老鬼女
平安の昔――――――――。
追い剥ぎや盗人が横行した京の闇。
君臨したる老いた鬼女がおりました。
老いたと言うてもその衣は剥ぎ取った豪奢な物で、痩せた体躯を飾り、唇には紅をひき、ある種、凄みのある美しさを燦然と放っておりました。鬼女は元、貴族の出であるとか、いや畏れ多くも皇族の出であるとか、はたまた只の乞食の娘であるとか、様々な噂が囁かれます。確かなことは一つ。この老鬼女は都の闇を統べる存在であったということでした。
真珠であれ金であれ珊瑚であれ金糸銀糸の衣であれ、鬼女が望んで手に入らぬという物はおよそないのでした。ゆるりとうねる白髪に煌びやかな櫛を挿し、贅の極みを尽くした、けれど着崩した着物を纏う老鬼女に、夜に生きる者たちは皆、ひれ伏しました。
そう、紛う方なく老鬼女は、夜の女帝であったのです。
老鬼女には慈しみも労りもありません。
必要であれば赤子の命も奪いました。
けれどその赤子が女児であった場合には放免しました。
それは老鬼女にまつわる謎の一つでした。
ある朧月の晩。
螺鈿細工も麗しい牛車を、老鬼女の配下が襲いました。
牛飼い童は逃げ、随身も逃げました。
「后がね(将来后となる予定の人)かい。美々しいこと。どうれ、よく顔をお見せ」
にやにやと、黄ばんだ歯を剥き出しに笑う老鬼女を、一人残された姫君はきっ、と睨みつけました。
「おお、気の強い。怖い怖い」
老鬼女のからかいに、配下の男たちがどっと笑います。
「お前が悪名高い老鬼女か」
「如何にも」
「さっさと首を刎ねるが良い」
「辱めを受けるくらいなら、か。よう言うた。お前たち、お楽しみのあとに、このお姫様の手足を一本一本、へし折りながら死なせておやり。髪も着物も汚すでないよ。高く売れようほどに」
姫君はそれを聴き、顔を青白くしました。すかさず舌を噛み切ろうとしましたが、さるぐつわをされて果たせません。男たちは下卑た笑いを浮かべました。
そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図。
老鬼女の最も得手とする世界。
しばしの時が過ぎ。
苦悶に顔を歪めて死んだ姫君の懐から、ほろりと何かが落ちました。
紫の糸も色褪せた護符でした。
それを見るや否や老鬼女は男たちを押し退け、姫君の亡骸に飛びつきました。
そしてつくづくと姫君の顔を覗き込んだのです。
それは誰あろう、老鬼女が昔に生んだ娘でした。名のある貴族と一夜だけ共に過ごし、別れの形見に渡された護符は、やがて生まれた娘の首にかけ、その貴族へと託したのです。
うおおおおおおおおおおおおおおお、と、老鬼女は咆哮を上げ、髪を掻きむしりました。美麗な櫛がかつんと音を立てて落ちます。
老鬼女は置いてあった刀を抜くと、配下の男たちに斬りつけました。血飛沫が舞い、腕や、指が花びらのように宙を飛びます。
おおおお、おおおお。
老いた鬼女の凄まじい剣技に、男たちは呆気なく絶命しました。
老鬼女は目から大粒の涙をこぼし、娘に取り縋りました。
そしてそのまま、ねぐらとしていた古い邸を飛び出て、都の大路を駆け抜けました。
そのまま駆けて駆けて駆けて。
気づけば老鬼女は獣となっておりました。
頭に二本の角を頂く獣です。四つ足で疾駆する果てには闇があります。
老鬼女は躊躇いなく闇へと突進しました。
それは冥界の門。
永劫の地獄への入り口でした。
娘を殺し、真の異形と成り果てた老鬼女には、もはや他に行くところがなかったのでございます。