069 向かう方角
「その倒木は苔で滑るから気をつけるんだよ」
「わかりました」
「わかった」
伊作とクレナイは老婆に案内されながらエルフ村から西側にある森の中を歩いていた。
「見えたよ、あそこがあたしの小屋だ」
30分ほど歩いたところで老婆が使っていたという狩猟小屋に到着したので休憩する。
(歩き始めてそんなに経ってないが、森を歩くのはわりと疲れるな……)
森を歩くのに慣れている老婆は伊作ほど疲れている様子はなく、クレナイは多少の汗をかいてはいるものの一切疲れた様子はない。
切り株に座って休む伊作に老婆が水を手渡す。
「アンタのその服装は出歩くのに不向きだね、真っ黒ってのは野外だと目立つよ」
「そうでしょうね、ただこの喪服は……いやまあ機会があれば別の機能的なものに変えるつもりですが」
伊作が休んでいる間、クレナイは周囲の木々や植物、虫や鳥の声などを興味深そうに眺めている。
「あれはなに?」
「ありゃバッタだ、捕まえやすいから良い食料になる」
「あっちは?」
「キノコ、知ってる限り毒なしより毒入りのが多いし食べてもあまり腹は膨れない、だから腹が減っても食べるんじゃないよ」
クレナイは気になったものを片端から質問しては老婆がそれに答える。
その微笑ましいやり取りを見て、伊作は思った。
(クレナイはこの人に引き取ってもらった方がいいんじゃないか?)
元々は自分1人で行動する予定だった。
結局クレナイを同行させたが、それも漁村の時のようにサマンサが暴れだしても問題ない環境を探すのが目的であり、今この環境はその条件を満たしているように思える。
(この山奥なら暴れても問題ない、エルフ村も近くにある、それに狩人さんは息子がいるらしいし……俺なんかより――)
「どうしたの?」
「あ?あ、いや……」
伊作が自分の顔を見ながら悩ましげな表情をしているのに気づいたクレナイは声をかけたが、伊作は顔を逸らして口を噤んで考え事をする。
何かを考え始めてから数分経った時、伊作はクレナイの前に立って目線を合わせる。
「そろそろ休憩は終わりにして出発しようと思うんですが……ここに残りますか?」
「なぜ?」
「その……俺と一緒に未知の場所を歩き回るより、ここにいた方が良いんじゃないかと思って……もちろん狩人さんさえ良ければですが……」
「あたしは構わないさ、だがどうするかはお穣ちゃんが決めな」
「伊作と行く」
一切迷うことなくそう答えた。
伊作は少し驚き、その表情を見た老婆は僅かに微笑む。
「少し待ってな」
老婆は小屋の中に入って行き、すぐに出てくる。
そして小屋から持ってきた物を伊作に渡す。
「これは……ナイフ?」
「ああ、知り合いに貰った良いナイフだが狩りには使いにくくて放置してたのさ、ちょっとした餞別さね」
動物のトドメ刺しには適さない刃渡り、サブヒルトが付いているため解体にも使いにくいそのダガーは、上着に隠しやすいショルダーホルスターと合わさって対人用であることが分かる。
「ありがとうございます」
老婆は礼を言う伊作に近づき、クレナイに聞こえないよう小声で話す。
「しっかり娘を守るんだよ、その必要がないとしてもね」
「は、はあ……わかりました」
「はっきり言いな」
「あの子は俺がしっかり守ります」
(小声で話してもクレナイには聞こえてるよな……)
気恥ずかしさを感じながらも、老婆に方角を確認してもらってからクレナイと共に歩き出した。
「またねお穣ちゃん」
「また」
老婆に別れを告げ、少し歩くとすぐに老婆の姿は見えなくなって伊作とクレナイは2人きりになった。
(とにかく西へ行こう、九予との合流地点がある)
伊作とクレナイが老婆と別れたのと同時刻のエルフ村。
「おいガキ!酒をよこせ!」
「てめェ飲みすぎなんだよォ!」
(うるさい……)
伊作が置いていった酒を取ろうとする大林と渡さないようにしているジェシー。
それを傍で見守っている燈一。
「あ”あぁ~!アルコール!体からアルコールが抜けている!摂取させろ!」
「人に心配かけてる自覚あんのかァ!?どうして親の仇みたいに酒を飲むんだよォ!?」
「紛れもない親の仇だァ!」
(大林さんってアルコールが抜けると普通に会話できるんだな……いや普通じゃないけども)
「っしゃオラァ!」
「ああっ!?」
ジェシーは酒を奪い取られ、大林は奪った酒を非常に素早く開封して喉に流し込む。
