第六節 ケオエコと現実の境界
ケオエコの普及により、新たな形での過労死問題が発生した。
普段労働し、ケオエコでも労働のようなゲームで収入を得ようとしているのだ。
当然、ケオエコプレイヤーは二重生活を強いられ、必然的に過労死と推測される死者が増大した。
一部の企業は「ケオエコを副業と規定する」と主張するが、肝心のプレイヤー達が「ゲームをして何が悪い」と反発する。しかし、その反発するケオエコプレイヤーであり労働者の生産性は、無視できないほどに低下していた。
現実を踏まえれば、ケオエコだけで生活する人がいる以上、明確に副業と呼べる。
しかし、ケオエコが公式でゲームだと主張しているので、それが就業規則の改訂を阻む。
そうしているうちに「ケオエコで破産しました」と遺書を残して首を吊る人が現れ、社会を震撼させた。
「もはや、ケオエコは害悪と言っても差し支えない水準に至っている!」
「しかし、ケオエコで生計を立てている人もいるのだ、規制するのもいかがなものか!」
「少なくとも、ケオエコは既にゲームの域を超えている、最低でも明確に職業と規定するべきだ!」
「職業としての規定は私も賛成するところだ、しかし、電脳麻薬カンパニーの主張をどう扱う?」
まさに侃々諤々の議論がマスコミのあちこちで発生した。
そんな議論が行われる中でも、過労死と思われる死者は増大する一方だ。
何より、肝心のケオエコプレイヤー達がほとんど耳を貸さない。
それどころか職を辞することも珍しくない現象となっている。
日本政府も「ケオエコ特例規制法」の制定を急ぐが、議会では立法すらままならない。
「本当にケオエコは職業なのか」という、もはや国民の常識的内容から、綿密に議論を始めざるを得ないのだ。
そんな中でも、ケオエコ過労死者は増えているというのに……という国民感情は蔑ろにされたまま。
その結果、マスコミの有識者は諦めの感情を隠しながら「ケオエコは自己責任原則が現状妥当」と表明するに留まった。
当然、ケオエコ運営の電脳麻薬カンパニーにも、多くの苦情が寄せられた。
しかし、その過労死にまつわる苦情に対して
「ケオエコはゲームです。ゲームで過労死したと言われても、弊社としては困惑するしかありません」
という、定型文の返信しか得られなかったという。
電脳麻薬カンパニーの社員達は、むしろ過労死者に同情的であったが、その声が表に出ることは決してなかった……
依田泰造「一度でもケオエコを職業だと認めてみろ?
ケオエコ全プレイヤーを雇用者として扱わなければならなくなる。
そこで最低賃金などをどうやって捻出する?
賃上げ運動が起こったらどうする?
その責任を取れるのか?
あくまで彼らは顧客に過ぎない!」
依田泰造社長によるトドメのこの言葉を受けては、絶対に表で言うわけにはいかなかった。




