12・しゃげきはうつだけでもたのしいものです
太陽に照らされて輝く芝生を前にして、美味はトラップ五番射台に立っている。
いつもの僧服ではなく紫のジャージに白いTシャツ、その上にベージュ色のトラップ射撃用ベストを着ている。頭には耳を保護するイヤープロテクターを装着、右のカバーに『諸行』、左のカバーには『無常』の文字が躍っている。
右手にはいかにも古めかしい、まだ炭素が残ったケースハードゥーン仕上げの鈍く光る水平二連銃が機関部を解放した状態で握られている。右手の人差し指は引き金に掛からないようにまっすぐに伸ばされ、銃口は右足の甲に装着されたホルダーの上に乗せられている。
美味はゆっくりとした動作でポケットから二発の十二番・七号半と呼ばれる散弾実包を取り出した。七号半とは散弾の粒の大きさを示しており、直径が約2.41ミリのそれが24グラム、一発の弾に込められている。その実包を持っている銃の薬室に落とし込み、銃身を持ち上げるようにして機関部を結合し閉鎖する。こうすれば銃口は常に前方に向いた状態で閉鎖されるのだ。
美味はそのままゆっくりと銃を持ち上げ、肩付けと頬付けを同時に行いながら15メートル先の白いマークを凝視する。そしてアニーに言われた通りそのマークから少し上、感覚としては十センチくらい上の芝生をぼんやりと眺めるようにする。
構え終わり、心の準備が整った美味は軽く深呼吸をすると「はっ」とコールを掛ける。
一秒の間をおいて白いマークの下からオレンジ色のクレーが放出された。まっすぐ上方に放出されたクレーを美味は銃口を上げて追い、銃口がクレーを追い越して隠れた瞬間、突き刺すような感じで引き金を引く。
教習射撃の時よりも強く感じられる反動を受けて、美味の上半身はわずかにのけぞる。しかし、しっかりとフロントサイトに固定された美味の視界の中に、銃口に隠れて見えない場所で破砕されたクレーの破片が広がるのが見えた。
美味は銃を降ろすとテイクダウンレバーをひねり、銃を折る。競技銃と違い、エキストラクターは薬莢の後部を僅かに一センチほど持ち上げる。美味は空薬莢をつまみ上げるとそのまま目の前に置かれたカゴに放り込み、撃つことのなかった実包は取り出してそのままポケットに戻した。
真田銃砲店で水平二連散弾銃の魅力に取り憑かれた美味は、何とかならないかと真田店主に頼み込み、結局グリーナーという英国製の水平二連銃の中古を購入することに決めた。中古とはいえスキートも出来る短い交換用銃身も付いた物で、どう見てもお得な買い物だった。水平二連銃は細身の銃床・先台の為、銃床をプルに合わせて短くするだけで事は足りた。
撃ち終わった美味は視線を落とし、自分の手の中にある銃を見つめる。鈍く輝く銃が愛おしい。競技に使う道具をこんなに愛おしく感じるなど、今まで感じたことのない感覚だった。
そんなたわいもない感慨を覚えながら、視線を上げて左を見る。二番射台では硯耶先輩が射撃準備に入るべく、ポケットから実包を取り出しているところだった。上下二つの薬室に実包を装填し、美味と同じように銃身を持ち上げるようにして機関部を閉鎖する。真面目な性格の硯耶先輩らしく、流れるような動作の中にもカチッとしたところがある。
硯耶先輩も黒いジャージに白Tシャツ、その上にやはり黒い射撃ベストを着用している。ボーイッシュなショートヘア―を挟むようにかぶった白いイヤープロテクターには、両耳のカバーに達筆で『一撃入魂』と書かれている。
スッと持ち上げて頬付けと肩付けをする。硯耶先輩の体を採寸して仕上げられたベレッタ・コレクション96は、まるで体の一部になったかのようで、硯耶先輩が違和感を感じる部分はまったく無かった。構えた瞬間、フロントサイトはスッと右目の前にまっすぐ飛び込んでくる。
硯耶先輩も美味と同じように白いマークの上、十センチほどの部分を凝視していたが、心づもりが整った瞬間「はい」とコールを掛ける。真っすぐ上方に放出されたクレーを丁寧に追う。美味の感覚的な狙い方とは違い、理路整然としたまさに筆運びのよう動き。
採光して輝くフロントサイトがクレーを追い越すと即座に硯耶先輩は引き金を引く。発射された銃弾がクレーを破砕し、銃口の周りにクレーの破片が散らばるのが見える。
しかしどうしたことかクレーが破砕される刹那の寸前、硯耶先輩は二発目の引き金を引いていた。二発目の散弾が発射され、破砕されたクレーの破片をさらに粉々に打ち砕いた。
硯耶先輩は満足した表情で銃を降ろして折り、射出された空薬莢を丁寧に受け止めると目の前のカゴに投げ入れた。
真田銃砲店を訪問して一週間後に再び訪れた時、硯耶先輩の銃の銃床加工は済んでいた。幸美はさすがに目の下にテディーベアを十匹ほど連れた疲れた顔をしていたので、三人は幸美を秋葉原のステーキハウスに連れて行き、特大のステーキを奢った。大人でも食べきれないほどのステーキをぺろりと平らげて上機嫌になった幸美に礼を言い、許可に必要な書類を真田社長にもらった三人は、山梨に戻って地元の警察に硯耶先輩と美味の銃の所持許可申請を行った。
