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ジークハルトは父に強要されて、嫌々ハーマン公爵家に出向いた。ハーマン公爵令嬢のミケーレは美しく所作も淑女の鑑と称えられる女性だと言う評判をジークハルトは聞いていた。ジークハルトはミケーレは貴族として気位が高く、どんな事があっても表情を変えないだろうと思い、自分の白い結婚を断られるとは微塵も思ってなかった。
持参した薔薇の花束を渡し、客間で当たり障りのない貴族らしい会話をした後、二人で公爵家の薔薇園を散歩することになった。侍女と護衛は後ろに下がっていて、声は聞こえない。チャンスだと思いジークハルトは言った。
「すまない。私は真実の愛に巡り合ったんだ。彼女以外愛せない。君とは白い結婚になる」
二人の間に沈黙が落ちた。だが、ミケーレは落ち着いていた。
「そちらの四阿に座りませんか?」
ジークハルトはやはり貴族令嬢だ。こんなことを言われても表情すら変わらないのだと思った。ミケーレが侍女と護衛を話があるからと見える距離だが声の聞こえない距離に下げた。そしておもむろにジークハルトに言った。
「そうですか。手間が省けました。それではこれで解散しましょう」
ジークハルトは耳を疑った。淑女の鑑が今なんと言った?茫然自失している間にミケーレは立ち上がってしまった。
「ちょ ちょっと待ってくれ。それはどう言う意味なのだ?」
ミケーレは美しい眉間にシワを寄せた。
「どうとは?その通りです。あなたには愛する方がいる。だったらこの縁談は終わりだってことです。長々と意味無く引きずらずに済んでようございました。お帰りはあちらでございます」
ジークハルトはミケーレの変貌について行けなかった。
「私とミケーレ嬢は婚約者だろう?だったら婚姻前に君を愛せないことをはっきり言っておかないとと思って。侯爵家の家政は任せるし、社交界には私も同道する。君が社交界で恥をかかないようにちゃんとエスコートする。私はエマと別邸で暮らす。子供も生まれるだろうから君の子供としてくれるか」
ミケーレは虫のいいことをべらべら話すジークハルトを睨んだ。ジークハルトは貴族令嬢に流し目はもらったことはあるが、睨まれた事はないので思わず目を逸らした。
「勘違いなさってますが、私があなたの婚約者ではなくて、あなたが私の数人いる婚約者候補の一人なのです」
「婚約者候補?」
「そうです。私が年頃になったので父がお知り合いに声を掛けて数人見繕ったから会ってみろと言われて、あなたと会っている訳です。あなたと婚約した覚えはありません。ご自分のお父様の話をきちんと聞いて下さい」
「あ、はい、すみません」
ミケーレの圧が強くて思わず素直に返事をしてしまった。
「お分かりになれば結構です。お帰りはあちらでございます」
とミケーレは侍女を呼ぶために手を上げそうになった。ジークハルトは慌てた。
「待ってくれ。ミケーレ嬢」
じろりとミケーレはジークハルトを見た。ジークハルトはその場所でびくりと飛び跳ねた。
「私はブリーゲル侯爵令息に、名前を呼ぶ許可を与えていません」
「ハーマン公爵令嬢 申し訳ない。私はジークハルトと。あなたをミケーレ嬢とお呼びしてもいいだろうか」
「まあ 二度と会うことはないでしょうが、よろしいでしょう。それでお話はなんでしょうか」
「…二度と……いや、それよりあなたが結婚してくれないと困る。私とエマの真実の愛が結実しない」
「なぜ、私があなたと白い結婚をしなくてはいけないのですか」
「なぜって貴族は大体が仮面夫婦は普通だろう。あなたならその覚悟があるから、私とエマの真実の愛に理解があるかと。あなたが正妻なら父も愛妾がいても理解してくれるだろうから」
「全てあなたとエラさんに利があるお話ですね。私には一つも利がない」
「エマだ!」
「あら、失礼」
「とにかくエマは平民なんだ。身分差があるから貴族の正妻が必要なんだ」
「あら、ドラマチックですこと。身分差ですか。だからと言って私が犠牲になる必要はありませんね。他を当たって下さい」
「いや、他と言ってもあなたぐらいでないと父が認めない」
「私の知ったことではありません。お引き取りを」
「なんとか頼む。あなたも愛人を持っても構わない。子供は困るが」
ミケーレはため息をついた。こんなに話が通じない人がいるとは……
「あなたは仮面夫婦は貴族で普通だと言われましたが、今の時代貴族でも上手くいかなければ離婚もあります。幼い頃からの婚約は大人になった時に弊害が多いから王族ですら適齢期に探します。ブリーゲル侯爵家は時が止まっているのですか?」
そう言われて考えた。確かに自分の両親は幼い頃からの婚約者だ。なのに自分には婚約者の話が出たのはこれが初めてだった。時代は変わったとはそう言う意味なのか?
「あなたは貴族の令嬢を仮面夫婦で正妻として飾っておいて、エラさんと暮らすと言ってますが、この時代そんなことを受け入れる令嬢など借金持ちの家の令嬢ぐらいじゃないですか?もちろん侯爵家が借金を払ってあげる条件での婚姻です」
「…エマだ……父がわざわざそんな家と縁を結ぶ訳はない…」
「あら、失礼、エラさんとは真実の愛なのでしょう?だったらジークハルト様も平民になられたらいかが?侯爵家も支度金ぐらい下さるでしょう?それを元手に商売でやられたら?真実の愛ですものエラさんもジークハルト様がどんな身分でも関係ないときっと思っておいでよ」
「私は一人息子だ」
ジークハルトはエマの名前の訂正を諦めた。
「名門の侯爵家ですもの。あなたでなくても分家は一杯ありますでしょう?優秀な従兄弟とかから、養子に取ればいいのですわ。名門の侯爵家でしたら家の存続が大事でしょう?」
ジークハルトは気づいてしまった。このまま自分がエマにこだわって駄々を捏ねていると、父は養子を検討するのだろうと。ジークハルトはふらりと立ち上がった。
「失礼する」
「あら、そうですの。お見送りいたしませんがお元気で。ヘレナ!お帰りですわ」
ミケーレは侍女を呼んだ。やれやれとため息をついて自室に帰りながら、父親の公爵が帰ったら真実の愛持ちのジークハルトは婚約者候補から脱落だと告げなくてはと思った。
でも、おちょくるおもちゃとしては面白かったわねと独り言を言った。