7.シルウェストリスの未来 後
「えー?じゃあ、あなたは本当にわざわざ王都から荒野を横断してきたっていうの?」
屈強なザクセン州の家臣たちに担がれた輿の上でくつろぎながら、アイリスはあきれたようにいった。
「そんなことをしなくても街道沿いに王都からオアシス都市を順に通ってくれば時間はかかったかもしれないけれど安全に着けたのに。その方が途中で死にかけて時間を取られちゃうよりむしろ早く着いたかもしれないじゃない」
わかったよ。うるせーって。タパは口の中でぶつぶつと文句をいう。この指摘をされるのは3回目だ。最初はこの辺りの地理を説明してもらう際にいいにくそうに口ごもるラウルから。2度目はいつもの口喧嘩のついでにチャーリーから。実際に農場とザクセン州都にあるムスカリ商会との往来は馬車で半日ほどしかかからなかったよ。あーあ。どうせろくに事前に調べもせず他人の話も聞かず最短距離で荒野を突っ切ろうとしたわたしがバカなんだろうさ。それで水も食料も尽きて死にかけてりゃあ世話ないわ。けっ。
「その時は蛮族王に敗北した直後で一刻も早くたどり着かねばと焦っていたんだ」
タパは会話を打ち切ろうと短く答える。どうにもこのアイリスという女は苦手だ。タパがこれまでの生涯で切り捨ててきた貴族令嬢としての品位とか女性としての優雅さみたいなオンナオンナした性質だけで出来上がっているようなヤツ。とにかく話が合わない。かといってつれなくすると何かか弱く善良な女をいじめたような罪悪感を覚えさせられてこちらがダメージを受けてしまう。だいたい四六時中不必要にラウルにべたべた纏わりついているのが気に喰わない。
「甘く味付けした冷たい水を飲む?美味しいわよ?」
話をきいているのかいないのか、アイリスが能天気にまるで見当違いのことをいった。これで会話が成立しているのか?だから貴族育ちの令嬢との話すのは嫌なんだ。タパは無視して返事もせずピンフォークを担いだまま先行するラウルを追って歩を進めた。
ラウルとタパが荒野を進む。その後をアイリスが乗った輿が続く。農場の夏前の作業がひと通り終わったのでラウルはタパが荒野を横断中に見つけた未確認のチューリップの原種を採取する遠征に行くことにした。発見場所への道案内を頼まれたタパは無論同行することに同意し、さあふたりで冒険だとうきうき準備を整えていたのだが、出発の朝になって急に「破壊神や性悪チューリップと留守番なんかやだ!私も行くーっ!」とアイリスがわがままをいいだし割り込まれてしまったのである。
正直にいえばタパにとって荒野を横断中に自分が食べ散らかしたチューリップの原種のことなどはどうでもよかった。ただラウルとは出会ってからまだ日が浅く、これまで正直に打ち明けたことも秘密にしていることもあり、これからの互いの距離の取り方を探るべくふたりでゆっくり話せる機会をうかがっていたので今度の遠征には期待するところが多かったのだ。それだけに突然割り込んできたこの邪魔者が恨めしい。
※ ※
アイリスが東の森を訪れた昨日、主人のあとを追うようにザクセン州都からバザールでも開けるんじゃないかと思えるほどの列をなした旅団がラウルの農場にやってきた。農場の休耕地に移動式住居を複数設営してどうやらこれから長期滞在するようだ。よく統制された家臣たちが設営している野営陣は規模も設備もラウルの農場の母屋よりよほど豪華で快適そうに見える。
「アイリス殿といったか。それで御父上のザクセン卿は今どうしているのだ?」
アイリスが住居の設営を眺めながら暇そうにしているので、仕事の合間に通りがかったタパは声をかけてみた。ラウルが食用チューリップの世話をするため少し離れた畑に行ってしまっているので、構ってもらえずご機嫌斜めらしい。アイリスはかわいらしい眉を寄せて憂いの表情を作ると答えた。初めて会った時に礼儀がどうだと嫌味をいったせいか口調がやけに莫迦丁寧だ。
「さあ?あの日、王都が陥落する戦いで、たまたま王都にいた父は随伴していた兵たちを率いて最前線に立ちました。勇敢に戦ったときいています。その後の消息はわかりません」
「む。それは……何というか、残念なことだ」
「当家はシルウェストリス王家に忠誠を誓った古参の家臣でございますから、父も本望だったと思います」
「ではザクセン卿亡き後をアイリス殿が継いだということなのか?」
