留まり続けるお嬢さん
「愛成!」
お昼を過ぎて閑散とした教室。開きっぱなしの窓枠から聞こえてきた声に振り向く。
「なんだよ。輝睦」
「いんや僕も人のこと言えないけどさ。なんだってお前冬休みにもなってこんなとこいんのよ。……しかも大雪になりそうだってのに」
振り返った先にはデジタルカメラを首から提げた級友の姿があった。どうせまた妙なもんを撮っていたんだろうなと思いつつ、愛用の一眼レフを持ち合わせていないことに少し驚く。いや、それは別にいいか。
「ちょっくら用事でね。まあそれと、電話借りに」
あんまり親の耳に入れたくないし。そっけなく返事をすると、閃いた顔をして詰め寄られる。
「そうか、お前行くんだな? 叔父さんのところに!」
「うるせえ、避けろ!」
伸びてきた手を払って、俺はそう叫んだ。
興奮した彼を落ち着かせて、改めて話を切り出す。
「三日後に叔父さんの家に行く。一応、お前のことも言っておいたから。来るなら来いよ」
「わあー、ありがとう、愛成クン! 僕、嬉しいよ!」
無感動に返された言葉に、はいはいどうもと乾いた声で称賛を受け取った。こいつはこういう奴だ。
「君のよく言うお嬢さん。雪子さんって、雪の精霊なんだろ? なんて言うか、そう。写真に写しても大丈夫なのかな。てか写るのか」
聞きながら、彼は首元のカメラを手に取る。何、性懲りもなくまだ彼女を撮る気だったのか。
「写るも何も。取り敢えずは叔父さんの了承を得られたら、撮ってもいんじゃね。それに、俺に許可取るようなことじゃあないだろ」
「ま、それもそうか。でもお前の叔父さん、なんか話に聞く限り嫉妬深そうで気難しそうだしなー。彼女のことひどく溺愛してるんだろ? て言うか同棲してるし」
「同棲言うな」
茶化した声に思わず反論してしまったが、確かに彼の言う通り事実ではある。小さな頃から大人になりかけている今に至るまで、ずっと一緒にいるという二人。
「んーでも、叔父さんと雪子さんだけどさ。別に付き合っているわけじゃないらしいぜ」
「嘘だろ!?」
この世の終わりとでも言いたげな顔で彼は叫んだ。
「付き合ってない!? じゃあその関係は何なんだよ!?」
「……友達?」
「それ本当かよ?」
「本当だ。嘘じゃあないって」
と言うか、キスも何もしたことないらしいぜ。そう言ってみると、頭を抱えられた。信じられない。一つ屋根の下で……などと聞こえてきた言葉に、頭の内で返答する。下世話な想像をするんじゃあない。
「うん? それならお前チャンスじゃないの。だって愛成、お前、お嬢さんのこと好きだろ」
唐突に振られた言葉に口を尖らせて言う。
「そりゃあ好きだけどさ……。入り込めないだろ」
問われた言葉に思わず眉根を寄せる。例え恋愛感情がなかったとしても。あんな親密な場所に入っていけると思うか? 叔父さんの恨みも買いたくないし。曖昧な返答に納得がいかなかったのか、彼は暫し唸った後に言葉を捻り出した。
「お前がそう言うんなら別に構わんけどさ。こういつも話聞いてると、どうにもお前の叔父さんは彼女に執着以外の何も向けていないように思えてくるし。と言うか、なんならお嬢さんの方はどうなんだろな?」
「知るかよ俺が」
ぞんざいに突き放しながらも、ぼんやり思う。
(彼女は、叔父さんのことが好きなのだろうか)
幼い頃の記憶をぐるりと辿る。彼女が叔父さんに向ける表情はどうだったか。窓の内で話し込む、その瞳に映るのは友愛だけだったか。そこには情愛が、入り込んでいなかったのか。
無意識に口を覆った。不意に冷や汗が流れたような気がする。気づいてはいけないことを知った恐怖。彼女が叔父さんに向ける感情は、本当に友情なのか?
黙り込んだ俺に、悠然とした顔で彼は呟いた。
「歪な関係だな」
どこかで壊れてしまいそうだ。
「壊れる……」
そうかもしれない。
雪子さんは雪の精霊で叔父さんは人間。冬の間だけ一緒にいる二人は、幼い頃の関係のまま、どうして同じ場に留まり続けていられるのだろう。いつまで変わらないのか。本当に変わらないまま、居続けられるのか。
虚ろな思考に目を伏せる。
俺はただ叔父さんの血縁者というだけで、部外者が考えても仕方がないことだったが、思考を巡らさずにはいられなかった。不安に駆られて窓の外に目をやる。しかし、そこには何度窓に打ちつけ溶けようとも、したたかに降り続ける雪があった。
……それだけでしかなかった。