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接木の花  作者: のら
二章
27/35

26. 芽生え





────── 誰だ?





靴紐を直してから顔を上げた時に、隼人がまず最初に思った少女への印象である。



今そこで形稽古をしている少女は、紛れもない彼が記憶している里山樹なはずだ。

紺色のジャージを着て、肩まであるセミロングの髪を後ろで束ね、先程、サッカーボールを見事におでこで受け止めて、そのまま無様にひっくり返った、あの鈍臭い少女なはず……。




しかし、……違う。




…いや、……違わない。


例え後ろ姿であっても、彼女である事は分かる。確かにドジで鈍臭い少女かもしれないが、その真っ直ぐな瞳と、いつも懸命に稽古に取組む姿勢……そして、その誰の目も惹くであろう容姿端麗な美少女は、隼人が知る限り里山樹以外、他にいない。


では……今、目の前にいる洗練された足捌きと無駄のない動作で形稽古を繰り広げている少女は、いったい誰なのか?

そして……先程まで、まるで子供のお遊戯のように微笑ましく、未熟な足捌きの稽古をしていた少女は、いったい何処に行ったのか?



思わず隼人は、先程とあまりにも違う少女の変化に言葉を失った。


そして、手に持っていたタオルが地面に落ちた事も知らずに、暫く少女から目が離す事が出来なかった…。


目の前の少女に対して、彼が混乱するのも言葉を失うのも言うまでもない。さっきまでの少女が行っていた形による動きと、今の少女が行っている形の動きとでは、火を見るよりも明らかに違っていたからである。


隼人が知る今までの少女の形は、目の前しか見えておらず、まるで手探りで一つ一つ確認するかのように、無駄な動きと迷いのある形による足捌きだった。それに対し、今の少女は、目を疑うほどの、素早い動作による洗練された動線に生まれ変わっていたからである。



(……何だ……これは…。コイツに…何があったと言うんだ……?)



つい先程まで隼人の心の中で描き上げた里山樹の肖像は、今この場で破り捨てなければいけない。それ程までに、小さな少女による、あまりにも大きなギャップだった。





「成瀬さん? ………成瀬さん!」


不意に袖を引っ張られて慌てて振り向くと、少女が一通りの形を終えたのか、右手で汗を拭きながら、その真っ直ぐな綺麗な瞳を、見上げるように隼人の顔に向けていた。


「…あの…どうかしましたか?」


「あ、いや…。」


(…呆気に取られて気付かなかった……)


「…………?」


「…………。」


(…そんなクリッとした目でこっち見んな。思わずドキッとしたじゃねえか…。)


「……あっ、それはそうと!────成瀬さん、聞いてください!…今ですね、何て言うか……凄く調子が良かったと言うか……自分が自分じゃないみたいに体が軽くて、頭でイメージした事が自然に出来たんですっ!

…ああっ!何て言うんだろ?……私の言いたい事、分かりますか!?」


少女は、今でも踊り出しそうな雰囲気で、とっても無邪気な笑みを浮かべながら、もどかしそうに矢継ぎ早に言葉を並べた。


「あ、ああ…。」


一方、隼人は今にも塞ぎ込みそうな雰囲気で、とっても引きつった笑みを浮かべ、何か言いたそうに言葉を返した。


「…よし、もう一度!この感覚を忘れないように、もう一度最初から始めますね!」


「あ、……おい…」


そう言うと、少女はまたしてもブツブツ言いながら定位置に戻り意識を集中していた。その背後で隼人が中途半端に声を掛けたが、その声は少女の耳には届いてはいなかった。



(…ま、まあ、コイツに何があったのかよく分からんが……今一度、コイツの動きを確認してから判断した方がいいな……)







──── カキーン!




隣のグランドではユニホームを着た人達が練習でフリーバッティングを始めたらしい。金属バットが硬球を心地良い音と共に弾いて、空高く鳴り響いて行く。風が止めば邪魔な向かい風も失くなり、白球はグイグイと思う存分弧を描いて好き勝手に飛んで行った。




「…………。」



(……やっぱりダメだ……さっぱり訳が分からん。…あの休憩を境に、何がコイツをこれ程までに変えたのだろう……?)


