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青臨む墓にて -blue,blue,blue-

作者: 神楽きさら
掲載日:2026/05/08

 駅のホーム。

 六両編成の各駅停車の停車位置を示すパネル。

 踏まれ続けてもう字は読めなくなっている。

 コンクリートのホームに、まばらに立つ人。

 リュックを背負ったサラリーマン。

 小さな男の子を連れた主婦。

 スマホをいじる女子高生。学校はどうした、高校はまだ授業中だぞ。

 得体の知れない汚れがついているベンチには、小さな帽子を被ったおばさんが座っていて、自分と大きなビニール袋とで、席を二つ占領している。

 汚くて私は座る気にならないから、別に良いのだけれど。

 毎日、少しずつ風が涼しくなっていく。やっと過ごしやすい気温になってきて、薄手の上着を羽織る日も増えてきた。

 秋の空は高く、雲一つない。

 一切が青。

 私の好きな色。――好きだった色。

 いつだったか、彼は、私と彼の好みが似ていると言った。

 私は似ていないと思うと反論した。

 だって、空の青と海の青は全然違う。

 電車が来た。十三時二十四分発の各駅停車。

 前から二両目、二番目のドア。

 このドアなら、目的の駅に着いたときにすぐに階段を上れる。

 別に急いでいるわけではないのだけど、彼がいつもそうしていたから、いつの間にか私までそうするようになってしまった。

 八両編成の急行では終着駅まで行ってくれない。

 だから各駅停車を使う。

 近くの空いている席に座ると、目的の駅に着くまでの間は暇を持て余す。

 持ち歩いている文庫本を読もうか。それとも、課題のレポートの下書きをしておこうかな。

 主婦に連れられた男の子が窓にへばりついて、キラキラした瞳で外の景色を眺めている。あ、偉い。ちゃんと靴を脱いで椅子に乗っている。

 たまには私も景色を見るのも悪くないかもしれない。

 景色なんか見飽きるぐらい何度も乗った路線だけど、そういえば、一人で乗るようになってからは外を眺めることはなかったかもしれない。

 鞄の中のおみやげのクッキーの箱を開け、一つだけ取り出して、かじった。

 甘くて美味しいけど、口の中がもそもそするんだよな。

 私は一つのクッキーをちょっとずつかじりながら、窓の外に目をやった。

 ガタンゴトンと規則正しい音を立てながら走る電車。

 少しずつ寂しくなっていく景色。

 主婦と男の子もいつの間にか下車していた。

 十一個の駅を通り過ぎて、電車は長いトンネルに入った。

 窓の外が黒一色に染められる。

 このトンネルを抜ければ、終着駅だ。


 ■    □    ■    □


 終業を告げるチャイムが鳴り、講義が終わった。

 どうして大学のチャイムは「キーンコーン……♪」というやつじゃないのだろう。ウチの大学だけなのだろうか、この「ビー」というブザーみたいな味気ないチャイムは。他の大学なんか行ったことがないから分からない。

 とにかく、午前のコマが全て終わった。ついでに、私の本日の講義も全て終わりだ。

「ご飯食べに行くでしょう?」

 隣の席の美咲が教科書やノートを鞄にしまいながら問うてきた。

「うん」

 私も支度を終え、二人で教室を出た。

 第一教室棟──通称南棟を出て、学食へと向かう。構内には学食が三か所あるが、私たちがいつも利用するのは北西の端にある一番古い学食だ。建物は汚いけれど、メニュー数が豊富で、なにより安い。

