「私がウィキペディア」の疑惑
私には、63歳になる男性の同僚がいる。彼は、めちゃくちゃ仕事ができる。頭が良い。
仕事をするかたわら、現役のスポーツ選手でもある。日本記録保持者である。日本一速い男である。
なんなら、能力の9割が運動神経につぎ込まれている。残りの1割でデスクワークをこなしていることになる。もともとの力の全量が多いのだとは思う。でも、アンバランスな力の振り分けに、弊害は起こる。
まず、名前を覚えない。人間の名前は、覚えない。
「あの、ほら、あれ…『バツ丸』くん!」
そんなやつは、職場にいない。そいつは、サンリオピューロランドにしか、いない。
「あの…あれ、『女の人』!」
職場には、70人くらい同僚がいた。その半数が女性であった。それ、分母じゃん。
「すごい、人気だったよね。あの人。『拍手とかされてた人』だよね!」
それ、違う人。あの人は、『拍手とか何もされてない人』。
物の名前も、もちろん、覚えない。
「『ターミネーター』やる!」
人類殺すの?守るの?こえーよ。
ちなみに、彼が本当に言いたかったのは、『ハイクロネーター』である。固形塩素を溶かすことのできる専門機器である。
「間違えた!『ファーミネーター』だった!」
それ、猫ちゃんの毛をゴッソリ取ってくれるブラシな。
とうとう、ハイクロネーターは、『塩素のアレ』と呼ばれるようになった。そして、3年の月日が経つが、いまも、『塩素のアレ』呼ばわりされている。
「この『ほうれん草』、おいしい!」
それ、『ルッコラ』だよ。全然、見た目も味もちげーよ。どうなってんだよ。
そして、指摘すれば、
「わざとだよ?」
と言う。全く悪びれる様子は、無い。
さらに、分からないことを、全部、私に聞いてくる。
「まん防って、いつまでに延長されたの〜?」
「LINEの『ノート』って、どうやって見るの〜?」
「たこ焼き屋さんって、どこにあるの〜?」
全て、iPhoneで、私が調べた。そして、教えた。
「私のこと、ウィキペディアだと思ってませんか?」
ある日、私は聞いてみた。すると、彼は慌てて否定した。
「え〜!そんなことないよ〜!もう〜!(汗)」
そして、一呼吸置いてから…
「『ウィキペディア』って、なあに?(上目遣い)」
と、聞き返してきた。
ダァァァッ!!!(笑)
ったく、この、バッ…!!!!!(笑)
この春から、私は転勤になり、彼とは職場が離れる。彼は愛されるぶりっ子ではある。しかし、私レベルのウィキペディア(そばにいて、テレパシーで彼の言わんとすることを察知し、かつ、わからないことを全部調べてくれる人)は、なかなか、いないと思う。
事実、実は、彼は、最近、iPhoneの機種変をした。その際のデータ移行で、なぜか失敗し、彼の知り合い、全員分の連絡先が飛んだ。笑顔で、
「僕、君の連絡先だけ分かってれば、いいや!」
と言っていた。
私、ウィキペディア(扱いされてる)疑惑、濃厚である。