4.農場の一日 後
前回「3.農場の一日」で投稿したエピソードがスクロールして読むには長すぎるというご意見があったので分割した後半部分です。内容は同じです。(2025年10月20日)
「犬猫の餌やり終わりました」
「ごくろうさま」
母屋に戻ったタパが食堂で手を洗っているとラウルが難しい顔をして入ってきた。
「どうしたんですか?」
タパが尋ねるとラウルが小脇に挟んでいた帳面をひらひらさせて答えた。
「いやね、経理のこと。いい加減どうにかしなきゃと思ってここ数日帳簿とにらめっこしているんだけどさ。まーこれがさっぱりわからない。もう手のつけようがなくって。ねえタパさん。本当に帳簿の読み方を知らない?」
「知りません」
「だってタパさんは難しい魔導書とかも読めるんでしょ。経費の出納の数字くらい……」
「無理です。ぜったいに無理」
タパはにっこりと笑って拒絶した。
「そもそもラウルさんはおじいさまが床に臥せってからずっとおひとりで立派に農場を切り盛りされてきたんでしょう?今までどうやっていたんですか?」
タパが訊き返すといつの間にかテーブルの端に現れていたチャーリーが口を挟んだ。
「あはは。それは無茶ぶりが過ぎるってもんだ」
「あら、チャーリー。いたの」
タパが冷ややかに応じる。
「ボンはな、先代からチューリップ栽培に関する全てを受け継いだ逸材だ。その歳でたいしたもんだと俺だって思うぜ。ボンに世話されるとな、破壊神にどれだけヘマこかれて傷つこうがきっちり直していい状態に戻してもらえる。育成されるチューリップにとってこれだけありがたい人間はいない。でもチューリップ栽培以外のことはまるっきりのからっきし。まして経理のことなんか……」
「チャーリー。もうぼくはお祖父さん亡き後、農場を相続してひとり立ちしたんだからさ、ボンって呼ぶのはやめてよ」
ラウルは苦い顔をしてチャーリーの軽口を遮った。しかしチャーリーは意に介さない。
「ボンはボンだろうが」
「ふーん。お坊ちゃまに帳簿は難しすぎるってわけね」
タパがラウルの顔をにやにやと笑いながら覗き込むと、ラウルは腰に手をあててため息をついた。
「これはまだお祖父さんがこの農場を仕切っていた頃の話だけどね。シルウェストリスの王都が陥落した年は春が遅くて、天が王家に降りかかった悲劇を嘆いているんじゃないかって噂されたもんさ。暦の上で春になってもまだひどい霜が続いて、チューリップの球根がだいぶ被害を受けてしまったんだ」
「あら、そんなことが……」
「うちの農場だけで収めるには被害が大きすぎて、仕方がないから当座のお金を借りて農場の経営を立て直すことにしたんだけど……」
「どこからお金を借りたの?」
「ザクセン州都のムスカリ商会っていうところ。知ってる?」
(ムスカリ商会?知っている。2番目か3番目くらいに身を寄せていた養い親だったかな。爬虫類みたいなぬめっとした見た目のいやらしい変態ジジイだった。さりげない振りをしてべたべたと躰を触ってくるのが気持ち悪くて我慢できなかった。ミエミエだっていうんだよ。そのままあと2、3年あそこにいたら手籠めにされていたな)
「いいえ、聞いたこともありません」
「その年は借金で乗り切ったんだけど、王都が陥落してからはすっかり世相が変わって観賞用のチューリップが売れなくなっちゃったでしょ。切り花も球根も」
「まあ、王都以外へもいつ蛮族どもが攻めてくるかわからない状況だから、お花を愛でるような余裕もないですよね」
「そんなわけでまだその時の借金を返し終えてなくて。大変だよー。借金の残高には高い利子がつくし。完済するまでは毎年ムスカリ商会のご主人に帳簿を見せて監査を受けなきゃならないし」
「監査っていつ来るんですか?」
「さあ?例年だったらもう来ている頃なんだけど……」
「それでこのところしきりに経理だ帳簿だって騒いでいたんですね」
「そう。去年まではお祖父さんがしっかり帳簿を管理してたし、経理に詳しい従業員もいたから何とかなってたんだけど。お祖父さんが亡くなってぼくが後を継ぐって決まった途端みんな辞めちゃって」
「今はこの広い農場にラウルさんとわたしと破壊神だけですもんね」
タパとラウルはがらんとした食堂を眺めてため息をついた。テーブルの端からチャーリーが口を挟む。
「おいおい、オレもいるだろ」
