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異世界に落ちてしまった俺  作者: いしぐろ かつみ


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1/5

1:変化の前の普通の生活

学校からの帰り道。


いつものように学校の賑やかな正門から歩いて、ようやく家の前に着いた。

太陽はもう西に傾き、空を柔らかいオレンジのグラデーションで染めている——夕暮れって、なぜか少し寂しく感じるんだよな。光がゆっくり消えていくから、世界がまた一日と別れを告げてるみたいで。……いや、俺がただの感傷家なだけかも。


「ただいま……」


口から出た言葉は、いつもの平坦なトーン。ほとんど条件反射だ。

玄関のドアをそっと閉めて、音を立てないようにする——母さんはきっと今、台所にいる。

そのまま下駄箱でしゃがみ込んで、学校の靴を脱ぐ。かかとがもう結構擦り減ってる。ソールも薄くなって、アスファルトの熱が直に伝わってくる感じ。黒い靴下には一日分の汗と道の埃の匂いが染みついたまま。

……はあ、今日も疲れたな。さっきの数学の授業で、頭がじわじわ煮えられてるみたい。


台所の方から、いつもの優しい母さんの声が聞こえてくる。

にんにくの炒め物と甘口醤油の匂いが、かすかに鼻をくすぐる。


「おかえり、秀夫」


「うん」


小さく微笑んで答える——ほんの一瞬の、疲れてるけど礼儀正しい帰宅子女の笑顔。

それで立ち上がって、短い廊下を抜けて自分の部屋へ向かう。足取りは軽いけど、頭の中はもう遠くへ飛んでる。ふかふかのベッド。温かい夕飯。そして夜になったらPC起動して、ゲームログイン、少しランク上げ。昨日グループ課題で先送りしたアニメの新話も見るか。

快適なルーティン。安全なルーティン。


でも部屋のドアを開ける前に、母さんの声がまた後ろからかかった。


「秀夫くん、夕飯の材料買ってきてくれる?」


足が止まる。

心の中で小さくため息——イラッとしてるわけじゃない。ただ……まあ、そんな感じ。疲れが急に倍になった気がする。

でもまた笑顔を作って、頷く。


「わかった。ちょっと着替えるよ」


——そう言って部屋に入る。


ドアを静かに閉めると、小さな部屋が古い本の紙の匂いと、朝から切れたままのエアコンの残り香で迎えてくれる。

クローゼットを開けて、いつもの青いライン入り黒ジャケットを取る。黒の無地Tシャツに黒のロングパンツ。全部黒。

なぜかこの色が好きなんだ——安全で、目立たなくて、街の喧騒に溶け込める感じ。……いや、ただ俺の気分がいつも平板だから合わせてるだけかも。


壁にかかった小さな鏡の前に立って、乱れたダークブラウンの髪を直す。半開きの窓から入る風で、髪の毛が少し舞う。

ジャケットの襟を整えて、自分のブラウンの目をじっと見つめる。

普通の顔。悪くはないけど、二度見されるような顔でもない。標準。安全。


まだ自分の姿を眺めながら——『なんで俺の顔っていつも眠そうなんだろう』とか考えてるとき——母さんが半開きのドアからそっと近づいてきた。


「はい、お金とメモ」


母さんが数枚の紙幣と、几帳面な字でびっしり書かれた小さな紙を差し出す。

野菜何種類か、肉、調味料——もう暗唱できるくらいの定番リスト。にんじん、玉ねぎ、薄切り牛肉、いつもの甘口醤油、塩適量。

母さんはいつも細かく書いてくれる。前みたいににんにくじゃなくて玉ねぎ買ってこいって失敗したことあるから。


「ありがとう」


そう言って受け取って、ジャケットのポケットにしまう。お金が指先に少し冷たい。


突然、玄関のドアがまた開く音。

聞き慣れた重い足音。仕事用のカバンが下駄箱に軽く置かれる——怒ってるんじゃなくて、ただの癖。


父さんが帰ってきた。


「お、秀夫。もう帰ってたか」


事務所帰りの疲れた声だけど、いつもの落ち着いたトーン。

襟元の汗と、かすかなオフィスの香水の匂いが混じる。


「うん」


頷きながら答える。

それからさっき脱いだハイキングシューズをまた履いて、紐を素早く結ぶ。もう何千回もやってる自動動作。


「じゃ、行ってくる」


「気をつけてね、秀夫」


母さんが台所との境目で優しく微笑む。

愛情たっぷりの、子供を心配する目——『暗くなる前に帰ってきなさいよ』って言ってるみたい。

父さんは小さく頷いて、口の端に薄い笑みを浮かべるだけ。言葉少ない男の、でも意味がわかる笑み。『変なことすんなよ。早く帰れ』。


玄関のドアを開けて、外へ出る。


夕方の空気がひんやりと頰に触れる。

近所の芝生を水やりしたばかりの草の匂いが風に乗ってくる。

東の空はもう暗くなり始めてるけど、西の地平線にはまだオレンジの残光が屋根に反射してる。

街灯が一つずつ灯り始めて、淡い黄色。

俺はいつもの細い道を歩いて、最寄りのコンビニに向かう——子供の頃から何千回も通った道。

アスファルトのひび割れも同じ。角の木も、夏の終わりにはいつも葉っぱが落ちる。

全部、馴染みすぎてる。馴染みすぎてて。


俺の名前は秀夫・正。


高校3年生、18歳、身長173cm。

日本人男子の平均よりちょっと高いけど、目立つほどじゃない。

俺は普通の人間……ご飯を——(あれ、なんか急にどっかの大統領のネタみたいになった? まあいいや、忘れよう)


普段はただの高校生。帰って、食べて、寝て、明日また繰り返す。

でも頭の中ではオタクで、YouTuberゲーマー——チャンネル登録者は二桁で、ほとんど友達の視聴だけど。

二年かけて貯めた自分のPC、勉強机に積み上がったラノベの山(触ったら崩れそう)、アジアサーバーでまあまあ誇れるゲームランク——学校じゃ誰も知らない。

このままでいい。目立たなくていい。

静かに生きて、夜中にヘッドセットつけてゲームして、爆発音で近所迷惑かけないようにして、母さんのご飯食べながらアニメ見て、頭空っぽで寝る。

完璧な生活。……少なくとも、俺には十分だ。

でも今日は……なんか、少し違う気がする。

夕方の風がちょっと強くて、ジャケットが軽くはためくせいか。

それとも、最後の高校生活がもうすぐ終わるって、最近やっと実感してきたせいか——大学受験、学部選び、将来とか、全部が急に現実味を帯びてきて。

……わかんないな。変な考え。

首を振って、歩き続ける。

ああ、もういいや。考えすぎんな、秀夫。

ただの普通の日だ。学校帰って、買い物頼まれて、帰って、夕飯食べて、寝て。

ゲームやりすぎて目が痛くなって、明日また寝坊して慌てて学校。

同じループ。

いつも通り。

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