婚約破棄された令嬢は、婚約者を奪った妹との過去に思いをはせる
姉妹のお話です。皇太子サメンテは名前しか出てきません。
「カンティレーナ、あなたとの婚約を解消しても良いだろうか」
マエスト王国の第1皇子サメンテは、王宮の東屋に呼び出した、婚約者であるレガート侯爵家カンティレーナ令嬢にそう切り出した。
理由を誰何するカンティレーナの元にさっそうと現れたのは、婚約者を奪ったのは、実の妹ラクリマンドだった。
そして彼女はいかに自分が姉よりもサメンテの婚約者に向いているか訴えてきたが、カンティレーナはその無表情の下で、今までの出来事を思い出していた。
「レーナ、あなたの妹よ」
そう言って母親の合図で乳母が見せてくれたのは、それはそれは愛らしい赤ん坊、ラクリマンドだった。真っ白いおくるみに包まれたラクリマンドは、自分よりは薄い青の髪の色で、自分と同じような青い目で、その大きな目で不思議そうにカンティレーナを見ている。
その愛らしさにカンティレーナはノックアウトされた。
貴族の子供は乳母が育てる。そして姉妹といえど、一緒にいることは少ない。だがカンティレーナは時間さえあればラクリマンドに会いに行った。ラクリマンドが赤ん坊のころは、世話の合間に抱かせてもらっていた。赤ん坊特有の甘い匂いはちょっと苦手だったが、ラクリマンドの匂いだと思えばそれも気にならなかった。
ラクリマンドが自力で動き出すようになってからは、ハラハラしながらその動きを見守り、手助けをした。歩き出した時の事だって、昨日の事のように覚えている。
ラクリマンドが外に出られるようになってからは、一緒に庭で遊んだりもした。その頃からラクリマンドは姉の真似をするようになった。乳母からは妹とはそういうものだと言われたし、自分の真似をするのが可愛くて、むしろ積極的に色々と教えたほどだ。
「おねえしゃま、なにをちゅくっていりゅの?」
「花冠よ」
ある日、二人は乳母と護衛と共に庭に出て、木陰に座って、カンティレーナはメイドたちが持ってきてくれた花を使って、花冠を作った。小さな白い花で作ったそれを、ラクリマンドの柔らかい髪に乗せる。シフォン生地でふわふわな薄いピンク色のドレスと、水色の髪、そして白い花冠で、ラクリマンドはまるでお人形のようにかわいかった。
「可愛いわ! ラクリマンド」
「えへ。ありがとう、おねえしゃま」
天使のような、いやもう天使だろこれ! 天使以外のなにものだと言うのだ! カンティレーナはこちらも目をキラキラさせて、胸の前で手を組んで、思わず叫んだ。周りの者たちも笑顔で頷いている。
しかもラクリマンドは、頭に乗せたそれを手に取って、しげしげと眺めてから言った。
「おねえしゃま。ラクもこれ、ちゅくってみたいでしゅ」
「いいわよ、教えてあげる」
可愛いおねだりにカンティレーナは目尻を下げて言った。すぐにメイドが新しい花かごを差し出すので、そこから花を取り出して、一緒に作り始めた。
だがまだ幼児のラクリマンドは、指の使い方が上手くない。編み込むつもりでボキっと花が折れてしまう。すぐにメイドが代わりの花を差し出し、ラクリマンドも笑顔でありがとーと言いながらそれを受け取って、何とか花冠を作り上げたが、花はあちこち向き、折れ曲がり、編み方もゆるくてすぐにでも解けてしまいそうなものだった。
それでもそれをはい、とカンティレーナに差し出した。
「これ、おねえしゃまにさしあげましゅ」
「え、いいの?」
「おねえしゃまにもらったものみたいにじょうじゅにはちゅくれましぇんでちたが、もらってくれましゅか?」
半分潤んだ瞳でそんな事を言われて、誰が断れよう。もとより断るつもりなどないが。カンティレーナはそれを受け取って、自分の頭に乗せた。
「わあ、おねえしゃま、しゅてきでしゅ! でも次はもっとじょうじゅにちゅくりましゅね」
「ありがとうラクリマンド!!!」
カンティレーナは心から感激して、ラクリマンドをぎゅっと抱きしめた。えへへ、と小声で笑うラクリマンドがまた可愛い。
頭に乗せた花冠が壊れないうちに両親にも見せに行こうと、屋敷に戻ろうとしたときだ。なかなか立ち上がらないラクリマンドを不思議に思って、カンティレーナは声を掛けた。
「どうしたの?」
俯いて何かを拾っていたラクリマンドは、カンティレーナを仰ぎ見た。
「しゃっき、折ってしまったお花を集めてましゅ」
「集めてどうするの?」
「お部屋に飾りましゅ」
「そんな花はそのまま捨てておいて、こっちのお花を飾った方が良いんじゃないの?」
カンティレーナはメイドが持っている花かごに残っている花を指さした。だがラクリマンドは首を横に振った。
「わたちが折ってしまったのでしゅ。このまま捨てたら可哀そうでしゅ。持って帰りましゅ」
「え……?」
「かびんに活けたら元に戻りましゅ。まだまだ綺麗に咲けましゅ」
折れたところは戻ることはないが、折れたところを切って活ければ、確かにまだ咲くかもしれない。カンティレーナは折れた花などには興味もなかったが、言われてみればその通りだ。捨てたら可哀そう、というその発想にも衝撃を受けた。
そして両手に折れた花を握りしめているラクリマンドを見た。花に折ってごめんね、と言いながらその小さな手に握りしめている。
天使。天使だこれ。こんな優しくてかわいい生き物、天使のほかにいないでしょ。カンティレーナは思わず尊さに天を仰ぐ。ちなみに周りの人々も同じように天を仰いでいる。
