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7・じゅうはじゅうほうてんにあるものです

 土曜の午後の秋葉原は、もの凄い人の波だった。


 街中にモエ絵と云われる女の子の看板が溢れ、ジャパニメーションの広告が並び、電化製品を扱う店が軒を並べている。


『これがクールジャパン⁈』


 山梨の街並みに慣れたアニーには、この人の多さは驚きだ。


 女の子がメイド服を着てチラシを配っているのも驚きだが、歩いている女の子も、まるでアニメから飛び出してきた様な格好をしていたりする。普通の格好の女の子ももちろんいるが、やはり一際目を引くのはそういう女の子になる。制服姿の女子高校生もいるが、スカートの短さにまたびっくりしてしまう。あれで恥ずかしくないのだろうか?


 旅行で来ている学生と東京の学生では、明らかに格好に違いがある。自分も制服を着てきたら、どう見られただろうか?


 今日のアニーはオーストラリアらしいグリーンを基調にしたポロシャツにブルージーンズ、やはりグリーンの入ったウィンドブレーカーと云う格好だった。別におしゃれをするつもりはなかったのだが、こちらの高校生を見ると少し引け目を感じる。


『……もう少しおしゃれをして来た方が、良かっただろうか……』


 そんな事を考えながら、美味の後をついて歩いていく。チラシを配るメイドさんを見て、自分があんな服を着たらどう見えるだろうか、などと想像してみるが……


『は、恥ずかしい!』


 違和感が先に立ち、とても恥ずかしくて考えられない。


 しかし、一番恥ずかしいのは一緒に歩いている美味だ。いつもの僧服に編みがさを被り、尺錠を手にして、シャラーンシャラーンと鳴らしながら歩いている。道行く人が皆、その姿に振り返るので何かがおかしい気がするのだ。


「ね、ねえ、ちょっと美味……そ、それ本当に正しいスタイルなの?」


 あまりの違和感に、思わずアニーは小声で美味に尋ねた。


「うむ、僧侶の正しい外出姿はこれじゃが……何か問題でも?」


 いっこうに平気な美味だが、アニーはあまりの恥ずかしさに数歩遅れてついて行く。


 美味は秋葉原の駅からだんだん遠ざかっていく。人込みが少なくなっていき、歩きやすくなってきた。殺風景なビル街を過ぎ、大きな通りを一つ越えるとガラス張りの小奇麗な店がビルの一階に見える。


 それはガンショップだった。オーストラリアのそれとは違い、整然とした洋装店の様な佇まいで、壁のガラスケースに散弾銃がきれいに並べられていた。


 アニーは驚きを隠せない。


「ガ、ガンショップ?! 美味、日本はシューターやガンナッツにとってヘル《地獄》の様な場所じゃないの?」

「いやアニー、高校に射撃部があるのじゃから、そんな『地獄のような場所』のワケが無かろうに」


 美味はそう言って、アニーの両親からのメールを確認する。


「この場所で間違い無いはずじゃが……」


 滅多な事に動じないさすがの美味も、さすがに本物の銃の並ぶ銃砲店に気安く入ってはいけないようだった。


「ええい、ままよ!」


 編み傘を脱いだ美味は、気合を入れて扉を開く。アニーもそれに続いた。


「た、頼もう!」

「ハ、ハロー!」


 緊張のあまりおかしなハイトーンになった挨拶と一緒に飛び込んできた、僧侶と金髪の女子高生コンビは普通の店なら驚きで迎えられるはずだが、その銃砲店の主人は違った。


 店の奥のマホガニーのデスクに座り、ワークシャツを上品に着込んだアニーの父と同じくらいの年齢の店主は驚いた様子も見せず、二人を迎えた。


「いらっしゃいませ、何か御用で?」


 軽く微笑んだ店主が、全く動じない様子でアニー達に話しかけてくる。


「わ・わたしは瑞雲寺の僧、こ・根源院美味坊と申す! こ・こちらにおわす億里アニー殿の御両親の指図をもって、こちらの店に連れ参ったのだが!」

「ああ、億里さんの娘さんですか。御両親から話は聞いています、ちょっと待っていて下さいね」


 そう言うと店主は奥に入っていく。

 まるで展開の読めない状況に、アニーも美味もそこでただ茫然と待っているしかない。


「お待たせしました」


 店主が運んできた赤いガンケースを見たアニーは、驚きを隠せなかった。見間違えるはずも無い、あれは自分のガンケースのはずだ。 店主が中央にあるテーブルの上で開いたガンケースの中にあったのは……間違い無く、アニーがオーストラリアで使っていたIABの上下二連散弾銃だった。


「エ? エ?」


 ワケが判らない。オーストラリアで射撃を辞めると言って両親に渡した散弾銃が、ここ日本のガンショップにあるのは一体どういう訳なんだろう?


