3・しゃげきぶはじゅうがあるばしょです
来てしまった……。
アニーは今、くしゃくしゃになったチラシを持って、書いてあった校舎の左端に位置する弓道場兼射撃場の中にある、射撃部の部室前に立っていた。
昨日このチラシをゴミ箱に捨てようとして九回失敗し、十回目に挑戦しようとしてやめた。
くしゃくしゃのチラシを広げてまじまじと見つめる……まったく、何の工夫も無い。ただ文字が書いてあるだけで、キュートでもコケティッシュでもない。一体これでどうやって人を集めようというのか? ふざけているにもほどがある。
あの呪いを掛けられた様な先輩に、『少しでも人を集めようというなら、もう少し考えた方がいいんじゃないのか』『何か工夫した方がいいのではないか』などなど言いたい事が頭の中に渦巻き、考え始めたら止まらなくなった。
夕飯の時も言いたい事がぐるぐると渦巻いて、どうにもひとこと言いたい気持ちになり、考え続けて夜もなかなか寝付けなかった。
登校の道すがら、美味に『なにか悩みごとがあるなら相談に乗るぞ、道を開くのが仏僧の役目じゃ』と見透かされたように言われたが、個人的な事だからと遠慮申し上げた。
そのあと後ろから胸をつかまれて、『拙僧には頼れぬと申すか~こんなにお主の事を心配しておるというのに~』と抱きつかれたのに慌てはしたが、カバンアタックで撃退した。
こんな所を美味に見つかったら何を言われるかわからない、両親に言われても困る。さっさと文句だけ言って帰ろう。そう思って部室の扉を開こうとするが……開かない。よく見れば扉には最新式の電子ロックが掛けられ、他にも頑丈そうなシリンダーキーが二個もついている。これでは気軽に入る事も出来ない……何かほっとして溜息が洩れた。
射撃場をよく観察すると距離は約10メートル、どうやらライフルの精密射撃用のようだ。
アニーがオーストラリアでやっていた、散弾銃で動く的を狙うクレー射撃と違い、精密射撃はライフルを使って決められた距離の静止した的に向かって射撃をする競技である。高い集中力と如何に体の動きを静止させるかの技能を競いあう競技で、動く的を狙うダイナミックなクレー射撃とは全く逆の競技だ。
ガッカリしなかった、と言えば嘘になる。なにかが心の中で崩れるのを覚えるアニーだったが、逆にそれが心の平静をもたらしたことにホッとした。
これで心置きなくここから立ち去れる、そう考えて踵を返そうと思った時
「ま、まさか! 入部希望ですかぁ!」
思わずドキッとした。美味に見つかったかとも思ったが、耳に入ったのがあの奇妙なしゃべり方だったのに気が付いて、落ち着いて振り返る。相変わらず自分より年下としか思えない三年生が目をうるうるさせて自分を見上げている。
「入部希望者?」
その横にスレンダーと云うかスマートな、スーツを着た女性が立っていてアニーを見つめている。そんなに年が離れているようには見えないが、ピシッと一本芯の通った雰囲気で、まるで軍人のようだ。しかしその表情は逆で、柔和で人の心を溶かしてしまうような柔らかい笑顔に包まれている……どうやら顧問の先生らしい。
「ごめんなさい、今開けますね」
先生は鍵束でシリンダー錠を二つ開けて、アニー達に見えない様に電子キーに数字を入力すると部室を開いた。
「あ、あの! ワタシは!」
私は違います、入部希望者ではないんです。そう言おうとして、部室に入っていく先生の後を追ったアニーの目に入ったのは……
一丁の散弾銃だった。
部室に設置された頑丈そうな金属とガラスで造られたガンセイフ=銃架の中、数丁の精密射撃用のライフル銃が並んだ一番左端に、見間違えるはずもない上下二連のトラップ用散弾銃がチェーンに繋がれて立て掛けられている。
アニーは、思わず発しようとした言葉を飲みこんでしまった。
おかしい、日本はガンナッツやシューターにとって地獄の国のはずだ。そんな国の高校に、しかも自分が通う高校に散弾銃が置いてあるなんて……。
よく見ると繋がれている散弾銃は艶消しの機関部と銃身を持ち、サイケデリックな模様の描かれた銃床と先台が付いている。これは見た事がある、確か一昔前にベレッタ社がオリンピックを記念して作った記念モデル、コレクション1996のはずだ。こんなモノが何故……。
頭の中に疑問がぷかぷかと浮かび、それを片付けられないままでいると、三年の先輩が期待でワクワクが満載の顔で、こっちを見ているのに気が付いた。
「新入部員ですかぁ? 新入部員ですかぁ?」
自分の周りでウロウロと聞き回る小柄な先輩を見て、アニーは何をしにここまで来たのかを思い出した。
「ワ、ワタシは! ユーに言いたい事があってきたんです!」
「ま、まんりかにですか?」