「おねえしゃま?」
「なんでもないわ。そうね、それもお部屋に飾ってもらいましょうね」
「はい」
そういって満面の笑みを浮かべるラクリマンドに、全員が撃沈された。
このあと、二人の可愛い娘が花冠を被って、仲良く手をつないで両親の元へやってきたのを見て、両親も執事もメイドも、全員撃沈する。
さらにこの時、あの折れた花と、花冠に使った花も解いて、メイドに部屋に活けてもらって、更に花籠に余っていた花を小さな小さなブーケ状に作ってもらって、それをカンティレーナにプレゼントした。
カンティレーナは尊さで撃沈した。
***
カンティレーナが5歳になると、家庭教師のイラリタが付き、本格的に淑女教育が始まった。すでに乳母から基本的な教育は受けていたが、家族同然の者が教えるのと、外部から来た教師役が教えるのは心構えが違うし、甘えも許されない。立ち居振る舞いから、算術、言語の基本、それと楽器の練習が始まった。
それをラクリマンドは興味深そうに見ていた。そしていつの間にか、授業が始まるとラクリマンドがどこからともなく部屋に現れ、最初こそ『おねえしゃま、なにをちているの?』と無邪気に邪魔をしてきたが、何度かイラリタにやんわりと注意されると、部屋の隅で大人しく見ているだけになった。
カンティレーナとしても、妹が見ているのだからいい所を見せたいと、まじめに授業に打ち込んだ。カーテシーを教わっている時には、ラクリマンドが満面の笑みで、顎にその小さな手を当てて、『おねえしゃま、しゅてきねえ……』なんて見惚れているのを見せられた日には、あまりの可愛さに思わず抱きしめたくなり、イラリタに咳払いで止められたこともある。
しかも授業後に、カンティレーナが頑張っていたカーテシーを、まだつたない動きのラクリマンドが一生懸命真似をしていた姿を見た時など、思わずイラリタと抱き合って可愛い……! と悲鳴を上げてしまったほどだ。
そんな可愛いラクリマンドは、なんでも姉の真似をした。食事のマナーも立ち居振る舞いも。まだ幼過ぎて形にもなっていないが、一生懸命なその姿は本当にかわいい。しかも必ず『おねえしゃまのように、しゅてきなちゅくじょになるの』なんてキラキラした目で言われたら、カンティレーナもラクリマンドの手本となるべく、一生懸命に励むしかない。
そしてラクリマンドが4歳になった時には、見様見真似のそれらが形になりつつあり、横で見ていた文字も読めるようになり、片手までの数の足し算まで出来るようになっていた。
そこでイラリタはレガート侯爵夫妻に、ラクリマンドにきちんとした教育をはやく受けさせた方が良いと助言し、少し早いが、イラリタの親戚のインティモが、ラクリマンドの家庭教師を務めることになった。
もちろんこの時点でカンティレーナも6歳にしては優秀だった。そしてラクリマンドが自分よりも早くに家庭教師が付いたことに、焦燥感を抱いた。このままでは妹に抜かれてしまうのではないかと。
そこでカンティレーナはイラリタに、頑張るからもっと難しい事も教えて欲しいと頼み込んだ。イラリタはまだまだ子供なのだからそんなに頑張る必要はないのでは、と思ったものの、侯爵家となれば同年代の皇太子の婚約者になる可能性が高い。そうなれば王妃教育が始まる。それならばそれまでに高い水準の教育を施しておけば、苦労が少なくて済むかもしれないと考えた。
そこでイラリタは自分の持てるだけの知識を動員して、カンティレーナに教育を施していった。
この時に、二人を分けて教育したのは良い判断だった。カンティレーナは自分の学習内容を詳しくラクリマンドに伝えることはしなかったし、ラクリマンドは自分がカンティレーナと同じ内容の学習をしていると信じ切っていた。それは二人の家庭教師も一緒で、互いの教育内容を擦り合わせたりもしなかったし、特にイラリタは聞かれても、普通のレベルの話で躱していた。
おかげで妹は姉に追いつくべく、通常の教育を頑張っていたし、姉は追い付かれないように、しかし妹に気が付かれないように集中して頑張った。
さらに2歳の歳の差もあり、見た目には歳の差程度の差を保ったまま、二人は互いに励み、空き時間は一緒に遊び、妹は姉に憧れたまま、姉は妹を可愛いと思ったまま育っていった。
**
そして行われた、皇太子のお妃選び。その頃にはカンティレーナとラクリマンドは同世代の他の令嬢と明らかに一線を画していた。マナーも立ち居振る舞いも、年齢以上に優雅なものだった。
特に皇太子との一対一の会話では、カンティレーナは他の令嬢とは比べ物にならないほどに知識豊かだったし、ラクリマンドのマナーも完璧だった。
王妃になるには、出過ぎずしかし相応の知識が必要だ。もちろんマナーも必須だが、このふたりのマナーはこの時点で抜きん出ていたから、ほぼこの姉妹のどちらかに決定していた。
最終的に姉に決まったのは、カンティレーナの「私はサメンテ様の横に立って、お支えしたい」との決意だった。他の令嬢─ラクリマンドも─は「お支えして」は一緒だが、「一歩後ろから」と答えたのだ。
サメンテの婚約者にカンティレーナが決まったと連絡が来た時、ラクリマンドは少しだけ落胆したが、姉に決まったのだから当然だとも思った。他の令嬢だったら納得できないし、立ち直れないほどに落ち込んだかもしれないが、姉なのだ。あの完璧な令嬢の姉なのだから、自分が敵わなくて当然だと、心から祝福した。そしてさらに思った。自分も、皇太子妃の姉にふさわしい妹にならなければならないと。
