8・じゅうはしけんをうけてもつものです・ひっき!
「さて、本日から香春鳩高校射撃部のクレー射撃パートの活動開始と云うわけですね」
小日向先生はアニーと美味、そして硯耶先輩を前にしていた。
「あらためて自己紹介しておきます。私が顧問の小日向真佐です。そして射撃部部長の幡里香さん」
「よろしくお願いします」
「ヨロシクお願いでます」
「よろしくお頼み申す」
三人三様の返事に軽いめまいを覚えた小日向先生ではあったが、すぐに気を取り直して向き直る。
「さて、あなたたちも改めて自己紹介してもらおうかしら」
「二年生、硯耶翅采です」
「一年生、億里アニーです」
「一年生、根源院万解美味坊じゃ」
「根源院さん、学校なんですから僧名じゃなくて、本名で名乗ってください!」
アニーが射撃部に入部して知ったのは、思いのほかライフルパートに部員が居て(とはいっても五人ぐらいだが)、結構な活動が行われていた事だった。装薬銃の所持が可能なのは今年からなので、装薬銃を持てそうなのはあのリトル=グレイ……いや幡理香先輩だけだった。
美味が射撃部に入部するに当たって、幡部長は各部からもの凄い抗議を受けた。
しかしその抗議を美味はこう言っておさめた。
「私がどの部に入っても結局は異論が出る事、必定じゃ。しかしまだ大会も定まらぬ射撃部の新設パートであれば、何か結果が残るというわけでない。それならば皆、異論はなかろう? 今まで通り、助っ人要請には随時応えていこうと思うので、何卒御納得頂きたい」
確かにどこかの部に美味が参加した事で優勝したという話になれば、その部だけが得をしたことになるが、まだ大会も定まっていない射撃部の新設パートであればそういう問題にはならない。どこかの部だけが得をするという話で無いならば、と各部はやむなく了承する事になった。そうして晴れて美味は射撃部のクレー射撃パートに参加する事になった。
「さて、クレー射撃部門が取り組むべき最初の課題は……」
小日向先生の言葉に、アニーも硯耶先輩も美味も思わずごくりと喉を鳴らす。最初になすべき課題はなんなのだろうか? 体力作り、或いはルールの勉強だろうか? いろいろな事が頭の中に浮かんでくる。
「……試験勉強です」
「「「エエ~ッ!」」」
これには三人とも思わずずっこけた、まさか勉強から入らなければならないとは。
「一体どういう事でしょう?」
硯耶先輩が落ち着いた様子で尋ねる。
「日本の銃所持、特に装薬銃の所持には二つのハードルがあります。一つは初心者講習と呼ばれる筆記試験、そして二つ目は射撃教習と呼ばれる実技試験。日本では、これらの試験に受からないと、装薬銃は持てません」
「私たち高校生もクラブ単位では装薬銃を射撃出来るようになったんですがぁ、その反面そういった試験や教習と云うハードルは越えなければならなくなったんですぅ」
幡部長が得意げに話す。
「幡部長は受かっておられるのか? その講習や教習に?」
「びぇぇぇん! まんりかも実技試験はこれからなんですぅ。一緒に勉強しましょうぅ? ねぇ? ねぇ?」
幡先輩が美味にすがりつく。
「ああもう、うっとおしいわ!」
涙目で美味にすがりつく幡先輩を、横目で見ながら小日向先生が続ける。
「試験日は二週間後の土曜日、地元の警察で行われます。昔は試験の前の講習で、試験のポイントなどを教えてくれましたが、今はガチンコの試験になったので真剣に勉強しなければ受かりません」
先生は机の上の本を取り、三人に渡す。
「参考書と例題集です。これをちゃんと答えられるようになれば、まず問題はありません。頑張って一回で受かってもらえるとうれしいわ」
「落ちるとプロブレムになるんですか?」
日本で初めて試験を受けるアニーが心配そうに尋ねた。
「実は一回で受かってもらいたいのには、理由があります」
「「「?」」」
「日本のクレー射撃連盟の中に、高校生クレー射撃連盟と云う公認団体があります。
