2:突然、予想外に異世界へ落ちる
二つのビニール袋が左手でぶら下がってる。
重さはそこそこ。内容物がごちゃ混ぜだから、袋が少し伸びて、軽く揺らすたびに『カサカサ』『クシャクシャ』って音がする。
片方の袋には日本らしい調味料——味噌の匂いが袋開けた瞬間からむわっと漂う味噌ペースト、小瓶の醤油、蓋にべっとり付いたみりん、かりかりの乾燥海苔、母さんが週末の味噌汁に使うだしのインスタントパック。
干し魚の出汁の匂いが薄く混じって、昼に学校で食ったパンなのに腹が少し鳴る。
もう片方の袋は……インスタント食品とお菓子、俺の好物詰め合わせ。
超激辛醤油カップ麺、ツナマヨおにぎり二個、のり塩ポテチ、ストロベリー味のポッキー、さらには冷えたブラック缶コーヒーまで。
母さん、わざと入れてくれたんだろうな……夜の宿題で眠くならないように。
……ほんと、優しいよな。こんな小さな買い物でさえ、愛情感じる。
俺、ひとりでに小さく笑ったけど、すぐに消えた。だって今、暗い道で一人だもん。
スマホをジャケットの内ポケットから引っ張り出して、時間を確認。
画面がぱっと光る:19:00ジャスト。
青白い光が、夕暮れに慣れた目に直撃して眩しい。
もう七時か。
コンビニで時間かかりすぎた。母さんの頼んだ材料、店によって在庫バラバラで。
一軒目でみりん切れ、二軒目で海苔の棚ガラ空き。結局二軒回ってやっと揃った。
マジで疲れた……足が棒みたい。早く帰って、温かい風呂入って、夕飯食って、すぐゴロ寝。ゲーム起動して……って思ってたのに。
まあ、いつものルーティンだよな。
ふう……と長く息を吐く。胸に重く溜まる感じ。
夜の空気が冷たくなってきて、吐く息が白い。
スマホをまたポケットにしまう——落とさないように気をつけて。
袋の持ち直し、破れないよう指に力を入れて、また歩き出す。
左、右、左、右。普通の歩き方。
右足を一歩、踏み出した。
……でも。
なんか、足が……
踏んだ先が、
——空っぽ。
地面がない。アスファルトがない。ただの空気。
心臓が一瞬で喉まで跳ね上がる。俺、慌てて下を見る。目を見開く。
足の下——ちょうど踏むはずの場所に、
暗い紫がかった黒い渦。真っ黒な穴がゆっくり回ってる。
縁が水面みたいに揺らゆら波打ってるけど、色が不自然。
……アニメでよく見る、あの異世界転移のポータル。
主人公がトラックに轢かれたり、神に呼ばれたりして落ちるやつ。
でもこれ? 普通の歩道で? 派手な効果音もなし、かっこいい『シュワァン!』もなし?
「え——!?」
振り向く間もなく、叫ぶ間もなく、袋を離す間もなく——
体が完全に支えを失う。
落ちた。
中へ。
一瞬で視界が真っ暗になって、紫、黒、白——色がぐるぐる渦巻いて、生きてる絵の具みたいに混ざる。
まるで巨大な洗濯機に放り込まれたみたい。でも振動はない。
体がゆっくり回転するのに……不思議と痛くない。ただ、寒い。めちゃくちゃ寒い。
顔に風がビュウビュウ当たって、骨まで凍るような冷たさ。
でも音は……変な風の唸りだけ。長いトンネルを通る風みたいな、または虚空そのものの音。
下を見ようとするけど、全部ぼやけて焦点合わない。
遠くに、白い光の点。だんだん大きくなる。
近づく。明るくなる。
眩しすぎて——
俺、右手で目をこする——左手はまだ袋をぎゅっと握ったまま——
でも光が直撃。網膜焼けるみたいに痛い。朝起きてすぐ朝日ガン見した時みたいな。
……そして。
全部、止まった。
俺、立ってる。
街の真ん中……いや、街じゃなくて村だ。
湿った土と新鮮な草の匂いが一気に鼻を突く——家の近くの排気ガスとゴミの匂いとは全然違う。
そよ風が髪を撫でて、野花と薪の煙の香りが混じる。
上を見上げると、雲一つない青空。太陽は暖かいけど、きつくない。
……ここ、どこだよ?
両手の甲で目をこすり直す。
まだ同じ。夢じゃない。手の感触も本物、風も本物、左手の袋も重いまま。
目の前に、小さな村が広がってる。
木と石の家、木の屋根——アニメの異世界でよく見るファンタジー建築。
日本封建時代じゃなくて、欧州中世っぽいのに魔法混じり。
村人たちは粗末なリネンのチュニック、厚手のウールマント、擦り切れた革ブーツで普通に動いてる。
市場で果物売ってる奴、曲がった角の牛みたいな獣に引かれた鋤で田んぼ耕してる奴、短い槍(先端がキラキラ魔法金属っぽい)で川で魚突いてる奴。
道端の小さな店に、変な文字の看板——でもなぜか読める:
『癒しの薬局&魔法薬店』
ルーンと漢字混じりみたいな文字なのに、頭が勝手に翻訳してる。
……これ、マジで異世界アニメみたいな世界だ。
俺、ゴクリと唾を飲み込む。
心臓がドクドクうるさい——怖いんじゃなくて、興奮とパニックが混ざった感じ。
好きな異世界回見た時みたいだけど、これは現実。
鳥肌立つ。
でも一番びっくりしたのは……
左手、まだ二つのビニール袋握ってる。
中身、無事。日本の調味料もインスタント食品もお菓子もそのまま。
カップ麺、さっきのコンビニの温かさがまだ少し残ってる。
右手でジャケットのポケットを探る。
スマホ、ある。
電源ボタン押すと画面つく——けど電波ゼロ、バテリー99%、時間は19:03。
落ちる前と同じ。進んでない、後ろにも行ってない。
数秒しか経ってないみたい。
……これ、本物?
周りを見回す。
村人たちが俺をジロジロ見てくる——そりゃそうだ。
黒い現代ジャケット、黒ジーンズ、ボサボサ髪、トレッキングシューズ、二つのスーパーの袋ぶら下げてる。
完全に異物。宇宙人か、異世界からの観光客みたい。
俺、小さく呟く。声が少し掠れて、自分でも変に聞こえる。
「これ……マジで本物かよ……」
袋がカサカサ鳴る。手が震えてる。
疲れた……でも眠いんじゃなくて、頭がオーバーヒートして疲れてる感じ。
急に情報処理しすぎ。
俺、正 秀夫、普通の高校3年生、オタクでゲーマー、ただ帰って夕飯食ってゲームしたかっただけなのに……
突然、異世界に落ちた?
トラックなし、神の召喚なし、「お前が選ばれた!」みたいな声なし、何もなし。
ただ、歩道で一歩踏み外しただけ。
俺、くすっと笑う——苦くて、ちょっと狂ってる笑い。
声が新鮮な空気に響く。
「マジかよ……これ、ガチ?」
空を見上げる。
青い空に、のんびり浮かぶ明るい太陽。
遠くで変な鳥が飛んでる、翼がキラキラ光ってる、多分魔法。
それから、袋に視線を落とす。
プラスチック同じ、味噌の匂い同じ。
「……母さん、材料待ってるだろうな」
また呟く。今度はもっと小さく。
風に飲み込まれそう。
……さて、どうすりゃいいんだ?