「香音は午後の講義ないよね。バイト?」

「ううん。今日は二十五日だから」

「ああ、そっか。正樹くんのところへ行く日か」

 学食は二階建てだ。そして何故か入り口は二階にあり、階段を上って入る構造になっている。

 その階段の下で大輔が待っていた。

「おーい、美咲ー!」

 私たちの姿を見つけた大輔は周囲の目も気にせずブンブンと手を振った。

 チラリと横目で美咲を見ると、げんなりとした表情でため息を吐いていた。

「恥ずかしいヤツ……」

 美咲は足早に大輔に駆け寄った。

「美咲ー! 昼飯……痛ててて!」

 まだブンブンやっていた大輔の腕を取ると、有無を言わさず捻りあげた。

「早く中へ入れ! 恥ずかしい」

「痛たた! 痛いって美咲!」

「うっさい!」

 大輔の腕を捻ったまま美咲は階段を上っていった。

 すれ違う人たちが二人に生温かい視線を向けている。みんなが何を考えているか分かるぞ。毎日よくやるなあ、と思っているに違いない。

 この大学でも二人の夫婦漫才の知名度が上がってきたんだなあと妙に感慨深くなりながら、私も二人の後を追った。

 今日も学食は盛況で、注文の列には既に結構な人数が並んでいる。

「芳乃たちは?」

 私は大輔に尋ねた。

「先に行って席取ってんよ」

 じゃあ急がないと。

 三人連なって列に並び、流されるようにして今日の昼ご飯を獲得した。

 私はカルボナーラ。

 大輔はうどんセット(ミニ牛丼付き)と豚汁、焼き魚に小鉢が二つ。相変わらずよく食べるなぁ。

 超辛党の美咲は唐辛子コロッケ定食。最近、新しくメニューに並んだ品だ。このコロッケ、学食のオリジナルなのかな? ほかで売っているのを見たことないけど。

 学生でごった返す座席の中から芳乃と昭実が座っている席を三人で捜す。

「ああ、いたいた」

 一番背の高い大輔がすぐに見つけた。

 芳乃と昭実くんが取っておいてくれた席は六人掛けのテーブルだった。

「おはよ」

「おう」

 芳乃と昭実くんは向かい合って座っていた。

「おはよう」

「うっす」

「おはよー」

 私たちも思い思いに挨拶をしながら席についた。

 美咲と大輔が向かい合って座り、私は一人で座る。

 私の前の空いている席に全員分の荷物を無理やり置いた。

 六人掛けのテーブルに座るときは、いつしかみんなでそうするようになった。少しだけ広くなってしまった隙間を埋めるみたいに。

「先に食べてるぞ」

「うん、全然構わないよ」

 和食好きの芳乃が今日は珍しくミートソースパスタを食べている。

 可愛らしい名前に似合わず体格の大きい昭実くんは、大きい体格に似合わず小食で、今日は味噌ラーメン。あ、また箸の持ち方が変だ。

 学食の喧騒に私たちも混ざった。

 しばらくは食器のぶつかり合う音だけが続く。

「芳乃。なんか疲れてねえ?」

 大輔が斜向かいに座る芳乃の顔を覗き込んだ。言われてみれば顔色が少し悪い。昔から大輔はこういうところによく気がつく。本当に感心してしまう。

「遅くまでレポート書いてたんだってさ」

 むっつりしている芳乃の代わりに昭実くんが答えた。

「犯罪社会学だっけ? レポートが多い代わりにテストがないんだよね?」

 美咲が尋ねた。

「あれは絶対に教授がテスト問題を考えたくないからレポートだけにしてるだけだね。講義だってテキストをほとんどそのまま読んでるだけだし」

 よほど鬱憤が溜まっているのか、珍しく芳乃の愚痴が止まらない。

「社会学部ってレポート多いよね。私、パソコン苦手だから、そんなに書かされたら嫌になっちゃいそう」

 大学に入るまでパソコンなんて数えるほどしか触ったことがなかった。今でもキーを確かめながらでなければキーボードで字が打てない。芳乃と同じくらいレポートを作らされたら腱鞘炎になってしまいそうだ。

「そういや、今日って、正樹のトコに行くんだよな?」

 昭実くんが私に尋ねた。

 すっ――と空気が止まった。しかし、それもほんのわずかのこと。五人の視線が一瞬だけ空席に集まって、すぐに解けた。

「うん、この後に行くよ」

「大学に入ったらあいつと飲む約束してたのを昨日、急に思い出してさ。遅くなったけど、今度、何か持ってくからって伝えておいてくれ」

「分かった。言っとく」

「おっ、そういうことなら、俺も混ぜろよ」

 大輔が体を乗り出した。あれ? でも、大輔って。

「よしなさいよ。飲めないくせに」

 やっぱり。私の記憶どおりのことを美咲が指摘した。

「言ってくれるな、美咲。男は友情のために、ときには困難に立ち向かわなければならないときがあるんだ」

「何言ってんだか」

 美咲は怒りに任せてコロッケの付け合わせのキャベツにソースをどばどばとかけた。

「大輔、暑苦しい」あ、いけない。つい本音が。

 芳乃が吹き出した。当然の反応だと思うのだけど、大輔の昭実くんも心外だという表情をしている。そういえば、正樹くんもたまに似たようなことを言っていたし、男って本当にこういうノリが好きなのかもしれない。

「二日酔いでゲロゲロになったって面倒見てやんないからね」

 美咲はコロッケを一息に半分くらい口に入れた。

「うわぁ。美咲、何その真っ赤なコロッケ?」

 芳乃はコロッケの断面を目にして目を丸くした。じゃがいもに刻み唐辛子と一味唐辛子が練り込んであるので赤いのだ。

「唐辛子コロッケだけど……食べてみる?」

 美咲は半分になったコロッケを芳乃のミートソースパスタの皿に乗せた。

「よ、芳乃、やめたほうがいいと思うよ……」

 被害者の一人である私は芳乃を止めようとする。ああ、悪夢が蘇ってくる。

「私辛いの平気だから」

「そんな生半可なものじゃ……」

 ぱくっ

 ああっ、食べた!

