8.天山山脈 前
数日後。ラウルのチューリップ農場の昼下がり。
「おい、お前が声をかけろよ」
チャーリーがおびえた声でいった。いわれた破壊神は全力で(無理!無理!)とへたくそなジェスチャーを駆使して拒否する。太郎丸と次郎丸がタパの周囲をまわりながら心配そうに様子を窺っているが、その背中から発せられるあまりの凶悪なオーラに怖れをなして近寄ることができない。
夏が来て雑草が農場のあちこちに生い茂るようになった。球根の収穫を終えた休耕地がたった数日間目を離しただけで緑に覆われ荒れてしまうので、最近その管理を任されるようになったタパは大忙しだ。闇の眷属たちに総力を挙げた草刈りを命じて、自身はピンフォークを振り回してせっせと雑草を肥料にすべく処理をしている。ただし今日のタパのピンフォーク捌きには隠し切れない殺気がこもっていた。
きっかけは遠征から帰ってきて数日たった昨日の夜のこと。遠征で採取してきた新発見の原種のチューリップ『シルウェストリスの未来』を農場の特別な畑に定植させて一息ついた日の夜、ラウルと破壊神、チャーリー、タパとクルセウス、そしてアイリスが揃った夕食の席でラウルが切り出した。
「遅咲きのチューリップの収穫も終わったし、来年に向けて冬咲きのチューリップの準備をしようと思うんだ」
アイリスが弾んだ声で横から口を挟んだ。
「冬咲きのチューリップの準備?じゃあ山の氷室に行くのね?」
(なんでお前がいるんだよ。豪華な野営陣を設営しているんだから夕食はそっちでとればいいだろ)
タパが心の中で毒づく。話の腰を折られたラウルはそのままアイリスにひっぱられてヤマノヒムロでのふたりの昔話をはじめてしまった。何の話をしているのか見当もつかず会話に参加できないタパは疎外感におそわれて黙りこむしかない。
タパが憮然とした表情で黙っていることに気付いたラウルはあわてて話を戻した。
「チューリップの球根はね、一度寒さを体験することで季節を認識して芽をだす。だからその性質を利用して、一部の球根を秋になったら山の高いところにある氷室で休眠させて冬を疑似体験させるんだ。そうすることでチューリップの開花時期を早めることができる」
「チューリップを騙すの?」
「そういうこと。氷室で冷蔵保存した球根を冬が来る前に植えるだろ?なるべくまだ暖かい時期に成長させて力を蓄えさせて冬を越す。そうするとまだ雪が残る寒い時期に咲きはじめる。冬咲きのチューリップの切り花は季節を先取りする人気商品なんだ」
「ふーん。そうなんだ。それでそのヒムロって?」
「チューリップの球根にまだ暖かい時期でも冬の寒さを体験させるため、冬の間に天山山脈の雪を切り出して手ごろな洞窟の中に厚い布をかぶせて保管してあるのさ。そうすると夏の間でも雪や氷が溶け切らずに残る。今年の氷の残り具合を確認して秋の球根の冷蔵作業に備えて氷室の準備をしておかなきゃいけないんだ」
「そうなの。この辺の山の麓では汗ばむくらい暑いけど、山の上の氷室に行けばひんやりしていてとっても快適。むしろちょっと寒いくらい。氷がいっぱい残っていて、削った氷の欠片に甘い果物の汁をかけて食べるとこれがもうびっくりするくらいおいしい氷菓子になるの」
アイリスが上機嫌で話に割り込んでくる。タパはアイリスをひと睨みして牽制すると、それでもあらたな遠征の計画にわくわくしている自分に驚いた。
「それでいつから行くの?どれくらい日数がかかるのかしら?ほら、わたしも普段の作業があるからあんまり日数を開けるとせっかくいい感じに維持している休耕地がまた雑草だらけになっちゃうでしょ」
期待を抑えきれずに声を弾ませるタパをラウルはあっさり奈落の底へ突き落した。
「そうだねー。今は休耕地の管理も重要だから今回タパさんは留守番で農場に残ってもらおうかな」
「えー!連れて行ってくれないの?」
(甘い果汁をかけた氷菓子は?天山山脈での冒険は?)