順調に警察から部への銃の所持許可が下りて、部室には三丁の散弾銃が並ぶ事になった。三丁揃うとさすがに壮観である、三人は年頃の高校生らしく揃った銃の前で記念写真を撮った。
しかし夏の懇親射撃大会までにそんなことばかりしていられない。美味は今まで通り各部の助っ人を続けて体力の維持に励んだ。
アニーは女子サッカー部に兼部させてもらい、同じく体力維持に励んだ。サッカー部部長はなんとかアニーにサッカー部の正部員になって欲しかったが、アニーとしてはサッカーの大事な試合と射撃の試合が重なって、不参加になってしまったらまじめに練習している人達に悪いと言って辞退した。この時アニーは、美味の気持ちが痛いほど解った。サッカー部部長もアニーの固い決心の前に折れた。
硯耶先輩は基礎体力からつける必要があったため、他の射撃部員と一緒に基礎トレーニングに励んだ。最初は苦しんだ硯耶先輩だが、成果は次第にあらわれて今ではほかの部員たちと変わらないメニューをこなすようになった。
体力づくりだけでなく、三人は練習の為に射撃場に行ってクレーを撃つようになった。自分の銃で撃てるようになったのである。
実技講習の時に貸銃で既に撃っているのだが、やはり自分専用の銃を使って撃つのは訳が違う。単なる道具を超えた、愛着というものがあるのだ。
経済的に余裕があれば別だが、まだそれほど選択肢のない中で出会った銃は愛おしいモノである。それは美味のように運命の出会いがあった場合でも、硯耶先輩のように偶然そこにあったものに手を加えた場合でも同じである。今、この時、自分の手の中にある銃が運命の相手と言っても過言ではない。硯耶先輩と美味は今そのことを感じている真っ最中であった。
「ラウンド終了!」
射台の後ろからアニーの声が上がる。硯耶先輩と美味は学生らしくプーラーに「有難う御座います」と一礼し、射台の後ろに置いた予備の弾と銃を持ってプーラーハウスの後ろの待機所に戻っていく。アニーもプーラーに挨拶をした後、二人の後を追った。
硯耶先輩と美味は驚くほどそーっと銃架に自分の銃を置き設置されたベンチに腰掛けると、シューティングバックからそれぞれペットボトルを出してノドを潤す。硯耶先輩は抹茶入りスポーツドリンク、美味はハチミツと果汁のお手製ドリンクだ。
「どう? 二人とも、少しはフィーリングはゲット出来た?」
「いや、楽しい! こんなに楽しい事なんて今までなかったかもしれない!」
少し興奮気味の硯耶先輩が応える。
「うむ、今まで感じたことのない感覚じゃ。こんな感覚は経験したことがない。競技に使う道具……〝銃〟そのものが機能や個性を持っているなど、他の競技には無いからな」
そう言って、美味は自分の銃を見る。
「技能講習の借りた銃で射撃するのと、自分の銃で射撃するのは対応が全く違う。狙い方ひとつとっても違うし、それ以外にも重さや反動、競技における運用面でも違う。何はさておき、〝自分専用の銃〟というのが何とも言えん」
「美味はマイ・ガンにネームを付けているからね」
「ア、アニー! 知っておったのか!」
「あのねえ、シャッツガンを取りに行った日の夜、『ぐーりちゃーん』なんてスクリームしながらフットンの上でローリングしまくってんの見たら、こっちが恥ずかしいわよ」
「あ、あわわわわわ……」
美味は顔を真っ赤にして恥じ入っている。
「ふっ美味、修業が足りんぞ」
両手を腰に当てて、仁王立ちした硯耶先輩は、美味に向かって諭すように言う。
「でも硯耶さん、私もあなたにちょっと注意しておきたいんだけど……」
小日向先生が口を挟む。
「あなた、トリガーハッピーのケ(け)があるわよ」
「ええっ?」
小日向先生に言われて、硯耶先輩は怪訝な表情をする。
「なんですか? そのトリガーハッピーというのは?」
「トリガー・ハッピーって言うのは、射撃において命中か非命中かに関わらず、撃つこと自体が楽しいという、ある種のハイな精神的状況のことよ。思い出してみて……最後の射撃の時、あなたは一発目が命中したかしないか判らないうちに、もう二発目を発射していたでしょう」
そう言われて思い出す。一発目を撃って目の前に破片が広がり始めた最中に二発目を発射していた。外すと判っていたからではない、『バンバン』と連射するのが気持ちよかったからだ。
「あれが……トリガーハッピー……」
「イエス、ヒットかどうかよりもシュートする方にマインドが行ってしまいます。あれではスコアアップにコンセートラション出来ません」
硯耶先輩は自分の無意識下の恥ずかしい欲望を指摘されたような気分になってしまい、シュンとうなだれてしまった。そんな硯耶先輩を庇うように美味が口を開く。
