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接木の花  作者: のら
二章
28/35

27. 白球




────カキーン!



再び、心地良い金属音が、この気持ち良く晴れた青空の下で響いてくる。

きっと、誰もがこの晴れた日の休日で、体を動かす事を楽しみ、それを心から満喫していた…そんなのどかで平和な春の一日。


隼人も少女もその中にいた。そして、二人とも良い意味で変化のあった今日と言う日を満喫していた。







「──── ん?」


皆が穏やかな胸中の中、急に隼人だけは、何故か嫌な気配を感じ取った。それは、始めは小さかったが、段々と大きくなりつつある。それが何なのかは分からない。でも、拭い切れない胸騒ぎ。


少女を見てみると、もう終盤に差し掛かった形稽古を夢中でしていて、特に何かに気付いた様子も無い。

他に右を向いても左に向いても、特に変わったところは何も無かった。


それに、嫌な気配は彼女からではない。他の…もっと、遠くの何か。




……いや、違う。


……樹だ。樹が関係している……





────上だっ!!




急いで視線を気配のする上空へと向けると、空の青から硬球の白い点が徐々に大きくなり、こっちに向かって近付いてくる──。


このままだとその白球は──間違いなく、何も知らず稽古をしている樹に直撃する!


思うよりも早く隼人の身体は反応したが、如何せん気付くのが遅れた。このまま数メートル先にいる樹に背後から飛び込んだとしても、間に合う確率は五分五分…いや、僅かながら白球の方が先に着弾するかもしれなかった。


(──ウソだろっ!!──頼むっ!!)


その白球に直撃すれば、無事では済まされない事は、飛んでくる白球のスピードを見れば一目瞭然だ。例え鍛え上げられた屈強の男でも、頭部にでも当たれば最悪の事態は免れない。

隼人はその最悪の事態だけは避ける為に、力の限り走り、そして、勢いの付いた最後の一歩を力一杯地面に伝えてから、少女の背中にダイブする。


もしかしたら、白球は逸れるかもしれない。…もしかしたら、少女が気付いて避けるかもしれない。


だが、その可能性は極めて低そうだった。


無情にも白球は、間違いなく少女を捉えているし、例え少女が気付いたところで、さっきのサッカーボールのように、またおでこで受け止める可能性の方がより高かったからだ。それでも隼人は藁をも掴む思いで、淡い期待を抱かずにはいられなかった。


しかし、容赦なく白球は、彼女の頭部をロックオンして、あと数メートルに迫っていた。同じく少女の体目掛けてダイブした隼人も、少女に手が届きそうだった。しかし、それぞれのスピードが余りにも違い過ぎる。

それでも隼人は、諦めず可能な限り腕を伸ばした。今、少女を救えるのは、周りを見渡しても彼一人だけだったからだ。



(────樹ぃぃっっ!!)







──── ガッ!!


(──── ッ!!)





────白球は、


少女を守ろうとした隼人による決死のダイブの甲斐もなく、逸早く到達し少女に着弾した。


そして、隼人はその光景をまざまざと目に焼き付けたまま、少女を背中から受け止め、覆いかぶさるようにしてから二人共地面に突っ伏した。


隼人は…たった数秒の差で、白球から少女を守れなかったのである。




それから二人は重なったまま動かず、時間にしてとても長く感じられた数秒間が、沈黙と共に流れた。



「……………」


「……おい、樹…大丈夫か…?」


やがて、先に顔を上げた隼人が、彼の腕の中で小さく体を丸めている少女に、絞り出すような声で問う。


「……う…うう…」


「……樹? ──樹っ!」


目の前の少女に対し、左手で少女の左肩を揺らすと、少女は彼の腕の中でモゾモゾと動き出した。それを見た隼人はとりあえずホッと胸を撫で下ろし、今度は優しく少女に声を掛ける。


「樹……、大丈夫か?」


「…あ…、成瀬さん…」


そう言うと、少女はそっと隼人の方を振り向いて微笑んだ。


「樹……やっぱり無事だったんだな。」


「…はい。…私は何とも…」




…どう言う事か?