「ふふっ。わたしのようなまだ年若い小娘にザクセン州領主などというそんな大役が務まるものでしょうか?父の代からの家臣たちがよく働いてくれています。わたしは彼らに養われているに過ぎません」
「そういうものか?ラウルさんは同じような年頃でお祖父様の農場を継いで立派に切り盛りしているようだが」
「ラウルは特別です。小さなことから何に対してもひたむきでいつだって頼りになりました」
「その、なんだ……ラウルさんとはずいぶんと仲がよさそうだな」
「ラウルのお祖父様は戦争中に出陣した父の右腕として活躍した勇士。そもそも父に剣の握り方から教え鍛えた師にもあたる人物。戦争が終わって引退されこの農場を立ち上げてからも父はよく相談に訪れておりました。わたしを連れて」
アイリスはタパの目をまっすぐ正面から覗き込んだ。
「だからこの農場で過ごすことはわたしにとって子供の頃からの習慣。当たり前のことです。……むしろわたしが姫様にお尋ねいたしたく存じます。何故シルウェストリスの姫様がわたしの幼馴染の農場にいらっしゃるのでしょう?」
「いや……その、いろいろあって……」
まさか世界を滅ぼすために破壊神を探しに来たのがたまたまこの農場だったとはいえない。言葉が途切れてしばし気まずい沈黙が訪れる。タパは話を変えてごまかすことにした。
「ところで、なんだな。ここは王宮ではない。畏まった口調で話すのは億劫だ。わたしも今はラウルの農場で働く一介の従業員なのだから、もっと普通に友達同士のような口調で対等に話すことにしないか?」
「まあ、そんな畏れ多い……シルウェストリスの姫様と友達のような口調で対等に話すなど」
「いや、いいんだ。実のところわたしが王宮で育ったのはあの日までのこと。6歳で王宮から落ち延びて以来宮廷とは遠いところで育ってきた。回りくどい喋り方で話していると疲れる」
「姫様がそうまで仰るのならばこれからはもっと砕けた言葉で親密にお話しすることにいたしましょう」
アイリスはタパに顔を近づけてニッと笑った。
「お友達のように」
しまった。こいつは距離感のおかしい奴だった……と、タパはすぐに後悔することになる。
※ ※
「タパさん、どう?風景に見覚えある?どっちの方角かな」
東の森から荒野へかなりの距離を進むと、それまで黙々と歩いていたラウルが振り返っていった。タパは迷いながらも岩場が続く荒野の西側の丘を指さす。
「多分あの岩場の陰あたりだと思うんだけど……」
「よし、行ってみよう」
背負った荷物を2、3度揺らすとラウルは再び慎重に岩場を歩きだす。岩陰に着いて最初に見つけた群生地でチューリップはタパに食べ尽くされて全滅していた。
「タパさんがここを通ったことは間違いないみたいだね。よし、次に行ってみよう」
ラウルは明るい声でいった。一行は黙々と移動する。
次の群生地でもチューリップはタパに食べ尽くされて一株も残っていなかった。
「間違いなくタパさんの足跡を辿っているね。この調子ならきっとすぐに見つかるさ」
その次とその次の次の群生地でもチューリップは食べ尽くされて全滅していた。
「……」
「……」
かろうじてチューリップを引き抜いた痕跡がわかる今は不毛と化した荒地をラウルとタパはただ無言で見つめた。
「……意地汚いわねー。全部食べちゃったんだ」
アイリスがボソッとつぶやいた。タパが顔を真っ赤にして反論する。
「仕方ないでしょ!餓死するか脱水症で死ぬかの瀬戸際だったんだから!」
「はいはい」
アイリスは優雅な仕草で手近な岩場に腰をおろす。
「それでラウル、どうする?」
「うーん、これ以上タパさんが歩いてきた道を辿っても見つかりそうにないね。多分タパさんが荒野を横断中に見つけたチューリップは全部引き抜かれて食べられちゃってるだろうから」
「そんなぁ……ごめんなさい」
「いや、それだけ過酷な旅だったんだろ。仕方がないさ」
ラウルは手早く群生地の温度や日照具合、土の湿り気具合を調べてノートに記録していく。
「この辺り一帯に地下水脈はない。あってもかなり深いところを流れている。どのみちチューリップの根ではこの乾ききった荒野で地下水脈まで届かないから、別の方法で水分を得ているのは間違いないんだ。おそらくはこの岩だと思う。夜中にこの岩へ結露した露が滴り落ちてうっすらと地面を濡らし、チューリップはその水分を吸い上げて育つ。だからチューリップが生息するにはこの種類の岩場。それも滴り落ちた水がからからに蒸発しきらない程度の明るい日陰が必要だ。この辺で生息していることはわかったんだから、ここを中心に手分けをしてタパさんが通っていない少しずらした方角で条件に合う環境を探してみよう」
