魔物が襲いかかってきたみたい
灰色の影が、草を裂いて走る。
赤い目が、一直線にこちらを射抜いていた。
「っ……!」
凛は咄嗟に横へ転がる。
直後、鋭い爪が地面を抉った。
土が跳ね、頬に当たる。
速い。
想像より、ずっと速い。
四足が地を蹴る音が、鼓膜を打つ。
背後に気配。
振り向きざまに木の棒を振るう。
空を切る。
「当たれよ……!」
ファングは軽く跳び退き、赤い目でこちらを測る。
獲物を値踏みするような視線。
背筋に冷たいものが走る。
再び突進。
避けきれず、腕に浅い痛みが走った。
「くっ……!」
焼けるような感覚。
血が滲む。
呼吸が乱れる。
このままじゃ削られる。
速さに付き合えば負ける。
なら――
凛は一歩下がり、わざと体勢を崩す。
隙を見せる。
ファングの耳がぴくりと動いた。
来る。
一直線。
地面を蹴る音が迫る。
ぎりぎりまで引きつける。
赤い目が目前まで迫った瞬間――
「――今だ!」
全身の力を込め、横薙ぎに叩きつける。
鈍い衝撃。
骨に響く感触。
ファングの身体が地面を転がる。
草が散り、土が舞う。
脚が震え、立ち上がれない。
それでも、赤い目は消えない。
「終わりだ……」
一歩、踏み出す。
心臓がうるさい。
手が震える。
それでも振り下ろす。
衝撃。
抵抗が消える。
完全に動かなくなった。
「……俺が、やったのか」
初めて、自分の手で命を奪った。
胃の奥が、わずかに重い。
だが――
赤い目が、ぎらりと強く光った。
喉が震える。
空へ顔を向ける。
「――ォオオオオォ……」
「やばい……!」
呼んでいる。
凛は地面を蹴る。
「させるかっ!」
遠吠えが完成する前に、木の棒を振り下ろす。
骨を打つ感触。
遠吠えは途中で途切れた。
完全な静寂。
その瞬間。
凛の身体が淡い光に包まれた。
「……え?」
頭の奥で、何かが弾ける。
視界に半透明の文字が浮かぶ。
――レベルアップ
Lv.1 → Lv.2
――HP全回復
――状態異常回復
腕の痛みが消える。
傷が塞がる。
呼吸が軽い。
疲労が、嘘のように抜けていく。
「これが……レベルアップ」
さらに小さな表示が続く。
――次回ランクアップ判定:Lv.10
「ランクアップ……?」
意味は分からない。
だが、その文字が妙に引っかかった。
そのとき。
森の奥から、遠吠えが響いた。
低く、長い声。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
凛の顔から血の気が引く。
森の縁で、赤い光がいくつも灯る。
数えるのをやめた。
草がざわめく。
正面だけじゃない。
右にも。
左にも。
ゆっくりと、間合いを詰めてくる。
「……囲まれてる、ってことかよ」
木の棒を握る手に汗が滲む。
正面突破は無理。
走っても、あの速さなら追いつかれる。
包囲されれば終わりだ。
だが――
凛は視線をわずかにずらす。
草原の傾斜。
森との距離。
さっき戦った位置。
そして、風向き。
頭の中で、地形が組み上がる。
「……いや」
小さく呟く。
「いけるかもしれない」
赤い目がさらに近づく。
低い唸り声が重なる。
凛はゆっくりと息を吐いた。
木の棒を握り直す。
「悪いな。正面からはやらねぇ」
次の瞬間。
地を蹴った。
狼の群れとは、真正面ではなく――斜めへ。
同時に、複数の影が地面を蹴る。
草原を、疾走が始まる。