当然自分も連れて行ってもらえると思っていたタパは愕然として固まった。絶望的な顔でおずおずとラウルに提案してみる。
「雑草なんて……だったらほら、いっそ黒魔術の地獄の業火で焼き尽くしちゃえば」
「あはは。草の根一本残らず焼き尽されて不毛の土地になった畑じゃチューリップは育てられないよ。農業はね、豊かな土を守り育てることが大切なのさ。それには地道に手をかけていくのが一番。それにしても黒魔術で焼き払うなんてタパさんは面白いことをいうなあ」
渾身のタパの提案もラウルには冗談だと受け取られ笑って流されてしまった。
「今回は様子を見に行くだけだからそんなに時間はかからないと思うよ。ぼくひとりで充分。往復2日作業に1日ってとこだから3日目の夕方には帰ってくる。だからタパさん、その間チャーリーや破壊神と一緒にこの農場のこと頼むね」
従業員として農場主にこういわれてしまっては逆らうわけにもいかない。経営者としてもチューリップ栽培のための最適解だとわかるだけにわがままもいいにくい。
「あら、わたしは行くわよ」
アイリスは勝ち誇ったようにいった。
「山の氷室はわたしとラウルの思い出の地ですもの。少しくらいふたりでゆっくりお話しする時間はあるでしょう?」
アイリスはラウルにすり寄るとタパを一瞥してふふんと鼻で笑った。
(こいつめ、絶対許さん!)
タパの背後で邪悪なオーラがゆらり揺らめいた。
※ ※
その翌朝ラウルは天山山脈の中ほどにある氷室へ出発し、以来今日で3日目になる。本当にラウルは今日の夕方には帰ってくるのだろうか。アイリスはお付きの家臣団が担ぐ輿に乗ってついて行った。残されたタパは日々黙々と農場の作業に勤しんでいる。だが自分が知らない氷室とやらでラウルとアイリスが仲良く過ごしているかと思うと面白くない。不機嫌さがエスカレートしていることは明白でクルセウスや闇の眷属たち、そして太郎丸次郎丸たち配下への物言いが徐々に厳しくなっていった。3日目になる今日は黒魔術の波動と殺気がものすごくてうかつに話しかけられない。
そんなタパを腫れ物に触るかのように戦々恐々と取り巻いていた配下たちだが疲れもすれば腹も減る。とっくに昼休憩の時間が過ぎているのに頭に血が上って作業を止めないタパに誰が声をかけるか、破壊神とチャーリーも含めて皆で揉めているのである。やがて限界を迎えた一同は籤を作ってタパに声をかけるひとりの犠牲者を選ぶことにした。籤にあたったのはクルセウスである。
急いで身辺の整理をして神々にこれまでの生涯を感謝する祈りを捧げたクルセウスが離れたところからおずおずと猫なで声で呼びかけた。
「姫様、タパ様。お昼の時間ですよ。作業を止めて休憩しませんか?」
ザッ。タパがピンフォークの動きを止めた。何事かぶつぶつ口の中で呟きながら凶悪な目付きで振り返る。ひと睨みでクルセウスを殺せそうなオーラをまき散らしていた。
「お昼?」
タパがいった。クルセウスが怖気づいて後ずさりしながらカクカクと頷く。口の中が乾いて血の匂いがした。他の配下たちは我先に物陰に隠れてしまってもう姿が見えない。
「はい。もういつものお昼休憩の時間を過ぎております。きちんとした休憩を取りながらでないと効率的な作業は続けられません。だからですね、ここはみんなで母屋に戻って……」
「休憩?」
「は、はい!……」
長い沈黙の後、タパは手にしていたピンフォークをからんと地面に落とすといった。
「……わかった」
目も合わせず無言で前を通り過ぎていくタパを見送ってクルセウスはへなへなと地面に崩れ落ちた。むしろ沈黙するタパの方がおそろしい。クルセウスは誰にともなくいった。