長女であるカンティレーナが皇太子に嫁いでしまえば、二人姉妹のこの家は、自分が継ぐことになる。次期侯爵には婿入りした相手がなるのが普通だが、自分だって侯爵夫人になるし、何よりも皇太子妃の妹の家だ。どこよりも立派に経営して行かなければならない。
そのためには姉並みに勉強しなければいけない。王妃教育は厳しいと聞く。姉がそれに挑戦するのなら、自分だって挑戦するべきだ。そしていざとなったら姉を助け、侯爵家を盛り立てていくのだ。
ラクリマンドはそう決意し、家庭教師のインティモに頼み込んだ。
「インティモ、私、お姉さまと同じような教育を受けたいの」
「……わたくしの講義では満足できないとおっしゃるんですか?」
「違うわ。インティモのお陰で、私はお姉さまの次に婚約者候補に上れたのよ。それに不満はないわ」
「でしたら、なぜ?」
「お姉さまはこれから、王妃教育を受けるのでしょう? それは一般の淑女教育より難しいのよね?」
「……内容は公表されておりませんが、一般の淑女教育のさらに上を目指すと言われていますわね」
「お姉さまがそれをお受けになるのなら、私もそれを受けたいの。お姉さまに置いて行かれるのなんて嫌。お姉さまと同じくらい、素敵な淑女を目指したいの」
「ラクリマンド様……」
そこからラクリマンドは、いかにカンティレーナが素晴らしいかを懇々と語った。数は少ないが一緒に行った他家のお茶会で、姉のマナーがどれだけ美しかったか、どれだけ自分が見惚れてしまったか。もちろん周りも見惚れていて、それがどれだけ誇らしかったか。
姉が自分に手を差し伸べてくれて、流れるようにエスコートしてくれる様が、どれだけ美しいか。
果ては小さい頃に姉がくれた花冠がどれだけ美しかったか。
その後、自分が姉にあげた花冠の花を、しおりにして自分にくれたそのやさしさ。
自分が姉にあげた小さな花束は、見事なドライフラワーになって、長い事その部屋に飾ってあったとか。
姉が着ていたドレスがあまりに素敵だったので、同じものが欲しいとねだったら両親が作ってくれ、お揃いで着ていたけれど、後日、姉が着ていたそれを着られるほどに背が伸びた時、姉が宝石や刺繍などを施して、自分にプレゼントしてくれたとか。
「お姉さまは女神よ。誰よりも優雅で賢くて。でも誰も下に見たりしない。私がわがままを言っても、笑顔で叶えてくれる。本当に美しい、私の女神よ」
「カンティレーナ様がお美しく賢いのは、おっしゃる通りですが」
「女神の妹が凡人では困るの。どんな努力もするわ。だから、お姉さまと同じような教育をしてほしいの」
フンスと鼻息が立ちそうなほど、ラクリマンドは両手を握りしめて、インティモに懇願した。
インティモは子爵家出身の令嬢だった。勉学が得意で、貴族も通う高等学校を優秀な成績で卒業し、そのあと貴族大学の文学部でも学んでいた。
この時代、女性、特に令嬢が勉学を励むのはあまり推奨されていなかった。令嬢に求められているのは、良家の令息と結婚し、子供をもうけて家を存続させることだった。そこに大学部での勉学は必要がないとされていたが、インティモは3女だったので、結婚や世継ぎの束縛が少なく、それならば家に役立つよう勉強したいと言えばさせてもらえる環境だった。
ただ一般的に女性は17~8で婚約し、20を超えたら結婚するような環境で、その時に脇目もふらず勉学に励んでいた彼女には、気が付いた時には良いご縁が無かった。しかも家は長男が継ぎ、インティモが手伝うような事も特になかった。
それでインティモは自分の知識を生かすべく家庭教師となり、この家に来たのだ。
その知識をフルに活かすときが来た。ただの礼儀ではなく、大学で教わった深い知識を。インティモは眼鏡をクイとあげて、キラリと光らせた。
「良いでしょう。わたくしの知識を全て、あなたに叩き込みましょう。しかし良いですか? 普通の令嬢が教わる以上の知識です。講義も今までの1回30分では足りませんから45分にしますし、週3日から4日に増やします。刺繍の時間とピアノ、ダンスのレッスンも増やしますよ」
「お姉さまは週5日、お城に行くらしいわ。私も週5日でよくってよ」
「……いきなりはわたくしが困ります。授業準備もしなくてはいけないのですから。ですから、しばらくは週4で、準備が間に合ったら週5にいたしましょう」
「ありがとう、インティモ。お父様にはお給料アップをお願いしておくからね」
「……よろしくお願いいたします」
自分の知識をフルに活かせる上に、金額までアップされるとなれば、インティモに否やはない。二人は、カンティレーナに続く、淑女の頂点を目指すことにした。
令嬢たちが習う算術は、基本的に買い物に使う金額計算が出来れば良い事になっている。実際には家の名前で購入して家令などが後から店に代金を支払っているから、計算も必要ないが、全く何も分からずに買い物をされては困るから、足し算と引き算は必須、もう少し頑張って掛け算を習得する程度だ。そのあとは貴族も通う高等学院に入学すれば、もう少し難しい内容を習う事になる。
だがラクリマンドは掛け算と割り算まで習得する予定を立てた。足し算引き算も貴族令嬢はざっくりとした数字、100+200とか、500-300などというように分かりやすい数でしかなかったものを、1の桁も数字が入るような細かいものにしてもらった。
