5.ムスカリ商会
ムスカリが激昂して立ち上がるより早く寝室の空気が一変した。暗闇がねっとりと寝室の空気を侵していく。濃い硫黄の匂いの中、低い地響きをたててタパの影から禍々しいものたちがぞわぞわと這い出てきた。ムスカリは闇の眷属たちの姿を見るなり腰を抜かして歯の根の合わぬ震えた声でいった。
「お、お前、何ですかこれは。育ててやった恩も忘れて。このわたくしに逆らうのですか?」
「3回目」
タパは静かに宣告する。ムスカリは意味がわからず鸚鵡返しに訊き返す。
「3回目?」
「蛮族王に敗れ身をやつしたとはいえ、シルウェストリスの王族を『お前』と呼んだな」
「何を。わたくしはお前……じゃないあなた様の養い親であって……」
「そのことに関しては感謝する。こうして今日までながらえることができたのもお前の献身が一助になったことは認めよう。だからといってわたしを好き勝手できるなどと思ってもらっては困る」
タパが尻餅をついたムスカリにゆっくり歩み寄る。その時、異変を察知したムスカリの手下たちが寝室の前に集まってダンダンと扉を叩きながら叫びはじめた。
「旦那様!ムスカリ様!ご無事ですか?」
よほど頑丈なドアなのだろう。頑丈なうえ厳重に鍵が掛けられて手下どもが束になっても開きそうにない。こんなにがっちりと戸締りした寝室にわたしを閉じ込めて何をするつもりだったんだ。この変態ヤローめ。
「おい、斧だ。斧を持って来い。ドアをぶち破る!」「はい!」
手下のひとりが斧を取りに駆け出した。それを察したムスカリが喚き散らした。
「こんなことはおやめなさい。間もなくわたくしの手練れの部下たちがくるでしょう。そうしたら少しばかり黒魔術を学んだからって、あなたひとりでどうなるものではありません。最早シルウェストリス王室の権威などあって亡きもの……」
背後に控えていた闇の眷属がタパに耳打ちした。
(うるさいですね。こいつ。殺りますか?)
タパが短く答えた。
(いや、殺すまでもない。いつものように)
(わかりました)
闇の眷属たちが楽しげに頷きあう。タパはムスカリにゆっくりと話しかけた。
「家族を奪われて祖国を滅ぼされた恨み。その復讐のために8年の月日をかけ歯を喰いしばり全てを捧げて修めたわたしの黒魔術を『少しばかり』だと?」
「え、いや、その」
「わたしの二つ名を知っているのだろう?いってみろ」
ムスカリはパクパクと口を開閉するばかりで声も出ない。
「『闇堕ち姫』だ」
タパはにぃぃっと片頬で笑った。
「ひょえぇぇぇ――――。やめろぉぉぉ――――」
ムスカリの悲鳴が空しく寝室に響く。ムスカリは闇の眷属たちに寄ってたかって弄ばれた挙句、タパの影の中の奥底まで引きずり込まれていった。そこへようやくドアを破った手下どもがどたどたと寝室へ雪崩れ込んでくる。頭目らしき黒服の男が寝室の中を見回しタパがひとりしかいないことを確認すると、一歩踏み出し短刀を抜き払いながら叫んだ。
「てめえ、ムスカリ様をどこへやった?」
「わたしの影の中。黒魔術で創られた闇の迷宮の深淵へ」
涼しい顔でタパは答える。
「ところで貴様、王家の者に対する口の利き方がなっていないな。ましてこのわたしに刃を向けるなど」
「知ったこっちゃねえ。今すぐムスカリ様をここへ戻せ。さもないと」
男が凄む。
「さもないと?さもないとどうするというのだ?」
タパは小首を傾げて取るに足らぬものを見る目で黒服の男が持つ短刀を一瞥した。
「なるほど。お前の忠誠心はシルウェストリス王家ではなくムスカリ個人へ向けられているのだな。よかろう。お前も主人の所へ送ってやる。そこで存分に忠義を果たすがよい」
タパは笑った。
「闇の眷属たちよ。逆らうものはみな、主人の後を追わせてやれ」