やはり、そこにいるのは隼人が記憶している以前のあの鈍臭い少女ではなく、隼人にとってはまだ見慣れない少女だった。

その少女の数メートル離れた背後で、腕を組み、いぶがしげな顔で眉間にシワを寄せる隼人が突っ立っていた。


(……それともコイツは…、今まで実力を隠していたと言うのか……?


…いやいや、それは無いだろう。

例え隠していたとしても、いったい何の為に?そんな事する必要も、メリットも無いはずだ。……きっと、何かしらこうなった理由があるはずだ。)


しかし、渦中の少女を見てても、やはりその理由が一向に分からない為、隼人が抱える謎は暗礁に乗り上げそうだ。

そんな中、自分の納得する動きが出来た時に、無邪気に喜んでいる先程の少女の笑顔が、不意に隼人の頭に思い浮かんできた。


(…もしかしたら……


…もしかしたら…コイツ自身も、自分の変化に気付いて無いじゃないのか?


さっきのコイツの笑顔には、嘘があったとは到底思えんし、それに、自分でも出来たんだと言う喜び以外の余分なものなんて、あの笑顔には一切混じっていなかった。……それは自信持って言える。


それに、そんなバカ正直に感情が表わす不器用なヤツが、何かを隠してこれだけの実力を出すなどとそんな器用な事が、コイツに出来るとは俺にはとても考えられん。


…まあ……もう少し様子を見るか。今直ぐに解決しなくてはいけない…と、言う感じでも無いしな。



…フフ……しかし、ヘンなヤツだ…。


…思えば……あの時からそうだったかもな……。)


不意にあの旧校舎の裏にある倉庫の屋根で、初めて少女と出会った時の出来事を想い出し、つい口元が緩んでしまった。思わずその独り笑いを隠すように顔を下に向ける。



(……あの時の俺は……。


…そう、樹にこの武術を教えてくれと頼まれたあの時の俺は、またかコレか…と、ウンザリしていた。…だから、コイツに無理難題を吹っかけて諦めさせるつもりだったんだ……


あの旧校舎の裏にある俺の寝床なら、それなりの高さもあって、そこら辺のイキがっているヤロウでも飛び降りろと言えば、大体のヤツがためらう高さだ。そんな高所を利用すれば、この女も諦めるだろうと思ったし、飛び降りる事なんて、男なら未だしも女なら到底無理だと言うことも、無論承知していた。


だが、もし…それで、少しでもためらう素振りを見せるようだったら、直ぐにでも辞めさせるつもりだった。この位で躊躇するようなら、俺の稽古には付いて来れない……とか、まあ、そんな適当な事を言って、半分面倒臭かった俺は、本当に諦めさせるつもりで樹に言ったんだ。





……それなのに……




………それなのに、コイツは飛びやがった。


一切の躊躇も無しに、飛び降りたのでは無く………飛びやがったんだ…。


…それも…さっきと同じような、思いっきり無邪気な笑顔でな……。




……俺はあの時………


コイツの………樹の背中に、在るはずも無い翼が……見えた気がしたんだ…。天使みたいな…白くて、とても綺麗な翼が……


…今思うと、ほんと恥ずかしくて、口が裂けても人には言えんがな……。)



「だから……もう、認めない訳にはいかないな。」


そう言うと、隼人は微笑みを浮かべる。今度は包み隠さずしっかりと正面を向いて。


(…さっそく、ジッちゃんに紹介しないとな。……ただ、若干スケベだから、それが心配なんだけど…。)




…と、そうは言っても隼人の心には、まだドジで鈍臭い少女が描かれていた。心の何処かでは、今だに目の前にいる少女を信じられない自分がいた。


人は、自らが描いた人に対する印象を、そう簡単に書き換える事など出来ないのかもしれない。隼人もそれと同じように、今まで見てきたつもりの少女が、ある日、突然進化したのを目の当たりにして戸惑っている。


だが、隼人にとって今日二度目となる少女の肖像を書き換えなければいけない出来事に、そして、今、目の前にいる少女は本当なんだと決定付ける出来事に…


この後、再び出会す事となる……。







成瀬隼人と里山樹の初めての出会いは、一章の17. 陽当たりになります。そちらも併せて御一読下さい。

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