5:異世界で仕事探し
俺は慎重に市場の喧騒の中へ足を踏み入れる。
まるで野良犬に襲われたばかりの人間みたいに、葉ずれの音や突然の足音にビクッとする。
通りすがりの誰か、チラッと視線が合うだけで、体が勝手に緊張する。
肩が少し上がって、目はキョロキョロ止まらない。
周りは普通の服の人たち——粗いリネンのチュニック、シンプルなウールマント、擦り切れた革ブーツ——が行き交ってる。
異国のスパイスの辛くて温かい匂いと、煙る焼肉の香り、甘ったるくて少しツンとする熟れすぎたトロピカルフルーツみたいな果物の匂いが、容赦なく鼻を突く。
商人たちがガラガラ声で叫んでる。「活力回復のポーション! 銀貨5枚だけだぞ! ダンジョン帰りの冒険者にピッタリ!」
子供たちがキャッキャと追いかけっこで走り回ってる。
俺、ぎこちなく笑う。
唇を無理やり引き上げてるけど、まるでスーパーグルーで貼り付けた仮面みたい。
顔の筋肉が固まって、自然じゃない。
「……しょうがないよな。今は仕事を探さないと……」
独り言を小さく呟きながら、青すぎる空を見上げる。
金なし、住む場所なし、何もない。
黒い服は汗と朝からの道の埃でベタベタ。
ジャケットの内ポケットのスマホは電波ゼロ、バテリー97%——夜になったらライト代わりにはなるけど、それだけ。
ここは本物の異世界。
まず生き延びる方法を探さないと、帰ることを考える前に飢えか疲労で死ぬ。
俺は歩き回る。
「求人」の板とか、似たようなもの——粗い木の看板に殴り書き、ボロいポスターが柱に貼ってあるやつ、または大声で人を呼んでる奴を探す。
市場は思ったより広い。細い路地があちこちに分かれて、屋台や押し車がいっぱい。
最初に見つけたのは小さなカフェ。
木の看板に『Café Lumière』って書いてある。
ドアが開いてるだけで、濃いブラックコーヒーとオーブンから出したてのパンの匂いがむわっと来る。
腹がグゥって鳴る——ビニール袋の中のインスタントラーメン、まだ食べてない。
俺、入って、レジの向こうの店員に無理やり笑顔作って。
「すみません……仕事を探してて。ウェイターでも何でもいいんですけど——」
言い終わる前に、店員——短い茶髪の女の子、白いエプロン——が俺を上から下までジロジロ。
黒ジャケットに青ライン、黒T、黒パンツ、トレッキングシューズ……明らかにこの世界の服じゃない。
表情が一瞬で親切から疑いの目に変わる。
「断る」
一言だけ。冷たく、直球。
説明なし。
俺、ポカンとして口半開き。
……それからゆっくり頷いて、一歩下がる。
「……わかりました。お邪魔しました」
軽く頰を叩かれた気分で外へ。
二軒目:魔法道具屋。
ショーケースに青と緑に光るクリスタル、勝手に沸騰してる色とりどりの液体瓶、甘いキャンディーと硫黄が混ざった匂い。
俺、口を開いて自己紹介しようとした瞬間、手で袋を隠すように持ち直して。
「すみません、僕——」
店主——青いローブの爺さん、龍の頭が彫られた杖持って——俺が言い終わる前に首を振る。
分厚い丸メガネの奥の目が即拒否。
「魔法使いじゃない。無理だ。出ていけ」
名前すら言ってないのに。
一生懸命働けるとか、何も言ってないのに。
まるで迷惑者扱い。
三軒目:古びた木の看板に『Inn of the Wandering Moon』って書いてある宿屋。
入口のランタンが暖かい黄色い光を灯してて、温かいスープと少し古いパンの匂いがする。
俺、ウェイターでも何でも——部屋掃除、食事運び、皿洗い、重い荷物運び、人間ができることなら何でも。
宿の女将——赤い髪を高いポニーテールにした中年の女性——が俺を妙な目で見る。
同情と疑いが混ざった表情。
「人間? ここは? 無理よ。私たちは獣人種しか雇わないの。ごめんなさいね」
……マジかよ。めんどくせえ。
まるで俺の世界の差別国家みたいだけど、レベルが違う——獣人種? ビーストキンかデミヒューマン?
頭がぐるぐる:この村では純粋な人間が下に見られるのか? それともこの宿だけ?
