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異世界に落ちてしまった俺  作者: いしぐろ かつみ


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3/5

3:善意は仇となり、死に至る

ゆっくりと村の中心へ足を進める。

左手にはまだ二つのビニール袋がぶら下がったまま——さっきのポータルから落ちたはずなのに、なぜか中身は無事。

歩くたびにカサカサ、クシャ……小さな音が鳴る。それが、この世界のざわめきの中で妙に浮いてる。

周りの人々が話す言葉——本来なら完全に異国語のはずなのに、なぜか意味が頭にスッと入ってくる。

頭の中はまだぐちゃぐちゃだ。

異世界に来れた興奮、心臓をバクバクさせる恐怖、頭がクラクラする混乱……全部が混ざってる。

でも、この世界は夢みたいにぼやけない。

雨上がりの湿った土の匂い、どこかの家から漂う焼きたてパンの香り、遠くで子供の笑い声——全部が細かすぎる。

夢なら、とっくに醒めてるはずだ。


俺は平静を装う。

視線をキョロキョロ。

村の小さな市場は賑やかだけど、混みすぎてない。

商人たちが大声で呼び込みしてる——真っ赤でツヤツヤのリンゴ、色とりどりのウール布、淡く光るガラス瓶入りの薬。

人々がチラチラこっちを見る。

まあ、そりゃそうだ。

黒ジャケットに青ライン、黒Tシャツ、黒パンツ、トレッキングシューズ、二つのスーパー袋……完全に浮いてる。

まるで長く寝て起きたばかりの変な奴みたい。


市場のど真ん中で、視界の端に狭い路地が入った。

藁葺き屋根の家の脇、薄暗い石畳の隙間。

そこに、小さな子供——十か十一くらいの男の子——が、二人の若者に引きずられてる。

二人ともくたびれた灰色シャツに薄緑のボロベスト。一人は長ズボン、もう一人は短パンで、どちらも擦り切れた革ブーツ。

子供は必死でもがいてる。小さな手が相手の腕をバシバシ叩くけど、力の差は明らか。

顔は真っ青、鼻水垂らして泣きそうだけど、まだ我慢してる。


……どう見ても、ゆすりだ。


俺は知ってる。

今は慎重になるべきだ。

武器なし、スキルなし、何もない。

持ってるのは調味料とインスタント食品と菓子と、電波ゼロのスマホだけ。

この村の名前すら知らない。ルールもわからない。

ゲームみたいにステータス画面が出るならまだしも、今はゼロ。空っぽ。


なのに——


なんで俺にチート能力が来ないんだよ!


