の中央には下へ続く階段が存在しており、そこを女将と共に下りて行く。
「なんですかここは」
そこは何もないただ広いだけの地下空間。
「あれをご覧ください、見覚えがありませんか?」
女将が指差すのは地下空間の左奥。
伊作がよく目を凝らしてみると、確かに見覚えのあるものがあった。
「モンスターを殺した時に流れ込んで来た赤黒い煙……なぜここに?」
「あれは異端の螺旋煙と呼ばれるものです、ここに溜められた螺旋煙を消耗することで郷に物を増やすことができるでしょう」
「物を増やす?」
「郷の設備を豊かにしたり伊作様が持ち込んだ物を複製することが可能です、ただし破損した状態で持ち込まれた物を螺旋煙で修復することはできませんが」
女将がそう言いながら伊作の着ている衣服に顔を向ける。
爪で刺された傷や刺された肩やノコギリで裂かれた腹部は治っているが、着ている服はボロボロのままだった。
(モンスターを殺して得た煙で持ち物を複製できる上に不死身……なんかとんでもない特権なんじゃねぇかこれ?)
金属のような者に与えられたこの強力な能力を自分が利用できるということに高揚感を覚え、それと同時に邪な感情が育つのを実感する。
(いくらでも死ねるならいくらでも殺せるな!)
「先輩遅いねぇ~」
伊作が郷で女将との会話にかまけている時のこと。
「せんぱい……伊作のこと?」
「そうそう、そんであたしのことは日月って呼んでね」
「ひづき……日月はボクをなんて呼ぶ……?」
(自分を僕っていうのは先輩の影響かな?)
「なんて呼ぼうかなぁ、どうせなら可愛いのがいいよね」
「かわいい……?」
「えーっと可愛いっていうのはつまり――」
言葉を遮るようにガラスが割れる音が校舎内に鳴り響いた。
グルカナイフを手に取った日月は少女に「ここで待ってて」と微笑みながら言い残して音が聞えた昇降口の方へ向かう。
可能な限り足音を殺して廊下の角から覗く。
(なにあれカニ人間?)
体長2メートルほどの全身が赤黒い甲羅で覆われた異型の甲殻類のような者。
『そこに隠れているお前、何者だ?姿を見せろ』
(ありゃ?喋ってる?)
意志の疎通が可能であるかもしれないと判断した日月はグルカナイフを背中に隠しながら身を晒す。
「どーもッス、あたしは――」
日月が全身を見せた瞬間、甲殻類のような者は尋常ではない速度で急接近して槍のように尖っている右腕を突き出した。
「えっ、ちょっ――」
長い廊下で距離が開いていたため多少の行動ができた日月は咄嗟に身を守ろうした。
その結果鋭い腕の先端は日月の左手に命中し、そこに穴を穿とうとした。
「痛い痛いって!」
しかし腕の先端は日月の左手に僅かに刺さって出血させることしかできず、貫通はしない。
『お前、なんだその力は!?』
動揺するモンスターの隙を見て日月はグルカナイフを振り下ろす。
『ぐッ!?』
「いきなり襲い掛かってきた分際で、質問に答えてもらえるとでも思った?」
(自分でもよくわからないから答えられないけどね)
モンスターは日月から離れ、日月もモンスターに食い込んだグルカナイフを引き抜く。
お互いに多少の距離を置いた状態になり、日月はグルカナイフに付着したモンスターの血を眺める。
「そんな姿のモンスターでも血は赤いんだねぇ」