「こわかった……」
隠れていた破壊神やチャーリーとタパの配下たちがクルセウスの勇気を讃えて彼を取り巻くと、みんなでそろってうんうんと頷いた。
「こわかった……」
人と破壊神と喋るチューリップ、犬と猫に闇の眷属たち。種族の壁を越えて心を通わせた歴史的一瞬である。
※ ※
「タパさーん、タパさーん」
ラウルは日の暮れる頃帰ってきた。破壊神とチャーリー、そして配下一同が泣いて喜んだのはいうまでもない。
「ちょっと遅くなっちゃった。みんな農場を守ってくれてありがとう。お疲れさま」
「あら、早かったのね。幼馴染とお楽しみだったんじゃないの?もっとゆっくりしてくればよかったのに」
作業から戻ってきたタパはラウルにつれない。
「どうしたの?なんか機嫌が悪そう。お土産を持ってきたんだよ」
「お土産?なあに?」
「氷室の氷さ。だいぶ溶けちゃったけど、夕食まで持つだろうから氷菓子を作ってあげる」
「ほんと?」
「みんな夕食はまだだろう?ちょっと待ってて。今用意するから」
そういうなり駆け出そうとしたラウルが思い直して立ち止まった。
「あ、でも先にアイリスを送らなきゃ」
「送るって?どういうこと?」
「アイリスはこれからザクセン州都に帰るんだよ」
「なんで?ずいぶん急ね」
タパがラウルをあれこれ問い詰めているとアイリスが現れた。
「わたしこれでも忙しいのよー。代行とはいえザクセン領主としての務めがあるから」
「ごめんよ。本当ならごちそうを作ってお別れ会でもしてから送り出すところなんだけど」
「いいの。ラウルとは久しぶりにふたりきりでゆっくり話せたし」
アイリスがラウルの耳元に口を寄せて何事か囁いた。相変わらずこいつは他人との距離がおかしいな。不愉快だ。タパがむくれているとラウルがいった。
「わかった。アイリスが出発の用意をしている間にちゃちゃっと夕食の準備をしてしまうよ」
ラウルが小走りに母屋へ去っていくと、アイリスがタパを見ていった。
「さて、そういうわけでわたしは帰るけど、その前に話でもしましょうか」
タパはそっけなく突き放そうとする。
「アイリス殿は何をしにこの農場に来たんだ」
「幼馴染との想い出の農場に避暑に来たのよ」
アイリスは構わずタパの隣に腰かけた。いつもの愛らしい人好きのする笑顔を捨て去って真顔でタパに向き直る。
「……っていうのは表向き。ザクセン州都のムスカリ商会であなたがひと暴れしたって話を聞いてね、シルウェストリスの闇堕ち姫を見にきたの」
「……わたしを?」
「シルウェストリスが落城してからの数年間であなたが歳の割には強大な力を持つ黒魔術師になったって話はきいていた。同時に蛮族王にひとりで戦いを挑むような無謀な性格だってこともね。蛮族王に敗れて行方不明になったあなたが破壊神のいるラウルの農場に住み着いて何を企んでいるのか?これは由々しき事態でしょう?」
「……」
「破壊神のいるこの東の森に潜伏するって考えは悪くないと思うわ。伝説級の厄災、破壊神がいる限り蛮族王もおいそれと手は出せない」
アイリスは母屋で楽し気に夕食の支度をしているラウルや破壊神たちを遠くから愛おしそうに見た。
「問題はあなたがなにを考えているか、よ。破壊神の存在にすがって生き延びようとしているだけならまだいいわ。けれど蛮族王に復讐するため破壊神の力を解き放とうだなんて考えているのなら……」
「……なぜそのことを!」
「やっぱりそのつもりだったのね。でもそれはわたしが許さない。それは戦乱で傷ついたシルウェストリスの民に回復不能の深刻な被害をもたらす。チューリップ栽培に夢中になって忘れているかもしれないけれど、破壊神は神話時代の人智を超えた存在なのよ」
