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東の森の破壊神  作者: たけぞう


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9.天山山脈 中

 その夜、アイリスはラウルに胸焼けするほど甘ったるく愛想を振りまいて別れを惜しむと家臣団が用意した馬車でザクセン州都へ帰っていった。同時にラウルの農場の休耕地に設けられていた野営陣も撤収をはじめ明日の朝には引き上げるらしい。久々にラウルとタパ、クルセウスと破壊神にチャーリーという農場の仲間たちだけの落ち着いた日常が戻ってきた。

 夕食の席で氷室から持ち帰った氷にベリーの果汁をたっぷりかけた氷菓子をシャリシャリと食べながらラウルがいった。

「やっぱり気の置けない仲間たちとの生活の方が落ち着くな。でももうすぐザクセン州都のムスカリ商会から補充の人員が到着するそうだからまたすぐに騒がしくなるだろうけど」

「ムスカリ商会から?そうそう。わたしとラウルさんを追ってすぐに補充の人員を派遣するって話だったのに一向に到着しないから不思議に思っていたのよ。そういえばラウルさんが向こうに乗り捨ててきたロバも戻ってきてないし」

「ああそれはね、アイリスがザクセン州都の外へ領民が移住する許可に待ったをかけていたんだって。王都の陥落以来政情不安が続いてザクセン州都の周辺以外は物騒だからさ。領民の安全が確認されるまでザクセン州境界への人の移動は制限していたみたい。危険はないと確認されたからアイリスは帰ったらすぐ許可を出すといっていた。アイリスの口添えがあるんだから数日後には着くんじゃないかな」

(物騒って破壊神と闇堕ち姫と蛮族王のどれのことかしらね?)

 タパはいいたい放題いい放って勝ち逃げするかのように去っていったアイリスへのふつふつと沸く感情とは裏腹に空々しい口調でいった。

「あら、ありがたいわね。どれくらいの人数がくるのかしら?」

「さあねえ。でもアイリスがザクセン州都で消費する大量の食用チューリップの球根を発注していってくれたから今はいくらでも人手は欲しいところだな。これで在庫を出荷してしまえばこの農場も経済的に一息つける」

「そうねえ」

 タパが頷くとテーブルの端で氷菓子をつついていたクルセウスの顔が輝いた。帳簿の整理は進んでいるもののその内容があまり芳しくないので前々から心苦しく思っていたらしい。

「ロバもその時に連れてきてくれると嬉しいな。荷物を持って移動する時や休耕地の整備で鋤を引く時なんかにロバがいないと大変だからね」

 ラウルの言葉にタパは(その辺の作業なんかは闇の眷属たちをこき使えばいいのだからどうでもいいけど)と心の中で呟いた。主の不穏な考えを察してタパの影の奥底から闇の眷属たちのひぃぃぃーっという悲鳴がきこえてきたような気がした。

 そんなタパの心の内を知ってか知らずかクルセウスはおずおずとした口調で会話に割って入ってきた。

「ラウルさん。この農場の将来を見据えた計画をたてロバだけでなく経済的に余裕ができたら順次牛や馬、山羊やアヒルなどの家畜を購入していくことを提案します。家畜をつかえばチューリップの栽培作業の効率化が図れます。禽獣からは乳や毛、アヒルからは卵や羽毛が採れますし糞は肥料になります。家畜は働かせるだけ働かせて老いれば肉や皮にすれば無駄がありません。余力があれば休耕地をつかって野菜や穀物を育てることもできるでしょう。この農場は天山山脈の麓、シルウェストリス王国の辺境にありますからザクセン州都など都市部から食料や生活必需品を購入すると輸送費などが嵩んで物価が高くつきます。将来的にはある程度自給自足できる体制を整えるべきです」

「うーん、でもぼくはチューリップ栽培が専門であって、野菜や穀物の生産や家畜の扱いは畑違いだよ。お祖父さんから代替わりするときにそっち方面を得意にしていた従業員はみんな農場を辞めちゃったし、家畜はその時に処分しちゃったから」

「いいのです。その辺は適材適所新たに人を配してやらせましょう。ラウルさんにはチューリップ栽培に専念していただきこの農場を経済的に発展させていく方向に注力していただければ。そういう体制を作るのです」

「なんか大げさな話になってきたな。でもそんなに人手が来るだろうか?」

「来ます。わたしがムスカリ商会を離れる晩には2、3家族が移住してくるという話になっておりましたので人数にして十数人は見込めるかと。実はわたくし、財務官僚以外に行政官としての職務経験がございます。タパ様に脅されて……じゃなかった忠誠を誓う身の上でございます。どうぞご信頼頂き今後の経営人事計画をお任せいただければと」