でも……こんな小さな子供を見捨てられない。

異世界の主人公みたいに、ヒーローにならなきゃ。

俺はそっと近づいて、近くの石壁の陰に隠れる。

壁は湿ってて苔臭い。

隙間から覗く。

心臓が今度はドクドクじゃなくて、バクバク鳴ってる——興奮じゃなく、恐怖とアドレナリンの混ざったやつ。


背の高い方——髪がボサボサで櫛なんて通してなさそうな奴——が、子供の襟首をぎゅっと掴んでる。

指は汚れてて、爪が伸び放題。


「おいガキ、金出せよ!」


声は荒々しくて、脅し丸出し。

でも、どこか普通の不良っぽいトーンだ。


子供は首をブンブン振る。体がガタガタ震えてる。

目がうるうるしてるけど、まだ諦めてない。小さな声で、でもはっきり。


「いやだ! 出さない!」


今度は背の低い方——体はガッチリしてて、素人筋トレ臭い奴——が顔を近づけてニヤニヤ。


「おいおいおい、ガキ……早く出せよ。後悔するぞ?」


もう、考える間もなく——本当に頭真っ白——俺は影から飛び出した。


「やめろ!」


声が予想以上にデカく響く。

狭い路地に反響して、二人ともビクッと振り向く。

子供もこっちを見る。目が丸くなる。


背の高い方が俺を上から下まで舐めるように見る。

埃まみれの黒ジャケット、黒T、黒パンツ、二つのスーパー袋、変なシューズ……

完全に怪しい外人だ。


「てめえ、誰だよ! 変な奴!」


俺は無理やり自信ありげに笑う——内心パニックなのに。

頭に浮かんだ最初の言葉をそのまま口にする。


「俺の名は……マキウズブラーノ!」


……ゲームのハンドルネーム。

なんでこんな時にそれ出すんだよ……超恥ずかしい。

完全に中二病発動。

ランク高い時だけカッコいい名前が、現実じゃただの痛いやつ。


二人は顔を見合わせて……クスクス笑う。

嘲笑だ。完全にバカにしてる。


「マキ……なんだって? ハハ、こいつ頭おかしいんじゃね?」


背の高い方が一歩踏み込んで、右拳を振り上げる。

動きは速いけど、単純。素人喧嘩の典型。


「てめえみたいな変な奴が!」


反射。


左手が袋を離す——カサッと地面に落ちるけど、中身はこぼれない——

右手で相手の右手首をガッチリ掴む。

パンチの衝撃が掌にズンッと来て痛い。でも離さない。

アドレナリンがどこからか力を出してる。


そして右手が……勝手に動いた。


まっすぐ、こめかみにストレート。


家で毎日やってたシャドーボクシングの成果。

相手は一瞬で崩れ落ちて、頭抱えてうめく。「うっ……」


今度は背の低い方が突っ込んでくる。

右のフック、結構重そう。


俺は左にステップ——狭い部屋で練習したサイドステップ、机にぶつからないように——

腹に拳を叩き込む。

相手はグッと折れて、両手で腹押さえて息が詰まる。

その隙に、思い切り頭に蹴り。

少し強すぎたかも。

ブーツが固く当たって、相手は転がって倒れる。


俺は息を荒げて立ってる。

胸が激しく上下する。

背中に冷や汗が流れる。


「これが……俺の自宅トレの成果だ!」


……言っちゃった。

超ダサい。なんでこんな恥ずかしいセリフが出るんだよ。

頭がまだ正常に働いてない。


すぐ子供の方に振り向いて、しゃがむ。

彼はまだ路地の隅で震えてるけど、目がキラキラ。

まるで物語のヒーローを見るみたいに。


「大丈夫か?」


小さく頷く。声はかすか。


「うん……ありがとう、お兄ちゃん」


突然、子供が飛びついてきて、俺の胸にぎゅっと抱きつく。

温かさが伝わってくる。

胸が……締め付けられる。

痛いんじゃなくて、なんか……嬉しいような、ホッとするような。

俺もそっと抱き返して、背中をポンポン叩く。

髪から草と土の匂いがする。


でも——


突然、胸の真ん中に、灼けるような激痛が走った。


心臓のあたりを、熱い鉄で刺されたみたい。


見下ろす。


小さな折りたたみナイフ——木の柄の粗末なやつ——が、俺の左胸に深く刺さってる。

血がじわじわ染み出して、黒いTシャツを暗く濡らす。

赤と黒のコントラストが、妙に鮮やか。


俺はよろめいて、地面に崩れ落ちる。

体が勝手にのたうち回る。


「痛っ! 痛い!! 痛い!!!」


叫ぶ。

自分の声が遠くに聞こえる。


子供が……笑ってる。

さっきの怯えた顔じゃない。

冷たい、満足げな笑み。

目が鋭くて、獲物を仕留めた獣みたい。


「アホだな。ちょろすぎ」


二人の若者もゆっくり立ち上がる。

大した傷じゃない——全部演技だった。

動きがのんびり。まるで芝居が終わった役者みたい。


……罠か。


まだ胸を押さえてる。

指の間から温かい血がどくどく溢れる。

息が浅い。短い。


「痛い……痛いよ……マジで痛い……」


叫ぶけど、声が弱くなる。


なんで……

俺はただ助けたかっただけなのに。

通りすがりの普通の奴なのに。


なんでこんなことに……

まだ生きたい。

家に帰って、母さんと父さんと夕飯食って——味噌汁の温かさ、白米、卵焼きかも——

ゲームやって朝まで起きて、寝て、明日またあの退屈だけど安全な日常を繰り返したい。


目が霞む。

色が薄れて、音が遠くなる。


さっきまで冒険みたいだった世界が、今はただの悪夢。

リアルすぎる悪夢。


体が重くなる。

意識が薄れていく。


最後の瞬間、俺は思う。


……もしこれが終わりなら、

せめて……一瞬だけでも、ヒーローになれたよな?

たとえ……超アホなヒーローだったとしても。


視界が完全に暗くなる。

痛みだけが、残る。


……そして、闇が全部を飲み込んだ。

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