 二度ほど咀嚼して、芳乃の動きが止まった。

 新たな被害者が生まれました。

 合掌。


 ■    □    ■    □


「ふふっ」

 昼間の一件を思い出し、自然と笑いが口から漏れた。

 あんなに慌てふためく芳乃を見たのは、長い付き合いの中で初めてだ。

 そんな芳乃を甲斐甲斐しく看護する昭実くんを見たのも初めてだ。

 追憶はトンネルの暗闇と共に終わった。

 再び日の光に晒される車内。

 私のほかに乗客はいない。

 静かだ。埃が舞う音すら聞こえる気がする。

 窓から海が見える。

 風はほとんどなく、海は凪いでいる。白い波濤の姿は見えず、どこまでも、どこまでも、青。

 ほら、やっぱり。

 空の青と海の青は全然違うじゃないか。

 なんとなく、本当になんとなくだけど、隣に誰も座っていないことを不思議に感じた。

 一人で過ごすことなんて、もうすっかり当たり前になったというのに。

 沿線に木々が増えてきた。

 線路と並走する細い道路には、ほとんど車が走っていない。

 道路は小高い丘に続いている。

 その先に瓦屋根の大きな建物が見える。

 まもなく電車は終着駅に停車した。

 ホームに降りると、空気の中に潮の香りが含まれているのが分かる。

 木製の駅舎は潮風に当たり続けたせいで変色してしまっている。

 とても小さな駅だから駅員はいない。

 自動改札機を抜けて、駅を出て、無人のタクシープールを横切った。

 閑散とした道路を歩く。

 道がだんだんと上り坂になっていく。

 目指す場所は、さっき電車内から瓦屋根の建物。

 お寺だ。

 門をくぐり、参道を通って、本堂を素通りして裏手に回った。手入れの行き届いた花壇の間をすり抜けて、防風林に覆われた細い道に入る。日が遮られ、薄暗くなった。


 こんなところに何があるの? っていうか、勝手に入っていいの?

 うちのお墓があるんだから大丈夫。それに、ここの坊さんは僕が子どものときからの付き合いなんだ。見つかったって平気だよ。


 初めて来たときに、そんな会話をした。

 いくら景色がいいからって、まさかお墓に連れてこられるなんて思いもしなかったな。

 防風林を抜けた先、緩い勾配を登った先、そこが墓地。

 お寺の檀家さんのお墓が二十基ほどあるだけの小さな墓地だ。

「お待たせ。今日も来たよ」

 墓石に――正樹くんに向かって挨拶した。

「はい、おみやげ」

 クッキーを箱ごと墓前に供えた。

「昭実くんが、飲もうって約束してたのを思い出したから、今度、何か持ってくるって。大輔も一緒に」

 返事はない。当たり前だけど。

 何も語らず、何も口にせず、彼はただひたすら海を眺めて過ごしている。

 ここは海沿いの小高い丘の上のお寺の裏手の墓地。

 ここからは海が見える。海しか見えないと言ったほうが正しいかも。

 彼は海の青が好きだった。

 海そのものではなく、遠くから見たときも海の青さが好きだった。

 私が空の青が好きだというと、彼は好みが似ていると言った。

 私は似ていないと思うと反論した。

 その話をしたのは、いつだったっけ。


 すごいでしょ。見渡す限り海。最高の景色なんだよ。

 いつか死んだら、毎日ここから海を眺めて過ごすんだ。

 いい死に方だと思わない?


 だからって、そんなに早く死んじゃうことないのに。

 用具置き場から布と水を持ってきて、墓石を拭いた。

 正樹くんの両親は事情があって遠方に住んでいるので、お墓の管理がなかなか出来ない状態にある。

 だから私が月に一度、月命日の日に、こうやってお参りに来ている。

 美咲も大輔も芳乃も昭実くんも、私ほどの頻度ではないけど、たまにお参りに来る。

 私と正樹くんを含めた六人。中学時代からの付き合いだ。

 みんなで同じ大学に行こうと約束をしていた。

 でも高校三年の春。彼は交通事故であっさりと逝ってしまった。

 信号のない横断歩道を渡っているときだったらしい。

 スピード違反の車に。

 思ったよりもずっとあっけなく人っていなくなってしまうのだと、そのとき初めて知った。

 おみやげのクッキーをもう一枚いただいた。食べ物をお供えしたままにはしておけないので、どうせ持って帰って私のおやつにするものなのだから、何枚食べたっていいのだ。


 お腹減らない? 香音。

 あ、私、クッキー持ってるよ。もらいものだけど。

 なんか、このクッキー、口の中がもそもそする。

 嫌い?

 ううん、好き。


 私は、たぶん彼のことが好きだったと思う。

「たぶん」というぐらいあやふやな気持ち。

 近くにいることが当たり前すぎて、確かめようとも思わなかった気持ち。

 確かめたくとも確かめられない。

 だけど。

 私は隣に誰も座っていないことを不思議に思う。

 それで十分な気もする。

 海が見える。

 風は穏やかで、並みの一つもない。

 空にも雲の一つもなく。

 私の好きな青。

 彼の好きな青。

 二つの青は、地平線の彼方で重なり合う。しかし、決して溶け合うことはない。

 これから先もずっと。

 でも、景色の一切は青。

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