03. 変貌
浩介の病室は個室だ。
大部屋とは違い、お婆さんが部屋から出て行ってしまえば浩介は一人きりとなる。
混乱している彼にとっては落ち着いて考える事ができる好条件。でも彼にはそんな事を考えている余裕がないほど狼狽えていた。
な、な、なんだよ、これ。
これじゃ、まるで…女…みたいだぞ…?
…た、確かに俺の手は、男の癖に生白い華奢な手をしてたけど、ここまで白くて華奢じゃなかったぞ。
それに髪だってさ、俺の髪は男の癖に線が細くてちょっとハゲかかってたさ、だけどここまでサラサラでツヤツヤで長くはないし、声だって、声だって、まるっきり違う!!
…待てよ、まさかあの時!…海水をガブガブ飲んだから声が変わっちまったんじゃないよな?
…いやいや、んなバカな。ヘリウムならまだしも海水飲んで声が変わるなんて聞いた事ないし、そんな事になったら海水浴に来る奴はどうなってしまうんだ?
あ〜、訳わかんねー。
………、
……ハッ!!
そうかっ!分かった!
薬の副作用だ!きっと、俺が助かる為には大量の訳わかんない薬を俺の体に打ち込まんなきゃいけなくて…それで、こんななまっちろい体に…。
いやいや、ちょっと待て待て。元々俺の体なんて日陰で育ったモヤシみたいになまっちろい体だった筈だぞ…。でも、些かここまで女っぽくならないだろ。
あ〜、これじゃあ、まるっきり女じゃんかよー。
………、
……ハッ!!
なるほどっ!そうかっ!
大量の訳わかんない薬なんかじゃなくて、女性ホルモンを多量摂取!これしかないだろ、もう!
ほれ、そうすれば辻褄が合うじゃん!この髪もこの手も、そしてこの声も!
…………。
「なーんだよ、そっかぁビックリさせんなよ〜。」
そう独り言を呟いて、バフンとベッドに上半身を預けた。
いつものノホホンとした日常ではあり得なかった非日常的が一度に複数個来た為、
[…いえいえ、そんな事は現実にあり得ないですよ!えっと、だからですね、とりあえずそれに関しては女性ホルモンって事でですね、一度落ち着いて頂いて……]
…と混乱していっぱいいっぱいの頭の脳みそが、とりあえずの応急処置としての理由を施して、その間に原因究明を計ろうと言う魂胆だ。
まあ、簡単に言えば現実逃避だ。
「しかし、女性ホルモンって奴は凄いな…。」
こんな短期間でこんな女っぽくなるのか。まあ、実際どのくらい寝ていたか分からんけど。
ベッドに横たわりながら自分の手を眺めながら触ってみる。男の毛が生えたごっつい手とは違いとても白くスベスベしている。女性ならではのきめ細やかさだ。次に腕を触ってみる。元々華奢な腕だったから、多少細くなったかな程度だ。
…でももっと毛が生えてたけど勝手に抜けたのかな?
ふーんと思いながら、もしや胸もあるとか?と冗談混じりに触ってみる。
おわっ!まさかと思ったけど胸まであるじゃん!ちょっと小ぶりだけど!でもすげーな、女性ホルモンは!
…あ!まさかとは思うけど…ジュニアはちゃんは存在してるよな?うちらは切っても切れない存在だから。
…………
…………
………あ…れ?
…………。
ガバッとベッドから上半身を起こしてから一気に顔の血の気が引くのがわかる。
ない……。
あれ…ハハハ、………無い。
…………
…………。
「なぁぁいぃぃぃよー!!」
おかしい!おかしい!なんで?なんで?
浩介は22年付き添ってきた馴染み深い自分の息子がいた場所をひたすらまさぐっていた。
…俺の体は…いったい…どうなっちゃったの?