基本の計算は出来ているから理解は早かったが、これを速く解くために、インティモは50問ずつの足し算、引き算の問題を大量に作ってきた。それを一回1枚、45分以内に解く。最初は時間が足りなくて半分くらいがやっとだったが、ラクリマンドは毎回果敢に挑戦して、3か月ほど経った頃には、足し算は時間内に余裕で終わるようになった。次は引き算、そして掛け算と、他の令嬢が全くやらない内容を、ラクリマンドは解き続けた。
国語もインティモが持ってきた本を読み、インティモが出す問題に答えた。単語の書き取りも毎回沢山出されたし、覚えるのも大変だったが、文字を書けないような王妃がいるわけがない。姉に少しでも近づくために、ラクリマンドは奮起した。
長い文章を覚えろと言われれば、必死に覚えた。インティモが上の句を言えば、ラクリマンドは続きの句を即座に答える。純文学と言われる分野は苦手だったが、食らいついていった。
王妃となるもの、国の成り立ちや場所を知らないとは言えない。だから歴史も学んだし、地理も学んだ。国内に30ある領地の名前や場所、山や川まで覚えた。歴代国王の名前も覚えた。
おかげで貴族も通う高等学院に15歳で入学した時には、学内試験で何の苦もなく一位を取り続けた。本来、ラクリマンドは高等学院など通う必要はなかったのだが、自分の実力試しと外部での授業も受けてみたいと望んで入学したのだ。既に能力が高かったので、入学して半年で2学年に、そして次の年には3年に飛び級したほどだ。
ダンスやピアノも、毎回30分きっちりと練習した。インティモは演奏は得意ではなかったので、途中からはピアニストを呼んで教えてもらった。どこの生徒よりも出来がいいと褒められ、家の中でも事あるごとに演奏会を開いた。両親は盛大に拍手をしてくれたが、カンティレーナは無表情で聴いて、控えめな拍手をするだけだった。
どこへ出しても恥ずかしくない娘。立派な令嬢、淑女の鑑。16歳くらいからそんな風に言われ、実際にどこの茶会に行っても、自分よりも完璧なマナーや立ち居振る舞いの令嬢などいなかった。
ラクリマンドはその努力の結果、全ての令嬢たちに感心され、憧れられる存在になっていたのだ。
代わりにカンティレーナは年々無口になり、表情も乏しくなっていった。王妃教育が始まった最初の頃、少しでも内容を教えてもらえないかと、帰宅した姉の部屋を何度も訪れたが、疲れているから会えないと侍女に言われた。
そんなに大変なのかと最初は同情していたが、高等学院に入学する少し前のある日、少しだけ開いていたドアから中を見たら、姉はただベッドで寝ているだけだった。
何と言う事だ。自分でさえ夜には講義の復習をしたり、読書に励んでいるというのに、帰宅して寝ているだけとは。そういえば姉は最近楽器の練習もしていない。それすらさぼって寝ているとは!
ラクリマンドは憤慨し、マナーなど無視して部屋に乗り込んでいった。
「ちょっとお姉さま!」
「え、ラクリマンド?」
ベッドの脇で腰に手を当てて大きな声を出してやれば、うつ伏せに倒れていた姉も、流石に飛び起きた。ポカンとした顔でこちらを見ているのがおかしいやら、だらしなく寝ていたのが気に入らないやらで、ラクリマンドは感情の赴くまま、大きな声を出し続けた。
「疲れているのかもしれませんけれど、そんな恰好でベッドに倒れているなんて、はしたないでしょう!」
「え、あの、何? どうしてラクリマンドが部屋の中にいるの?」
「部屋を通りかかったらドアが開いていたのよ! 見たらお姉さまがだらしなく寝ているから! まだ夕飯後の時間よ? こんな時間から寝ているなんて、気が抜けすぎじゃない?」
「そうかもしれないけれど、自室だし、今日は色々あって疲れたから」
「わたくしだって、午前中は講義だし、午後はダンスにピアノの練習に明け暮れているのよ?」
「そ、そうかもしれないけれど……」
「お姉さまは甘いわ! 良いでしょう、これからは私が、監視してあげる」
「えっ!?」
「お姉さまがたるまないように、抜き打ちで部屋に来るわ」
「それはちょっと……」
「お姉さまには完璧なお妃さまになってもらいたいの! だから良いわよね?」
「よくないんだけど」
「とりあえずそうね、ピアノの練習に行きましょう!」
「ちょっと、引っ張らないで? 歩くから、ちゃんと付いて行くから!」
久しぶりに聞いたカンティレーナのピアノは散々だった。自分よりヘタクソなんてあり得ない! ラクリマンドは落胆し、これ以降、ことあるごとに練習室に引っ張り出した。
さらにこの話をインティモにすると、彼女は意外なことを言い出した。
「カンティレーナ様は、王妃教育についていけていないのでは?」
「お姉さまに限ってそんな事はないわ」
「でもピアノの腕もなまっているほど、練習していないのでしょう?」
「それは……きっと忙しいから、ピアノにまで手が回らないのでしょう」
「それが付いていけていない、と言うのです。カンティレーナ様には婚約者の荷が重いのかもしれませんね」
「そんな……そんな事はないわ」
「わたくしはあまりカンティレーナ様にお会いする機会がないのですが、たまに見かけるカンティレーナ様は簡素なAラインドレスで、パニエも入れていないしコルセットもしていないでしょう?」
「……確かに、あれで王城に行っているの? と思うようなドレスが多いわね」
