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接木の花  作者: のら
二章
29/35

28. 坂道



「…ハァハァ………ハァハァ………」


一人の少女が大きなリュックを背負って、息を切らして坂道を上がって来る。


辺りを見渡せば、所狭しと建物が建ち並ぶ街の雰囲気とは違い、時間が止まったようなのんびりとした田舎の風景が広がっている。そして、田んぼや畑の合間で所々に点在する古民家が、何処か懐かしい雰囲気を醸し出している。


そんな山に囲まれた田舎道での山の麓へと続く上り坂で、一人の少女が覚束ない足取りで坂道をゆっくりと上がって来る。


「ハァハァ…また、間違えた…かな?…ハァハァ…」


そう一言呟くと、ヨロヨロとした足取りを一旦止めて、乱れた呼吸を整えようと大きく息を吸ってからプハーと勢いよく息を吐いた。


それでも落ち着かない呼吸は、もうほうっとくことにして、それよりも右手に握りしめていた紙を広げてみる。その握りしめていた紙には、如何にも数秒で書けそうな線と文字だけの地図が、何かのチラシのような紙の裏に書いてあった。



[…おい、樹、これ渡しとく。ウチに来るにはバス停から2回曲がれば着くから。簡単だろ?]



「…………。」


…そう言って成瀬さんが、この地図を渡してくれたんだけどさぁ……


「ハァァ……」


今度は深いため息を吐き出してから、ふと、これから歩くであろう坂道に視線を送ると、まだまだ先が長そうな道のりが、おいでおいでと手招きしているように見えて、何やらクラクラと眩暈がしてくる。


「…ハハ……ここはどこ…?」


そう、少女は見事に道に迷っていた。



そもそも何故ここで道に迷っているのか、と言うと……


先日、成瀬隼人の武術の師範であり、祖父にあたる方からのお誘いがあり、5月の連休中は成瀬家にお邪魔することになった。そして、今日はその連休の初日で、地図を片手に成瀬家へ向かう途中だった。


しかし、少女はこの地域の土地勘が全く無い。唯一頼りの綱であるこの渡された地図には、必要最低限のラフな線と簡単な文字だけで描かれていて余分な情報など全く無かった。それはまるで…これ位なら簡単に辿り着けるだろう?…と言っているみたいだった。


少女もまた、これなら簡単だと地図を渡された時はそう思っていた。


だが、その安易に考えていた思惑とは裏腹に、かれこれ2時間程彷徨い歩いている。迷うハメとなった事の発端は2箇所目の曲がり角に書かれた"白いイヌ"と言う目印だった。


その目印が大人しく目印のまま役目を果たしていてくれれば良かったのだが、運悪くその目印が散歩に出掛けて不在だった為、そのまま気付かずに通り過ぎてしまった。暫らく歩いてからその散歩中の"白いイヌ"にバッタリと出会ったが、その時にはもう既に遅く、迷宮に足を踏み入れてしまい今に至っている。


まあ、もっとも目印と言うのは動く物に対してあまり使わないと思うのだが…。



「…ハハ……もう、帰りたい…。」


…とは言っても、もう既に帰り道も分からないし……


そう思いながら後ろを振り返ってみたが、やっぱり今来た道がうんざりするほどずっと続いているだけで、それをまた時間を掛けて戻るのもうんざりした。


…これを帰るのも、嫌だな…


「…ハァ。…よいしょ。」


あれこれと詰め込んだリュックをピョンと飛び跳ねて背負い直すと、再び重い足取りで長い坂道を歩き始める。



…あぁ、もう少し早く気付けばこんな事にならなかったのかなぁ…

でも…まさかイヌが散歩していて居なかったとは思わないし……そもそも他に目印が無かったの?って言いたいよ…


「……ハァハァ……田舎のイヌは居なかった……か。

…………何にも面白くない………あのイヌは尾も白かったけど……ブツブツ…。」



──ハッ!


