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20/22

20・みんなのちからをかりて、しれんをのりこえるときです

 今度はアニーが最後のラウンドに立った。ここまでアニーは最初のラウンドこそ一枚目のクレーを抜いたが、次の二回のラウンドは二十四枚ずつ、満射まであと一発の成績を収めていた。


 しかしどうしても最後の一枚、あの八番のマークだけは撃破出来ない。心の中にちょっとした引っかかりを残したまま、アニーは最後のラウンドに臨む。


 ちょっとした引っ掛かりではあっても、体に与える影響はそう小さくは無い。心の中に僅かな思いが出た瞬間にクレーが放出されれば、反応は遅れてしまう。


 アニーは必死に集中して、心の中の引っ掛かりを抑えていた。何度か危うい場面もあったが、テクニックでカバーすることが出来ていた。そうしてなんとかノーミスのまま、最後のあの曰く付きの八番射台を迎える。


 四番射台前の通路上に立ち、前に撃つ射手が帰ってくるのを待つ。空を見上げれば先ほどまで快晴だった空に幾つかの白い雲が浮かび、時折太陽を隠していた。出たり隠れたりする太陽を眺めていると、嫌な思い出が蘇る。そのたびに美味に言われたことを思い出す。


『太陽をコントロールすることは出来ない』


 今日はオークレイのシューティンググラスを準備している。もちろん防眩対策なのだが、こんな風にころころと明るさが変わってしまってはあまり頼りにならない。そんなコトを考えている間に前の射手が撃ち終わり、こちらに戻ってくる。


「有り難うございました」


 軽く帽子のつばに手を添えて挨拶する前の射手に会釈をして、メインジャッジの横を通って八番射台に入る。プールハウスの放出口をチラと見て、足の位置を決めると一発の十二番の散弾をポケットから取り出し、下の銃身に込めてプールハウスの方に向けて銃身を閉鎖する。射出口に顔を向けると少し角度が気に入らないので四分の一歩左に移動し、一拍呼吸してからコールを掛ける。


「プル!」


 少し経ってからクレーが放出される。アニーは素早く挙銃して理想的なフォームで肩付けすると、目の前のクレーに銃身を向け、フロントサイトがクレーに重なった瞬間引き金を引く。クレーは粉々になって目の前を過ぎていった。


 ……ここまではなんとか、思い通りに撃つことが出来たようだ。問題は次だ。銃を折り排莢された薬莢を受け止め、捨てながら時計回りに体を動かし、銃口がプーラーハウスの方を向かない様にしてマークハウスの方を向く。


 いつもの18メートルが、まるで倍になったような気がする。そして自分とマークハウスの間に、何かもやもやした邪悪な物が渦巻いているように見える。


 目を閉じて一度深く深呼吸し、もう一度マークハウスを見る。再び見開いた目に映る景色は、普段通りの射台の風景だ。


 ポケットから散弾を一発取り出して装填し、銃を閉鎖して慎重に待機姿勢を取る。立ち位置は問題ないと思うが、それでもさっきまでは三回とも外している……マークハウスの放出口を見て軽く息を吐くと、コールを掛けた。


「プル!」


 しかしクレーはなかなか放出されない。心の中にさざ波が立つ。


 ルールギリギリのタイミングでクレーが放出され、アニーは素早く挙銃して肩付けをする。銃を構えたアニーの目に入ったのは飛んでくるクレー、そして少しずつ雲間から姿を現す太陽だった。


『また?』


 アニーの心のさざ波は大きくなった。しかしもう後戻りは出来ない。眩しさに耐えながら、再びクレーが見えてくるのを待つ。刹那の間をおいてクレーを眼で捉える。しかしクレーはなぜか自分が思った位置よりも右に向かっていた。


『え?何で?』


 思わず引き金を引いたが、外したのはわかっていた。クレーはそのまま飛び続け、プールハウスの根元にぶつかって砕けた。


 ……最後までここを克服する事が出来なかった……。


 何かの呪いとしか思えない、せっかく日本に来て素晴らしい仲間に出会えて、再び射撃を始められたというのに、またここで神様は私に意地悪をするのか……。


 そんな事を考えながら失意のまま銃を折り、排莢された薬莢を受け止めて捨てるが、外した時に聞こえるホーンがいつまでたっても聞こえない。怪訝に思ってプーラーハウスの方を見ると、メインジャッジがサイドレフリーの方に近付いていくのが見えた。サイドレフリーの一人は伽羅だ。