日本で高校生がクレー射撃を行う上で受け皿になる団体なのですが、夏にぜひ新しく所持した高校生の懇親射撃大会をしたいというの。射撃が国に厳しく制限されている日本で、健全な活動が始まった事を早くアピールしたいのよ」
「……大人の都合、という奴でござるか」
美味が少しうんざりした調子でごちた。
「まあ、あなたたちから見ればそういう風に見えるだろうけれど、大人っていうのはやった事が見えないと評価されないの。そこのところは解って欲しいわ……」
珍しく小日向先生の顔に陰りが見える、まるで自分の苦悩を語っているように。
「話が少しずれたけど、夏休みに射撃が出来るようになるには、初心者講習に今月受かって、来月に射撃講習に受かって、地元の警察に身辺調査を受けて許可が下りるまでギリギリのスケジュールなの。だから試験に落ちて時間をロスしてしまうのは、なるべく避けたいわ」
先ほどとはうって変わった、げんなりした空気が部室に漂った。
「億里さん、あなたは特に大変だけど、何とか頑張って。私はあなたがクレー射撃部の要だと思うの」
「カナメ?」
「これの事じゃ」
美味がばっと扇子を広げる。
「この骨組みの支点に打ってあるピン、これが要じゃ」
「あなたがこの高校に来て、色々な事はあったけれど部員も集まって活動出来るようになった……あなた自身も射撃を再び始めるチャンスを得られた……このピンのように全てがあなたに繋がっています。これは偶然かもしれない、けれどこんな素晴らしい偶然はそうは無いわ。皆にこのチャンスを最大限に生かして欲しいの」
小日向先生の言う事には納得出来る響きがあった。
アニーは自分に与えられたチャンスを肝に銘じ、答えた。
「OK、ミス小日向。ワタシ頑張ります。一回で受かって見せます!」
「私たちも手伝うから」
「拙僧も尽力いたす、皆で合格を勝ち取ろうぞ!」
再び、三人は前に向かって前進した。
もともとまじめな硯耶先輩と美味については、特に大きな問題は無かった。銃器の安全な取り扱いについて判らない所があれば、アニーが模擬銃という発射機能を除去した銃を使って、やっていい事いけない事を実際に見せて学んでいく事が出来た。法令の問題=法律に基づいての罰則や違反の規定については覚えるしかないので、必死に皆覚えた。
一番の問題点はアニーの日本語の理解能力と、銃器に関する部品や部分の名称が日本語で書いてある事だった。〝銃口〟と言ってもピンとこないが、〝マズル〟と言えば解る……一事が万事そんな感じだった。しかし根がまじめなアニーは、日本語の参考書と銃器についての本を読みながら何とか理解していった。
◇
講習当日、試験の終了時間ごろに地元の警察の前に来てアニー達を待っている小日向先生だったが、脳の中でチリチリと神経が焦げるような気がしていた。
硯耶と美味は多分心配ないだろう、やはり問題はアニーだった。ただでさえ日本の法律の文面は一般の人間にとっては不可解で、それに銃の部品や用語における日本語と英語との齟齬、さらに日本人ですら引っかかるひっかけ問題まであって、日本に来て間もないアニーが受かるかどうかは五分五分の賭けだった。
それでも三人には何とか受かって欲しかった。硯耶が、アニーがようやく進めた道を躓く事無く進んで欲しい、と云う小日向先生の祈りだった。それは躓いてしまった事のある自分の勝手な願望かもしれなかったが、それでも祈らずにはいられなかった。
◇
小日向先生はライフル射撃競技の優秀な射手だった。高校時代から始めた大好きな射撃を、競技以外に使いたくはなかったが、自衛隊に入ることで競技を続けられる事が何よりもうれしかった
海外にPKOで中東に派遣された小日向先生は警戒任務についていた有る日、駐屯地に近付く人物の服の下に爆弾を発見した。警告しても止まらないその人物を、小日向先生は上司の許可を取ったとはいえ撃って殺してしまった。
