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契の外  作者: 科上悠羽


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1/1

読切 机の上の通行札

机の上に、札が山になっている。


山、と言っても整っていない。厚いところだけが盛り上がって、薄いところが沈む。端がずれて、角が逃げて、紙の面が光り方を変える。すこし触れただけで、擦れる音が立つ。


コハクは椅子に深く座らない。机と同じ高さで、肘が動ける距離だけを残す。視線は札の山をなぞって、止まらない。


薄い束を見つける。そこだけ、紙の重みが違う。薄いのに軽くない。薄いのに、妙に揃っている。


コハクは、その薄い束だけを抜いた。


抜く指は迷わない。爪を立てない。紙の端に皮膚が引っかかり、ほんのわずかに熱が移る。束が持ち上がると、下の山がわずかに崩れそうになるが、崩れる前に手首が戻して止める。


机の上に二つの場所を作る。名前はない。左と右、としか言えない角。


コハクは薄い束を一度だけ机に置いて、端を見た。そこから先は、増えない。二つだけ。


札の山から、同じ厚みのものを引き寄せる。引き寄せて、左へ。別の厚みを引き寄せて、右へ。置くときに指先が紙を払う。払うたび、擦れる音が小さくなる。


通行札。文字を追わない。山の偏りだけが、目に入ってくる。


左に置いた束は、机の端に寄せていく。右に置いた束は、少しだけ手前に寄せていく。重なり方が違う。紙は素直で、雑に扱えば雑に返ってくる。だから、雑にしない。


「戻す」と「回す」。言葉は口に出さない。手だけが、その二山を作り続ける。


机の上の空白が、少しずつ増える。


山が減っていくのではない。偏りが、薄くなっていく。厚いところは厚いまま、薄いところは薄いまま。でも、偏りの角が丸くなる。紙の面が、同じ方向に光りはじめる。


コハクは最後に、薄い束をもう一度だけ見た。抜いた束を、いちばん上に置き直す。置き直したとき、紙の端が揃っているのがわかる。揃っていると、音が減る。


次は手。


コハクは束を持ち上げ、机の上で一度だけ角を揃える。机に軽く当てる。叩きつけない。端を集めるだけの音。


紙の端が合う。ずれがなくなる。束の上と下が同じ形になる。指で撫でると、ささくれが引っかからない。引っかからないと、速度が落ちない。


束は混線しない。混線しないように、手が動く。


運用箱がある。木の箱。蓋は薄く、角が固い。置き場所が決まっていて、そこから動かさない。動かさないから、迷いが生まれない。


コハクは束を運用箱に入れる。入れるとき、息を止めない。紙が箱の内側を擦って、さらりと音を立てる。抵抗がないのが、抵抗の証拠みたいに聞こえる。


蓋を閉じる。閉じる音は、柔らかい。


鍵がある。手に馴染んでいる。握るところが少しだけ冷たい。


鍵穴に差し込んで、回す。


一度だけ。


金属の音がして、次に木が鳴る。木の中に、空気が落ち着く。箱のまわりの空気が、わずかに重くなる。


回った、という事実が、机の上に「完了」を置く。誰も言わないのに、言われたみたいに。


コハクは頷いた。小さく一回、速い。


それだけで、手が次へ行ける。


鍵を抜く。抜いた鍵を、元の場所へ戻す。戻す音が、机の擦れより小さい。


最後は湯。


机から少し離れたところに、湯気がある。湯気は、言葉より先に鼻に届く。熱い匂いではない。温度の匂い。


コハクは手を洗うほどの動作をしない。ただ、掌を湯気の上に置く。指の腹を開いて、熱を拾う。熱は拾えば拾うほど増えるものではなく、拾ったぶんだけ、ここにあることがわかる。


湯の表面が揺れる。湯の中に、光が薄く揺れている。揺れているのに、落ち着いている。


コハクは息を整える。吸って、吐く。紙の音に合わせない。鍵の音に合わせない。湯気の速度に、合わせる。


湯気が上がる。上がった湯気が消える。消えるまでの間だけ、指先が温かい。


机の上の偏りは、まだ残っている。残っているのに、形が変わった。形が変わっただけで、次ができる。


コハクは湯の温度を、指に覚えさせたまま、机へ戻る。


揃っている。だから、次へ行ける。


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