選ばれない母娘の話
「……誤解なんだ……!」
開口一番が、それだった。
しかし、そう言ってから、夫は一度口を閉じる。
「……いや、違うな」
小さく息を吐き、
「誤解というより、
相手が勝手に期待しただけだ」
どっちなのよ……。
「ある令嬢が、
こちらの意思とは関係なく接触してきている」
ええ……
私の顔を見て、夫が言った。
「……その顔は、呆れてるな」
どうやら、顔に出ていたらしい。
「どちらのお家なのですか?」
私が尋ねると、夫は即答した。
「名と立場はある。
だが、こちらから口説いたことはない」
当たり前です。
「……では、どうして?」
「距離を詰められた。
断ったが、納得しなかった」
……粘り強い方なのね。
「二人きりにはならない。
私的な接触も断っている」
夫は紅茶を、ぐっと飲み干す。
「仕事に支障が出ても構わん。
こちらから場を離れる」
その言葉に、
思わず夫を見る。
「そこまでしなくても」
私がそう言うと、夫は首を振った。
「当然だ。
私が選んだのは君だ」
私は、少しだけ笑った。
「ありがとうございます。
……そろそろ、向かいましょうか」
彼の腕に手を添え、私たちは屋敷を出た。
向かった先は、夫の紹介で通う実務者の集まりだ。
私自身も経営に携わっているから、話はとても勉強になる。
——ただし、私が参加していることは、公にはしていない。
◆
数日後、令嬢の母親がやってきた。
「この度は、娘がご迷惑をおかけして……
母として、深くお詫び申し上げます」
――親御さんは、しっかりされているのね。
「お気遣いなく。
今後、夫への接触をやめていただければ」
「あの子も今回のことで、
随分と反省しておりますの」
あら? 意外と素直だったのね。
「もう二度と、
あのような振る舞いはいたしません」
ほっとした、その矢先。
「ですから、
あの有望若年実務者会へ一度だけ、
参加させていただけませんか?」
……え?
何で知っているの……!?
「お詫びのしるしに、
顔を出すだけで結構ですの」
お詫びの、しるし……
その言葉、使い方を間違えてますよ。
……だから、参加していることは伏せていたのに。
「……あの会は、勉強会ですから」
私がそう言うと、
母親は一瞬、きょとんとした顔をした。
「ええ、ですから……
お勉強になるのではと」
「違います」
私は、はっきりと言った。
「勉強する場ではなく、
すでに実務に関わっている者が、
情報を交換する場です」
母親の笑顔が、
わずかに固まる。
「お嬢様が参加なさっても、
話を聞くだけで済むような会では――」
「……そうですか」
一拍置いて、
「分かりました。
ご無理を申し上げて、失礼いたしました」
母親は深く頭を下げ、
それ以上は、何も言わなかった。
――その時は。
◆
数日後の、有望若年実務者会当日。
「こちらにいらっしゃると思いまして。
ご挨拶だけ、と思ったのです」
母親が、にこやかに言う。
――いるし。なぜ、バレてるの。
私が言葉を探している間に、
その隣で、令嬢が一歩だけ前に出た。
少しだけ顎を引き、
視線を落としてから――
指先をきゅっと握りしめ、
ちらりと、夫を見る。
露骨ではない上目遣い。
……手慣れている。
情報筋は、この子?
「……先日は、失礼いたしました」
反省しているようには聞こえない、
甘さを含んだ声。
その行動力、
別のことに使えなかったのかしら。
「……仕方がありませんね。どうぞ」
夫は、それだけ言った。
えっ……いいの?