「髪型だってそうですわ。ラクリマンド様は綺麗に毎日結い上げているのに、カンティレーナ様は降ろしているだけ」
言われてみればそうだ。ハーフアップにしている程度で、あの姿は休日の部屋の中での姿であり、王城に行くのには全くふさわしくない。
「イラリタが言っていましたわ。カンティレーナ様は最近は表情も作れていないですし、会話も聞いているのだかわからないと」
イラリタは家庭教師の任を解かれたが、たまに遊びに来ている。
「お姉さま、どうなさってしまったのかしら」
「やっぱり、王妃教育に付いていけないのですわ。ですから身なりにも気を遣えなくなっているのですよ」
「心配だわ。わたしが手助けしてあげられれば良いのだけれど……」
この会話がきっかけとなり、イラリタはラクリマンドの前でだけだが、ことあるごとにカンティレーナに対してダメ出しをするようになっていった。
最初は姉を庇っていたラクリマンドも、次第に姉の行動に不信感を抱くようになっていく。
そしてある日、姉妹揃って呼ばれたお茶会で、カンティレーナはカップをソーサーに戻すときに音を立てるというミスを2回犯し、更には会話にも加わらずにぼーっとしているシーンがあった。
幸い周りにはばれていなかったようだが、ラクリマンドはそんな姉の姿に衝撃を受け、帰りの馬車の中で追及をすると、カンティレーナは疲れているのだと弱音を吐いた。
「誰もがうらやむ皇太子殿下の婚約者なのに、疲れているとか言っている場合!?」
「ごめんなさい、ラクリマンド、大きな声を出さないで」
「呆れた! お姉さまってもっとしっかりしていると思っていたのに!」
腹を立てたラクリマンドは、それきり会話を切り上げ、二人は無言で馬車に揺られて帰宅した。
インティモにこの話をすると、インティモは言ったのだ。
「やはりカンティレーナ様には、王妃の荷は重すぎるのです」
「でも、だったら、どうしたら!」
「ラクリマンド様が代わってさし上げたらよろしい」
「え?」
「ラクリマンド様はこのインティモが育て上げた、最高の淑女です。勉学だって高等学院でも通用する内容ですわ。カンティレーナ様よりも、皇太子にふさわしいと思いませんか?」
「だって、お姉さまはサメンテ様に選ばれたのよ?」
「選ばれた時には、カンティレーナ様の方がラクリマンド様の先を行っていたからでしょう。でも今はどうなのでしょうか。王妃教育に付いていけないカンティレーナ様と、同等の教育をしているラクリマンド様。もう一度機会があったら、どちらが選ばれると思います?」
普通だったら不敬だとインティモを解雇する場面だったが、ラクリマンドは自分を育て上げてくれたインティモを完全に信頼し、依存していた。その彼女が言うのだから間違いないと思ってしまった。
「お姉さまよりも、私の方がふさわしい……?」
「ええ。わたくしが断言いたしますわ」
キラリと眼鏡を光らせてインティモが言い切る。
「でも、もう選び直しの機会なんてないわ」
「作ればよろしいのです」
「どうやって?」
そこで教授されたのが、サメンテ待ち伏せ作戦だった。昼休憩やお茶休憩時間を狙って、サメンテの部屋付近をうろついて、一緒に食事や話をするようになれば、ラクリマンドの優秀さがわかる。そうすればあんな能面状態のカンティレーナよりも、ラクリマンドの方がふさわしいと判断されると。
「不敬じゃないかしら……」
「ありません。あなたはカンティレーナ様の妹君ですから、姉を慕って王城に付いてきていたって不思議はありません。今までも何度か図書館に付いて行ったことがありますよね?」
「そうだけど、あの時はお姉さまが一緒にいらしたし」
「今回はカンティレーナ様はご用事で部屋に行かれてしまい、不慣れな王城で迷っているうちに、サメンテ殿下に偶然お会いした、のならば何の不敬がありますかしら」
「……ないのかしら」
「ありません」
突撃姉の部屋も回数を増すごとに、姉は能面になるし、ピアノも全く上達しない。姉を救うためにも自分が頑張らなければ。ラクリマンドは次第にそう思うようになり、インティモの案を実行に移したのだ。
実際にサメンテと茶飲み話を重ねていくと、姉とサメンテは週1~10日に1回のお茶の時間しか会う事がなく、会話もほとんど交わしていないことが分かった。サメンテはそれに不満を持っていないようだが、婚約者にも無口というのは致命的ではないだろうか。サメンテは互いに忙しいからね、と姉を庇っているものの、その顔には諦めが見える。
こんな婚約、どちらもしあわせになれないのではないだろうか。
姉が幸せならばまだいい。だが今の姉は、全く幸せそうには見えない。家でもサメンテの話などほとんど出ない。たまに夕飯を家族一緒に摂った時に、両親に聞かれて『お元気ですよ』と答える程度。それが本当に婚約者だろうか。
少なくとも自分は、婚約者に会うのなら出来るだけのおしゃれをしてくるだろう。だが姉がドレスを新調したのはいつの事か。
朝早くから屋敷を出て、夕飯が終わる頃に戻ってくる。時たまラクリマンドが練習室に引っ張り出す以外は、どうやらベッドで行き倒れているらしい。
そんな生活の、何が楽しいのか。
そしてサメンテも、姉の心配もしていないようだ。こっそりと姉とサメンテの茶会を覗き見したが、二人共茶を飲んでいるだけで、碌に会話も交わしていないし、笑ってもいない。
これが本当に、長年の婚約者なのか?