「あ、チャーリー。そういやあなたもいたわね。……って、そうだ。もしかしてあなた、帳簿が読めたりしない?」
「チューリップに帳簿が読めるわけないだろ。常識で考えろ」
「常識外れに喋るチューリップからいわれたくないわー」
「けっ」
チャーリーが柄悪く会話を断ち切る。タパはラウルに向き直った。
「それで真面目な話、どうするんですか?」
「どうにもならなかったら正直に事情を話してムスカリ商会のご主人に相談にのってもらうしかないかな。経理のわかる人を紹介してもらってお任せするとか」
(あのジジイだと、親切に相談のるふりをして隙を見て農場を乗っ取るくらいやりかねないぞ。この人はチューリップ以外のことに関してはちょっと抜けてるところがあるから)
「悩んでいても仕方ない。朝ごはんにしよう」
タパがひと言口を挟もうとすると、ラウルは重たい空気を振り払うように明るい声で遮った。そうそう朝ごはん。わーいパンケーキ。タパが釈然としない表情を残しながらも手際よく皿をテーブルに並べていく。一週間も農場で暮らしていればこれくらいはできるようになります。うん。
タパに不安を感じさせないように、ラウルは懸命に食卓の会話を盛り上げようと食べながら話し続けた。ラウルは口を開けばチューリップのことしか話さない退屈な男だが善良で優しい。これまで修羅のごとき道を歩んできたタパの生涯にはいなかったタイプだ。その傍らにいるのがなんとなく心地がよくて、タパはこの一週間ほど気を緩めず緊張を維持し続けることに苦労した。
タパは食卓でラウルが語る今年のチューリップの出来栄えや来年の作付けの計画、そしてお祖父さんが生み出した花に負けない新しいチューリップの品種を作るための交配プランなどの話を聞くのが好きだった。ラウルはその誠実さと勤勉さで未来を見据えこの農場に夢と希望を持っていた。だからこそその話を聞き一緒に笑いながら、タパの心は痛んだ。
(ごめんなさい。あなたもあなたの農場も未来も夢も、近い将来わたしが滅ぼすことになるの。破壊神の力を遣って……)
※ ※
午後、畑の隅に山と積まれた刈り取られた雑草を堆肥にするべくタパがピッチフォークをふるっていると、背後からべちょべちょした湿った声をかけられた。
「おや、どこかで見覚えがあると思っていたら、あなたでしたか」
タパは聞き覚えのある声にはっとピッチフォークを下段に構えて振り返る。その姿を見て。
「おや、こわいこわい。そうそう、あなたはうちを出て行った後、黒魔術の世界に身を沈めたと噂にききましたよ。今では『闇堕ち姫』と呼ばれているとか。なんでもついこの間、蛮族王に単身戦いを挑んで敗れたんですってね」
上品ぶってホホホと笑う声が耳障りだ。ムスカリ商会の当主である変態男ガメル・ムスカリ。タパにとってあまり思い出したくない忌まわしい男がぞろぞろと手下を従えて立っていた。しまった。こいつが来る時には姿を隠そうと考えていたのだが、完全に不意を突かれた。
「身寄りのない幼いあなたを万全の待遇でお迎え申し上げたにもかかわらず、恩知らずにも突然出て行った姫君様とこんなところで再会できるとは」
「久しいな。ここでまた会うとは」
タパが固い声で応じる。
「何をなさっておいでで?まさか姫君の身で農場の肉体労働でございますか」
「何しに来た」
タパは取り合わない。
「いえね。この農場へ監査にきたのでございますよ。この東の森のチューリップ農場は実質ズブズブと首までうちへの借金に浸かっておりましてね、最早うちの商会が経営権を抑えているようなものです」
「借金の元本に法外な利子をくっつけてわざと返済できないよう膨らませたくせに」
「それも商売の常道というものです。ここで出会ったのはよいご縁でございましたな。さ、農場主のところへ案内していただきましょうか」
不承不承母屋に案内したタパを手下に預けると、ムスカリは勧められるまま迎えたラウルの正面に座った。差し出された拙いなりにラウルが必死で整えた帳簿をパラパラとめくるなりぞんざいに床へ投げ捨てる。
「これが帳簿ですか。話になりませんね」
「……」
「お祖父様が亡くなって、あなたがこの農場を相続したそうですが、農場経営なんて年若いあなたには無理だったのではありませんか?先代の頃に勤めていた従業員たちは全員あなたを見限って辞めてしまわれたわけでしょう」