「王宮じゃないんだからそんな御大層な物言いはよしてよ。わかった。チューリップ以外のことはこれまで通り任せるよ。どうせぼくにはよくわからない」

 ラウルはくすぐったそうな顔をしてクルセウスの提案をこともなげに了承した。話がいい感じの流れになったのでタパはかねてから不思議に思っていたことをラウルに尋ねてみた。

「ねえ、シルウェストリスの民はもともと北方で遊牧をしていた民族だから伝統的に家庭で家畜を飼うのは普通のことでしょ?シルウェストリス王国はこの地に定住してから天山山脈の雪解け水を水源とする豊富な地下水脈をつかって農作物を生産して発展してきたのだから自分の家で消費するくらいの穀物や野菜は家庭菜園で作って当たり前。それなのにラウルの農場はチューリップにだけ特化していて他の農作業はほとんどやらないじゃない。家畜もいないし自家用の畑すらない。それなのにこれまで農場の生活や経営が成り立ってきたのはどうして?どうやって生きてきたの?」

「それは間違いなくお祖父さんのチューリップ栽培の腕が抜きん出ていたからさ」

「お祖父さんの?」

「お祖父さんが丹精込めて育てたチューリップを年に何度かシルウェストリス国王……きみのお父さんに献上すれば、その度にびっくりするほどたくさんのご褒美を頂けたからね。それこそ使いきれないくらいの大量の金貨とか」

「お父様……いくらチューリップが好きでも限度ってものが……」

 タパはこめかみをおさえるしかない。そうね。お父様は美しいチューリップが大好きだったわ。際限なくチューリップを買っては財務官僚に怒られるくらい。

「シルウェストリス王室御用達のお墨付きを頂いてからは切り花や球根の出荷も順調で、王室や貴族相手の取引以外はこの農場に買い付けに来る商人に在庫を卸すだけで経営が成り立っていたんだ。だから家畜は作業の補助に必要な最低限しか飼っていなかった。限られた人員を割いて家庭菜園で自家用の穀物や野菜を作っている暇があったら少しでも優れたチューリップが育つように世話をして、それを売ったお金で必要な物を買った方効率が良かったんだ」

(あー、だからこの人はチューリップ以外のことには何の能もないこんなのほほんとしたおぼっちゃまに育ってしまったのね)

 タパは思い当たることばかりで返す言葉もなくラウルの話をきいていた。

「まあ、王都が陥落してからはそうもいかなくなって苦労はしているけど。でもそんなわけだからだいぶ使っちゃったけど貯えはある。相変わらず今もアイリスたち蛮族王に降伏していない地域の領主様方が年間一定量の花を買ってくれる。食用チューリップの球根の販売にも乗り出して着々と販路を拡大している。別にこのままでもやっていけると思うんだがなあ……」

 タパとクルセウスはラウルの言葉にうんうんと笑顔で頷きながら互いに素早く目くばせを交わした。

(だめだ、このヒト。農場経営のことはわたしたちで頑張らなきゃ)


   ※ ※


 2日後、ザクセン州都のムスカリ商会から補充の人員が到着した。

「2、3家族で十数人っていってなかったっけ?」

 チャーリーがあきれたような声でいった。タパが上の空で人数を数えながら答えた。

「とりあえず母屋の食堂に案内しようと思っていたけど、これじゃ無理ね」

 先日のアイリスの野営陣の設営に来たキャラバンに比べれば小規模といえるのだろうがざっと見積もって30人。小隊を編成できるんじゃないかと思われるほどの人数が突如農場に現れた。

「ムスカリ商会から参った。アルトゥンベックと申す。本日よりお世話になる。代表者とお話ししたい」

 筋骨隆々の大柄な男が見た目通りの大声でいった。ラウルとクルセウスが進み出て打ち合わせをはじめる。結局母屋には収まりきらないので当面アイリスが野営陣を設営した休耕地に仮設の小屋を建てて暮らすことにするらしい。

 農場にやってきたのは5つの家族……というか集団の32人。予想外の人数だ。

 ひと家族目はシルウェストリスによくいる見るからに農民らしい実直そうな一家。父親と母親に息子がふたり、娘がひとり。たしか娘はムスカリ商会でタパを裸に剥いて頭から爪先まで洗い立てた三人娘のうちのひとりだ。