ラクリマンドは決意した。姉を王妃教育から救い出し、幸せな未来を送ってもらうため、婚約を破棄してもらおうと。
しかし姉に直接そんな事を言っても了承するわけがない。今は疲れてボロボロだが、プライドの高い人だ。婚約者にはふさわしくないなどと言ったら、意地になってしがみついてしまうに違いない。
それならば、サメンテから婚約を破棄させるしかない。だがそれでは侯爵家はどうなる。
下手な理由、例えば姉が浮気をしているとか、能力がないとか公言されたら、侯爵家の評判も地に落ちる。浮気は嘘の理由でも絶対にダメだ。そんな事を言ったら姉が殺されてしまう。
やはり能力か。だがそれでは家の評判が心配だ。
そこでインティモの言葉を思い出した。最高の淑女の自分。ラクリマンドが婚約者になれば、姉は体調を崩したとかの言い訳で済む。実際に貴族間では兄弟姉妹が入れ替わっての結婚など珍しくない。
しかも自分は自他共に認める最高の淑女で、王妃教育にも十分太刀打ちできる学力も持っている。幸いサメンテも自分の事を憎からず思っているようだ。律儀にお茶に誘ってくれるくらいなのだから。
姉を救うためにも、自分がサメンテの婚約者になろう。そのために嫌な女にもなってみせる。
それからラクリマンドはサメンテに、自分をお妃にしてくれないかと申し出た。
最初は全く相手にされなかったが、それでも一緒にお茶をすることを拒否されなかったので、そのたびに申し出続けた。自分の長所をこれでもかとぶつけたし、流行の本の内容も暗唱して見せたし、刺繍をしたハンカチを渡したりもした。
そうして先日、30回目の逆プロポーズに、ようやくサメンテが乗ってくれたのだ。
そうして受けた王妃教育は、予想以上に難しいものだった。高等学院で受けた授業内容以上のもので、算術ならば計算問題は解けたのだが、見たこともない文章問題とか、表とか、兄を追いかける弟とかさっぱりわからない。
地理は30の領地と山や川は覚えていたけれど、市の名前なんて知らなかった。特産品とは何ぞや。
歴史も自国は学んでいたけれど、それに隣国の歴史が絡んでくるなど知らなかった。言われてみればそうかもしれないけれど、考えたこともなかった。
講師たちはラクリマンドの前評判を聞いていたので、テスト結果に顔をしかめたが、1つ大きなため息をついて、「カンティレーナ様が講義を受け始めた当初の内容から始めましょう」と言った。
ラクリマンドは衝撃を受けた。姉が講義を受け始めた当初? 10年前のレベルという事か。姉はそんなに先を行っていたのかと。衝撃で口を利けない間に、講師は気の毒そうにラクリマンドを見て出て行ってしまった。
さらに教育係のグラーチレの指導も厳しかった。カップの持ち方一つとっても全て指導された。そしてその指導に従うと、確かに優雅さが増すのだ。そういえば姉はこう持っていた、と今さら気が付き、慣れない不安定な持ち方でカップが揺れるとすぐさまに叱責が飛ぶ。顔の表情が作れていないと指摘される。口角の上りが足りないと叱咤される。
ドレスで歩くとき、ハイヒールの音が少しでも鳴ったら睨まれる。座った姿勢を崩したら背中に定規が飛んでくる。
1日の指導が終わって家に帰った時、ラクリマンドは思わずベッドに倒れ込んだ。そして分かった。
姉が無表情なのは、王妃教育で笑顔を貼り付けた反動だったのだと。今まさに自分が無表情のままうつぶせに倒れ込んでいるのだから。
こんな大変な教育を、姉は10年も耐えてきたのだ。たった1日で辛いなどと言えようか。
ラクリマンドは両手でなんとか起き上がった。寝ているヒマなどない。10年の差を縮めなくてはいけないのだから。
ヨロヨロとした足取りで、何とか机に向かい、教科書とノートを広げ、思い出せる範囲のテスト問題を思い出し教科書から該当ページを探す。
兄と弟問題は説明と問題集で10ページにわたっていた。速さと時間と道のりを公式に当てはめるらしい。ラクリマンドは自力で問題を解き始めた。
ラクリマンドが講師陣から褒められたのはピアノの演奏だけだった。自信のあったダンスすら、基本しかできていないと言われてしまった。
ラクリマンドの自信は、王妃教育が始まると同時に木端微塵にされた。されたが、落ち込む暇はなかった。何としてでも姉に追いつかなければ、自分が婚約者になった意味がない。ラクリマンドは講師陣も目を見張るほどの努力で、毎日の講義にしがみついてきた。
最初は前評判ばかりだと思っていた講師陣も、分かるまで質問を繰り返してくるラクリマンドの熱意を認め、苦手問題には追記問題を出し、何度でも説明をしてくれた。グラーチレも講義中の姿勢の注意は控えめにしてくれた。
時には寝不足で講義中に意識が飛びかけた。そうすると講師は無慈悲にも席を立ってしまうのだが、ラクリマンドが土下座せんばかりに詫びると、気を付けるようにと言って講義に戻ってくれた。
あとでグラーチレに叱られた。これがもし、他国の大使や大臣相手だったらどういう事になるか考えろと。大切な場でうたた寝などしたら、国際問題にも発展しかねない。眠くても眠いように見せるなと不可能なことを言われたが、ラクリマンドは努力しますと答えた。