タパの背後で闇の眷属たちが騒めきたつ。ムスカリの手下たちの声が続いた。
「ひょえぇぇぇ――――。やめろぉぉぉ――――」
※ ※
一瞬、寝室に漂う闇がぶわっと膨らんだように見えた。闇の眷属たちが次々にその辺のムスカリの手下たちをぞんざいに引っ攫うと歓呼の声をあげながらタパの影の中へ戻っていく。やがて闇が失せ寝室に明るさが戻って硫黄の匂いがするすると収束するとあたりはもとの静寂に戻った。
タパは無人になった寝室を見回して腰に手をあてふうと息をついた。するとどこからかカタカタカタカタと小さな音が聞こえてくる。何かしら?タパが寝室の物陰を順に探すと、壊れたドアの影で斧を握りしめた細い腕をした男が恐怖のあまり腰を抜かして歯を鳴らしていた。南西の帝国で売られている奴隷に時々見られる真っ白い肌にちりちりの金色の髪をした男である。こういう異人種はもとは文化の発祥を自称する西方の島国の民族だといわれているのだが、どうせこいつかこいつの親が北西の帝国がしかけた戦争に従軍してきて南西の帝国の捕虜にでもなっていたのであろう。
「何をしている?」
「どうぞお見逃しください。お願いします。お願いします」
「誰よ、あんた?」
「クルセウスと申します」
「その斧でわたしをどうしようっていうのだ?」
タパが尋ねると、クルセウスと名乗った男は慌てて斧を放り出すと平伏した。
「どうぞお見逃しください。お願いします。害意はございません」
「全くあいつらときたら。ひとり取りこぼして忘れていくなんて。待ってて。これから闇の眷属たちを呼び戻してあんたもムスカリの所へ送ってあげる」
「やめてください!どうぞお許しを。わたしは逆らいませんでした。だから魔物たちから見逃されたのだと思います」
「でもあなたはムスカリの部下でしょ。いいの?ご主人様の後を追わないで」
「ご容赦ください。8年前蛮族たちの侵攻でシルウェストリスの王宮が落城して以来、逃げ延びて食い詰めて、やむを得ずここの主人に雇われていただけでございます。恐れ多くもシルウェストリスの姫君様に対して叛意を持つなどあり得ません」
「あら、あなた。あの日シルウェストリスの王宮にいたの?」
タパは目を細めてクルセウスの顔を覗き込むと遠い記憶を掘り起こした。
「そういえばなーんか見覚えがあるような気もするんだけど……」
クルセウス立ち上がりぴんと直立不動の姿勢をとった。
「はい!南西の帝国から奴隷として解放されて以来、シルウェストリスに身を寄せて王宮に勤めておりました!幼き頃の姫君に拝謁を賜ったこともございます!」
「そうだっけ?ふーん」
「王宮では主に財務関連を担当し、姫君様が呼び寄せた商人からチューリップをお買い上げになる際には末席ながら立ち会わせていただいて代金の出納を行っておりました!」
「覚えてないけど……って、あなた今、ザイムっていった?」
タパが目を輝かせた。
「ザイムって王宮のお金の遣り取りを管理する仕事よね?」
「左様にございます!姫君様!」
「じゃあケーリができるのよね?」
「経理?は、はい。それがわたしの仕事でございます!」
タパは勢い込んでクルセウスの胸倉を掴むとがっと引き寄せて問い質した。圧が強い。
「じゃあ、帳簿の読み方、わかる?」
タパはクルセウスを従えると屋敷の広間に戻り、残ったムスカリの屋敷の使用人たちを集めて宣言した。
ひとつ。わたしタパ・グロウス・シルウェストリスがこの屋敷に帰還したこと。
ひとつ。帰還したその日の夜、何故か当家の主人でありタパの養い親であるガメル・ムスカリが手下どもを引き連れて何処かへ失踪してしまったこと。