 次は騎馬民族の流れをくむ家系なのだろう。揃って日に焼けた小柄ながらがっしりとした体躯の一家。父親と息子がひとり、娘がふたり。母親の姿は見えないが年老いた老婆を連れている。家畜の世話をさせるために新たに雇われたようで、早速一緒に連れてきた動物たちの世話をしている。

 象牙色の肌をした東方の民族もいた。父親と母親。息子がふたり。娘が三人。商工業を専門にしているらしく荷下ろしした装備品の管理と輸送で破損した部分の修復にきびきびと働いている。

 そして最初に声を発したアルトゥンベックと名乗る大柄な男が率いる11人の息子ばかりの異様な『大家族』……彼らは集団で主に輸送や設備の建設を担うのが役割らしい。勿論鍛え上げられた若者たちは日々の畑仕事にも役立つだろう。しかしそれにしても……。

 一度にそれぞれ全員の名前を覚えるのは無理でもせめて顔だけは確認しておこうとタパはひとりひとりをじっと観察した。


(……不自然すぎるだろ)

 タパは慌ただしくそれぞれの家族ごとの仮設の小屋を設営している一番大規模な『家族』に声をかけた。

「あなたたちはムスカリ商会から来たんじゃないわよね」

 仮設小屋の柱を立てようと縄を引いている一番年嵩の『息子』が作業の手を休めて答えた。

「なぜそのようなことをお尋ねになりますか?」

「何というか、あなたたちの物腰というか所作振舞が商会の者たちとは全然違うのよね。どちらかというと兵士のそれ」

「さすがのご慧眼恐れ入ります。賢明なシルウェストリスの姫君様」

 タパは警戒してさっと一歩退いてから慎重に問い質す。

「……アイリス殿に因果を含められたザクセン州兵団の者か」

「その通りでございます。アルトゥンベック親父と11人の息子たちというのは仮の姿。われわれは東の森の脅威を警戒し万が一の際には対応するようアイリス様の命により遣わされた部隊」

「脅威とは蛮族王のことか?それとも破壊神とわたしか?」

 タパが鋭い目を向ける。

「脅威とはその時々に応じてザクセン州のおかれた状況を鑑みて総合的に判断されるものです。現時点でこれと特定するものではございません。賢明なシルウェストリスの姫君様」

(人が増えたかといってこれで安泰とはいかないようだな)

「そのふざけた物言いを止めろ。不愉快だ」

 タパは吐き捨ててその場を離れようとした。すると何をするでもなくぼさっと立ちすくんでいた三人の老人たちが前を塞いでいた。そういえば五つ目の集団、こいつらもいたっけ。タパはあらためて三人をまじまじと見つめた。三人とも服というよりぼろぼろの布を巻き付けておまけに揃って裸足だ。剃り上げられた禿頭に深い皺が刻まれた顔。ムスカリ商会がこんな老人たちを農作業の補充要員に送ってくるとは思えない。悪い連中ではなさそうだけど……タパは困惑した声でいった。

「あなたたちは?あなたたちもムスカリ商会からきたの?なんか違うっぽいけど」

「ムスカリ商会?何ですかな?それは」

「やっぱり。違うわよね。じゃああなたたちは誰なの?何をしにここへ?」

「我々は人を探しに来たのだ」

「人?人って誰を?」

 三人の老人たちは揃って合掌しながら答えた。

「何でも今,東の帝国からとても徳の高い偉いお坊様が南の天竺までありがたい経典を手に入れるため旅をしておられるんだそうな。東の帝国の辺境に位置する我ら西域諸国の修行僧たちはその手助け道案内をするように帝国より指示されているのだが、なにせ天山山脈の向こう側には果てしない砂漠が広がっていてどの辺を旅しているものかが皆目見当がつかん。もしや砂漠から山脈の方に迷い込んでしまっては一大事と我ら三人が捜索に送られてきたのだ」

「……ってことは、あなたたちは天山山脈の向こう側の世界からきたの?あの山脈を越えて?」

「そのとおりである」

「噓でしょ。天山山脈を越えるなんて人には不可能なはずよ。ダテに世界の果てと呼ばれているわけじゃないわ」

「われわれは戒律を守り日頃から修行を重ねているからのう。やってできぬことはない。それに天山山脈に足を踏み入れる者は我々の他にもいる。捜索の途中で確かな足跡を見つけてな、それを追ってきたらここへ辿り着いた」