「っぷはぁ~!あ~……ああ……あ……くずっ!ん”あ”ぁぁぁ……」
アルコールを摂取した大林はその場に座り込んで泣き出した。
「な、なにもかも……なにもかも上手く行ってたんだ!必死に勉強して働いて勝ち抜いて……なのに世界がこんなになりやがっで!」
(気の毒だなぁ……)
以前の世界では上手く生きられなかった燈一からすれば、今の世界はそれなりに居心地の良いもの。
しかし以前の世界で上手く生きていた大林のような者にとって今の世界は積み上げた物が崩れた忌々しいものだった。
「そんなんで今ある酒がなくなったらどうすんだよォ?」
「は?酒が?なく……ひ、ひひっ!」
奇妙な笑い声を出す大林に近づきたくないジェシーは燈一の傍に座る。
「燈一ィ、お前もなんか言ってやれよォ」
「え?あ、うん……あの大林さん、よかったら俺と一緒に……一旦村を出ませんか?」
「あぁん?」
「はァ!?」
燈一の言葉に話しかけられた大林よりもジェシーの方が動揺する。
「今回のオオカミ騒動で痛感したんだ、俺には良い装備と異世界の知識がもっと必要だって……けどそれを手に入れるためには俺1人じゃ――」
「待ておいィ!」
大林に向かって話す燈一の間にジェシーが割り込む。
「あのなァ!そーいうのはまずオレを誘えェ!」
「えっ、いいの?」
「当然だろうがァ」
「あ、ありがとう……」
燈一とジェシーで捕らえた男性が九予に殺害され、殺人に加担してしまったというような意識が2人の間にあったため、燈一はジェシーが自分と一緒に行動するのに抵抗があるかと思っていたが杞憂だった。
「な~に盛り上がってんだガキどもぉ……」
「えっと、改めて俺とジェシーと一緒に……銃や異世界アイテム、そして酒を探しに付き合ってください」
「んぐ……ふぅ……先に言っとくがなぁ~!酒が最優先だ!酒がなくなったら私はその場で死ぬぅ!」
(来てくれるってことでいいんだよな?よかった……)
大林の了承を得られて喜んだところで、燈一は2人に行き先の話をする。
「この村の人たちが漁村に移動するのを見届けたら……北だ、北へ向かおう」
「北ァ?」
「見える限り北側は地球の建物が多いから、酒がある確率高い」
「さーけ!さーけ!」
また同時刻の漁村にて。
「うぃーッス!」
日月が勢い良く漁村の家の扉を開けた。
「なによ、うるさいわね」
「元気があっていいじゃあないか」
家の中にはベッドで休むアンゲーリカと、メモ帳とペンを持って座っている美音がいた。
「おんや?おねーさんなにしてんスか?」
「ただの暇つぶしよ、地球と異世界の違いを見つけてメモしてるの」
「例えばどんな違いッスか?」
「そうね……あんたちょっとアンゲーリカに母国語以外の言葉を話してみなさい」
「母国語以外?えーっと……マザーファッカー!」
日月の言葉に対して美音は呆れ、アンゲーリカは首をかしげている。
「まざふぁ?それはどういう意味なんだ――」
「とまあこんな感じで通じてないでしょ、異世界人はなぜか私達と言葉が通じるけど口の動きを見る限り同じ言語を喋っているわけではない、たぶん母国語が自動翻訳されてるのよ」
この世界に来てから時間が経過し、美音は以前の世界ではありえない体験をしてきたためか飛躍した考えを持っている。
「でももっと奇妙なのは……アンゲーリカ、あんたこの子の身長どれくらいだと思う?」
「うーんそうだね……160センチくらいかな?」
「正解ッス!んで何が奇妙なんスか?」
「メートル法が使われてるってことよ、アンゲーリカが知る限りはどこでもメートル法を使ってる、なのに誰もいつから使ってるのか誰が使い始めたのかを知らないらしいわ」
「はえ~……」
確かに不思議だなと日月は思ったが、それ以上に興味を持てるような話題ではなかった。
それを察したのか、アンゲーリカが話題を変える。
「そういえば日月ちゃんはなんの用で来たんだい?」
「あーそうそう、ウチこれから衛助さんと何日か出かけるんスよ、なんでもしクレナイちゃんが帰ってきたら出かけてるって言って欲しいッス」
「分かったよ、しかしいったいどこへ行くのかな?」
アンゲーリカに問われた日月は方角を指す。
「南へず~っと行ったらなにかあるかな~……って、気分転換ッス」
(先輩のクリーチみたいな異世界の報酬が欲しいし、なにより血を浴びたくてたまらないし!)