ラウルがきっぱりとした口調でいった。遠征隊がまたもや移動の準備をする。
「待って。先行させている物見が何かを見つけたらしいわ」
遠征隊ががやがやと移動の支度をしていると、家臣のひとりから何事か耳打ちされたアイリスがラウルとタパにいった。
「蛮族たちの斥候のようね。タパ様?あなたを探しているんじゃない?」
蛮族たちがわたしを追っている?タパはそんな当り前の事態を今更に思い出して驚いた。そうだ、奴らはシルウェストリスの王族の血統を根絶やしにするためどこまでも追いかけてくる。ここしばらくラウルの農場で農作業を教わったり破壊神の動向を探ったりと何かと忙しい日々を送っていたのですっかり忘れていた。
アイリスが地面に輿を下ろさせ自身の足で立ち上がると鋭い声で家臣たちに指示を発した。白いフリフリのふわふわの癖に妙に貫禄がある。タパは軽く違和感を覚えた。
「姫様、どうします?戦うか、やり過ごすか」
「いや、これはラウルさんがチューリップの原種を採取するための遠征で、だからわたしが決めることでは……」
「何をいっているの。蛮族たちが斥候を繰り出してきたのなら、目的はあなた以外には考えられない。戦うにしろ逃げるにしろ距離がある今のうちに決断しなきゃ」
そこへ偵察に行っていたアイリスの家臣が駆け戻ってきていった。
「蛮族たちに気付かれました。まっすぐこっちに来ます。全員騎馬で数は11」
「選択の余地なし、か」
アイリスが呟くと家臣たちは意を察して迎撃態勢を取るために一斉に動き出した。
「家臣たちがここに防衛線を築いて防ぎます。姫様はひとつ下がった向こうの岩陰に避難してください」
何でお前が仕切ってんだよ、とタパは口の中で毒づいた。
タパは岩陰に隠れるべくアイリスの家臣たちに守られて走った。もっとも蛮族王が自ら兵を率いているのではない限りタパが負けることはない。いざとなったら黒魔術で吹き飛ばすなり闇の眷属たちに始末させるなりタパがひとりであるならばどうとでもできる自信があった。だからそこまで守ってもらう必要もないのだが、今はラウルとアイリスという非戦闘員をふたり抱えている。このふたりに危害が及ぶのはまずい。
「ラウルさんは?」
走りながらタパが叫ぶ。家臣のひとりが答えた。
「大丈夫。わたしたちの後をついてきています」
タパは家臣のひとりに抱えられながら首を伸ばして後方を見た。ラウルは腰から下げていた鉈鎌――愛用のビルフックを抜いて一行の殿を務めながらついてきている。
(ラウルさんは戦う人じゃないのに。わたしのせいで……)
タパは唇を噛みしめた。
「タパさん、危ない!」
岩場まであと数十歩という距離まで迫った時、離れたところからラウルの声がした。
「え?何?」
事態を把握できずにうろたえたタパが見当違いの方向を見ている間に別動隊として隠れて近寄ってきた蛮族たち4騎が側面から襲ってきた。タパを護衛するアイリスの家臣たちに追いつくと次々と馬から飛び降りて斬りかかってくる。勢いに押されてタパが転がった。一瞬にしてアイリスの家臣たちと蛮族たちが入り乱れて周囲は乱戦になってしまう。
(しまった!これでは魔術を遣えない。遣えば味方を巻き込んでしまう)
タパが困惑して立ちすくんでいるとラウルが大声でタパの名を呼びながら駆け寄ってきた。
「タパさーんタパさーん。大丈夫?」
ラウルはタパやアイリスの家臣たちと蛮族たちの間に飛び込むとビルフックを振り回して近寄る蛮族たちを牽制する。ふいを突かれた蛮族たちが警戒して距離を取った。タパはいった。
「うーんと、こういう場合、大声で名前は呼ばない方がいいかな。標的がここにいるぞーって敵に知らせているようなものでしょ」
「あ、ごめん」
「でも、ありがとう。敵を引き離してくれて。これでわたしの得意技が遣えるわ」
タパは魔法の杖の代わりにピンフォークを構えて詠唱をはじめた。荒野の空気が変わる。
硫黄の臭いがした。
※ ※
タパが黒魔術を使いだすなり戦況が一変した。蛮族たちは躰のあちこちから黒い地獄の業火を燃え上がらせ、その苦痛に地面を転がりまわる。黒魔術によって現出した炎は容易に消えるものではない。その時点でもはや戦闘は不可能である。
