第二節 『Chaos Economica ~Bleak Rules~』いよいよ発表
いよいよ『Chaos Economica ~Bleak Rules~』の正式リリースのインストーラーが公開された。
当初は殺到するダウンロードのため、インストールがなかなか進まずユーザーをやきもきさせた。
それでもインストール段階にはP2P技術を利用した、効率的ダウンロードの仕組みを組み込まれていていた。
しかし、これは後ろ暗いことをしている電脳楽園社員も、頭を悩ませる事態だった。
『The user permits the software and any software launched by it to use network and hardware resources』
長い長い契約文に紛れ込ませたこの一文は、読み飛ばすには十分な長さだった。
そして、意図どころか存在自体に、ほとんど誰も気づけなかったし、仮に気づいても特にMMORPGでなら「当然のこと」と深刻なことだとは考えなかった。
このように、日本人相手にも関わらず英語契約書で難解にして、ほとんどのユーザーが読み飛ばすように仕向けていた。
事実ユーザーは契約文自体を重要だとすら考えなかったのだ……
定型文だと、いつもの飾りだと思ってしまった。
特にケオエコを楽しみにしている人達にとっては。
この契約への同意は、ユーザーはインストールデータ配信に自分のリソースを食われることに。
なんならハードウェアを利用することにさえ……同意してしまっている。
前夜祭で謳われた「スクリプトがサーバー上で動く」すら、部分的にはただの口約束に過ぎなかった。
その証拠に、前夜祭動画は公式から「一部の誤解を招く表現があったため」と早速削除されている。
「え、昨日の動画もう消えてる?」「炎上対策かよw」「さすが電脳麻薬カンパニーだな、何がヤバかったのかすらもうわからない」
電脳楽園の普段の行いから「いつものこと」と、誰も気に留めなかった。
また、英語契約書に埋もれてユーザー達は知らないことだが、P2Pにおいて電脳麻薬カンパニーがスーパーノードだ。
そしてケオエコは、ネットワーク監視にインストール時点で契約同意してしまっていた……これが電脳楽園社員にとっての後ろ暗いことだ。
唯一気づけたセキュリティエンジニアが声を上げた頃には、多くのユーザーがインストール済だった上に……
『MMORPGでネットワークやハードウェアを利用する許可?いや俺らの意思でやってるんだし』
と、全く取り合って貰えなかった。マスコミは、視聴率や読者数を稼げるケオエコ新規情報発信に躍起になり、全く相手にして貰えなかった……場合によっては変人扱いすら受けた。
結局、彼自身はケオエコを利用しない選択を取り、それ以上の情報発信を諦めてしまった。
そしてケオエコのマイニング……多くのセキュリティソフトウェアによる頻発する警告は無視されるどころか、誤検出だと騒がれて、評判を落とす始末だった。
ITに詳しいプレイヤーほど、よりによってケオエコをセキュリティソフトウェアの例外に設定してしまうし、ケオエコWikiでも真っ先に各セキュリティソフトウェアでの例外手法が記された。
セキュリティソフトウェア各社は『誤検出のせいでケオエコが動かない』というユーザーの猛抗議に耐えかね、ケオエコの契約文を確認し「この契約文に同意したなら」と折れてしまった。
マイニングを行っていることを検出したセキュリティソフトウェアには、本来罪はなかったのだが……それを議論する者は存在しなかった。
次々とケオエコでアカウントを作るユーザー達。
公開前夜の発表通り、アカウント作成の時だけマイナンバーを入力する。
認証されたアカウントに紐付けられて、サブスクリプション登録や各種登録がなされる事で、ユーザー達は安心してしまう。
多くのユーザーは、莫大な量の契約書に目を通すことなく、次々と契約に同意していく。
羽手名「あぁ……契約するときには契約書を読まなきゃね、この勢いじゃ……現時点では誰も読んでなさそう」
社員「それでいいんだよ、その方が電脳麻薬カンパニーの利益に繋げやすいだろ?」
事実、数多くの契約が記載された別サイトに飛ぶこともほとんど無く、即座に同意することで早くケオエコを始められるのも事実だった。
キャラクターメイキングは、素材となる画像をベースにAIチャットを利用した画期的なものだった。
