襲撃
月に照らされる。
見上げると眩いほどの光量だ。
『月下美人』
彼女を形容するならば、その言葉が最適であろう。
彼女が望むのは眼下に広がるアルレディオ大公私邸である。
大公私邸には通常よりも遥かに多い警備を配しているように見える。
一年前にアイシャ達は、大公国で大公レオンを襲撃するが、未遂に終わった。
さらに、三ヶ月前には他の暗殺者が大公の息子であるリオンを狙い、やはり失敗していた。
一年間に二度も襲撃された大公家。
当然、警備も厳重になる。
それを上空から眺めるアイシャはおもむろに懐から古代魔道具を取り出す。
『潜伏』の魔法が発動し、アイシャの姿を消していく。
すぐさま大公私邸へと降りていく。
『飛翔』の魔法はかかったままだ。
そのまま飛行しながら、屋敷へと侵入していく。
目的の部屋へ入るや否や『潜伏』の効果が切れる。
下調べした通り、この部屋には人の気配は無い。
アイシャは暗闇の中、『飛翔』の呪文を解くとすぐに次の魔法を発動させる。
古代魔道具にまたもや『潜伏』を保存する。
次いで、『探索』を発動させてレオンの居場所を探る。
次の瞬間、『探索』の魔法が掻き消える。
対抗魔法が屋敷全体にかかっていたようだ。
しかも『警報』の魔法も連動するようになっていたようで、けたたましく警報音が屋敷に鳴り響く。
アイシャは予測していたのか、慌てることなく扉の外に注意を向ける。
左手に古代魔道具を握りしめて、いつでも使用できる状態にしておく。
いつの間にか警報音は鳴り止んでいたが、扉の外は慌ただしく動き回っていた。
警備の者だろうか、話し声が扉向こうから聞こえてくる。
(西館はいなかったそうです!)
(そうか!東館もこの先だけだ!)
(どうします?)
(シグはレオン様の元を離れられない)
(もう少し人を集めて小隊で行動しよう)
(わかりました!では、みんなを集めてきます)
(頼んだ)
走る足音が遠のいていく。
足音が聞こえなくなるとアイシャは行動を起こす。
古代魔道具を起動させて『潜伏』を発動させる。
扉を開けると目の前に警備兵が立っていた。
瞬間の出来事だった。
警備兵はとびらが開いた瞬間、即座に飛び退り最警戒の構えをとる。
だが、次の瞬間には絶命に至る。
胴体から首から上が切り離され、血飛沫が飛ぶ。
警備兵は前のめりに崩れ落ちると、床を血で染めていった。
アイシャは床に崩れ落ちた警備兵に目もくれず走り出す。
標的であるレオンがどこにいるかはわからない。
しかし、アイシャはある確信を以て食堂を目指す。
レオンは、アイシャから見てもかなり好感の持てる国家元首である。
国元では賢王と讃えられ腕を奮う。
家庭に入れば、父として夫として立派であるとアルレディオ大公国の民衆は口々に揃えて教えてくれた。
そんな彼が夕飯時に家族と共に居るのは明白と言えるだろう。
アイシャとしても、稀代の名君を暗殺するのは気が引ける。
しかし、己が目的を果たすためにどうしてもレオンを殺さなくてはならない。
そう、どうしてもだ。
食堂に近づくにつれ警備兵の数が増えていく。
『潜伏』の効果もそろそろ尽きる。
無益な殺生は好む所では無いがここで見つかってはそれこそ本末転倒。
ならばと『高周波』の魔法を両手に発動させる。
そしてそのまま警備兵達の首を一つ、また一つと次々に落としていく。
扉の前を守る最後の警備兵の首を落とすと同時に『潜伏』の効果が切れる。
彼女の後ろでは首のない死体が床を血の海へと変えている。
アイシャはドアノブに手をかけると躊躇うこと無く扉を開ける。
手入れの届いた扉は音もなくすんなりと開いていく。
扉が開いた瞬間レオンは『雷光走破』を放った。
侵入者を撃ち貫かんと雷撃は迸る。
だが『雷光走破』の魔法はアイシャへと到達すること無く霧散する。
「あらあら、不躾ね♪」
「これが大公家の応対なのかしら♪」
「不法侵入者にはちょうどいいだろう」
レオンは言葉を返すと腰に下げていた剣を鞘から抜きさる。
「貴様...去年、襲撃してきた輩だな?」
アイシャはニコっと笑うと
「正解♪」
無防備に中へと入ってくるアイシャは妖艶な笑みを湛えている。
扉を閉めてレオンと対峙した瞬間だった。
「無防備だな」
その言葉が発せられると同時にアイシャが吹き飛ぶ。
気配を殺し扉の内側に身を隠していたシグが、内気を練り込んだ掌底をアイシャへと叩きつけた。
さらにアイシャに追撃を加えんと駆け出す。
アイシャは壁際へと吹き飛び、食器棚に激しくぶつかる。
床へと落ちた食器が次々に砕け散る。
不意をつかれたアイシャは少なからず動揺しているはずである。
アイシャに肉薄したシグは必殺の一撃を加えた……はずだった。
「はぁぁっ!」
だが渾身の力を込めた拳は空を切る。
「!?」
戸惑うシグに激痛が襲う。
「ぐっぅぅ!」
「ちぃぃっ!」
首元を狙いすましたアイシャの二撃目をシグは寸でのところで躱す。
シグは後退を余儀なくされる。
「あら?避けられちゃったわね」
言葉とは裏腹にアイシャは驚きを隠せない表情でシグを見ている。
普段であれば、首と胴体を切り離しているはずだった。
シグも同様の表情をアイシャに向けている。
気配を殺し、不意を突いて吹き飛ばしたはずの相手が無傷で立っているのである。
あまつさえ自分の腕を折り、更には首を刎ねようと反撃を繰り出してきたのだ。
「...貴様……何者だ?」
シグの問いかけに平静を取り戻しつつアイシャは答える。
「ふふふ♪」
「さすが大公の側仕えね♪」
「で・もっ...人に名を聞く時は先ず自分から名乗るものじゃない?」
シグはアイシャの返しに躊躇いつつも名を告げる。
「...シグだ……シグ・ログナードと言う」
「!」
「そう...合点がいったわ♪」
納得した様子でアイシャは頷いている。
「一人で納得してところで悪いが、こちらの問いにも答えて貰えるかな」
「あら、ごめんなさい」
にこやかに笑うと育ちの良さを匂わせる綺麗な賓礼をする。
「私はアイシャ」
「『ペルソナ』のアイシャと申します」
無防備としか思えないアイシャの一連の行動に警戒を解けず、徐々に緊張が高まっていたシグがアイシャの名前を聞いた瞬間に、その警戒を最高にまで上げた。
「さぁ、踊りましょ♪」
言うとアイシャは魔法を構築し始めた。
大公家私邸へと伸びる街道を馬車よりも早く駆け抜けるものがある。
道行く人の間を正に一陣の風という様に走り抜けていく。
(杞憂であるならそれでいい)
(何も無ければ、私が走り疲れるだけのこと)
思いつつも、一抹の不安から走る力を緩めることなく走り続ける。
目的地はもう目と鼻の先にある。
だが、この距離がとてつもなく長く感じる。
もどかしさを心の奥底へと追いやり、ただただ大公邸を目指すバルトであった。