07. 苦笑
カーテンの隙間から朝日がこぼれる。
目を開けると大雑把に物が置かれたあの頃の自分の部屋………ではない。
…ここは……。
……あぁ、そうだった。
まだ寝ボケながらも目をこする。
あまり飾り気はないが、きれいに整頓された女の子らしい部屋。
昨日婆ちゃんに言われた事は、夢かなと思ったが、部屋を見てやっぱり現実だったんだと思った。
時計を見ると起きる時間までまだ時間がある。浩介だったらまだ寝てた時間。
…自分はこうしてここに存在するのに、
……死んでいる。
……じゃあ、なんで生かされてるんだろう?
…………
…まあ、いいや。
少しづつでいい。ゆっくりと自分はどうするべきかを考えよう。
そう頭の中で切り替えると気が楽になる。
今日は登校二日目。
今日行けば明日は早速の休日になる。
明日行ってみよう。自分の家に。
いや、元自分の家に。
玄関で婆ちゃんに行ってきますを言って外に出た。ドアを開けると清々しい朝日が出迎えてくれる。
婆ちゃんは、気を付けて行ってらっしゃいねと言って手を振ってくれている。そんな光景が小さい頃大好きだった婆ちゃんの姿とダブって見えてとても懐かしく思う。
今思うとこの何気無い日常が心から好きだったんだなぁって思う。
…この時間を大切にしたいなぁ…。
学校までの道のりは簡単だ。
家から北に行くとちょっとした商店街がある。そこを抜けて公園の角を西に曲がり真っ直ぐ行った所に桜木高校はある。
今日はいい天気で風が心地良い。
桜の花も、もう残り少ないが春を感じさせるには申し分ない。
通学路の商店街を抜けて公園の横に差し掛かった時、ふとトイレの脇で四人程の男性が固まっているのが見えた。よく見るとうちの学校の制服だ。
一人に対して三人が何かを言ってるみたいだ。
あれっ?どこかで見たような…?
その三人に何かを言われている一人に見覚えがあった。
そうだ、俺の隣に座ってた子だ。
雰囲気でわかるけど穏やかじゃないな…。
…助けに行く?
いやいや、無理無理。
だって俺は、ほら、男の時は虐められていたから。
もうあんな想いは嫌だし。
心の中でごめん、と謝って立ち去ろうとした時、その三人の内の一人がこちらに気が付いた。
「おい、須藤。あれ里山じゃねぇ?」
「おっ!ほんとだ!なんだよ、樹の奴、退院したのか?」
「さっとやまいっつきちゃーん!」
と、でかい声を出して見知らぬ誰かがこっちに向かって近付いてくる。
ゲッ…。
樹の知り合いだったのか…。何であんなガラの悪そうな輩が知り合いなんだ?もしかして、樹って…俺の苦手な人種だったのか?
うぅ…樹には申し訳無いけど、俺はああ言う人種が極めて嫌いなんだ。だから是が非でも彼等との接点は無くしたい。
そんな俺にとっては誰だか分からない輩には関わりたくなかったので足早に歩く。
当たり前だけど、彼等は小走りで、こちらは足早で、全力疾走しない限りすぐに追いつかれるのは目に見えている。でも、あからさまに全力疾走すれば、ガラの悪そうな彼等の逆鱗に触れそうで、小心者の俺としては………怖かった。
案の定、彼等はすぐに追いついて馴れ馴れしく話しかけてきた。
「おい、待てったら。やっぱり俺の事を忘れちゃったの〜?樹ちゃん。」
「おい、須藤。知ってると思うが記憶喪失なんだってよ。お前の事なんか覚えてる訳ねぇだろ。」
「っるせぇ。黙ってろ。俺たちゃ相思相愛なんだよ。そんなの乗り越えてみせる。
なあ!樹!」
もうひたすら無視。やっぱり関わりたくない。
「おい!」と言って須藤の名前を呼んだ男に肩を掴まれて強引に歩みを止められた。仕方なく振り向くと、三人共背が高く肩幅があり、イキがっているだけの事はあって体付きがガッチリしていた。
そんな背の高い三人に囲まれたのである。
うわ、改めて見ると…デ、デカい。
いや、俺が小さくなったのか?でもこいつら180cm近くないか?
…ヤバい、あ、足がガクガクしだした…
「よお、樹。もう体の方は良いの?なんなら俺が体をチェックしてあげようか?ん?」
須藤と呼ばれた男が両手で俺の両肩に手を置いてきた。
こっちはいじめられていた頃のトラウマで、デカイのが3人もいて囲まれると、ビビってしまって身動きが取れない…。唯一出来たのは、この須藤と言う男を睨む事だけだ。
「おほっ!相変わらず可愛いねぇ。樹ちゃん。
そんなに見つめられると…チューしたくなっちゃうじゃん。」と言いながら、この須藤と呼ばれた男は顔を近付けてきた。
えっ?うそ?違う!誘ってる訳じゃ……!
はうっ!
「…………。」
「……あれ?おかしいな。
いつもならここで何かしらの抵抗があった筈なんだけどなぁ……。
お前、ほんとに樹か?
