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接木の花  作者: のら
プロローグ
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00. プロローグ

「神谷君、神谷君!ちょっと君、聞いてんのか?」


「はぁ…何でしょうか?」


「何でしょうか…じゃなくてさぁ。何度も言うけど、この書類に関してはこの棚に入れといてって言ったよね?」


「……あ」



正直、俺はこいつが嫌いだ。

いつもガミガミと口やかましく怒ってばかりでほんとにうるさい。前の職場でもそうだったけど、こういう輩によく当たるんだよな。俺って。

はぁ…めんどくさいなぁ…


「神谷君さ、あの高名な県立大に通ってたって言ってたから期待してたんだけど、なんだかとっても残念だよ。」


「あぁ……はい。」


「………。


あのさ…君、もういいよ。やる気がないなら今日は帰ってくれていいから。それともう明日から来ないでくれ。」


「…えっ?それって…。」


「わかれよ、それくらい。クビだよ、クビ。」






ビィィーン…プスン、プスン


海外へ出張中の親父が置いていった、かれこれ何十年と経つ年季の入った原付が乾いた音で公道を一生懸命に走る。



…ちくしょう。風が身に染みるなぁ今日は…。


別にさ、悪気があった訳じゃないんだよ。

俺だって初めはやる気があったさ、でもあの小面憎い上司がガミガミ、ガミガミ言うもんだからすっかりやる気も元気も失せちゃったんだよ。

わかれよ、それくらい。


な〜にが、クビだよクビ、だ…偉そうに!

お前のトコなんかこっちから願い下げだっつうの。


もうそろそろ夕方になりかけの中途半端な時間帯で勤め先から追い出されてしまい、このまま素直に家に帰るのでは釈然としない為、宛もなく只々愛車の原付で独り言をブツブツ言いながらプラプラと流していた。



3月も下旬に差し掛かり、今までの寒い日の中で段々と暖かい日も多くなってきた。

いわゆる三寒四温ってやつだ。

でも時折とても寒い日がある。先日までは小春日和とか言われていたのに、その何日か後には10度以上も温度が下がる日もある。


そんな日々の中で特に昨日は春の嵐のような風が吹き、夜のニュースではこの時期特有の風、春一番が吹いたと言っていた。

そんな強風の名残なのか、昨日程では無いが今日も風が強くとても寒い日だった。



…しっかしさぁ、もう何度目だよ…仕事クビになんの。

あ〜あ、もっとフレンドリーに人と接する事ができたらなぁ…。きっと俺だってバリバリに仕事してたんだろうなぁ…。あ〜あ、引っ込み思案の人見知りって、なんて生きてく上でハードなスキルなんだよ。これじゃあ、人生を謳歌するどころか彼女も出来そうにないぞ?

いやいや、それどころか童貞だって後生大事に護って行かなきゃならない勢いだな。


こりゃ…まずい。実にまずい。


………。


…まあ、いっか。


それよりもクビになった事、また美琴に不甲斐ないだの情けないだのと言われるなぁ。

ほんと、段々あいつは死んだ母さんに似てきて口うるさくなってきたから…。


…あぁ!もう…めんどくさ!


まあ、いいや。所詮世の中とはこんなもんだよ、海行こ、海。



半分諦めて半分開き直る。

22才という若さでは人生を見極めるのにはまだまだ未熟な年齢だ。


この青年は神谷浩介といい、ここらでは通称“頭がいい“と言われる進学校の高校を卒業し大学に進学してはみたものの、特に深い理由も無く中退してしまった。そして前述通り人見知りや気弱な性格と諦めの早さなどが原因でいくつか職を変えていた。

いや、仕事をクビになるのはもっと他に原因があったのかも知れない。

そうなるとこの青年の唯一の取り柄と言ったらこの切り替えの早さくらいか…。


そんなこんなでいつもなら滅多に来ない海なのだが、気分を晴らす為、適当に原付で流して行き当たりばったりで海に辿りついたのだった。



…さむっ!