自衛隊の武器使用は厳しく制限されている。何が起こるか判らない世界の現実に対して、平和な日本で保身だけを考えている政治家たちと官僚たちは小日向先生の行為を隠蔽、現場から外し出向という形で別の省庁=文部科学省へ隠した。大学時代に取得した教員免許が図らずも役に立ったのだ。
基地を爆弾から守った小日向先生は、本来ならば評価されてしかるべきだったのに、法律や規定により正しく評価される事は無かった。
小日向先生はその措置を頭では理解出来たが、納得は出来なかった。
戦場と云う過酷な状況に於いて、身を守る物は武器しかなく、銃を武器として使用する他に手段はない……その事実は射撃を愛していた小日向先生にはとても辛い現実だった。
さらに緊急避難とはいえ人一人殺した事で、小日向先生の表情は曇り、何を見ても何を食べても何も感じなくなっていた。
そんな折、小日向先生に香春鳩高校への教員としての派遣が決まった。
自分が何の為に教員として派遣されるのか分からなかったが、アメリカとのTPP締結による装薬銃の普及・銃器の安全な取り扱いの指導の為の施策の一環であると文部科学省の人間に説明され、驚きもしたが同時に迷いを持った。こんな自分が、人を撃った自分に教える資格があるのかと。
それを救ったのは美味の父だった。赴任する前に街を訪れた小日向先生は、街随一の禅寺である瑞雲寺を訪れ、何をしたかは秘めたまま自らの迷いを打ち明けた。
瑞雲寺住職・根源院無節満久院坊は小日向先生に懇々と諭した。
『道を誤ったからこそ、説く事の出来る道がある』
小日向先生の心の曇りはその時に晴れた。道を誤った自分にこそ教えられる事があるのではないかと。
小日向先生は後悔と悲嘆にくれた顔を変える事から手をつけた。道を誤った事による後悔や失意などまったく伺い知る事の出来ない、誰が見ても完璧な笑顔を造れるように。
◇
しかし今、小日向先生の顔にはあれ程努力して造った完璧な笑顔は微塵も見られず、ただアニー達への不安と心配だけが覆っていた。
時間が過ぎてゆき、警官と趣の違う数人の人が出てきた。その後ろに美味と硯耶が見える。二人とも落胆した様な表情は見えなかった。
「根源院さん、硯耶さん! どうだった?」
「大丈夫です、受かりました」
「拙僧も受かったのじゃ」
「億里さんは? アニーさんはどうだったの?」
二人がやれやれ、といった表情で後ろを見る。
二人の視線の方向に、まるで魂が抜け出した後のようにだらしなく口を開けたアニーが、フラフラと歩いてくるのが見えた。
「アニーさん! どうしたの? ……まさか……」
アニーはフラフラと歩いてくると、小日向先生にドスンとぶつかる。
「……あれぇ? ミス小日向じゃないですか……」
朦朧とした様子で話すアニーの肩を、小日向先生は思わず強く掴んで問い質す。
「どうしたんです、しっかりして下さい、アニーさん! どうだったんです? ……まさか……落ちたんですか?」
アニーは先生のスーツにすがりつくようにして体を起こし、小日向先生の顔を見る。
「ドント・ウォーリー、ミス小日向……受かりましたから……」
「受かったんですか? 本当?!」
小日向先生は肺中の空気を吐き出すように、深いタメ息をつく。ようやくホッとする事が出来た事を実感し、自分にすがりついて立っているアニーを見下ろす。
「そのザマはなんですか! しっかりしなさい!」
「まあ先生、許してやって下さらぬか。試験の結果が出るまで、アニーはまるで閻魔大王の前の亡者のように怯えて、机の前で汗ダラダラものじゃったのだから」
そう言われれば想像出来た。試験が終わり、カルチャーショックで試験の出来について自信の持てないアニーがどんなプレッシャーにさらされていたかを。
小日向先生はアニーの金色の髪をくしゃくしゃと撫でると、
「まあよくやりました。お昼はハンバーガーショップで打ち上げですね」
にへら~と脱力した笑顔を返すアニー、それを苦笑いしながら見つめる硯耶先輩と美味を交互に見て、小日向先生は言った。
