狂気の果てに
予定よりも長くなってしまった...
時は遡る。
バルトが大公国王都私邸へ辿り着く十数分前の事だった。
レオンたちは夕食後の団欒を囲んでいた。
他愛のない親子のコミュニケーションを一年ぶりに堪能している。
リオンとシオンは、どんなに小さな事でも話した。
学校の話やシグとの訓練、友達と遊びまわることも良くあった。
そんな最中、1人の悪辣な襲撃者にその家族の団欒は壊されるのだった。
夕闇の刻も過ぎて、月に照らし出される王都は次第に静けさを取り戻していく。
王都を東西南北に大通りが広がる。
行き交う人々は足早に我が家へと帰っていく。
その中に一際目を引く女性がいた。
その姿は正に月下美人となぞらえる様に儚くも優雅に咲き誇る。
唐突に女性は足を止める。
仕事前だからなのか、やけに感覚が鋭敏になっている気がする。
その影響か、心の奥底に眠る記憶が彼女の脳裏に蘇る。
行き交う人たちは、立ち尽くす女性に目を奪われるも、家路につく。
女性はそんな周りの目も気にならないほどに記憶の底へと沈んでいく。
大きな屋敷の地下に祭壇がある。
その手前に部屋があり、数人の男女が机を囲んでいる。
険しい顔で考え、話し、また考える。
幾度も話し合いを重ねてきた。その度に答えが出ることは無かったのだが、この日とうとう答えが出る。
「このままでは我らは氏族の地位まで奪われかねん」
「しかし、こんなことは...」
「族長、我らだけでは無い...後に生まれてくる次の世代の為にも、やるべきだ」
だが、族長と呼ばれた男は倫理観と罪悪感から踏み出せずにいた。
「......誰に白羽の矢を立てるというんだ」
族長の言葉に皆が黙る。
そんな非人道的な行為を誰が受け入れるのか?
こんな事が他の氏族に知れたら、今まで以上に立場が危ういものになるのではないか?
そんな思いが族長の中で渦巻く。
沈黙が場を支配する中、一人の女性が手を挙げる。
「私がやります」
その場にいた全員が、一斉に声の主へ視線を向ける。
「ならん!!」
族長は顔を真っ赤にして即座に退ける。
「お前は何を言っているのか分かっているのか!?」
「大体、お前には我が一族の子を成してもらわねばならんのだ!!」
怒りに顔を真っ赤に染め上げて、まくし立てる族長をしっかりと見据えながら、女性は冷静に言葉を返す。
「父様、私でなくてもリーシャがいます」
「一族の血は保たれましょう」
「しかし、これは氏族全体の為にも成さなければならない事なのです」
大きく息を吐く族長は、立った勢いで倒れた椅子を戻して座る。
そこに女性はさらに続ける。
「父様、私は父様の娘です」
「一族も大切です。ですが、氏族全体を思えば、族長の娘である私がその陣頭に立つ事に何も躊躇いはありません」
思案顔で俯き、押し黙った族長は女性の最後の言葉で決意を固めたのだった。
翌日。
祭壇の部屋に魔法陣が構築され、中央には一糸まとわぬ女性が横たわっている。
術者達はまだ詠唱を続けている。
完成に近づくにつれ、魔法陣は眩い光を放ち始める。
完成真近になって族長は横たわっている娘に問いかけた。
「...アイシャ、本当にいいんだな?」
「...はい」
一拍の間を空けてアイシャと呼ばれた娘は答える。
その直後、詠唱が止む。
あとは魔法を唱えれば発動する状態となっている。
族長はアイシャに覚悟を問うたが、ここに来て己自身の覚悟が揺らいでいることに気付く。
口の中が渇く。
震えが止まらない。
最愛の娘を失うかもしれない事にただただ恐れる。
「父様、ありがとう」
不意にアイシャからの感謝の言葉。
族長は頬に伝うものを感じながら、魔法を唱えた。
『トランス』
『トランス』とは
恒久的に精神を分裂させる魔法。
『夜魔族』特有の精神魔法を組み合わせて完成させた外法の技である。
魔法陣から発せられていた眩い光は辺りを真っ白に染める。
数瞬の後、光が一つに集約していく。
中心にはアイシャがいた。
光が全てアイシャの内に呑み込まれると、アイシャは目を開けて、そのまま立ち上がる。
光の奔流をやり過ごした族長たちは、一様にアイシャを見ていた。
族長は意を決してアイシャに声をかけようとしたその時だった。
「あははははははははははははははははははははははははははははっ」