やっぱりこんなクソ寒い日に海なんかに来ちゃいかんな。この広大な海を見てちっぽけな自分に浸ろうと思っていたけど……やっぱりやめた。


「…寒いから帰ろ。」


独り言を言いながらも折角取った手袋をもう一度手にはめようとした時、一瞬強い風が吹いた為、手袋が勢い良く飛ばされてしまった。


「うわっ、やべっ!」


手袋は海際にある駐車場から階段で下がった海辺の場所まで飛んで行った。

慌ててその駐車場から階段を降りて手袋が落ちた辺りを探してみる。

「おいおい、シャレになんないよ。このクソ寒い日に手袋無しじゃ……どこだ?」


「……手袋…手袋…、おーい、手袋〜。

…あ!あったあった!」


………ん?


…………


…………


………あの娘、何してんだ?


手袋があった場所から先に見える波止場の途中で、どこの制服か分からないが高校生くらいの少女が立っていた。


その少女は透き通る様な白い肌に、肩までかかるサラサラの少し栗色のかかった黒い髪がとてもよく似合う綺麗な少女で、その髪が風になびく姿につい見惚れてしまい、手袋の事などとうに忘れてしまっていた。


「うわぁ…なんて素敵な子なんだろ…。

見てると何と言うか…すっごく引き込まれてしまうよ…。

学校の制服って事は高校生かなぁ。なんか波止場で海を見つめて佇む姿が凄く絵になる本当に綺麗な子だなー。」

思わず両手の親指と人差し指で作るファインダーで海をバックに少女を主にしてアングルを作る。



彼女だから絵になるんだろうなー。

思いきって声かけてみる?

あはは、なーんて無理無理。声かけたところでその後の会話なんて続かないし、実際何て声かけたらいいのかも分かんないし。

いいんだ、ここでこうして眺めてるだけでも幸せだ。


見たところ、その少女は何か思い詰めた様な雰囲気があり、その雰囲気からなのか彼女の佇まいがとても神秘的な感じがした。


ウットリしながら見つめていると、その少女は胸の辺りで両手で何かを握りしめているのが分かる。そして遠い目で空を見上げていた。


今日は時折強い風が吹く日だ。

その強い風が吹けば海に落ちてしまいそうな、そんな場所に彼女は立っている。



…しかしさぁ、陰に隠れて見てるのもいいけど、彼女の立っている場所が場所なだけに危なっかしいんだよな…落ちなきゃ良いけど…。まあ、ある意味俺も岩場の陰であの少女をガン見している姿は危ないんだけどさ。


おいおい、何だかフラフラしてないか…?

大丈夫かよ…?

うーん、やっぱりちょっと言ってこよう。会話が続かなくても注意するだけならいいよね。そんな所に立っていたら危ないですよって。


「おわっ!手袋が!」


またもや強い風が急に吹いてきて、持っていたもう片方の手袋もあらぬ方へと飛ばされてしまった。

飛ばされた手袋を目で追ってはいたが、今の強い風で彼女が大丈夫だったか気になり、彼女の方に視線を向けたら……



そこには先程まで佇んでいた筈の少女が消えていた。




………えっ?


………


………


………ええっ!?


…あれ?いない…!


…うそっ!!


急いで波止場を一通り見渡すが、やっぱりどこにもいない。

視界に入ってた少女が佇んでいた場所は陸地から全長100m位の海に突き出た波止場の途中くらいだ。

彼女がその波止場の途中から、ほんの数秒間目を離しただけで陸地まで行ける筈が無いし、流石の短距離のオリンピック選手だって、ほんの少しだけ目を離した間に彼女が佇んでいた場所から陸地までダッシュで行ける訳がない。

もし出来たら抜く事のない世界新だ。



…という事は……落ちた!やっぱり?


「えっ?えっ!?うそ、うそうそうそ?ま、まさかテレビの番組とかじゃ…。で、でも、どどど、どうしよ…?…あうう…」


今までの呑気な日常ではあり得ない事故に頭がパニックになり、ついオロオロとしては、はしゃいだ犬の様にその場をグルグル回っていた。


こここ、こんな事してても……!