とにかく、また即却下。
俺、しばらく諦める。
体が重い。
足は市場をウロウロしたせいで棒みたい。
頭は連続拒否で疲れてる。
俺、さっきの宿の脇の道端に座り込む。
背中を粗い木の壁に預けて、木のささくれが服に刺さるのも無視。
太陽はもう真上——熱い。
背中に汗が流れる。
俺、深く長く息を吐く。
とても長い、疲れた息。
「……仕事探しって、こんなに大変なのかよ……」
目がしょぼしょぼ。
まぶたが重い。
足元の埃っぽい地面を見つめて、頭が遠くへ飛ぶ——母さんが台所で材料待ってる家、父さんがTVつけながらブラックコーヒー飲んでる家、小さな部屋に積まれたラノベとアニメフィギュアの家。
あ、そうだ。
さっき商人たちの会話で聞いたけど、ここはトナ村ってところで、言語は「ジホン語」だって。
なんでか知らないけど、俺、ジホン語を完全に理解できる——頭が自動翻訳してるみたいで、看板の文字も勝手に読める。
ジホンって、日本語の「地本」か何か? 外で言う「Nihon」じゃなくて「Jihon」みたいな……いや、俺の勝手な理論だ。
なんで俺がこんなところに……
突然、影が俺にかかる。
さっきまで眩しかった太陽が、ぴたりと遮られる。
誰かが真正面に立ってる。
俺、ゆっくり顔を上げる。
目を細めて、急にまた眩しくなる。
男は背が高い。俺より少し上、180cmくらい。
黒髪短めで、少し乱れてるけど清潔。
目は黄色く燃えてる——普通の黄色じゃなくて、瞳の中に小さな炎が灯ってるみたいに、瞬きするたびに淡く光る。
姿勢はリラックス、手を黒いゆったりパンツのポケットに突っ込んで、肩の力抜けてる。
彼は優しく微笑む。
でもその笑み……ちょっとミステリアス。
知ってることを全部見透かしてるけど、わざと隠してるみたいな。
「よぉ……そんな暗い顔してどうしたんだ、坊主?」
声は低くて落ち着いてるけど、温かみがあって重みがある——気さくなおっさんみたいなトーン。
俺、ビクッとして慌てて立ち上がる。
体をピンと伸ばして、知らない人に礼儀正しく。
「あ、いえ……仕事が全然見つからなくて。断られまくって……」
正直に答える。
声が疲れてて、少し掠れてる。喉が渇いてる。
男は俺をじっと見る。
黄色い目が、下から上までゆっくり俺をスキャン——商品を値踏みするみたいだけど、失礼じゃない。
手が顎に上がって、ゆっくり考える仕草。
それからまた笑って、今度はもっと広く。白い歯が少し見える。
「じゃあ、俺のところで働かないか?」
唐突すぎる提案。
ストレート。
もう決まってるみたいな感じ。
俺の目がカッと見開く。
信じられないって顔で、口半開き。
「本当ですか!?」
声が高くなる。
子供が誕生日プレゼントもらったみたい。
彼はゆっくり頷く。
まだ笑ってる。
俺、胸のつかえがスッと抜ける。
重かった胸が軽くなる。
よかった……今日の最悪な日にも、少し希望が。
男は右手を差し出す。
掌を大きく開いて。
「じゃあ、名前は?」
俺、ゴクリと唾を飲む。
本名……正 秀夫……だけど、さっきの件で……
安全のために、あの名前で。
俺、手を伸ばして握る。
相手の手は温かくて、ゴツゴツしてる——普段から体使う仕事してる手。
「……マキウズブラーノです」
少し迷ったけど、最後ははっきり。
彼は俺の手を強く握る——痛くないけど、しっかりした握力。
慣れてる感じ。
「俺はニコラス・エドガーだ。よろしくな」
一度強く振って、離す。
俺、小さく笑う——今度はぎこちないんじゃなくて、少し本物の笑み。
唇が自然に上がる。
「はい……よろしくお願いします」
ニコラス・エドガーはただ頷いて、黄色く光る目が一瞬瞬きする——
優しい笑みの裏に、何か隠してるような……まだ言わない何か。
「よし。ついてこい。俺のところ、すぐそこだ」
彼はくるっと背を向けて歩き出す。
足取りはのんびりだけど、確か。
俺、後ろについてく。
まだ少し足が震えるけど、さっきより軽い。
左手のビニール袋が揺れて、カサカサ鳴る。
どんな仕事かわからない——荷物運びか、変な店の店員か。
でも少なくとも……
この世界に落ちて初めて、完全に一人じゃないって思えた。
それだけで……今日のところは十分だ。