……ハハハ…なんだろ?…なんか、すげぇ…怖いんだけど…
例えブサイクな顔であっても、例え華奢な体であっても、一緒に22年間共に歩んできた自分の体。それが今は正反対の体になっている。このまま自分はどうなってしまうんだろうと言う不安と、女性みたいな体になってしまった戸惑いが、浩介の恐怖心を掻き立てるのに申し分なかった。
………あ、もしかして…
浩介が視線を向けた方向には飾り気のない洗面所の上に、これまた飾り気のない簡素な鏡が壁に設置されていた。
正直なところ今、自分の姿を鏡で見るのが途轍もなく怖い。だけど今の自分の体に疑問がある以上今更後にも引けない。それにあの鏡を見る事でそれらの疑問の答えが少しでも分かるのなら、否が応でも見るしかなかった。
浩介はゆっくりと背丈くらいある点滴を杖代わりにベッドから降りてみた。暫く寝ていた為かまだ足元が覚束ないけれど歩けない程でもない。
ヨロヨロしながらも鏡の前までやって来た。
いきなり鏡を見る事が出来なかったので、目を瞑って一つ呼吸を整えてからゆっくりと目を開けて鏡を見てみた。
「うわぁっ!」
鏡を見たら女性が立っていた。
浩介と言う男性が鏡に映る筈だったのに、そこに映し出されたのは明らかにイメージしてた自分の人物像とはまるっきり違った女性だった。
なので鏡に映った女性が幽霊だと思い情けない声をあげてしまった。
で、出た!こんな昼間から!
エロイムエッサイム、エロイムエッサイム…
スイヘーリーベー、ボクノフネ…ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ…ヒトナミニオゴレヤーー!
お願いだ…どうか成仏してくれー!
やがて、恐る恐るそっと目を開けて鏡を見てみる。
鏡の向こうにはやっぱり女性がいた。しかし、鏡に映る女性もビクビクしながらこちらを伺っていた。
あ、あれ?
ゆっくりと右手を挙げて手を振ってみる。
鏡に映る女性も全く同じ動作をする。今度は両手で。それもまた真似てくる。暫く繰り返していたが反応はやっぱり全く一緒だった。
…と言う事は…だ。
ハハハ…ここに映ってるのは俺だって事ですね。な、なるほどなるほど、そう言う事か…ハハハ
「…女になっちゃった…。」
ガクッ。
力無く洗面台に手を付いて肩を落とす。
女になっちゃった…じゃねえよ。どうすんだよ、これ。このままじゃ家にも帰れないし、第一、美琴になんて言えばいいんだよ。
これからはお姉ちゃんって呼んでね、ウフッ!ってアホか!無理だ!あーもう、無理無理無理無理!
ため息をつきながらもう一度変わってしまった自分を鏡で見てみる為、顔を上げた。
…………。
ヘェ〜、でも、少し衰弱してるけど、俺って美人だよなぁ。美人と言うよりは美少女かな…。これでもう少し顔がふっくらしてくればかなりの美少女だぞ?
しがない頃の俺に比べたらかなりのレベルアップだな、これは。
そっかぁー、俺が女になるとこんな美少女になるのかぁ。だけど、男だった頃の面影が全く無いけど…不思議だよな。まあ、いっか、結果オーライと言う事で。
「…いやいや、違う。違うから。」
結果オーライとかじゃなくて、困るでしょ、これから…。
ガラガラガラ…
そこへ先程出て行ったお婆さんが戸を開けて冷たい飲み物を持って部屋へと入ってきた。
「あ!樹ちゃん、もう起きても大丈夫なの?」
「あ、はい。もう大丈夫で……」
…あ…れ?……樹ちゃん?…俺は神谷浩介…なのに…。
…………
「……えっ!!」
急いでもう一度洗面台の上に設置してある鏡を覗き込む。
…こ、これは……俺じゃない。
俺なんかじゃ…無かったんだ…
……そう…か、そういう…事か…。
この子は……この子は、あの時、海に落ちた子だったんだ。
だけど…なんで、俺がこの子になってるんだ?
急に体がガタガタと震え始めた。
「樹…ちゃん?ちょっと、本当に大丈夫なの?」
お婆さんが心配そうに近付いてきた。
「……いつ…き?」
そうだ。じゃあ、この"いつき"って子は何処行っちまったんだよ…
ーーーー!!
って事は、あれは夢なんかじゃなかったのか?
俺が、なんだか訳が分からない光の中から俺を見下ろしていたのは夢なんかじゃなくて……
それじゃ、俺は?
俺は何処行ったの?俺の体は何処に行っちゃったの?
…な、何なんだよ…これは……………
………ドサッ!
鏡を見つめていた少女は糸が切れた操り人形の様にそのままその場に膝から崩れ落ちてしまった。
「樹ちゃん?…樹ちゃん!樹ちゃんっ!
すみません!誰か先生を!誰か先生を呼んで来てくださいっ!!…樹ちゃん…樹ちゃ……」
お婆さんの声が段々と遠退いていく。そして視界も段々と闇に包まれていった。
……俺は……俺は……