「この銃は……?」


 美味の怪訝そうな問いに、同じく不思議そうな顔のアニーが答える。


「……ワタシがオーストラリアで使っていたシャッツガン……それがなぜここに……」


 久し振りに見る愛銃は丁寧に引かれた油のせいか、一際輝きを放っているように見える。その輝きは抗い難い力を持ち、まるで神か悪魔の誘惑のようにアニーを誘っていた。その美しさは美味の心をも掴んだらしく、


「……銃と云うのは真っ黒なだけかと思っていたが、このように優しく光るものもあるのじゃな……」


 とため息交じりに呟くのが聞こえる。

 さらに店主は四通の白い封筒を持っていた。


「この四通の手紙が銃と一緒に送られてきました。どちらもアニーさんに、との事です」


 差出人を見ると一通は両親からで、残り三通はクラブのメンバー、あの最後の試合のメインジャッジ・サブジャッジを務めた三人からだった。


 急いで手紙を開けようとするアニーに、店主が優しくペーパーナイフを渡す。素早く全ての封筒を開封したアニーは店主にペーパーナイフを返すと、まず両親からの手紙を開いた。


『ハイ、アニー、元気でやってる? この手紙を読んでいるという事は、美味さんに真田銃砲店に連れて来られて居るはずね。真田さんはパパが日本で大学時代、懇意にして頂いた銃砲店なのよ。

 アニーに〝射撃を辞めるから銃を処分してください〟と言われて、パパはしょうがないって言って、オーストラリアのガンショップにあなたの銃を持って行ったの。ここまでストックやグリップに手を加えてしまった銃でも、誰か使ってくれる人がいるんじゃないかってね。

 でも持って行ったガンショップのオーナーに奇妙な事を言われたそうよ、〝こんなに綺麗に使っているのに本当に処分していいのか?〟ってね。オーナーが言うとおり、よく見てみたらボア(銃口)からチャンバー(薬室)まできれいに掃除されているし、表面もきれいに油が引かれている……こんなにこの銃を愛しているのに手放してしまっていいのか、って』


 アニーは今になって思い出した。あれだけ泣いても銃の汚れだけは気になってしまった。何かで手を切って我に返った時、何気なく銃の掃除をしてない事に気が付いた。あの時無意識だったが、それでも銃だけは掃除しなければという気持ちだけはあった。あんな状態でも自分が銃の掃除をしていた事を、今思い出した。


『あなたが日本に行く前に日本の射撃事情が変わったのは知っていたから、取り敢えずあなたの銃は真田銃砲店さんに送っておきます。この後、銃をどうするかはあなたにまかせるわ。


 あなたが日本で新しい一歩を踏み出す事を祈っています』


 アニーは今、自分が求めていた答えを知った。いや、思い知らされたといっていい。このきれいに磨かれた愛銃がまさにその答えだった。


 アニーは射撃=シューティングを、心の底で愛しているのだ。


 美味の見抜いたとおり、思い通りにならない運命のいたずらに、ただ単にへそを曲げていただけ……両親にはそれが判っていたのだ。だからこそクレー射撃が出来るようになった、日本への交換留学を認めた。そして美味の言うような、神か仏の導きがあってまた自分が射撃を始める事になった時に使えるように、アニーの銃を日本に送っておいたのだ。拗ねて曇った思いを払い除け、〝ちゃんと自分の正直な気持ちに向き合って、前に向かって進みなさい〟と伝える為に。


 両親の気配りに涙腺が緩み、堰を切ったように涙が溢れて来て手紙を濡らす。


 文章の最後にはこう書いてあった。


『あと、パパがシューティングクラブのメンバーから手紙を預かったので、一緒に送ります。

 愛するアニーへ

パパとママより』


 アニーは涙で曇った目をパーカーの袖で拭い、残り三通の手紙=自分のオーストラリアの最後の試合のメインジャッジとサブジャッジの三人が、自分に宛てて書いた手紙を急いで開封して目を通す。 


 そこには、三人が他のクラブメンバーや銃砲店の店主からアニーが射撃を辞めた事を聞いて、悩んだあげく手紙を書きパパに手渡した事が書かれていた。両親は自分が落ち着くまでその手紙を渡さずにおいたのだ。


