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接木の花  作者: のら
一章
9/35

08. 自惚れ


俺の腕を引っ張ってくれていたこの女子生徒は成瀬希って名前だそうだ。

背は俺より少し小さくて、細身の子。

口調が早口なのでせっかちなのかなって思う。でも、ポニーテールの髪型が印象的で、

眼には意思の強さが表れているものの、その眼もバランスが取れていてとても可愛い娘だ。


その希に連れられて来た所は更衣室。

男にとって禁断の、秘密の花園。

まさか入ることになろうとは。


特に男性の時みたいに興奮すると言うことは無さそうだが…いや、この更衣室がこんな感じになっていたのかと思うと別の意味で興奮するな、やっぱり。

とは言っても、男性の記憶が邪魔して他の女の子達をまじまじと見れない。


「どうかした?」

唐突に先程の彼女が話しかけてきた。


「なんでそんなにオドオドして着替えるの?」


そりゃそうだろ!って言ってやりたかったが、言っても説明が難しいし、他に聞きたい事があったので、


「えっと、成瀬さ…」


「希って呼んで。それともう授業が始まるから着替えを早くしてね。私はもう行くから。」


俺が言い終わる前に言われてしまったので、結局何を言うのか忘れてしまった…。

まあ、思い出したとしても、もうすでにいないんだけど。



体育の授業は新学年になった為、この学校による基本的な運動能力測定が行われた。


測定される競技は先ず100m走、その次にハンドボールによる遠投、そして1000mの持久走をこの時間で行うらしい。他に反復横とびや垂直飛び、握力などの細かい測定は次の体育の時間に持ち越しだ。



はっきり言う。こう言った体力テストなどは大嫌いだ。

運動神経が良いやつには格好の自慢場になるかもしれないけど、苦手な奴は単なる惨めな場にしかならない。

実は神谷浩介の頃はヘタレなうえに体力も無かったし運動も苦手だった。いわゆる運動音痴と言う奴。走る、投げる、飛ぶの三拍子は大の苦手だった。スポーツの全般には殆どこの三拍子が入ってるけどね。だから、スポーツは大の苦手なんです。


先ずは100m走の計測から始まった。


走るのなんかは本当にもう問題外。ダメなんです、ほんとに。

あぁ…ゴールがあんな先で霞んで見えるよ…うう。


「それじゃあ始めまーす。いいですかー!

用意………ピッ!」


スタートラインで二人づつに並んで、クラウチングスタートで構えてた子たちが、体育顧問の小林先生が吹くホイッスルを合図に一斉に走り出す。


「用意………ピッ!」


うわぁ、いよいよ始まったか…。嫌なんだよなぁ、子供の頃から走るのは。

お前の走り方は変だって、よくバカにされてここまで来たから、正直あまり人に見られたくないんだよ…。


「用意………ピッ!」


あっ、そうだった、スタートする時によく右腕と右足が一緒になってたから気を付けないと。

あ!クラウチングだから別にいいのか…。

あぁ、もうダメだ〜。なんか緊張してきた。心臓がバックンバックン言ってる〜。


「用意………ピッ!」


えっと、手の平に人って言う字を書いて、呑み込んで…書いて呑み込んで、書いて呑み込んで……あれ?何回呑み込むんだっけ?


「用意………ピッ!」


…そう言えば、医者の先生が走ってはいけないとか言ってなかったっけかなぁ…?

………無いか。

あ〜、記憶喪失の人は運動禁止とか言ってくれれば良かったのにー。

…まあ、ほんとは記憶喪失なのかも微妙なんだけど。


「用意………ピッ!」


え?うそ!もう次だ!

落ち着け〜落ち着け〜〜俺…。

そ、そうだ、こういう時はまず深呼吸だ。

スゥーーー、ハァァー

スゥーーー、ハァァー


「はい、次!早くそこに並んで!」


「あ、はい。すみません。」


ヤ、ヤバい…俺だ。もう!こうなったら!…しゅ、集中ーー!


「用意………ピッ!」


ーーーッ!!


だぁぁりゃぁ……!


…………


…………


ーータッタッタッー


…………


…………?


…あ…れ?


ーータッタッタッー


…え?…なになに?


…すご…い…


…………


足が……軽い…


ーータッタッタッー


…………


…なんだろ…?


なんか……すっごく…


なんかすっごく…気持ち…いいーー!!


タッタッタッタッタッタッーー


ーーーーー!!



無事に?ゴールまで走り抜けた後、両膝に両手をついて肩で息をする。


「ハァハァ…ハァハァ…


走り切った…ハァハァ…


…ハァハァ…


フゥゥ……ああ…。

走る事が、こんなに気持ち良いなんて…

…知らなかったよ…。


………ん?」


ふと、周りを見渡すと、先に走り終わった人達と計測係りの子がとても驚いた顔でこちらを見ていた。そして、隣で遠投をしていた同じクラスの何人かの男子達が感嘆の声をあげていた。



(…おい塩崎、里山ってあんなに足が早かったのか?確かお前一年の時、里山と同じクラスだったろ?)


(いや、知らねぇ。あいつがあそこまで足が早かったなんて聞いた事も無かったぞ?)


(だけど、隣で走ってたの、陸上部の山崎だろ?里山の奴、山崎をぶっちぎっちゃったぞ?)


(山崎って確かかなり足が早かったよな?

……おい見ろよ、山崎のやつ、放心状態じゃねえのか?)