私は一瞬、耳を疑ったが、
母娘はその言葉を待っていたかのように、
そそくさと会場へ入っていった。
◆
会場にいるのは、ほとんどが若い男性だった。
しかも華やかな貴族というより、
商会や領地の実務に関わる、堅実そうな顔ぶればかりだ。
……だが、ここは出会いの場ではない。
「はじめまして」
母娘が最初に声をかけたのは、
若い貴族の一人だった。
「どちらの現場にいらっしゃいますか?」
母親が、わずかに瞬きをする。
「……現場、というのは?」
「ああ、失礼しました。
どの分野をご担当で?」
――空気が、止まった。
「主人は、◯◯商会でして」
母親は、少しだけ胸を張って答える。
「ああ……」
男は曖昧に頷き、
すぐに問いを重ねた。
「では、ご本人は?」
母親の言葉が、そこで止まる。
……ですよね。
その間に、
娘が一歩、微笑みながら前に出た。
「皆さま、
とても難しいお話をなさってますのね」
場を和ませようとする声。
けれど――
「ええ」
男は穏やかに返し、
すぐに視線を隣へ移した。
「では、三年後の需要予測ですが」
話題は、
何事もなかったかのように進む。
母娘の方を、
誰も見ない。
――完全に、
存在しないものとして扱われていた。
……まあ、そうなるわよね。
夫は、最初から母娘を見ていなかった。
私と並び、
別の輪の中で話している。
「北側の倉庫、
来季まで持たせるなら――」
「湿度管理を変えた方がいいですね」
フォローも、
紹介も、
取り繕いもしなかった。
……なるほどね。
◆
帰り際、夫が主催者のもとへ向かった。
「……すまない。
想定外の来客だった」
夫がそう言うと、
主催者は苦笑した。
「いいよ。
よくある事だ」
軽い調子で言いながら、
ちらりと母娘のいた方向を見る。
「……あの二人は?」
結局、出会いはなかったみたいね。
「終わったな」
主催者は断言した。
夫が、静かに頷く。
主催者は会場を見渡しながら言う。
「この会だけじゃない。
今日ここにいた顔ぶれは――
だいたい、繋がってる」
夫が、淡々と続けた。
「空気を読めない人間は、
将来の伴侶候補にもならない」
「夜会には顔を出せるだろうさ」
主催者はそう言って、
肩をすくめる。
「でも――」
一拍置いて、
「選ばれることはない」
それ以降、
あの令嬢の縁談が進んだという話は、
ついに聞かなかった。
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以下は
『都合のいい私を、辞めることにしました』
五章二話(夫人視点)に関する内容です。
ネタバレになりますので、
本編をお読み頂いた後にご覧ください。
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【五章2話夫人視点】
ついこの間も、妙な令嬢に絡まれたばかりだった。
夫が。
甘えた声で、距離を縮める。
男を惑わす動作は様になってる。
正直、うんざりしていた。
その矢先。
アーネストの隣に、
身体を強張らせて座るエリナを見て、
――あら?
「最低保証量は」
アーネストの声。
目を見開き、さっと視線を逸らし、
慌てて書類を取り出す。
「こちらをご覧ください」
……まあ。
なんて、分かりやすいの。
「順が逆だ」
淡々と告げられ、
肩がさらに小さくなる。
「名義はどうなった」
「……まだ……」
そんなに追い詰めなくてもいいでしょうに。
縮こまっているじゃない。
それなのに。
「今の私には、
損失を一人で抱えられるだけの余力がありません」
逃げずに言うのね。
「前受で一部を確定させる手もある」
――ええ?
あなた、そんなことを言うの?
思わずカップを持つ手が止まる。
彼女は、泣きそうな顔をしている。
……あらあら。
これは。
紅茶を置き、視線を向ける。
「あなたが助け舟を出すなんてね」
くすり、と笑う。
「初めてでは?」
アーネストは何も言わない。
ただ、視線だけが、
エリナの前に置かれた書類へと落ちた。
……ああ。
久しぶりに、いいものを見た。
◆
2人を見送った後、執務室へ戻る。
夫が書類から顔を上げた。
「どうした」
「何が?」
「なんだか、嬉しそうだ」
「そうかしら?」
侍女が紅茶を淹れる。
「……可愛らしいものね」
「え?」
「別に、なんでもないわ」
紅茶を一口飲む。
「若い子を見て、少し思い出しただけよ」
「何を」
「秘密」
夫は怪訝そうに眉をひそめ、
また書類に目を落とした。
私はカップの湯気越しに、
さきほどの光景を思い出した。
――いいわね。
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主人公はこちらと同一人物です。
「政略結婚の旦那は恋人持ち。その恋人は事故物件(笑)」
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