警察者の前で立ち番をしていた警官は、先生とそれにすがりついている金髪の高校生、その横に立つ他の高校生という警察署の前ではなかなかお目にかかれない風景を眺めていた。その警察官の目に一番うれしそうに映っていたのは先生であり、その笑顔が心の底から嬉しそうな笑顔だった事が印象的だった。
◇
初心者講習を受けて、筆記試験に合格したら今度は射撃講習=実技試験が待っている。今度は立場が逆になった。
射撃していた事のあるアニーにとってはどうという事は無いが、硯耶先輩と美味は本物の銃に触った事も無い。模擬銃と云う機能を除去した銃には触れるが、実際に弾を発射できる銃はやはり別物であり、『弾が発射出来るか出来ないか』ということは『剥製』と『生き物』の違いがある。
今日は初めてという事もあって、ライフル射撃パートの部員も一緒に部室に集合していた。実技に入るとあって、さすがに硯耶先輩と美味も制服・僧服と云うわけにはいかず、Tシャツとジャージに着替えている。
「フッフッフ、ワタシのターンになったわね……美味、スッズーリヤ先輩、覚悟はいいかしら?」
「スッズーリヤじゃない、〝すずりや〟だぞ」
「まったく、初心者講習の時のあの情けない顔を写真に撮っておけばよかったのじゃ」
「そ、そこの二人! コーチに対するリスペクトがないわよ!」
「硯耶さん、根源院さん、からかわないの」
小日向先生がやんわりと注意する。
「じゃあミンナ、シューティングテストをパスするようにファイト!」
硯耶先輩と美味が、アニーのテンションにいまいちついて行けずにいると、アニーが不思議そうに尋ねる。
「あれ? 『ファイト』といったら『イッパ~ツ』と返すのがニッポンのキマリ事だって、小日向先生に聞いたんだけれど?」
硯耶先輩と美味が呆れたように、ポカーンと口を開けた。
「昭和の発想じゃな」
「先生、まじめにやって下さい」
「エ、エヘヘ……」
二人に突っ込まれた小日向先生は顔を真っ赤にして恥入っていたが、
「な、何事も最初が肝心なのよ! もう一度行くわよ、『ファイト!』」
「いっぱ~つ!」
三人の投げやりだが気合の入った合いの手を受けて、小日向先生は満足そうに頷く。他の部員は妙に高いテンションに戸惑い気味だ。
アニーは銃架から模擬銃を持ち上げ、銃身を折って脇に抱える。
銃を手にした瞬間、先ほどとはうって変わり、アニーの体からはベテランシューターとしてのオーラが滲み出る。その真剣な表情、真摯な態度は一瞬にして美味と硯耶先輩を圧倒した。
「シャッツガンの構え方ですが、基本姿勢はボクシングの構え方に似ています。ミス小日向、構えてみて下さい」
小日向先生がボクシングのファイティングポーズをとる。
「足はショルダーぐらいのワイドに開いて、ボディーは少し斜めにしてクラウチング、あまり真っ直ぐ向いてもダメ、斜めにしてもダメ。この状態でシャッツガンを持たせると……」
アニーが横から小日向先生に銃身を元に戻した模擬銃を持たせる。模擬銃はまるでパズルのピースのように、すっぽりと小日向先生の体に納まった。
「なるほど……」
美味と硯耶先輩が納得して頷く。
アニーが小日向先生の伸ばした右手の人差し指を指し示して注意する。
「トリガーには絶対! フィンガーを掛けてはダメ! トリガーにフィンガーを掛けるのは、ターゲットにガンが向いた時だけ。そしてガンはターゲット以外に向けてはダメ、特に人に銃口を向けては絶対ダメ! これはガンを扱うシューターの絶対のキマリです。アンダスタンド?」
「はい」
「解り申した」
専門家と化したアニーの指導に、二人は心から納得した素直な返事で答える。
アニーは銃を小日向先生から受け取り、銃身を折って脇に抱えながら、二人にもう一度念を押す。
「大事な事なのでワンスモア言うわ、ガンのマズルは人に向けない、ターゲットに向けて発射する瞬間までトリガーにフィンガーを掛けない。OK?」