「そんな!ではこの復讐にたぎる心をどうすればよいのだ!目の前で父も母も姉も八つ裂きにされて殺されたのだぞ!」
「忘れてもらっちゃ困るんですけど、わたしの父もあの戦乱で死んでいるのよ。それもあなたたち王族を守るためにね」
「……それは……」
タパは言葉を続けることができずに俯いた。
「遠からずあなたが破壊神とこの東の森にいることを蛮族王が知ることになる。そうなって世界がどう動くかは予断を許さないわ。世界が動き出す前にあなたには知らなきゃいけないことが山ほどあるの。ラウルの農場はそれを知るためにはいいところだと思うわ。あなたには当分この農場にいてもらいましょう。ラウルとチューリップを育てながらじっくりと考えてほしい。いろんなことを」
アイリスは話し終えると空を見上げた。タパといくつも歳は違わないというのにその眼には老成した諦念のようなものが滲み出ていた。タパは戸惑うことしかできない。
「なんというか、アイリス殿は最初に会った時の印象とずいぶん違うな。白くてフリルまみれでふわふわしている甘っちょろい貴族令嬢だと思っていたのだが」
「そんなの年齢的に釣り合いがよくて昔から憎からず思っているラウルに見せるために盛りに盛りまくったわたしの姿に決まっているでしょ。8歳で国が滅び父を亡くした世間知らずの貴族令嬢が代行とはいえザクセン州領主として生き残るのは甘いものじゃなかったわ。できることは何でもやった。力ある者を頼る振りをして気付かれぬよう操り邪魔になったら粛清する。そんなことを何度も繰り返してザクセン州とそこで暮らす領民を今まで導いてきた。そういえばずいぶん殺したわね。領国を束ねていた父という重しが外れてよからぬことを考える奴らも大勢いたから」
アイリスは投げやりな口調で自嘲の笑みを浮かべた。
「そうか。似たような人生を歩んできたのだな。あなたとわたしは」
アイリスは振り向くときつい目でタパを見据えてぴしゃりといいきった
「いいえ、似ていない。わたしの肩にはザクセン州の領民の未来がかかっている。わたしは父に代わって領民のためにザクセン州という国を守らなければならなかった。その覚悟で生きている。翻ってあなたはどう?両親家族を亡くした自分の悲劇だけで目の前がいっぱいになって、シルウェストリスという国もそこで生きる領民のことも見えていない。自分自身の復讐しか考えられないようなあなたと一緒にしないで」
「……」
「あなたには王統を守るという見識も気概もない。ただ自分の復讐心に振り回されている幼い子供。どうせシルウェストリスの未来も臣下の生活のことも考えたこともないのでしょう。シルウェストリス王家はよりにもよって役にも立たない情けない血統を残したものね」
アイリスは立ち上がりタパと対峙した。
「あなたがどうするのか、これからじっくり観察させてもらいます。もしあなたが破壊神の力を遣って、いえ、それ以外の手段であってもわたしの領民を傷つけようとするなら全力で立ちはだかるでしょう。とりあえずそれまでの間はわたしはあなたの敵でも味方でもないわ。蛮族王は敵。あなたは保留。そういうことね。……あ、ラウルとの関係においては敵かもしれないかな。姫様も傍で暮らしているくらいのことで油断しちゃだめよ」
「あの……ひとつきいていいだろうか?」
タパが目を逸らしながらもおずおずとした声で尋ねた。
「なあに?」
「アイリス殿は氷室でラウルさんとふたりでどんなことを話したんだ?」
「ふふふ。それはねー」
アイリスはいつものふわふわと愛らしく柔らかい少女の顔に戻ってあでやかに笑った。
「ひみつ」