前線を作り敵の主力を抑えていたアイリスたちは蛮族たちの攻撃をよく防ぎ、最小限の被害で後退するとタパたちに合流して万全の守りを固めた。こうなってはもはやこれ以上の戦闘に意味はない。蛮族たちの斥候の一隊は手をこまねいて遠巻きに馬でタパたちの周りを回るばかりで攻撃してこなくなった。戦闘が膠着する。場が落ち着くのを見極めてタパが一歩踏み出していった。
「わたしがシルウェストリスの闇堕ち姫と知ってまだ続けるか?」
「ほう?」
馬に乗った騎士崩れらしい男が前に進み出てきた。こいつはアイリスの家臣団がひいた防衛線を散々に攻め立てて手こずらせてくれた手練れだ。家臣を複数負傷させられたアイリスがきつい目で睨みつける。騎士が慇懃無礼な態度で名乗りを上げた。
「これはこれは。シルウェストリスの姫君様。旧王家の騎士ブスベックと申します」
「王家の騎士であったものが何故蛮族どもに混ざってわたしに剣を向けるのか?」
タパの目が鋭い。有無をいわさぬ口調の鋭さで問い質すと、ブスベックと名乗る男は蛮族たちが負傷した騎兵を回収する様子を横目で見ながらうんざりした顔でいった。
「王都が陥落した後もわれわれは生きていかなきゃなりませんからね。雇ってもらえるならたとえ相手が誰であれ、贅沢はいえません。わたしが請け負ったのは姫様の死体を確認する仕事でして。姫様がご存命であり、シルウェストリスの王統がまだ存続しているとなれば話は別というもの。此度はおとなしく引きましょう。またお会いする日までどうぞご壮健でありますように」
「はあ、びっくりした」
ブスベックと名乗る騎士は馬を返すと蛮族たちを率いて去って行った。それを見送ってタパは安堵の息をつく。ラウルがビルフックを鞘に納めながら応じる。
「ね。みんな無事でよかったね」
そこへアイリスが寄ってきていった。
「闇堕ち姫なんて呼ばれるくらいだから敵味方関係なく黒魔術で吹っ飛ばしはじめたらどうしようって気が気じゃなかったわ。思っていたより理性的なのね」
(どんなふうに思われていたんだ。わたしは)
「そんなことするわけないでしょう」
「わたしの家臣たちに危害を及ぼさないよう配慮してくれてありがとう。他にもいいたいことはいっぱいあるけど、それは後でね」
アイリスが素直に頭を下げた。タパは対応に困って口ごもった。
「あれ?ラウルさんはどこ?」
タパはついさっきまで隣にいたラウルの姿が見えなくなったので辺りをきょろきょろ見回していると、岩場の陰からラウルの声がした。
「あった!あった!ねえ、タパさん。これじゃない?さっき戦闘中に目に入って気になっていたんだ」
声がした方を見ると、タパたちが身を護るのにつかった岩陰にラウルが尻だけ見せて潜り込んでいた。あの戦闘中にもチューリップを探していたの?タパが駆け寄ると泥だらけの顔でにこにこと小さなチューリップを見せてくる。
「あ、それ。わたしが荒野を横断中に見つけた花」
「なるほど。確かにひねくれた針金みたいな変な形をした貧相で地味な色のチューリップだね。初めて見た。新発見の原種で間違いないと思うよ」
ラウルは移植鏝でその小さなチューリップを慎重に採取用の鉢に移した。
「見つかってよかったわね」
アイリスがいった。
「さあ、目的を果たしたのならとっとと帰ることにしましょう。あの蛮族どもが戻ってこないとも限らないのだから」
「ねえ、タパさん、この花の名前、何にしようか」
ラウルは鉢におさめたチューリップをタパに渡しながら能天気にいった。
「このチューリップの名前?わたしがつけていいの?」
「タパさんが発見者だもの」
タパは手の中で息づくチューリップを凝視した。
「えっと、そうね……」
タパは天を仰ぐよう目を瞑って考える。やがて思いが定まると、ラウルの目を正面から見返していった。
「……『シルウェストリスの未来』なんてどう?」
「『シルウェストリスの未来』?『白銀の宝冠』に匹敵するくらい大層な名前だね」
「なんか今、そういう気分なの。シルウェストリスの王族であるわたしが名付けるのだからいいでしょう?不敬になんかなりません」
「そうか。うん。いい名前だと思うよ」
ラウルはタパから返されたチューリップを受け取るとそれを高く掲げていった。
「このチューリップにはとても見込みがあると思うんだ。今は地味な感じだけれどこの薄いベージュと花弁の付け根の淡い青色。そして針金みたいに捻くれたフリンジで縁取られた花びらの形。この特長を伸ばすように選択繁殖を繰り返せば次世代を代表する個性的な園芸品種になるに違いない」
タパは目をキラキラさせて語るラウルを眩しそうに見た。