「はい」
「解り申した」
二人は誓うように、はっきりと返事をする。
「アニーさん、アニーさん! まんりかは質問がありまーすぅ!」
横合いから、幡先輩が手を上げて質問する。
「なんデスカ?」
「散弾銃のリコイルってどのくらいあるんですか? エアライフルやビームライフルはリコイルがまるでないので、どんなものなのかなぁーって思ったんですぅ」
「レコイル?」
美味と硯耶先輩が同時に声を上げる。
「ブレットをファイアした時に来る、ショックの事よ」
「ああ、反動の事でござるか」
美味も硯耶先輩も、射撃部に入るにあたって一応射撃関連の本には目を通していたので、用語は頭に入っていた。
「幡先輩、グッドクエスチョンです、美味も硯耶先輩も興味あるでしょ? 幡先輩、ちょっとこっちにカムです」
幡先輩が、興味深々に近寄ってくる。
確かに精密射撃で使用しているエアライフルやビームライフルは火薬を使用していないので、反動と云うものがほとんどない。火薬を使用する事で発生するリコイル=反動はクレー射撃の醍醐味でもある。もっとも撃ち続けていけばそれがどんなに厄介なものかおいおい判ってくるのだが、今はまだ未知の経験に対する興味で一杯なのだ。
「では幡先輩、ダミーガンを持ってみて下さい」
「はーい、失礼しますぅ」
幡先輩は軽く言って、ひょいとアニーから模擬銃を受け取る。もちろん引き金に指を掛ける事無く、銃口は天井に向けてだが。
手慣れた手付きに美味も硯耶先輩はもちろん、アニーすら驚いた。あの先輩ならショットガンを持ち歩くのに機関車が必要なのではないかとすら思ったものだが、まるで重さを感じていないかのように軽々と持っていた。しかし銃身の結合方法が判らないので、変な持ち方になっている。
「えーと、どうすればいいんですかぁ?」
「Oh,ソーリー」
アニーは幡先輩から模擬銃を受け取ると、空射ち用のダミーカートを装填して、丁寧に人のいない方向に向けて銃身と機関部を結合し、幡先輩に渡す。
「それでは構えてクダサイ」
「こ、こうですかぁ?」
幡先輩は渡された模擬銃を構える。その構えは今までやって来て慣れ親しんだ精密射撃の構えだ。
アニーが横に立ち、銃身を握る。
「幡先輩、しっかりホールドしていて下さいね」
そう言うと槍で突くように銃を幡先輩の方に押した。幡先輩の体は腰を軸に、軽く回転しながら後
ろに大きくのけぞる。
幡先輩は驚いて声を上げる。
「うわわっ!」
アニーが銃身を握っていたので、転倒する事は無かったが、もしそうでなければその恐れは十分あった。美味や硯耶先輩も驚いた表情でその様子を見ていた。
「リアルなリコイルはもっとショートなスパンでストロングに来るけど、こんなものだと思っていればノープロブレムです。アンダスタンド?」
「は、はい……えぐっえぐっ……」
アニーはやや涙目になった幡先輩の手から模擬銃を受け取ると、人のいない方に銃口を向けて構える。
「幡先輩のようなライフルシューティングのスタイルでは、ライトショルダーが後ろに行き過ぎているので、レコイルがそちらにエスケイプしてしまうの。ボディーはシャッツガンのレコイルを受けるように水平に近いスタイルを取って構えて下さい。美味、やってみて」
「解り申した」
美味は小日向先生の構えを真似たあと、右肩を前に押し出すようにして構えを取った。それを見たアニーは、
「うーん、ウェイトバランスが後ろねぇ、あまりウェイトバランスが後ろに行っていると、幡先輩みたいにレコイルでひっくり返る事があるわ。イッツノットジョークよ、美味。そのまま模擬銃を持ってみて」
そう言って、アニーは美味にショットガンを持たせる。
「……こうでござるか?」
なるほど、さすがはどんなスポーツをやらせてもサマになる美味だけあって、違和感無く持つ事は出来るようだった。アニーは再び美味の横に立ち、銃身を握ると先ほど幡先輩にやったように銃を槍のように美味に押し付ける。