2か月、頑張った。その頃にはペースも掴めてきて、大変すぎて家に帰ると気が付くとベッドで寝ているけれど、最初よりは余裕が出来てきた。とはいえサメンテとの茶会では、何もしゃべれないほどに疲弊していたが。
そしてさらに2週間を過ぎて、グラーチレが茶会の場にカンティレーナを連れてきた。ただでさえ凝り始めている背中に力を入れて、背筋を正すが、カンティレーナはそんな無理をせずとも美しい姿勢を保ち続けていた。
10年。10年の差を、たった2か月で縮められるわけがない。だが自分だってある程度以上のレベルにはいたはずだ。それに今まで一緒にお茶を飲んでいても、確かに姉は優雅だとは思っていたけれど、それがこんな努力の上に成り立っていた優雅さだとは思いもよらなかった。
カンティレーナの自然な優雅さを目の当たりにして、ラクリマンドは自然と涙が流れてしまった。
「ラクリマンド、どうしたの?」
「な、なんでもありません。目にゴミが」
「大丈夫?」
「はい」
カンティレーナの優しい声が胸に痛い。敵わない。この優雅さには敵わない。ここまで到達するのに、10年はかからないだろうけれど、1年程度では無理だ。
さらにグラーチレがさりげなく地理問題をカンティレーナに出している。姉は言いよどむ事もなく、全ての質問に答えた。そしてそれが合っていることは自分にもわかる。ただラクリマンドでは答えるまでに時間がかかるだけだ。
「ご当地の当主とお話をしている時に、『おたくの名産、え~とあれはなんだったかしら』などと言ったら最後です。まだ国内の貴族ならばごまかしも効きますが、他国だったらその場で交渉は終わりと心得なさい」
地理の講師の言葉が、ラクリマンドにのしかかる。そうだ。姉は紅茶を飲みながらいとも簡単に答えて見せた。自分が領主だったら、王妃が自分の領地の名産や市をすらすらと言ったら、名誉に思うだろう。これらは覚えれば良いのだから、これなら何とかなるかもしれない。だがすぐには無理だ。しかも姿勢も指先も揺るがさずに答えるなんて。
2か月かかって少しだけ復活してきたプライドは、姉の姿を見てまたボッキリと折られてしまった。
それでもラクリマンドはあきらめなかった。姉は10年耐えた。私はまだ2か月だ。まだまだ頑張れる! 動く点P兄弟も旅人算も図形上を動く点Pもクリアした。30の領地の市も特産品も覚えた。他の講師陣にもよく頑張っていると褒められた。
そんな矢先、王妃のお茶会の席に呼ばれたのだ。
初めてお会いする王妃は眩しかった。笑顔も極めて自然で、上品な笑みだった。もうそこにいるだけで後光が差しているようだ。
姉が女神だとすると、王妃はそれ以上の女神だった。彼女たちを目の前にしたら、自分とは全く次元の違う存在だと分かってしまった。全ての動作が下品すぎる。付け焼刃のマナーなど、全く太刀打ちできるわけがない。
だから貴族は、子供のうちからマナーと立ち居振る舞いを叩き込まされるのだ。こればかりは一朝一夕で身に付くものではないから。そして王妃教育で城にいる間、厳しくチェックされ続けて、これが普通の動きになるまで叩き込まされる。
ああ無理だ。10年かければここまで到達するかもしれないが、それでは遅すぎる。そしてどうやっても短期間で身に付くものではない。
姉はこれに近いものを身に付けている。あと足りないとすれば余裕と貫禄か。それこそ王妃と同じ歳になれば自然と身に付いているだろう。だが自分は? 足元にも及ばないその品は、どうやっても無理だ。
王妃と対面している間は堪えた涙だったが、家に着いて窓辺で優雅に茶を飲んでいる姉を見た途端に、涙腺が崩壊した。
**
もうだめだと思って泣きついたが、二人は婚約を解消などしていなかったと聞かされた。姉もサメンテも、ラクリマンドの事を考えて、誰にも公表せずに、ただ王妃教育を体験していたという逃げ道を用意しておいてくれていた。
しかも姉はすでに王妃教育を終えていたという。同じようにサメンテも帝王学を終えて、二人はラクリマンドに内緒で何度もお茶していたのだという。
「あの厳しい教育は、一体なんなの!? 王妃様に聞いたら、王妃様はお姉さまみたいな教育は受けていないって!」
「そうでしょうね。私が受けていたのは、帝王学だもの」
「……はい?」
10歳で王妃教育を始めたカンティレーナは、その内容を聞いて直訴したそうだ。
「うちで受けていた教育とあまり変わらなかったの。もちろんレベルは上がっているけれどね。それでサメンテ様に聞いてみたら、サメンテ様の方が内容が難しかったわ。女は基本を知っていて、あとはマナーと対話術だとか言われたけれど、私はそれじゃあ満足できなくてね、サメンテ様と同じ帝王学を学びたいと訴えたの」
「……どうして?」
「だって、そうじゃなきゃ、サメンテ様の隣に並んで支える事なんて出来ないでしょう? 私は一歩後ろから支えるんじゃなくて、一緒に並び立ちたいの。もちろん男女で負担を分けるべきところもあるわ。それがお茶会であり、社交界だわ」
「そ、そうね」
「でも問題を一緒に考えることが出来れば、サメンテ様の負担を減らすことができる。一緒に視察に行ければ、分野を分けて話をすることができる」
「でも、宰相や侍従だっているわ」
