表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第三幕

 九月六日。


 老人の計らいによって、なんとか明日、九月七日に取材できることになったが、ひよりはまたも公園のベンチで頭を抱えていた。

 カメラマンがいない──。

 ふと、空を見上げる。空には一筋の飛行機雲──。

「あっ!」

 ひよりの脳裏に、カメラを構える大家の息子が浮かんだ。ダメかもしれない。でも──。

 

「お願いします!」

 ひよりは驚く大家の息子、大作に頭を下げた。当然、急な話に、大作は目を剥いている。しかし──。

「光栄です。是非」

 そう言って大作は微笑んだ。


  *   *   *


 九月七日。


 ついにその日がやってきた。

 大作はカメラを構え、何枚か訓練場の写真を撮ると、「記者って大変なんだな」と笑う。

 ひよりは「でも、やりがいがあるの」と答えた。

 そう、今まさにそのやりがいを感じている。

「週刊アヲゾラさん」

「はい!」

 日本航空の広報に呼ばれ、ひよりは手の中のペンをぐっと握りしめた。

 いよいよだ──。

 

 *   *   *

 

「空を飛ぶなんて……まるで映画の中みたいですね」

「ええ。でも現実なんですよ」

 初代スチュワーデスの山本百合子は、そういうと魅力的な笑顔を浮かべた。スチュワーデスの採用条件には「容姿」も重要な要素なのだと聞いていたが、目の前の百合子も、映画女優のような美しさだった。

「お客様をお迎えして、笑顔で空の旅をご案内する。それが、私たちの仕事です」

「危なくないんですか?」

「危ないこともあるかもしれません。でも……怖いより、誇らしいんです。制服を着て空港に立つと、不思議と胸を張れます」

 

 胸を張れる──。


 百合子の言葉に、ひよりの心がきゅんと跳ねた。

 彼女は自分の仕事に誇りを持っている。

 だからこそ輝いているのだ──!


 *   *   *


 翌日。九月九日。締め切り当日。


「出来た……!」

 ひよりは朝から編集部でペンを走らせ、そしてようやく出来上がった記事を改めて見直した。

 見出しは「空を飛ぶ淑女たち」。見開き二ページの記事だ。

 百合子をはじめとするスチュワーデス達の訓練姿を始め、彼女たちのインタビュー、そして、女性読者へのエールを綴った。

 そして、記事の結びには、『スチュワーデスは夢を運ぶ。あなたも、自分の空を見上げてみませんか?』と、読者へ語り掛けてみた。

 悪くない……と思う。

 たった二ページだというのに、自分でも信じられないほど何度も書き直した。

 達成感と安堵のため息をつき、壁の時計を見る。


  十九時──。

 

「ウソっ!」

 慌ててバッグを引っ掴み、編集部を出る。

 記事に添える写真は、大作の知り合いの写真屋に現像を頼んだ。それを取りに行かねばならない。

 雨の中、ひよりは路面電車に乗りこみ写真屋へと向かった。

 着いたときには、二十時を回っていたが、なんとか写真を受け取ることが出来た。

 あとは編集部に戻って記事とともに写真を提出すれば、ひよりの記者デビューがついに果たされる。そう思うと、途端にお腹がすいてきた。

「そういえば、朝から何も食べてなかったわ……」

 すぐ目の前に、蕎麦屋の暖簾が見える。出汁の匂いがひよりを誘惑するが──ぐっとこらえ、駅へと向かった。

 路面電車は雨で遅れてやって来た。座席にどさりと腰を下ろしたところでホッとしたのか、猛烈な睡魔が襲ってきた。

 電車の揺れも心地よい。何度か重い瞬きをしたのち、ひよりの視界は真っ暗になった。


 *   *   *


 勢いよく体を引っ張られて座席に体が倒れこみ、ひよりは目を覚ました。

「お客様にお知らせ致します──」

 車内に車掌のアナウンスが流れた。雨によりスリップした自動車が、ひより達が乗るこの路面電車の前で止まってしまったようだ。

 先ほど、体を引っ張られるような感覚は、急ブレーキによるものだったのだ。

 窓の外は、いつの間にか激しい大雨となっている。

 ひよりは思わず腕の時計を確認した。


 二十一時十五分──。


「お客様に置かれましては、座席にて待機いただき──」

 どうやら、車が撤去されればすぐに発車出来そうだということである。

 ──と、いうのが、一時間前の話だ。

 ここから編集部まで、歩いていける距離ではない。しかし、車掌を捕まえて聞いたところ、この雨では、救助が来るのもいつになるのか分からないという。

「そんな……」

 電車の外は、視界を阻む大雨だ。だが、これ以上ここでじっとしていることは、もはやひよりには出来なかった。

 ビニール袋に包まれた写真をバッグに入れ、ひよりは電車を飛び出した。

 道路の雨水は排水が間に合わないらしく、ひよりのくるぶしを超える高さになっている。そんな中、ひよりはひたすら走った。

 草に足を取られて転び、そして立ち上がるとまた走る。

 顔を濡らすのは、もはや雨か涙かわからない。

「ひよりちゃん!」

 激しい雨音の中、大作の声が聞こえたような気がして、ひよりは足を止めた。

 通りの向こうから、小さなライトがこちらへ向かってくる。

「ひよりちゃん、乗って!」

「大作くん!」

 ひよりの目の前に現れたのは、自転車に乗った、同じくずぶ濡れの大作だった。

「捕まって!」

 自転車の荷台にひよりを乗せ、大作は雨水をかき分けるようにして自転車を走らせる。

 二人は無言のまま、雨の中を進んだ。


 *   *   *


「行って! 早く!」

「有難う!」

 出版社のビルの前で大作と別れ、ひよりは階段を駆け上った。途中パンプスが片方脱げてしまったが、もう片方も脱ぎ捨て走った。

 心臓が、破れそうに痛い。


 お願い! 間に合って──!


 ようやく三階のフロアまでたどり着く。

 編集部のドアは目の前だ。

 ひよりは勢いよく、ドアを開けた。 デスクに、田口の姿が見える。

「お待たせしました!」

 肩で息をするひよりと目が合った田口は、冷ややかに「遅えな、鈴木」と呟き、ゆっくり拍手を送った。

「ありが──」

「お前の負けだ。鈴木」

 そう言って田口が指さす時計は──。


 零時三分。


 締切を、オーバーしていた──。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