「まあ、そのぐらいで勘弁してあげてくれぬか。硯耶先輩も拙僧もなんせ初めての経験なのじゃ」
美味はうなだれた硯耶先輩に向き直る。
「硯耶先輩、今の我々は書道であれば初めて筆を持った童じゃ」
「?」
「童であれば上手いも下手もない、ただひたすらに紙に筆で文字を描くだけで楽しい……今はそういう段階だという事じゃ
「……なるほど」
「だがいつまでも好き勝手に書いていても、上達はおぼつかぬ。……実を言うと拙僧、クレーを〝追う〟と云う動作が思った以上に不得手のようじゃ」
「どういうことだ? 美味」
「他のスポーツで、球が自分から逃げて行くスポーツは無い。自分で球を打ち飛ばすか、飛んでくる球に対処するのが普通じゃ。だがクレーはそうではない……能動的に自分から逃げていくのじゃ。それは狩猟の本質、『獲物を捉える』というコトが競技となっているからなのじゃろう」
成績の付けられた射表と云う紙を眺めて、美味は自らの課題に向き合っていた。
「なるほど……」
「やはり世は広い。拙僧の思いの至らぬ世界がまだあったという事は、我もまだ修行中の身……未熟と云う事じゃ。未熟なところは師であるアニーに指摘してもらって、少しでも早く上達するように心がけようではないか?」
「わかった」
硯耶先輩はいつもの凛々しい調子を取り戻し、アニーを見つめた。
「アニー、至らないところがあればどんどん指摘してくれ。少しでも早く上達するように私は努力したい」
「OKです。少しでもハリーアップに二人がレベルアップするよう、クープラションしましょう!」
「よし、硯耶先輩、もう一ラウンド行こうか?」
「望むところだ、美味! ……っと言っても弾がないぞ?」
小日向先生が渋い顔をしていう。
「ごめんなさいね、予算の都合上今日はここまでにしておいて頂戴」
「うーん、残念じゃ」
美味は、がっかりとうなだれる。
「TPPで関税が撤廃されたとはいえ、シェルブレットはエクスペンスィブですからねぇ」
「もう少しバイトを増やした方が良いのだろうか?」
硯耶先輩は提案するが、美味がそれに難色を示す。
「それで練習がおろそかになってしまっては、本末転倒じゃ」
「ブレットをショットしなくても、ヒットした時・ミスした時の自分のシューティングをよくチェックすることもインポータントです。あとでミーティングをしましょう」
「うむ」
「わかった」
「じゃあ、ワタシはスキートレンジに行ってくるわ」
アニーは自分の射撃道具を持ち上げるのを見て、小日向先生が声を掛けた。
「私たちはクラブハウスに居るから」
「OK」
「わかりました、です」
小日向先生の手刀がアニーにヒットする。
「アウチ!」
そう言ってアニーはスキートレンジに向かった。アニーは懇親射撃大会のクレーのスピードが遅いという事を見越して、遅いクレーに対応するべく練習をしていた。それでも国際ルールのスピードも忘れない様に並行して撃っていた。
◇
日本の射撃場に通うようになって、アニーは面白い事に気が付いた。
射撃場を訪れたハンターと思われる年配のお客に、射撃場の受付の人間が尋ねる。
「今日はライフルですか? お皿ですか?」
「ああ、今日はお皿の練習で来たんだよ」
『? オサラ? プレートのこと? プレートでなんの練習を射撃場でするの?』
そこでアニーはいつか見たアジアの曲芸のビデオを思い出す。
『そういえば、細くてロングなスティックの先にプレートを乗せて、くるくる廻す芸が……』
いや違う、そんな事を射撃場でするはずがない。そんな事を射撃場でしていたら、オーストラリアだったら叩き出されるだろう。
小日向先生が思案にふけっているアニーに気が付く。
「アニーさん、どうしたの?」
「あ、先生。今の人がオサラの練習に来たって言ってて、シューティングレンジで何の練習をオサラでするのかな、と思って……」
それを聞いた射撃場の受付の人と、小日向先生や美味・硯谷先輩が思わず吹き出す。
「エ、エ? What`s wrong? (何がいけなかった?)」
笑いを堪えながら、小日向先生が応える。
「ご・ごめんなさい、アニーさん。アニーさんがおかしいんじゃないの、日本ではね、クレーの事をお皿って呼ぶのよ」
「エ、リアリィ?」
美味が続ける。
「お茶碗で食事をとる文化の日本人にとって、クレー射撃はお皿を撃っているように見えたんじゃろうな」
なるほど、国が違えば考え方も違うものだ。
あのクレーのターゲットはクレィ・ピジョンと云って、もともとは生きた鳩だった。大会のたびに生きた鳩を討つのは残酷だということで、粘土の鳩=クレィ・ピジョンを撃つようになった。それが日本では陶器のお皿とは!
アニーは思わず受付に向かって言った。
「ワタシもオサラ、撃ちに来ました!」
このように夏の懇親射撃大会に向けて順調に進んでいた射撃部クレー射撃パートの面々だったが、思わぬ事が起こった。