 内容はそれぞれだったが、皆あのジャッジが曖昧になってしまった事に対する後悔が書き記してあった。特にメインジャッジだったメンバーは『アニーをリトルガール扱いしていた為にああいうジャッジをした』と思われているのではないかと書いており、『決してそう言うつもりは無かったと信じて欲しい』と記してあった。そして三人が三人ともアニーが復帰するまで、クレー射撃を断つと書いてあった。


 アニーは三人が自分の事をそこまで心配してくれていた事を知って驚愕し、再び涙した。自分がいじけて一人閉じ篭り日本に行ってしまってからも、両親もクラブメンバーもずっと自分の事を考えてくれていたのだ。


 手紙を握り締め俯いたまま涙にくれるアニーを、美味も店主もじっと見守っていた。


 アニーは手紙を畳んでポケットにしまうと涙の跡をパーカーの袖で拭い、突然長い髪をまるで歌舞伎のように振り上げて上を見上げた。


 唐突なアニーの動きに驚いて見つめる美味と店主を気にも留めず、アニーは視線を美味と店主に戻した。


「美味、やっぱり、ワタシ……クレーシューティングがスキ!」


 そう宣言したアニーの顔からは、今まで美味がアニーから見て取れた迷いや悩みと云う陰が取り払われ、清々しい表情になっていた。


 アニーはIABの方に視線を移し、店主に尋ねる。


「触って……いいんですか?」

「どうぞ、この店の中であれば大丈夫ですよ」


 アニーは恐る恐る手を伸ばす。久しぶりに会った〝相棒〟に申し訳ないという気持ちで、ためらいがちに。


 先台が組み込まれた銃身を持ち上げると、先台のチェッカリングが手に馴染んだ。銃口を人のいない方向に向けてチャンバー=薬室を覗き、万が一とは思うが弾が装填されていない事を確認する。銃を手渡された時に必ずしなければいけない儀式だ。


 素早く先台を外し、機関部の軸に銃身後端の溝をはめ込んだ後、持ち上げて結合する。一度外した先台を機関部に組み込んだ後、再び銃身の下にはめ込む。


 アニーの愛銃は、日本で再びその姿を取り戻した。


 アニーがテイクダウンラッチを右手の親指で押して銃を折ったのを見て、店主がプラスチック製の空射ち用のダミーカートを二発、アニーに渡す。透明なボディーを通して撃針保護用のスプリングが見えるそれを、アニーは手慣れた様子で上下の銃身に込めて銃身を機関部と結合する。


 人のいない方向に向けて引き金を引くとハンマーの無いIABの、下の銃身の撃針が直接シアーから解放されて空射ち用カートの雷管の部分を叩き、パチンと云う音が響く。相変わらず軽く、スムーズな作動だ。


 アニーはそのままの姿勢で、引き金をもう一度舐めるように撫でる。こうする事で、本来反動で切り替わる上下の撃針を手動で切り替える。もう一度引き金を引くと今度は上の銃身のダミーカートを上の撃針が叩いた。


 〝相棒〟の確実で軽い作動に満足して、アニーは銃床をわきに挟んで再びテイクダウンレバーを押し、銃身を折る。引き金を引いた事で結合が外れたエジェクターと呼ばれる部品が、ダミーカートを空中に放り投げる。しかし銃を折った時に既にチャンバー後方に待ち受けていたアニーの右手が5センチ飛び出したダミーカートを空中で器用に捉えた。


 自分の世界に入っていたアニーは、その時ようやく美味と店主が自分を注視している事に気が付いた。アニーは二人の注視にたじろぐことなく、満面の笑みで言った。

「有り難う御座います」

 美味にはその笑みが、まさに雲間からのぞいた太陽のように輝いて見えた。


 山梨に戻ったアニーは、すぐに便箋と封筒を買って来て、両親と三人のクラブメンバーに返信の手紙を書いた。


 手紙は素晴らしい友人・先輩に恵まれた事で、クレー射撃を再開する決意をしたことから書き始め、クラブメンバーには

『私の事で射撃から遠ざかる事はしないでください。』

と懇願する言葉で結んだ。


 お願いするくらいしか出来る事はない。この手紙で、あの三人が立ち止まった状態から脱する事が出来ればと、必死の思いで綴った。

 その手紙がクラブのメンバーの感動を誘い、クラブハウスに飾られることになるのはアニーの預かり知らぬ事である。

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