「うっ!」
幡先輩ほどではないが、美味の体は後ろに大きくのけぞってしまう。
「バランスは上半身を含め、体のウェイトを銃に乗せるような感じにして前にかけて。そうすればレコイルを押さえて、マスルが上に向くのを防げるわ」
「わかり申した」
美味は上半身を水平に近い形を取ってボクシングのように構える。一度の経験で万を知る『万解』の名は伊達ではなく、今度はアニーにほぼ近い形を取っていた。
「これでどうでござるか?」
「へぇ……」
アニーは感服した、とても初めて銃を持った者の構えとは思えない。各運動部が美味を欲しがるのがよく解る。
「OK、もう一回やってみましょう。美味、自分でトリガーをプルしてみて。そのタイミングでレコイルを再現するから」
「心得た」
その瞬間、部室の雰囲気は変わった。美味の気合が増していき、部室を満たす。
アニーも硯耶先輩も、他の射撃部員達も思わずたじろぐ。これが気圧される、という事だろう。
美味は慎重に壁の一点に狙いをつけ、微動だにしないまま引き金を引いた。
カチッ、と静まり返った部室に撃針が落ちる音がする。その瞬間、アニーは再び槍をつくように銃を美味の方に押しつける。しかし今度は美味も反動と云うものの動きを理解しており、そのための体勢を作っていた。受けた反動を、僅かに上に銃身を持ち上げるように、上半身のしなやかな動きで受け流した。
「グーッド!」
アニーが声を上げる。
「これならダブルショットしても、ノープロブレムだわ」
「有り難う、アニー」
そう言って美味は銃を下ろすが、そこにアニーの声が飛ぶ。
「そこでフィニッシュじゃないわよ、美味。撃ち終わったら『直ぐに』銃を折って」
アニーは美味から銃を受け取ると銃床を右脇に挟み、テイクダウンレバーを押して銃を折る。その時器用に右手を銃身の薬室前にかざし、飛び出してくる薬莢を器用に掴む。
「難しいかもしれないけれど、銃を折ったらこうやって右手で飛び出す薬莢をキャッチする習慣をつけて。キャッチした薬莢は目の前にダストボックスが置かれるから、そこに捨てる。必ずそうしなければいけない、と云う事じゃないけれど、マナーとしてビューティフルに見えるわ。さあ、ワンスモア」
アニーはダミーカートと銃を美味に渡す。
何気なく銃を受け取った美味に、小日向先生の注意が飛ぶ。
「根源院さん、引き金に指が掛っているわよ」
「あ……」
バツが悪そうに美味は引き金から指を離し、まっすぐ伸ばす。
銃は引き金に指が掛るようにデザインされているのだが、不用意に引き金に指が掛っていると、何かのはずみで引き金を引いてしまう事が無いとは限らない。そのため銃を持ったら標的の方向に向けた時にしか引き金に指を掛けないという事は、銃を扱うものにとって必須事項なのだ。
美味は模擬銃にダミーカートを入れて人のいない方向に向けて閉鎖すると、再び構える。構えてしっかり狙いをつけた後、引き金に触れて引く。カチッと撃針の落ちる音がしたあと、美味は引き金から人差指を離し、銃床を脇に抱えてテイクダウンレバーを押す。左手で銃身を折りながら右手を薬室の後ろにかざすが、タイミングが合わず空薬莢は右手の上を飛んで行った。
慌てて追おうとする美味をアニーは制する。
「無理に追う必要はないわ、マズルがデンジャーな方向を向いては意味がないもの。ゆっくり慣れていって」
「心得た」
「さて、今度はスッズーリヤ先輩ですね」
「アニー、スッズーリヤではなく〝すずりや〟なのだが……」
「ドンウォリー。細かいことは抜きにしてビギンしましょう」
「……はい」
おおらかなアニーの笑顔に、硯耶先輩も諦めた様だ。
「それでは、よろしくお願いします」
年下に対してもあくまで礼儀正しい硯耶先輩に、アニーは深く感心する。ここまで丁寧な態度をされては、いい加減なことなど出来る筈も無い。