ひとつ。当主が不在となりいつ帰るともわからぬ事態ゆえ、今後は養女たる立場のわたしがムスカリ商会の全権を掌握しその財産の全てを差配すること。
いい終えるとタパはどうだとばかりに胸を張って使用人たちを見まわした。それらの宣言は使用人たちからひと言の反論も出ず拍子抜けするほどあっけなく承認された。当たり前である。みなそれぞれの持ち場で屋敷中に響き渡る寝室での騒ぎを一部始終きいており、何が起きたのかはっきりわかっていたのだから。この上タパに逆らうような命知らずはこの場にそんざいしない。
「それでは姫様、これからどうしますか?」
一段落ついたことを確認して、クルセウスが尋ねた。タパは上機嫌で答えた。
「もちろん帰るわよ。東の森の農場に」
※ ※
「タパさーん。タパさーん」
タパに命じられた使用人たちが帰りの馬車を用意するべくムスカリの屋敷の庭を駆け回ってる最中、小さなロバに乗ったラウルがその間を抜けてやってきた。
「無事だった?ひどいことされてない?」
タパは突然現れたラウルに驚いてうまく言葉が出ない。
「……ラウルさん、どうして」
「迎えに来たのさ」
ロバから降りるなりラウルはタパに鉢植えを手渡した。
「はい」
「これは?」
「これがうちの農場のチューリップ『白銀の宝冠』さ。まだ開花していないけれど。ムスカリさんはこれさえ渡せばタパさんを返してくれるっていってたでしょ?ロバの後ろにこの花の球根を十分な量だけ積んである。育成法を書き留めた帳面も持ってきた。いやあ書き起こすのに時間がかかって遅くなっちゃった。ムスカリさんはどこ?さっさと渡して、一緒に農場に帰ろう」
タパはムスカリの姿を探して落ち着きなくきょろきょろとあたりを見回しているラウルに優しく手をかけた。受け取った鉢植えをラウルに返す。
「もういいの。終わったから」
タパは手短に、ラウルに伝えて差支えのないところだけをかいつまんで事情を説明した。
「そうかぁ。よくわからないけど、もう大丈夫なんだね。よかった」
ラウルが無邪気に笑う。少し照れながらタパがラウルをたしなめる。
「それにしてもラウルさんってば、ばかね。こんなまだ入ったばかりの従業員ひとりのために、家宝の種苗や秘伝の育成法を手放そうとするなんて」
「え?何で?」
「だって東の森のチューリップ農場を代表する品種でしょ。そんなのを渡しちゃったら農場の命運に関るんじゃないの?」
「そんなことないさ。いいんだよ。ぼくは農場主なんだから従業員を守らなきゃいけないんだ。それにこれは種苗や育成法を手に入れたからって誰にでも咲かせられるような花じゃないからね」
「どういうこと?」
「これくらい高度に人工的に作り上げた園芸種となるとその育成が難しいんだ。この道何年何十年っていうチューリップ職人の腕の見せ所ってやつ?ちゃんと育てないとまともな花は咲かない。だからムスカリ商会がこのチューリップを奪ってその栽培を企んだところで結果は明白だからね。うちの農場にとっては痛くも痒くもない」
「秘伝みたいな育苗法があるってこと?」
「いや。いたって普通だよ。適度に日に当てて適度に水を遣り適度に肥料を与え適切な温度に管理する」
「いつもやってることよね」
「そう。でもこの類のチューリップはその適度の幅が極端に狭いんだ。苗の状態を見極めてその適度ってやつを正確に判断してやらないと、ちょっとでも日に当てすぎると葉が焼けて枯れるし、ちょっとでも日照が足りないとひょろひょろと間延びして蕾を膨らませるのに必要な力を蓄えられないし」
「うわー、たいへん」