白球は確かに少女の頭部に着弾した様だった。そして、隼人はその光景を目の当たりにしたはずだ。なのに隼人は、まるで少女が無事だった事を知っていたかの様に""やっぱり"と言った。それはいったいどう言う事か?



正確に言うと白球は少女の頭部には当たってはいなかった。


隼人が少女に飛びつく瞬間……少女は白球が当たる手前で、ピタリと動きを止め、瞬時に右手でその白球をハタいたのである。

その驚愕の光景を目の当たりにした隼人は、そのまま少女にタックルをかましたと言う訳だった。


隼人の目の前には、背中を向けて丸くなっている少女がいる。そんな少女に隼人は驚きの色を隠せない。


(…確かに…確かにだ、樹に飛んで来たボールなんて、野球をかじっている人なら、たかが、ライナー性のフライだったのかもしれん。キャッチする事など容易く出来ると思う。


…だが、それは飽くまでも、そのボールを捕捉していた場合に限る。

ボールを目で追い、軌道を予測し、受け取る態勢を取り、それから初めてそのボールをキャッチする。


しかし、コイツはどうだ?


目で追うどころか見てもいなかった。なのに、近付いてきたボールをそのままハタきやがったんだ。

いったいどれだけの工程をすっ飛ばせば気が済むんだ?


全く…なんてヤツだ。)


「…う…うう……、手が…ジンジンする……。」


そんな事を思われているとは知らずに、少女は痺れている右手をギュッと握り、左手でその右手をそっと包んでいる。


(…そりゃそうだろ。テニスボールとかサッカーボールとは訳が違うからな。ボールと言っても硬球なんだし。


……ん?

…いや、ちょっと待てよ。


確かあのボールは、樹で軌道を変え、そのままコイツの直ぐ後方の地面に着弾したな…。


ハタいたんなら、もっと方向も逸れるはずだし、スピードも削がれるはずだ。それに、コイツの小っさな手でハタこうもんなら、痺れる位では済まされないかもしれん。

…なのに、殆どそのままのスピードで、後方に逸れたと言う事は……。


……まさかコイツ、ハタいたんでは無く……手の平にボールを当てて、そのボールの軌道を変えたのか?)


隼人がまだ少女に覆いかぶさった状態で、その中で小さく丸くなっている少女は目をキュッと瞑っている。


(コイツが?…ウソだろ…。


でも、そう言われたらそんな様な気もする……。確かに、こう……柔らかい手の平でボールを……柔らかい……ん?……柔らかい?)


ムニッ…ムニムニ……


(何だ?…さっきから、この俺の右手に乗っかる、この柔らかい感触は?)