 アニーは射台から外れてジャッジと伽羅のやり取りを見守った。


「今のは外れではないのかね?」

「今のクレーは飛翔中に欠片が落ち、本来のコースを外れていました、今のは〝不規則飛行〟であると判断すべきです」


「私も見ました! クレーの端が欠けてまるでカーブしていくみたいでした!」


「そんな風には見えなかったが……」


 メインジャッジとサイドレフリーの意見が割れているようだった。アニーにはこのやり取りが、自分に何をもたらすのか見当が付かなかった。


 既に射撃を始めて何年も経つ大人のメインジャッジには、なかなか高校生シューターの判断をそのまま鵜呑みにする事が出来ないようだった。


 しかしきちんとルールを勉強してきた伽羅も、頑として自分の主張を引っ込めようとしない。


「じゃあ、明確にその様子が判ればいいんですね」


 緊迫した場の雰囲気も気にせず、横合いから気軽に声が掛る。メインジャッジと伽羅が声のした方を向くと、いつの間にかそこにPD学園の講師・堵入が立っている。


「ああ、堵入君か。それが判るというのかね?」


 メインジャッジは堵入を知っているようだ。


「あそこの男子生徒が、億里さんの射撃をずっと記録しているようです、あのデジカメのデータを確認してみるというのはどうでしょうか?」


 堵入が指差す先に居たのは、長篠武士だった。クレー射撃をあきらめきれない武士は、今日試合があると聞いてカメラを持って見学に来ていた。


 堵入は、長篠武士がアニーの射撃中いつもスキート競技場に来ていて、持っているカメラでアニーの射撃中の様子を記録していたのに気が付いていたのだ。


 武士は堵入が自分を指差している理由が判らず唖然としていると、小日向先生と幡先輩が物凄い勢いで飛んできて、武士の肩を掴んで叫ぶ。


「ちょっと君! カメラの中身を見せなさい!」

「と、盗撮なんかしていません」

「違いますぅ! 今のアニーさんの射撃の様子を撮っていたのか、聞いているんですぅ!

「あ、はい撮っています、えーと……」


 小日向先生と幡先輩は、美味からオーストラリアでアニーに何があったかを聞いていた。二人は、最後のクレーを外し続けているアニーを心配してスキートの競技場に来ていて、そこでこの状況に遭遇したのだ。


 武士が撮影したファイルを捜す。


「なんでそんなに時間が掛るんですか!」


 落ち着かない様子の小日向先生が声を掛ける。


「す、すいません、動画で撮っていたのでファイルが重くて……」

「動画?」

「あ、これです」


 武士が見つけたアニーの八番プールの動画はなんとスーパースローで記録されていた。


「ありました! スローで記録されています!」


 小日向先生と幡先輩は武士を抱えて、ジャッジの所に連れていく。


 メインジャッジと伽羅たちサイドレフリーの目の前で、武士の撮っていた動画が再生される。そこには飛翔中に欠片が落ちて、徐々にコースを逸れて行くクレーがスローで映し出された。


「それでは、もう一度撃ち直しという事で宜しいでしょうか?

「う、うむ」


 伽羅の問いかけに、メインジャッジは渋々納得すると


「ノーバード! 不規則飛行とみなし、減点無し撃ち直し!」


 と高らかに宣言する。


 それを聞いたアニーは、ホッと胸をなでおろした。伽羅たちの適正なジャッジのおかげで、もう一度チャンスが出来たようだ。しかし相変わらず、空は太陽がいつ出るか判らない意地の悪い状態が続いている。今のが不規則飛行でなくとも、同じことになりそうだった。


『小日向先生や幡先輩の好意、伽羅たちの判断を無駄にしたくない……』


 射台に向かうアニーの頭の中ではそんな思いがぐるぐる回る。


 しかし考えがまとまらないうちに射台に着いてしまった。一発の散弾をポケットから取り出し、ギュッと握りしめる。プーラーハウスの方角を見ると、小日向先生が、幡先輩が、長篠武士が、そして伽羅と名も知らないサイドレフリーをしてくれた生徒が自分を見つめていた。


『皆さん、外したらごめんなさい』


 既に外す心配をし始めたアニーに勝機は無いはずだった。 しかしその時、アニーはある事に気付いた。もう一度プーラーハウスの方を向く。


 小日向先生も幡先輩も、長篠武士ともう一人のサイドレフリーの娘も祈るような顔をしている。しかし伽羅だけは違った。最後まで事の次第を冷静に見守るかのように、落ち着いたまなざしをアニーに向けていた。


 伽羅のまなざしを受けて、アニーは奮い立った。


『情けない姿なんか見せられない!』


 そう思った瞬間、アニーはある事を思いついた。


『そうか!』


 アニーは持っていた十二番の散弾を銃に込め、閉鎖する。意を決して銃を持ち上げたアニーが腰を落とし始めた


『クラウチング・スタイル?』


 アニーのシューティングスタイルの変化に、伽羅は唖然とした。


 伽羅とて、アニーに最後は当てて欲しいとは思ってはいる。


 しかし冷静に事実を把握する事もそれはそれで必要な事なので、思いを表情に表わす事をグッとこらえて見つめていた。


『クラウチング・スタイルなら、太陽なんか気にしなくとも……』


 そんな想いを秘めて、この最後の射台を見つめていた時、アニーが腰を落とし始めたのだ。まるで想いがアニーに伝わったかのように。


 腰を落としたアニーは、やや前傾姿勢のまま銃を振ってみる。慣れないので伽羅のように出来るかは不安だったが、これならクレーの視認範囲は大きく増えそうだ。銃を肩付けしてみたかったが、2017年のルール改正で8番射台における肩付けは禁止されてしまった。違反して減点や失格を喰らっては元も子もない。