硯耶先輩も美味と同じように、持ち方のレクチャーを受ける。事前に勉強してきただけあって構え方はそれなりにサマになっているが、やはり重い銃を扱う事に難儀しており、あとやはり迂闊に引き金に指を掛けてしまう事を、アニーと小日向先生に何度も注意されていた。
小日向先生が幡先輩をはじめとするライフルパートのメンバーに同席させたのには、明確な理由があった。このように初めて銃を扱った時の事を見学させる事で、当時の記憶を思い出させてもう一度安全に対する意識を確認させる事だった。ましてクレー射撃は構えや反動に対する対処が違う。新鮮な空気が部に吹き込まれた事に、小日向先生は大いに満足していた。
何回も銃を上げ下げして、さすがに美味も硯耶先輩も疲れの色が見えた。
「オーケー、今日はこのぐらいにしましょう。射撃教習までに覚えなければならない事はまだあるわ。各自今日コーチされた事はよくリピートしておいて下さい」
「はい」
「心得た」
「アニーさん、有難う、また来週もよろしくね」
「オーケー」
「オーケーじゃなくて『わかりました』です」
小日向先生の手刀がアニーの額にヒットする。
「アウチ!」
「それでは解散!」
部員達が部室を出ていくのを見届けて、小日向先生はガンロッカーのカギをしっかり掛け、部室の鍵もしっかり掛けて自分も部室を後にしようとする。
その時小日向先生は視線を感じた。ハッとして視線の方向を見ると小柄な男子生徒が弓道場の入口からこっちを見ている。
「なに? 何か用?」
「い、いえ! 何でもありません! 失礼します!」
そう言って男子生徒は廊下を駈けだして行った。
「……変な子ねぇ……」
キツネにつままれたような顔をして小日向先生はもう一度カギを確認し、部室を後にした。
◇
「じゃあ、私はこっちなので失礼する」
「お疲れ様でした」
「シーユー」
夕暮れの下校路、校門前でアニーと美味は硯耶先輩と別れ、宿坊への道を歩いて行く。
見上げると、うす暗くなった空に、オーストラリアに負けない程の星が輝いている。
「感謝しているわ、美味」
「?」
「あんなにリタイアしようと思ったのに、今はワンダフルなメンバーと一緒にシューティングをしようとしているなんて……いくらお礼を言っても足りないぐらい」
「拙僧のした事など、微々たるものじゃ。アニーの御両親やオーストラリアのクラブメンバーの尽力あってこそであり、アニーに声を掛けた幡先輩しかり、教えを請うた硯耶先輩しかり、お主を受け入れようとした小日向先生もしかりじゃ。だが一番大事なのはお主の気持ち一つだった、ということじゃよ」
「?」
「お主は幡先輩から渡されたチラシを無視する事も出来たし、硯耶先輩の言葉を無知なものの言葉と笑って済ますことも出来た。昔の愛銃を手に取らないという選択もあった。その度にお主は、シューターとしての態度で臨んでいた。だからこそ、皆はお主の心の声に耳を傾け、その想いに応えようとしたのじゃ。全てはお主のシューターとしての態度によるものだった、という事じゃ」
美味はそう言って微笑んだ。
アニーはその瞬間、美味の背後に後光が見えた。
美味の姿が一瞬、本尊の釈迦如来にもイエスキリストにもブッダにも見える。そう見えるのは、自分に手を差し伸べてくれた多くの人の心を、美味が集めてくれたからなのか……とアニーが感動していると、後光がゆらゆら揺れているのに気が付く。
「って何それ! マグライトじゃない!」
「はっはっはっはっは、バレてしまったか!」
「もう、You ripped me off!(騙したわね!)」
呆れて膨れるアニーに、美味が声を掛ける。
「しかし結構構えるだけでも疲れるものじゃの。アニー、どうじゃ? 夕飯の買い出しついでに、揚げたてコロッケでもつまんでいくかの?」
「それ凄いグッドアイディア!」
宿坊に帰る前に、商店街に向かって笑いながら歩いてゆくアニーと美味を、落ちて来そうなほどに空を覆った星達が眺めていた。