「もちろんよ。私たち二人で全てを把握している必要はないの。でも知らないよりも知っていた方が良い。計算だって、全く分からないよりも暗算で目の前で確かめられた方がいい」
ラクリマンドもこの3か月弱、ひたすら繰り返した計算のお陰で、相当早くに計算できるようになっていた。家の帳簿を見て計算間違いをすぐに見つけられるほどに。
「私が国の事をサメンテ様ほどではなくとも知っていれば、二人で考えることが出来るわ。多くの知恵が集まれば、より良い方向に物事を運ぶことも出来るでしょう?」
そこまで考えて、姉は帝王学を学ぶことにしたのだ。さらに立ち居振る舞いの王妃教育も同時に。それは大変に決まっている。それを姉は10年、耐えたのだ。
「サメンテ様も同じ内容を学んでいらしたから、お茶の時は二人であれが分からないこれが分からない、って愚痴を言ったり、励まし合っていたのよ。あとアドバイスをお互いにしたりね」
「……そんな話をしているようには、全く見えなかったわ」
「あら、覗いていたの? 良いのよ、サメンテ様が許可したのでしょう? 二人共見えないように口元を隠して話し合っているからね。外交の場で、読唇術で何を話し合っているのか他国にバレたら大変でしょう?」
自分が疲れすぎて、全く会話が出来ないのと同じではなかった。二人はきちんと話をしていたのだ。
「サメンテ様もあなたの事を褒めていたわよ。あの教育に3か月近く耐えて、しかもついてきたことに」
「勉強は凄くためになったわ。おかげでうちの帳簿もつけられそうよ」
「あらそれは心強いわね!」
「お父様の書類も少し見せていただいたけれど、前はさっぱりわからなかった内容も、少しは分かるようになったわ」
「それならよかった」
「お姉さまも分かるのでしょう? それにしてもこんな長い間、あんなに大変な教育に、よく耐えられたわね?」
「あなたも耐えたじゃない?」
「私はお姉さまに追いつきたい一心だったの。でも追いつくどころかお姉さまたちが考えてくれなかったら、足を引っ張るだけだったわ」
「でも頑張っていたわ」
優しい笑顔に、ラクリマンドはしかし口をとがらせて言った。
「お姉さまがあまりに大変そうだったから、何とかしてあげたかったの。いつの間にか目的と手段が入れ違ってしまったけれど、それは本当よ。疲れ切って能面みたいになっていたお姉さまを、何とか助けたかったの」
「分かっているわ」
結局ラクリマンドはインティモにそそのかされてしまったのだ。インティモはイラリタが育てたカンティレーナが婚約者になったのが悔しかった。ラクリマンドが努力家で、最高の淑女に育てられたのもあって、イラリタとカンティレーナを超えたかった。そのためにはラクリマンドが皇太子の婚約者になってくれるしかなかった。
インティモはこの件で侯爵家から追放されたけれど、ラクリマンドを立派な淑女に育て上げたのは事実だったので、対外的には教育を修了したからの解雇という形になっている。
もうしばらくの間は皇太子の嫁探しはないし、おごらなければ今後も家庭教師として、引く手あまただろう。
ちなみにカンティレーナがピアノが下手だったのにも理由があった。
「だってわたし、ピアノではなくてバイオリンだったのだもの」
「え? でもおうちではピアノ弾いていたじゃない?」
「幼少期だけよ。貴女の方が上手になっちゃったの。だからわたしはバイオリンに変えたのよ」
「練習しているのを聞いた事がないわ!」
「ええ、お城で練習していたから」
毎日、全ての教育が終わったあとに1時間ほど練習していたのだと言う。
「左手は動くのだけど、右手が動きにくいし、なによりヘ音記号読むのが遅くなってしまって」
「じゃ、じゃあ私が家で弾かせた時って……」
「ええ、すごく久しぶりだったわ」
苦笑するカンティレーナに、ラクリマンドは唖然とした。何年も弾いていなかった状態だったのかと。
自分もあの教育を受けて、あの後練習時間を確保するなど、物凄い精神力がないと出来ない事だと理解した。なのに毎日1時間だと?
「サメンテ様もバイオリンなの。だから一緒に練習したりもしたのよ」
「そ、そうなの?」
「ええ。あ、今度一緒に演奏しましょうね」
「え、はい!」
後日、お城の練習室で、三人(護衛つき)で演奏したが、2人のプロ並みの演奏に、やはり姉は女神だったとラクリマンドはこっそり拝んだ。サメンテの演奏も素晴らしく、護衛達が素晴らしい演奏だったと感涙していた。
「お姉さま、私はお姉さまが大好きで、大変そうなお姉さまを何とかしてあげたかったから頑張ったのだけど、お姉さまはどうして頑張れたの?」
ラクリマンドのその言葉に、カンティレーナは淡く笑った。あまりに美しいその笑みに、ラクリマンドが見惚れてしまった。
「だってわたし、サメンテ様の事が初めてお会いした時から大好きだから、お役に立ちたいの」
「……そんなに、好きなの?」
「ええ。大好きなの」
「……お姉さま、今、幸せ?」
カンティレーナは口元を隠すこともせず、満面の笑みを浮かべた。
「ええ、幸せよ」
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