 体は大きく回せなさそうなので、センターポール寄りに立ち位置をずらす。真っ直ぐクレーの下の黒い面が見えそうな位置だ。


 納得のいった表情をして、アニーは銃を構える。銃床下端をチョッキの基準線に触れさせて、息を吸い軽く吐いた。


「プル!」


 アニーがコールする。しかしまたクレーはなかなか放出されない。周りがじりじりと焦れる中、アニーは静かに闘志を押し殺してクレーが出るのを待った。


 再びルールギリギリのタイミングで、クレーが放出された。クレーが飛んでくる間に再び雲間から太陽が顔をのぞかせる。


 しかし今のアニーに運命のいたずらは効果が無く、アニーには終始クレーの底が黒々と見えていた。挙銃した瞬間、太陽の光を集光したファイバーチューブの赤い光が、クレーの黒い影にドンピシャリの位置で重なる。アニーが反射神経の許す限りの早いスピードで瞬間的に引き金を引くと、目の前のクレーは煙と化して粉砕された。


 射場が揺れるような歓声が上がる。なんと十五歳の高校生が公式試合で無いとはいえ、日本初の高校生クレー射撃大会で満射=満点を出したのだ。


 アニーがどよめくプーラーハウスの方を見ると、小日向先生が、幡先輩が、長篠武士が、あのサイドレフリーをしてくれた娘が、満面の笑みを向けてくれていた。そして伽羅はと云うと唇の端を震わせながら、立っている。それは素直に喜びたいという気持ちと最後まで真剣に見ていなければいけないという心の葛藤の現れだった。


 アニーは銃を折って空薬莢を排出すると、それを捨てることはせずポケットにしまった。


「有り難うございました」


 メインジャッジに挨拶をして、ジャッジ後ろの他の撃ち終わった射手たちの所に歩いていく。 残りの三人も撃ち終わり、スキート全ての競技が終了した。


 アニーはまず伽羅の所へ向かい、話しかけた。


「サンキュー、正確なジャッジをしてくれて」


「当然のことをしたまでなのです。礼を言われる筋合いはありません」


「それでもお礼を言わせてもらうわ」


 アニーは折った銃を左の脇に抱え握手を求めると、伽羅も自然に応じた。


「……でも、次は負けません」


「ワタシも負けないわ」


 握った手から伽羅の心意気が通じてくる。二人は心の中で再戦を誓っていた。握手した手を離した時、二人はまたライバルとして射撃場に立つのだ。


 アニーが次に向かったのは、伽羅と一緒にサイドレフリーをした娘の所だった。


「サンキューベリーマッチ、心から感謝しています」


「お礼を言われる事じゃないです! 私も絶対アニーさんみたいになってみせます!」


 ああ、こうやって一人でもシューターが増えてくれるなら、自分がクレー射撃を再開した意味があったのだろう。その子の笑顔を見てそう思う。


 そして次に行ったのは小日向先生と幡先輩、そして二人に捕まったままの長篠武士の所だった。


「小日向先生、幡先輩、有難う御座います」

「ようやくちゃんと『有難う御座います』って言ってくれたわね」


 そして涙で顔をくしゃくしゃにした幡先輩が


「よかった……ほんとうに良かったですぅ……」


としゃくりあげながら、声を掛ける。


「もう二人とも、あんまり力を入れて億里さんの射撃を見ているものだから……見て下さいよ、この爪のあと。悲鳴を押し殺すのに精一杯だったんですから」


 小日向先生と幡先輩の爪跡の残る腕を見せながら、照れ笑いをする武士にアニーは近付く。


「有り難う、長篠君」


 そう云ってアニーはポケットから空薬莢を取り出す。


「ウイニング・ショットのシェル、よかったらもらって」

「あ、有難う御座います」


 しかし武士はそれを受け取らず、アニーに握らせる。


「でも、この弾は僕が撃ったんじゃありません、億里さんが撃ったんです。だからこれは億里さんが持っているべきです」


 武士の言葉が、アニーには心底うれしかった。握った空薬莢をそのままポケットに戻し、 そして、そのまま武士の頬にフレンチキスをする。


 突然のアニーの行動に、武士は顔を真っ赤にさせて狼狽する。見ていた小日向先生と幡先輩も、突然のコトに唖然としていた。


「お、億里さん! 何を!」


 驚いて尋ねる武士に


「ウイニング・ショットよ」


 アニーは平然とそう言って、銃を仕舞う為にクラブハウスの方へ戻っていった。茫然としている武士の頭の天辺に、幡先輩の手刀が打ち込まれる。


「い、痛いです」

「良い働きをしたのは認めますがぁ、アニーさんがあなたに惚れたなんて思うのは、百万年早いですからねぇ!」

「そんなコト、思っていませんよ!」

「本当ですかぁ! 心臓がトキめいてませんかぁ!」


 幡先輩が邪悪な妖精のような顔をして、指で武士の心臓をヅカヅカと突きまくっている。


「思ってませんってば!」


 必死に弁解する武士だったが、このキスのおかげで、新学期に今の百倍の弁解がアニーのファンの男子たちの為に必要になる事をまだ武士は知らない。

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