ムニムニ…ムニムニムニムニムニムニ…


「───ッ!」


「…………?」


「……………」


「………??」


「……………


……あ、あのぅ……成瀬…さん…?」


そう呼ばれて目の前の少女に目を向けると、何故か少女は耳を真っ赤に染めている。

そこで初めて隼人の右手が、少女の右胸に伸びていたことに気が付いた。


ムニムニム…ニ………


「…………おわっ!……す、すまん!」


「……あ、……いえ。」


隼人は急いでその場から離れると、少女はゆっくりと上半身を起こしてきて、顔を背け下を向いている。


「──すいませーん!」


なんとも微妙な空気が二人の間に漂っていたが、良いタイミングでグランドの方から声がして、その空気を遮った。


「あ、あのっ!すみませんでした!…おケガはありませんでしたか?」


慌てて駆け寄ってきたのは、野球のユニホームを着た男性だった。


「あ、私達は大丈夫です。えっと、ボール…ですよね。あ、あった………ハイ、これ。」


白球は、勢いよく後ろに逸れて行ったと思われたが、木にでも当たって跳ね返って来たんだろう、少女の直ぐ後ろに都合良く転がっていた。

少女はその転がっていたボールを拾いあげると、目の前にいるユニホームを着た男性にニコッと微笑みながら渡している。


一方、隼人は…と言うと、自分の右手をまじまじと見つめていた。




「あ…いえ、大丈夫ですから。」


「本当に大丈夫ですか?もし良かったら僕らのベンチに冷たくて美味しい飲み物があるんですよ。良かったらどうですか?お菓子もありますよ。」


「あ、いえ…。えっと、お構い無く。ハハハ……。」


「あれ?…ここ、ケガしてませんか?やっぱりさっきのボールが当たったとか…」


「いえ、違うと思います。これはただの汚れで……」


「ほら、やっぱりボールが当たってたんですね。直ぐに消毒しないと。さっ、こっちへどうぞ、ほら……」


「…いえ、あの……」


ドン…。


ユニホームを着た男性が少女の手を取って、向きを変えた時に、何か壁の様なものにぶつかった。


「おい、あんた。お気遣いありがとな。でも、本人が言うようにもう大丈夫だから。な。」


成瀬隼人の左頬にあるハクのついた傷跡が、強面の声と相乗して、その男性に威厳をチラつかせる。


「…あ…、そそそ、そうなんですか…ハハ…。そ、それは、無事でなによりで…ハハ。でで、では私はこれで…。」


半分逃げ腰だった男性は、それだけ言い残すと脱兎の如くグランドへ走って行った。


「…………。」


「…ふぅ……助かった。」


少女はホッと胸を撫で下ろしていたが、そんな少女を見ていた隼人は、逆に不安が込み上げてくる。


(助かった…じゃねえよ。誰彼無しに笑顔振り撒きゃ良いってもんじゃねえだろうが。…分かってんのかなぁ…。)


「あれ?……何だろ?…何か落ちてる。今の人が落としていったのかな?」


(…コイツは、自分の魅力ってやつをどのくらい理解してるのだろうか?…ほんと、お前の微笑みは凶器なんだよ。さっきみたいに、あんな屈託の無い笑顔を見せられたら、大抵の男は勘違いするに決まってる。)


「……手紙…かな?

………あれ?これって、私宛だ。」


(やっぱり…一度コイツに分からせる為にも、ここはガツンと言った方がいいな…。)


「…おい、樹。いいか、良く聞け。男って奴はだな………おい、聞いてんのか?」


「…あの、この手紙なんですけど……ひょっとして、成瀬さんが私に?」


「…………ぬおっ!」


(──なんでその手紙を?…そうか!さっきのでポケットから落ちたのか!)


「い、いや、あのな…違うんだ。そ、それは……いや、実はだな、その手紙なんだけど……。あ!いやいや、いいか、勘違いするなよ。その手紙は俺がお前に書いたって訳じゃないぞ。」


少女は、あまり見た事がない隼人の狼狽えかたを見て、「ん?」って顔をしながら首を傾げている。


「あれ?……この成瀬…六吾郎さんって、成瀬さんのお父さんですか?」


「ん?…ああ、そうだな。そうそう、それはうちの親父…じゃなくて、祖父だ。

その…なんだ、ちょっと変わってる(スケベ)ところがあって……。まあ、それは置いといて……その…ヘンな事、書いてなかったか?」


「いえ、全然…寧ろ嬉しいです!…でも、本当にお邪魔させて貰っても良いんですか?」


「ん?何がだ?……ちょっとその手紙貸してみろ。」


樹から受け取った手紙には、筆で書いた達筆な字で、「樹ちゃんへ」…と書いてあり、今度の5月の連休に泊りで稽古に来なさい…と、そんな内容が書いてあった。


(何を企んでいるんだ、あのジジィ。……ったく、希が写真なんか見せるから……。)


「まあ……、お前さえ良かったら良いんじゃないのか。」


「はい!それじゃ宜しくお願いします!成瀬さん!」


そう言うと少女は深々とお辞儀をしてから、屈託の無い笑顔を隼人に差し向ける。


(それだよ、それそれ。その笑顔で男はコロッといっちまうんだよ。)


「チッ……いいか、厳しくいくからな、覚悟しとけ。」


「ハイッ!」


…とか、なんとか言いつつも、右手に温もりを感じながら、連休を楽しみしている隼人だった。




……結局、血は争えない。





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