天を仰ぎ、愉悦に顔を歪めるアイシャ。
ひとしきり笑うと、グルリと周囲を見回す。
次の瞬間、ニヤリと笑ったかと思うと素早い動きで魔法陣を構築していた術者達の首を刎ねていく。
突然のことに術者達は何も出来ぬまま屍と化す。
呆気に取られていた族長たちは、すぐさまアイシャを取り押さえるべく動きはじめるも、アイシャはその悉くを躱し、さらには死に至る一撃を見舞っていく。
次々に倒れていく同胞はとうとう族長を残して全滅してしまった。
族長は何も出来ずに呆然と立っていた。
アイシャは族長を一瞥するとその場を後にする。
族長は膝から崩れ落ちる。
「ふっ...くくくっ...」
「あはっ...あははははははははははっははははっ...ははははははははっはははははは...」
血の涙を流し、狂気に震える。
考えうる限り最悪な結果がそこには残った。
「こんなことなら、死んでくれた方がまだマシだ...」
そして族長は、そのまま気を失っていった。
次に目覚めた時、族長はアイシャと祭壇の部屋で起こった事を全て忘れていた。
代わりに心の内に狂気を宿して。
『ボーデンス大陸』最大の港湾都市『ドラグポートランド』
そこに1人の女性が降り立つ。
ウェーブがかった銀髪に見事に伸びた角が輝く。
蒼く澄んだラピスラズリの瞳の奥には仄暗いものを湛える。
端正な顔立ちに妖艶な笑みを浮かべ、歩く姿は男共を魅了する。
女性の名はアイシャ。
ここ数年で一気に暗殺ギルドで名を馳せるほどになっていた。
『妖麗姫』、『椿姫』、『嬢』
と彼女を表す言葉は多岐に渡った。
暗殺ギルドでも彼女の本質を知るものはいない。
それもそのはず、彼女の...いや、彼女達の二つ名はそれぞれが冠するものだ。
彼女達は、数年前『夜魔族』の族長達によって秘密裏に生み出された存在。
それがたとえ本人の希望だとしても...
『妖麗姫』はリリーマルレーンという女性の人格が持つ二つ名であり、自らの躰を駆使した暗殺を得意とする。
『嬢』はアイという少女の人格が持つ。
標的の警戒心を解くことを得意とするが、悪ノリする所もある。
また、少女らしからぬ狂気を含む。
『椿姫』はルリという人格が持つ。
暗殺者としてアイシャを確固たる地位に押し上げたのがこのルリであった。
依頼の8割方をこのルリがこなしているのである。
『椿姫』の由来はその暗殺の仕方にある。
彼女は素手に『ヴィブロ』という魔法をかけて、超振動によって容易に首を刎ねる。
『ボーデンス大陸』に渡って数十年の時が経ったある日、一つの依頼が飛び込んでくる。
『魔人族』の大公国大公レオンの暗殺だった。
レオン自体の暗殺はアイシャ達にとって容易な事ではあったが、レオンを守る『阿修羅』バルトが難敵であった。
バルトは現在、『魔族』で最強を謳われる男である。齢60年を数える歳になってもその実力は衰えてはいないと言われている。
主人格アイシャには一つの目的があった。
他人格の3人にも秘密にしている事をレオン大公暗殺を利用して決行する決意を固めていた。
その第一段階が先日の襲撃である。
暗殺ではなく、襲撃という形を取ったことが重要だった。
他人格の3人には、バルトをレオンから引き剥がすためという名目で説得していた。
第二段階がその直後の襲撃予告である。
日時などの指定はしなかったが、必ず殺しに来ると宣言してその場を立ち去った。
その日からもうすぐ1年が経とうとしていた。
その1年間の間に根回しや準備を周到に進めて、今日を迎えたのである。
記憶の奥底から帰還し、再び歩を進める。
王都の中央部まで来ると、王都を一望できる時計塔がある。
アイシャは時計塔の最上部まで登って王都を眼下に望む。
「うふふ。楽しみ。楽しみね」
「うんうん♪やっと殺せる〜♪」
「気を急いては事を仕損じる...」
「そうね。確実に仕留めましょう」
そう言うとアイシャは大公国大公の王都私邸へと空を進む。
その瞳に妖しい殺意と確かな決意を湛えて。
やっと襲撃者の名前と正体を書けた...
名前ないと書きにくいんだよぉぉぉぉぉ!!
次回はバトルシーン満載の予定ですよ!
...あくまで、予定です!...予定なんだからね!
では、期待して、待て次回!!