しかし、自分の写真をアップロードすることで、実際の自分を二次元にしてかっこ良く、あるいは美しくデザインするので、ケオエコ初期ユーザー界隈では『早くケオエコをプレイするには、自分の写真を使うのがベスト』と言われるほどだった。
むしろ、好きなイラストをベースに使うユーザーは、ケオエコ内で残念な目で見られる風潮すら生まれた。
当然の事ながら、この写真利用も電脳麻薬カンパニーが収集できるよう、多くの契約書内に紛れさせていたのだった。
それによりAI学習データはさらに洗練されていく。
羽手名「やっぱり、自分の写真を使うユーザーが圧倒的だな……怖くないのか」
社員「大丈夫だって、別に写真をこっちが保持していることにユーザーは同意してるんだ、問題ないって」
羽手名「幾ら加工されてるからって、いざという時に特定されやすくならないかな……」
羽手名は黙って画面を見つめた。
そこには、自分の顔を華やかに加工したキャラを操作するユーザーたちが次々とログインしている。
スクリプトが魔法扱いであるという説明を読み、その反響は凄まじかった。
『ああああ』は、そんな中では珍しいくらい律儀に、速攻で契約書を全て読んだ、数少ない一人だった。
ああああ「おおー、一見そんな変哲のないファンタジーRPGゲーム画面なのに……
ここでモンスターを狩ると、暗号通貨になるのかよ……
しかし、街って無いんだな、森の中にぼろいあばら家があるだけか……
こりゃ街というものがないかもな」
『ああああ』は、初期装備の剣を振り回しながら、早速モンスター狩りを始める。
画面右下にはHPゲージ、そしておそらくここにバフ・デバフのアイコンでも表示されるのだろう。
画面右上にはミニマップ、今ではただただ森が広がっているだけだ。
画面左上は全体チャット、そして画面左下はフレンド同士のチャットと表示されている。
画面のカスタマイズ機能はそれほど多くないようだ、精々がフォントなどのサイズ変更に留まる。
アイテムのショートカットはキーボードでもマウスでも行ける、ただしインベントリの容量はそれほど大きくない。
キーボードモード操作も、細かいカスタマイズはできないようで、上下左右はWASDに固定割り当てのようだ。
戦闘でスキルというものは、少なくとも現時点では存在しない雰囲気だった。
早速スペースキー連打で剣を振り回し、おおねずみを狩ると一瞬光った後に光の粒子となり、その死骸がインベントリに入る。
ああああ「うっほー、このモンスター素材を『公式売買所』に持っていけば……
それだけで暗号通貨が手に入るのかよ。
暗号通貨は何にしよう、まあ最初は適当でいいか」
『ああああ』は明日、大学で一限から講義があるというのに、自主休講を決めて徹夜で狩りを続けては、色々な暗号通貨連動のゲーム内通貨に交換していく。
徹夜をしたのは『ああああ』に限った話ではない。
「ヒャッハー、汚物は消毒だ!俺の暗号通貨になれ!」
「うっほー、これで狙いのあの暗号通貨が大量に!」
ケオエコユーザー全員が森や草原での狩りに熱中し、ほとんどのプレイヤーが、明日も考えず徹夜をしたのだ。
極端で軽率なプレイヤーの中には、ケオエコで稼げる可能性に賭けて、会社を辞職するケースもあったそうだ。
そうして、どのゲーム内通貨が狙い目か、暗号通貨のレートを常時表示するプレイヤーが続出した。
この時は、まだゲーム内通貨と暗号通貨の連動がほぼ同期していたので、多くのWikiにもゲーム内通貨と暗号通貨の推測が記載されていた。
なお、この時に、おおねずみを簡単に仕留められたのは、サービス開始三日限定のバフである。
プログラマA「なぁ、もしかして暗号通貨レートをわかりやすく常時表示するソフトウェア、それもケオエコのゲーム内通貨名表示したら売れるんじゃね?」
プログラマB「おっ、俺も一枚咬ませろ、どうせならゲーム内通貨のレートもケオエコAPIで取得してさ……」
こうして生まれたソフトウェアは、有料であっても爆発的な売上げを一時的に達成したという。
すぐさま、暗号通貨レートとケオエコの通貨レートの乖離が酷くなり、またケオエコが暗号通貨交換レートを調整し、そのソフトウェアは破綻したのだった。
電脳麻薬カンパニー側は「そんなもの作っても、すぐに乖離するのにな」と制限もかけず、放置していたに過ぎない。