もしかしたら……こ、これは成瀬さんからの試練なんじゃ…?


…………。


……成瀬さんならやりかね無いよな。


うん。…やりかね無い。あの人ならやりかね無い。

きっと…「よくぞ、ここまで辿り着いた。」…とか、言いそうだし。



それにほら、よく考えてみろ。


この永遠に続きそうな坂道は、まさしく足腰を鍛えるにはうってつけじゃないか…それに、このいつまで経ってもあまり変わらない景色は、歩く気力を削ぎとるには充分だし…



…なるほど。さすがは成瀬さん。


って事は肉体的にも精神的にも鍛えろって事だな。

…いやいや、もしかしたら、これは入門試験ってことかもしれない…。だって、成瀬さんの道場に行くのもお師匠様に会うのも、今日が初めてだもんな…


クッ……となれば、キツい試練だが、しっかりと乗り越えねば……



「ふーん。何がキツい試練なの?」


「何がって……この坂道がだよ。心臓破りの……ハァハァ…キツい坂だ……フゥ。」


「そう、大変ね。…で、何処まで行くつもりなの?」


「何処までって……ハァハァ…そんなの決まってるじゃないか……ハァハァ…こうなったら成瀬さんに認めて貰うまで…とことん行くしか…な…………い?


…………。


────うわぁ!出たぁ!!」


「出たぁって……。

あのねぇ…人をバケモノみたいに言わないでくれる?」


そこにはふくれっ面をした成瀬希が、何処かを掃除していたのか右手にある竹ぼうきを肩に乗せながら立っていた。


いつものビシッと制服を着こなしている姿とは違い、今日はジーパンに白いパーカーの砕けた格好の希は、今までのイメージからはとても意外で、そして新鮮に思えた。


「な、何で…希が?…いつの間に…」


「いつの間にって…さっきからずっといたわよ。何度も声を掛けてたのに、全然気付かないんだもの。試練だか試験だか知らないけど…あなた、さっきから心の声がだだ漏れだったわよ。」


そんな希のちょっぴり辛口な口調と、そう言いつつも口元が少し緩んだ表情が、道中心細かった今の少女にはとても嬉しかった。


「もう、いつまで経っても樹が来ないから、そこの山門で掃除しながら待ってたのよ。そしたらあなたがブツブツ言って目の前を通り過ぎて行くんだもの。私はてっきり何かに取り憑かれたかと思って、声を掛けるのに少し戸惑ったわよ。」


「ああ…良かった…。これでもう迷わなくていいんだ。もう迷わなくても…ブツブツ…」


「ちょっと!聞いてるの?」


「えっ?」


「……もう!

………まあ、いいわ。私の家はこっちよ。」


希が諦めたようなため息を鼻で漏らすと、先程、彼女が待っていたという山門へと踵を返し相変わらずの早足で歩いていく。


その希が向かった山門とは、年代を感じる佇まいで所々朽ちてはいるが、それがまた威厳のある風体となっている。そして、その山門を通して向こう側に見える立派な本堂から、そこは由緒あるお寺だと言うことが見て取れた。


「あれ?……希、そっちはお寺だよ?」


「…………。


あなた、お兄ぃから何にも聞いてないの?」


「えっ?」


「私の家ってお寺よ。あなたのその右手に持ってる"それ"に書いてなかった?」


「えっ?…だってほら、"ココ"…としか書いてないし…」


「…………。」


(あの面倒くさがり屋め…やっぱり地図は私が書けば良かった…)


「えっと、私の家は、"九楊寺(くようじ)"って言って代々受け継がれてきたお寺なの。ほら、この山門の所々に傷があるでしょ?これは、戦国時代に付けられたものだそうよ。それとこれはね………。