(そりゃあそうだろ。あれじゃ本気モードで抜かされたっぽいから、メンツ丸潰れだな。)


(おい、あんまり里山見てると加納にロックオンされるぞ。)


(くそ、加納とあんな噂が無ければなー。絶対友達になってさ……あぁ、ちくしょう!あんなに可愛いんだぞ!くぅ〜。)


(まあ、分かるよその気持ち。でもな、彼女は辞めとけ。以前、何人か告白して砕け散ってるみたいだからな。)


(おい塩崎、それマジかよ。)


(ああ、マジだ。それに一年の時の彼女は、なんか近寄りにくかったんだよ。すっげえクールで目力がハンパなかったし。)


(だから加納に目つけられてんのか?)


(…かもな。

まあ、加納自体も怖えーんだけどさ、加納とよくツルんでいる須藤達の方がもっと怖えーよ。)


(そうそう、俺も。絶対目を合わせられないもんな。)


(そういやぁ、一年の時にさ加納と須藤に絡まれてる里山を見たんだけどさ、里山の奴、あいつらに対して一歩も引かないんだ。あれはカッコ良かったなー。)


(へぇー、そうなんだ。…あれ?おい!みんな向こうに行っちゃったぞ!……)





その次の測定は遠投、そして、持久走だった。

俺は100m走で樹の身体能力の高さに完っ全

に調子に乗っていた。だから、次に控えている遠投も、そして苦手な持久走も樹なら余裕だと思っていた。

でも、それは許して欲しい。だって、神谷浩介はあまりにも運動音痴でこれ程速く走る事など無かったから。まるで、産まれたての子鹿が走れる様になったような、まるで、飛ぶ事を覚えた小鳥が空を飛び回るような…そんな嬉しさいっぱいの心境だった。



……しかし、


ハンドボールによる遠投は……正直に言おう。全くもってパッとしなかった。

前述通り、樹の身体能力の高さは、どんな競技が来ようともそこらの一般ピープルなんぞ遥かに凌駕する!…と勝手に思い込み、鼻歌交じりの鼻息を荒くした気合の一投を皆に見せつけた……、

……つもりだった。

しかし、自分が都合の良い放物線のイメージは所詮イメージだけに留まり、現実のハンドボールは直ぐに諦めて落下した。


「……あら?」


後で知る事になるのだが、遠投のランキング結果は自分が思っていたよりもかなり低く、このクラスの中の下くらいの位置に居座ったそうだ。

まあ、樹のこの細い腕っぷしじゃあ仕方ないかと、これはこれで妙に納得して次の持久走で挽回する事にした。



「…ハァハァハァハァ…


……あ…れ?…ハァハァ…」


持久走も終わってみれば、何と言う事は無い、先程と一緒の中の下…いや、下の上か?

どちらにせよ結果はパッとしない成績で終わってしまった。


…あれ、おかしいな?

100m走であんなに速く走れるって事は、他の競技もズバ抜けて良いって世の中相場が決まってる筈なのになぁ…。

なんか微妙な結果に終わってしまったな…


…まあ、いいや。

…と、言う事はだ。樹は短距離が得意って事だよな。つまり、瞬発力だ。


そう思いながら右へ左へと軽いステップで身のこなしを確認してみる。


…ハァハァ…

よし、悪くない。やはりそうだ。



(…ねえ、何やってるの?あの子…)


(知らないわよ、私にそんな事聞かれても……

事故の後遺症か何かじゃないの?)


(ルックスはほんとに良いのに…何かもったいないわね…)




これも後から体育顧問の小林先生に聞かされた事なのだが、100m走に関しては学年どころか学校中でもトップクラスの成績だったらしい。こんな成績は生まれて初めての事だったのでトイレに隠れて歓喜の小躍りしたのは言うまでもなかった。


そして、授業が終わり更衣室で着替えていると……、

誰も直接には喋りに来なかったけど、みんなの頭の中では、俺の100m走の勇姿がインストールされたのか、チラチラと皆の羨望の眼差しが背中で感じ取れる。



いやぁ、まいったなぁ…皆こっちを見ちゃって……はいはい、サインはあとあと…


……なんて。


…でも、なんだか誇らしい気分だー。

だって今までの自分からでは考えられないから。凄いよ、俺!いや、樹か?



その時不意に背後から声がした。


「…すごいのね、樹って。

一年の時はクラスの真ん中くらいだった私より遅かったくせに、そんなに運動神経が良かったなんて知らなかったわ。

なんで今まで隠してたの?それとも事故って何かが覚醒でもしたの?」


今まで希以外に誰も話しかけて来なかったので、意表を突かれてそのまま振り向けずにいると、

右側の背後から不意に顔を耳元まで近付けてきて、


「…あんまり調子に乗んなよ。」


それだけ言うと声の主は部屋を出て行った。


…………


…………??


……だ、誰?


「加納明里よ。」


ーーービクゥッ!!


たった今、右の耳元で脅す様なドスの効いた声が頭の中で駆け巡っていたのに、今度はその逆の左の耳元から突然声がしたので、まるでカウンターを喰らったかのように体が硬直し心臓が怯えてる。


…え…?……だ、誰?


「あ、…のぞ…のぞ」


「彼女からはあまりいい評判は聞かないの。気を付けて。」


こっちの驚きの反応にも我関せずの希は、小声でそれだけ言うと彼女も部屋を出て行った。


…………


…………


…えっ…?


……えっ??



そして話の内容について行けない俺だけがポツンと取り残されたのだった……。



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