渡辺くん
「東京から引っ越してきました、春咲あいです。よろしくおねがいします」
お辞儀をして、顔を上げると教室がとても広く感じられる。
たくさんの目がこちらを見ているのに、誰と目を合わすわけでもなく見回す。
指示された窓際の一番後ろの席につくと、肩の力が抜けた。
一時間目の授業は理科らしい。
朝礼をしていた担任と入れ替わるように銀縁のメガネをかけた男の先生が出てきた。
鞄から教科書を取り出す。
「では、72ページからですね……まず復習として右下の練習問題3番を解いてみましょう」
えぇと、72……72……あった。
おかしい、練習問題なんかない。
焦って隣を見れば退屈そうに肩肘をついて教科書に目を落としている男子生徒がいる。
そしてその教科書は、わたしのそれと違っていた。
「見る?」
「えっ?」
突然話しかけられて、わたしは戸惑ってしまった。
「教科書」
「いいの?」
こくんとその人はうなずくと机を寄せた。
ちらりと見えた胸の名札には、渡辺と書かれている。
真ん中に教科書を置いて、わたしたちはそれを覗き込んだ。
問題を解き終わって横をみると何か熱心に教科書に書き込んでいる。
先生の話を聞きながらノートをとっていると、ふいに右腕をつつかれた。
見ると、教科書を指している。
そこにはコミカルなトンボの絵が描いてあり、その下に理科の先生と書いてあった。
似てるね!
わたしはノートの隅に思ったままを書いて、見せた。
渡辺くんは微笑むと、今度は自分のノートに何やらかき始めた。
再び右腕をつつかれたのはだいぶ後で、見ると穏やかな顔をしたネコが描いてあった。
下には……春咲さん……わたし?
驚いて渡辺くんの顔を見たのと、チャイムが鳴ったのはほぼ同時だった。
「これって……」
「春咲さん、似てるでしょ?」
そう言うと、渡辺くんは笑った。
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