気が動転しながらも、まずは少女が落ちた場所へと思い、慌てて向かうが途中足がもつれて何度か転びそうになった。


覚束ない足取りで 少女が落ちた近くまで来てはみたが、情けない事に足はガクガク胸はバクバクと非日常的な緊急事態にサイレンを鳴らしている。

周りを見渡すと大声を出せば気付いてくれる所に人が何人かいる。


え?でも、何て言えば?


ぁあ!もうこんな時にコミュ障のスキルを発動してる場合じゃない!

あの子は?あの子はどこいった?


「あぁ!いない!いないよ!沈んじゃったのかな!?うわぁ、うわぁ!」


辺りを見回しても彼女は何処にもいなかった。

そして、今日は風が強い為か波も荒れている。

もうすでに沈んでしまったのか?


「あぁぁっ!」


自分の不快なさと歯痒さで両手で頭を抱えながらその場で悶えていると、ふと自分の足元からあまり離れていない所に人影が見えた。

その少女は海に体を半分沈めた状態で辛うじて浮かんでいたのだった。

先入観からか、時間が経っていたからもうとっくに流されていたかと思って全然足元にいるとかは考えてはいなかった。


「良かったっ!」


そう思ったのも束の間で少女の体は波に弄ばれながらすでに海の中に沈みかけていた。



ーーーーー!!


次の瞬間、自分でも驚いたが無意識に海の中へと飛び込んでいた。

それからどうやって助けるとか、先に大声で人を呼ぶとか全く考えもしないで海にダイブしていた。



…ゴォポポポ…ゴォポポ…


海に入るのは久しぶりだった。と言うより泳ぐ事事態が久しぶりだ。

意外にも海の中は冷たいとかの感覚はなく、とにかく今は、目の前にいる少女を助けなければという使命みたいなもので頭が一杯だった。


少女に近寄って沈みかけていた彼女の腕を掴んで水面から引き上げてからそのまま少女を脇に抱え、何でもいい、何かに捕まれる様な所までジタバタしながらも何とか泳いでいた。


…くそっ!思っていたよりも服が水を含んで動き辛いし波が邪魔する!


…あ!

あそこに上に登れる取手がある!

なんとかあそこまで!あそこまで行けばきっと…

…きっと助ける事が…できる!


波に揉まれながらも力を振り絞ってなんとか波止場の壁に設置された取手の所まで近付いた。…が、しかし自分の体が冷えてきた為か、徐々に思うように体が動かなくなってきた。


…あれ?

…クソッ!…体が…鈍い…。上手く動かな…い…。

…あと、もう少し…なのに…


…とその時!

「おい!大丈夫かー!」

と数人の男性が助けにきてくれた。


良かっ…た!!…気付いて…くれた…んだ…


そしてその男性の一人が持っていたロープを投げ入れてくれた。

冷え切った手で何とか少女の体をそのロープで縛り 、そして引き上げてもらう。

男性達が俺の合図と共にロープを引っ張り少女が段々と上に引き上げられていく。


…よかった…これでもう…大丈夫だ…


少女が助けられたのを確認したら、安心したのか途端に力が抜けてしまった。


……あ…れ?…力が…入らな…い…


身体全体がかじかんでもう泳ぐ事さえままならなくなっていた。海水もたくさん飲んで、息を吸うのもやっとだ…


ロープが目の前に降ろされたが、その時にはもう握るどころかそのロープに触る力すらなかった…。




やがて海に沈みながら自分の死が間も無く訪れることを、暗い海の中で太陽の光でキラキラ光る水面を見ながらぼんやりと考えていた。

でも薄れゆく意識の中で少女を助けられた事だけが満足だった。


…よかっ……た……


そして、深く暗い海と意識の闇に包まれながら何処ぞと知れぬ場所へと…落ちていった……。

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