「もちろん水や肥料、温度の管理も同じこと。正直ぼくやお祖父さんにだってこのチューリップは育てるのが難しくて、毎年2割ほどは売り物にならない育成不良が出ちゃう。ましてムスカリさんみたいに何もわかってないズブの素人がいきなり土に植えてみたところで花を咲かすどころか全滅させるのがオチじゃないかな。品種ならではの個性を保持するにも細心の注意が必要で適切な管理ができていないと、ちゃんと咲かないなあ、今年も咲かないなあなんて何年かやってるうちに特長を失ったありきたりなチューリップに戻ってしまう」
「ふーん」
「作出交配に必要なレシピは残っているから、何年かかければ『白銀の宝冠』を復活させたり、それに匹敵する新しい品種を生み出したりすることもできる。だからね。みんなが思っているほどうちの農場では種苗や育成法を秘匿しているわけじゃないんだ。これでタパさんが帰ってこられるなら、ぼくはムスカリ商会に渡しちゃっても構わないと思ってる」
……そういうものなのか。うん。わかった。……けど。
タパはくすくすと笑った。ラウルもつられてにこにこと表情を緩ませる。
「そういう話はね、全部をバカ正直に説明してくれなくてもいいの。あなたの誠意が軽く見えちゃうでしょう?『君のためなら何を犠牲にしたって構わないさ』って格好つけておけば、あとは女の子がいいように受け取るものよ」
「そうなの?」
「そうなの」
タパはラウルの手を取った。
「さあ、帰りましょう」
タパは馬車に乗るようラウルを促す。しかしラウルはその場を動こうとせず、あらためて手に持った鉢植えを見ながら感慨深げにいった。
「それにしてもさ、お祖父さんもこの花にすごい名前を付けたよね。いうに事欠いて『白銀の宝冠』だよ。シルウェストリス王家継承の証じゃないか。王家に献上する時によく『不敬である』とかって怒られなかったもんだ」
「違うわよ。この花に『白銀の宝冠』って名前を付けたのはお父様だから。不敬になんかならないわ」
「へ?」
「わたしはその頃まだ赤ちゃんだったから後から聞いた話だけれど、ラウルのお祖父さまからこの花を受け取った時にお父様がその美しさにいたく感激されて『これぞ我が国の至宝である。その価値はわが頭上に戴く王冠に等しい』って仰って、それで自ら『白銀の宝冠』と名付けたの」
「ちょっと待って。君のお父さんがぼくのお祖父さんからこの花を受け取ったって……それでこの花に名前を付けたって……」
「お父様ったら本当にチューリップが好きだったから」
「あの、タパさん?タパさん?それじゃ君のお父さんって……」
「はっ!あわわわわ」
また余計な事いっちゃった!タパは慌てて話を打ち切ると背後に回ってラウルを無理矢理馬車に押し込んだ。
「さあ。ほら。帰るわよ。明日も朝から農場の仕事があるんでしょ。急がなきゃ」
「え、いや今の話の続きは?……大丈夫だって。今日明日農場で必要な作業についてはチャーリーと破壊神に頼んできたから」
「あのふたりがアテになるもんですか」
タパは馬車に乗り込むと御者台に座ったクルセウスに合図する。頷いたクルセウスが馬に一鞭くれると、タパとラウルを乗せた馬車はザクセン州都から東の森へ帰るべくしずしずと動き出した。
※ ※
東の森への帰路、馬車に揺られながらタパはふと思いついてラウルに尋ねた。
「ところでラウルさん。借金はこれで全部?他にない?」
「ないない。……ないはず。少なくともお祖父さんからは何も聞いてない」
「そう。それならいいけど。でももしあるなら早めにいってね。わたしの養い親ってあいつの他にもう12、3人いるから、順番に訪ねていけば農場をもうひとつやふたつ買うくらいのお金はすぐに集まると思うわ」
「タパさん、ダメだよ。それ。やめよう」
ラウルが困った顔で哀願する。
「正直に生きよう」
タパは小さく鼻を鳴らして笑った。
「そう。残念ね」
馬車は走り続ける。この分なら夜が明ける前に東の森に帰れるだろう。