ホッホッホとうるさい。
「こんな経営ではどうせこの農場に先なぞありはしません。いっそここでうちの商会がこの農場を借金のかたに丸ごと差し押さえてしまってもよいのですが……実は今日この農場で他にもっとずっと価値のあるものと出会いましてね」
ムスカリがタパを見遣る。獲物を見定める爬虫類の目だ。
「この御方とわたくしには過去に深い関りがございまして。いやあ、最早会えないものと思って諦めかけておりました。ここで出会えたのは正に僥倖。わたくしには養い親としてこの方を手元に置く権利がございます。今日今すぐここでその身柄を引き取らせていただきましょうか。どんな事情でこの方がこの農場にいるのかは知りませんが、黙ってこの方を引き渡すなら、この農場の経営に関しての決定は来年の監査まではお待ちして差し上げてもよろしいのですよ」
「タパさん?どういうこと?」
困惑したラウルがタパに詰め寄ろうとすると、ムスカリの背後でタパを取り押さえている手下のひとりに阻まれた。タパがラウルを制する。
「ラウルさん、いいから」
「タパさん、きみは本当にそれでいいのかい?きみはこの農場に来たばかり。まして見習いの従業員でそんな取引の材料にされるような立場じゃないんだ。タパさんが思うようにしてくれていいんだよ」
ラウルはムスカリに向き直るといった。
「ねえ、ムスカリさん。お金なら払います。少し時間をいただくことにはなるとは思いますが、農場の一部を分割して売却すればそれなりの額をご用意できると思います。何ならうちの農場で独占的に育てている品種のうちいくつかの栽培販売権をよその農場に譲渡することを考えてもいい。だからそんな急に、タパさんを意に反して連れて行くようなことはやめてください。嫌がっているじゃないですか」
「そうですか。ではこの方を返す代わりにこの農場の代名詞といえるチューリップの銘品『白銀の宝冠』ね。あれの種苗と育成法を揃えて我が商会に譲っていただきましょうか。今後はムスカリ商会の主力商品として独自に栽培して独占的に商いさせていただくことにいたします。できますかな?」
急な話にタパが弾かれたように声を上げる。
「何をいっている。あの品種はラウルのチューリップ農場の貴重な財産。シルウェストリス王家に認められた門外不出の花。お前ごときが……」
「タパ、黙りなさい。養い親たる私に何という口を利くのですか」
ムスカリはにやにやと笑う。
「さあ、話は終わりです。『白銀の宝冠』を渡す気になったらご連絡ください。それまではこの方はわたくしの手元に置くことにいたします。タパ、行きますよ」
「痛っ!」
ムスカリの部下がタパの腕を捩じ上げて無理矢理連れ去ろうとした。タパの影の中の闇の眷属たちが一斉に騒ぎだす。
(どうしました?姫様ならこいつらくらいわけないでしょう?それとも我々が出て制圧しましょうか?)
(やめて。ラウルさんの前で。見られたくないの)
タパはきっと顔をあげるとムスカリに促されるまままっすぐ前を向いて食堂を出て行った。あまりの事態に理解が追い付かずわたわたしているラウル、チャーリーと破壊神を残してムスカリとその配下はタパを連れ馬車に乗り込むと振り返りもせずラウルのチューリップ農場をあとにした。
ムスカリの屋敷に着くなりタパは頭から爪先まで三人の侍女に湯で洗われた。髪を漉かれ化粧をされ上質な寝間着を着せられて寝室でムスカリを待つように指示される。
「おやまあ、お顔にはみ出るほど全身に刺青を施すなど、高貴な御身には大変残念なことです。それでもやはりお前は美しい」
ムスカリはタパの頬に手をあてると撫でまわした。タパの全身にぞわぞわと悪寒が奔る。
「ふふふ。手元に置いておいた時期は幼すぎてどうすることもできなかったがね。成長していよいよこれからという時期にお前は消えてしまった。私は悲しかったのだよ、タパ。さあこっちに来なさい」
わかりやすすぎるだろ。この状況。この変態ロリコン野郎め。
「積年の想いを遂げさせてもらおうか」
ムスカリが着ていたローブをはだけた。その言葉にタパの顔がゆがむ。人払いをして寝室で二人きりになると、ムスカリはぬめぬめと湿ったで声でいった。
「ホッホッホ。服を脱ぎなさい」
タパは答えた。
「いやです」
「何だと?」
タパの影から濃密な硫黄の匂いが溢れ出た。