…まあ、ここで話すのもなんだし…詳しい事は後で話すわ。とりあえず、私について来て。」


「あ、うん。ありがとう。」


希は、片手に持っていた竹ぼうきをまたヒョイと右肩に載せ、本堂へと続いている御影石で敷き詰められた石畳をスタスタと歩いていく。


その足早に歩く希の後を小走りで追いかけて山門をくぐると、目の前には立派な境内が広がった。


まず、目に飛び込んできたのは、山門と同様に年代を感じさせる立派な本堂。そして、その本堂を引き立たせるかのように枯山水の日本庭園が来た者を迎るように広がっていた。


なかでも一本の大きな柳の木が自らの枝を風になびかせ、存在を誇張するかのように立っていたのがとても印象的だった。


「……うわぁ…すごい…」


この九楊寺は、山々に囲まれた自然が豊かな場所で、佇まいが景色と良く馴染み心がとても落ち着く。辺りには山鳥達が楽しそうにさえずんでいて、時々柔らかな風が木々の間を通り抜け、その風が少女の髪をサラサラと優しく揺らして行く。


目を瞑れば、このまま溶け込んでしまいそうな、とても穏やかな空間。


少女はそんな心地良い空気を鼻で思いっきり吸い込み、口で勢いよく吐き出した。


「……………ハァァ。」




……あれ…?


…なんだろ……胸が…凄くドキドキする……


そっと、自分の胸に手を添えて鼓動を聞いてみると、トクントクンと少し早めの、そして確かな手応えが手を通じて伝わってくる。



……緊張…してるのかな?



……ふふ。…でも……不思議だ。


ここで、こうして立っている事がとっても不思議……


だって2ヶ月前の浩介ではとても考えられなかった事だから…



あの頃の俺は……何をするにも無気力で、生きてる気さえしていなかった……


それはまるで、小川に落ちた葉っぱのように何処に向かうと言う訳でもなく、只々流れのままに右や左に流されて、そして少しでも障害があれば、それに目を背けて避けて通ってきた。


何も考えず何も気付かず何も見出せないモノトーンの世界。


そんな何の価値も無い空っぽだった自分が、今ここでこうして立っている。



………なぜだろう…?


…なぜ、何もかも面倒臭かった自分が、苦労をしてまでここに居るんだろう…


…やっぱり、あの頃のように飄々と…周りに流されたから?



…………


…いや、それは違う。


……今は違う。


ここに居るのは自分の意思だ。


あの頃では考えられなかったけど、今ここに居るのは確かに自分が選んだ事だ。



だって俺は、樹が戻ってくるまでこの身体を守らなければいけないから。


樹が戻って来るという保証も確信も無いけど………でも、俺が樹の身体に居る以上、この身体は守らなきゃいけないんだって思う。


だから今は、成瀬さんが教えてくれるこの武術がどうしても必要なんだ。こんなにも気が小さくて情けない自分が、成瀬さんのように肉体的にも精神的にも強くなる為に……



足元を見ていた視界からは、少女の白く小さな手が目に映り込む。浩介の手も元々生白かったが、それでも男の手をしていた。しかし、今、目の前に映る手は、透きとおるように白く、とても華奢な手だ。



…あれから…


……あの事故以来、樹とは何の接点も無い…。触れることも話すことも無かった…。

彼女が今何処でどうなっているのかは何にも分からない……


……でも……


俺は…彼女がきっとどこかに居るような……そんな気がするんだ……


なんとなく……なんだけど……ね…




「樹ー!何してるのー?早くおいでよー!」


石畳の中程の所で、希が小さい体で背伸びしながら手を振っている。


「今行くー。」


顔を上げてから地図を持った右手で希に振り返す。その時に見えた空は、とても澄みきった青だ。


「…まあ、先の事なんてよく分からないけどさ、今はまず……この一歩から!」



少女はそう一言呟くと、大きく足を踏み出して、確かに伝わる地面の感触をしっかりと感じていた。





更新が遅くなってしまいすみませんでした…

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