何かちょっと調子が狂うな。」
「だから記憶喪失だっつってんだろ。」
「おい、記憶喪失って性格も変わるもんなのか?……なんか、拍子抜けだ。
…………。
…ま、いいや。ギャラリーも多くなってきたし、続きはまた今度な、樹。
オラッ!!……見せもんじゃねぇぞ!」
彼等はチラチラとこっちを見ていたギャラリーに対して威嚇すると学校とは違う方へ行ってしまった。
…………
「た、助かった……。」
力が抜けてその場に座り込んでしまう。
しかし、あまりにも浩介はヘタレすぎる。
ああいう奴らを前にすると無意識に身体が硬直してしまうのだ。
……ど、どうやら樹は俺が苦手な人種とは違うみたい…。
それにしても樹って…凄いな…。あんな巨人兵みたいな相手に立ち向かっていたとは。
それに比べ俺って…情けない。
「………ハァ。」
一難去った為の安堵の息なのか、それとも不甲斐なさによるため息なのか、どっちでも取れるような息を漏らした後、力無く立ち上がってお尻の土埃を払うと力無くまた学校へと歩きだした。
教室に入ると名前がわからないが、
先程の公園で囲まれていた彼がもう席に着いていた。
「…おはよう。」
とりあえず挨拶してみる。
「…お、おはよ。」
彼もとても小さい声で返す。
「あ、あの、さっきはごめんね。」
何と無く先程の公園でそのまま通り過ぎた事が後ろめたかったので一言謝っておこうと思った。
「えっ?…あ、あぁ、はい。」
彼は顔を赤らめて俯く。
「あの…よかったら名前。…教えてくれるかな?」
「あっ!そ、そうだったよね、記憶が…
えっと、大野武…。」
「大野君?」
「た、武でいいよ…。」
武は短髪がよく似合う小柄な男子生徒で、
声が小さいとこからすると内気なタイプかなと思った。
「そっか、それじゃ、改めてよろしく、武。」
そう言って右手を差し出す。
武も右手を出そうとするが、急に周りを気にして手を引っ込めてしまった。
「ごめん…。」
小さい声で彼は呟いた。
彼が気にした周りを俺も見てみる。だけど彼が何を気にしたのか何も分からなかった。特に変わった所も無くみんな各々雑談をしている。
………?
いつもと変わらない風景…なのかな?
でも…何となくこのクラスは違和感があるよな。そりゃあ確かに事故って記憶を無くしたけどさ、もっと…なんて言うか、労わりの言葉とか優しい言葉を掛けてくれても良いと思うんだけど。
まだここに来て二日目だけど、何故かこのクラスにいると存在してる気がしないんだよな。
……俺の単なる思い過ごしだろうか?
まあ、人見知りにとってはある意味楽なんだけど。
その日の午後からは体育の授業があった。
二年生の体操着は上が白のシャツで下はエンジ色の膝までの半ズボン。二年生の基本色だ。因みに上履きにある横のラインがこの色で、一年生は青のライン、三年生は緑の基本色となって一目で何年生か分かる様になっている。
さて、次の科目は体育だっけな。
えっと…、ちゃんと体操着を持ってきていたはずだけど…。
よしよし、ちゃんとあるな。さ、早く着替えないと。
いざ、ブレザーのボタンを外して脱ごうとした時、やけに教室の周りが静かなのに気が付いた。
「……ん?」
自分の周りを見たら教室にいる男子達が一斉にこちらを向いていた。そして、辺りに女子がほとんどいない事に気が付いた。
「…えっえっ?…な、なに?………あっ!」
そうだった。完っ全に忘れてた。今は女だったっけ!
「…あ……はは。」
恥ずかしさ紛れに頭を掻きながら微妙な苦笑いを浮かべていたら、突然一人の女子がツカツカとこちらに歩み寄って来て、
「ほら、これとこれを持って、行くよ。」
わけも分からず言われるがままに体操服を脇に抱えたら、すかさず彼女が俺の手をとって廊下に連れて行く。
「もうっ、見てられない。」
俺の手を引っ張り足早に歩く。
「あ、あのどこへ?」
「更衣室に決まってるでしょ!」
「あぁ…なるほど。……えっ!」
…こ、こ、更衣室?も、もしや、秘密の花園?
「覚えてないだろうけど、私、成瀬希。
あなたが記憶を無くしたって事は分かってるけど教室で着替えるなんて…まさか、女って事も忘れた訳じゃないでしょうね。
…まあ、いいわ。
記憶が無いなら他に色々分からない事があるだろうし、聞きたい事もあると思うけど、でも今は着替えるのが先だから。あ、私、あのクラスの委員長してるの。まあ、無理矢理なんだけど。」
そう早口でまくし立てた。
面食らって今ひとつ分かってなかったが、
とりあえず、
「あ、ありがとう…。」
とだけ返事をしといた。
彼女は少し微笑みながら足早に更衣室を案内してくれた。
でも、こうして俺の事気にしてくれる人がいて良かった。
そのまま引っ張られる形で更衣室に入った。
更衣室は一階のグランド側にあった。