「あ、それは氷室にいった時のラウルやアイリスたちの足跡じゃ……」

「どうしたの?」

 アルトゥンベックとの話を終えたラウルが通りかかった。

「あ、ラウルさん。きいてよ。この人たち誰だかわかんないけど人を探していて、ムスカリ商会の補充の一団に紛れ込んじゃったみたいなの」

「人を探して?誰を?」

「我らは全ての衆生を救済するありがたいお経を持ち帰るために過酷な旅をしているお坊様を案内するべく参ったのじゃ。天山山脈に残された足跡を追ってな」

「多分、その足跡はこの間のラウルさんとアイリス殿たちの……」

 タパが補足するとラウルは合点がいったように頷いた。

「ああ、ぼくらの足跡を間違えて追いかけてきちゃったんだね」

「なんと!あなたがあの足跡の主でござったか。それで天竺へお経を取りに行かれるご予定は?」

「あるわけないでしょ」

 詰め寄る老修行僧たちの期待をラウルはあっさりと否定した。

「天山山脈の氷室にいった時にはそんな人は見なかったけどな。だいたいあの山脈って森林限界の上は死の世界。そんな山、登る人なんてそもそも誰もいないんだから誰かがいればすぐわかったと思うよ。この辺りでは迷い人なんて見たこともきいたこともないしなあ。その偉いお坊さんってどんな人?特徴は?」

「そのお偉いお坊様は尊い徳の光を発しお供に犬と猿と雉を連れているそうじゃ」

「犬と猿と……雉?雉って何よ」

 タパがラウルに尋ねる。

「えーと、確か東の帝国に生息している孔雀みたいなきれいな鳥だってことは昔お母さんから寝物語にきいたことはあるけれど……見たことはないな。そもそも孔雀だって絵姿でしか知らないし。そんな鳥この辺にはいないよ」

「さてのう?猿と豚と河童だったかもしれん」

 修行僧はあっさり前言を翻す。言葉は通じているのに話している内容が異国すぎてタパにはまるで理解できない。

「河童?河童って何?」

「うーんと、水の妖怪だったかな?」

「水の妖怪って?ケルピーとは違うの?」

「ぼく記憶が確かなら馬じゃなくて蛙かなんかだったと思う。子供の頃読んでもらった童話でしかきいたことないからわかんないけど」

 ラウルとタパがひそひそと話していると修行僧たちはタパたちを端から順にひとりひとり下から上へとじろじろと見ていった。

「少なくとも骸骨とおなごとチューリップではなかったと思うが……もしやそこのおなご、貴殿の正体は河童ではあるまいな?」

「だれが河童だ、コラ」

 タパが毒づいた。心の声のつもりだったのに思い切り声に出ていた。



あとがき。

ああー。やっと三蔵法師がでてきた。長かった。(もっともご本人は本編には登場しない予定ですけれど)これでようやく本作の初期設定が開示できます。

物語のモデルになった舞台は7世紀半ばくらいの中央アジア。天山山脈の麓で野生のチューリップの自生地ということなので地理的には現在のキルギスのどこかでしょうか。キルギスの神話的英雄マナス王が登場するよりも100年以上前のお話です。

作中の世界情勢を簡単に解説すると日本では大化の改新があって古事記(神話)の時代から有史に移り変わる大変革の真っ最中。南西の帝国とはササン朝ペルシア帝国ですが、この頃まさに勃興したイスラム帝国にとって代わられようとしています。北西の帝国とは東ローマ帝国。ペルシア帝国の混乱と滅亡の余波で一息ついているところです。タパたちの時代から200年ほど前にフン族の西進によって圧迫されたゲルマン民族が大移動をはじめ西ローマ帝国が滅びています。東の帝国とは中国の唐。古代文明の系譜を継ぐだけあって唐は以前から人類の歴史をはじめていましたがまだまだ妖怪たちが跋扈する西遊記のリアルタイムでもあります。もっとも基本ファンタジーなので厳密に歴史に沿わせるつもりはまったくありませんが。 

なお「蛮族」および「蛮族王」という今日では差別的に響く言葉ですが、当時のタパたちの状況を考えるとそう呼ぶより他にないこと、元ネタがヘロドトスの著作「歴史」に記された黒海北東に住むといわれる真偽不明……というかありえない食人族一つ目族なので、そもそも呼ばれる対象が人類であるとは限らないことを理由にあえて使っています。1500年前にはポリコレに煩い人たちもいなかったでしょうから。

そんな3つの帝国に囲まれながらもそれぞれの事情で歴史的空白地帯となった中央アジアの片隅の架空の小さな国シルウェストリスで巻き起こるほのぼの日常系ダークファンタジー。今後も登場人物たちを応援していただければ幸いです。

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