「そうです! What the hell is that! このパンフレットはなんですか! 文字しか書いてなくて、何をするかも書いていない! これでどんな人にアピール出来ると思っているんですか!」
「え、えぇー! ク、クレームですかぁ!」
先輩は突然の展開に、目を丸くしている。
「そうです! ニューカマーにアピールするなら、もっとエキサイティングにするとか、コケティッシュにするとか、方法があるんじゃないですか? こんなパンフレットを美味さんに渡したら、渡したワタシが恥をかくじゃないですか!」
もはやここまで来るといいがかりでしかない。考えもしなかったクレーマーに三年の先輩はもう目がグルングルン廻っていて、どう対処したらいいか判らないようだ。
ふと気が付くと先生がこちらを見ている。そして大事な事を思い出したような顔で尋ねて来た。
「あなた、留学生の億里アニーさんね? 確かオーストラリアから来たんじゃありませんでしたっけ?」
「イ、イエス……そうですけど……」
「オーストラリアでは射撃は盛んじゃないんですか?」
「ええ……その……」
いい返事が思い浮かばず言葉を濁すアニーだったが、その時部室の扉をノックする音が響き、先生と先輩はそちらに気を向ける。
はあ……よかった、思いがけず余計な事を聞かれてしまうところだった……。心の中で安堵したアニーが扉の方を見ると、昨日見かけたあの髪の毛をショートカットにした凛々しい女子生徒が扉を開いて入ってきた。
間近に見ると、その凛々しさが一層はっきりする。まるで男性アイドルのような少しウェーブのかかったショートカットヘア、心の芯がそのまま表現されたような整った眼鼻立ち。カッチリと着こなされた制服と合わせて、普段であればさぞ目を引くであろうその姿だが、いまその表情は昨日見た時と同じで、何かで曇ったままだった。アニーがその違和感に戸惑っていると、その女子生徒がおずおずと口を開いた。
「失礼します。射撃部の部室はこちらで宜しいでしょうか?」
「あれ? あなた……二年生の硯耶翅采……さん?」
「……私の事、ご存知なんですか? 小日向先生」
「ええ、書道部の〝筆聖〟、〝明鏡止水の硯耶〟とまで呼ばれたあなたの事、知らない先生はいないと思いますよ? ところで射撃部に何の用?」
「入部……したいんです……」
「えっ? もう一度言ってくれます?」
「私……射撃部に入部したいんです……」
「……一応、理由を聞かせてもらえますか?」
「…………」
「この部は仮にも銃を扱う部なんです。その部の顧問として、入部希望者の動機は一応聞いておきたいんです。ましてあなたは〝筆聖〟と呼ばれるほど書道に長けた人でしょ? そんな人が急に射撃を始めようなんて言うなら、動機を聞くのは当たり前でしょう?」
「……別に大した理由はありません,一人で紙に字を書くのに飽きたんです」
硯耶と呼ばれた二年生の先輩は軽くうんざりした調子で言い放つ。
「どうせやるなら、射撃なんてカッコ良さそうじゃないですか? バンバンって撃つの、気持ち良さそうだし」
そう言って機関銃を腰だめで撃つような格好をする。その瞬間、部室内に怒号が響いた。
「What the f〇〇k are you talking about! (ふざけたことを言うなー!)」
小日向先生と三年生の先輩が今度は怒号を発した人物の方を向く。もちろんアニーがその怒号の発生源である。アニーはその白い肌を怒りに真っ赤に染めて、後ろに燃え盛る炎が幻視出来るほどのオーラを放っていた。
「バンバン? クール? 一度もシュートした事もないユーに何が解る! 銃はトイじゃないんだ! そんな事も判らない×××ヤローが知った様な事を言うな!」
アニーは女の子がとても言葉に出来ないような汚い言葉を、早口で捲し立てる。一気に緊迫した雰囲気になった部室で、小日向先生がハッと我を取り戻した。
「億里さん、あなた射撃をやっていたのね」
先生の邪気のない、仲間を受け入れる様な笑顔を見た瞬間、逆にアニーの顔には恐怖が浮かんだ。それはアニーにとって、自分を守る最後の砦が壊れた瞬間だった。
『もう辞めたんだ、私には関係ないんだ』と思っていながらも、アニーのシューターとしての誇りは、銃をおもちゃ扱いする言葉を看過することが出来なかった。それをアニー自身が知ってしまったのだ。
アニーは小日向先生の言葉に応えることなく、部室を飛び出した。飛び出した瞬間、誰かとぶつかる。アニーとその人物は二人で弓道場の床に転がる。
「アウチ! なに?」
アニーはぶつかった相手を見る。小柄な眼鏡をかけた男子で、ネクタイの色から一年生の様だ。
「す、すいません」
男子生徒はそう言って立ち上がり、弓道場からもの凄い勢いで駈け出して行った。
「ホワッツ? な、なに? あれ」
しかしアニーもゆっくりはしていられない、サッと立ち上がると、自分も一目散に弓道場兼射撃場を走り去った。