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 「なんかとんでもない幸運でも舞い降りて来ないかな」…これが俺の毎朝考える事。朝早く起きて職場に来て着替えて厨房掃除して野菜を切って肉を切って、サラダは一〇〇皿ほど作っておく。俗にいう朝の仕込みなのだが、俺からすればもはやモーニングルーティンに過ぎない。寝癖なおしとか歯磨きとかと同じ一連の流れでこれをこなす。昔は、やっと仕込みを任せてもらえるようになった! とか自分の成長にウキウキワクワクしてたのに、今では何の感情も湧かない。年末年始や三月四月あたりに、何か劇的な変化が発生しないかなぁなんて期待していたのだが、ここ数ヶ月は毎日この調子だ。

 十時の朝礼開始まで残り四〇分。仕込みを終えると昨日と同じ位置の長針と短針がそこにはあった。作業がギリギリまで時間がかかったり、終わらなくてテンパっていたあの頃が懐かしい。俺は数年の修行の末生み出した毎朝の四〇分を、他のジャンルの料理を研究したり新しいレシピを考えるのが一番良いと分かっておきながら、ただの仮眠と携帯電話のソシャゲで潰してしまっている。

 妙にレベルが上がってしまっているソシャゲのアカウントを眺め、料理人失格だよなぁと思いながら、いつも通り眠りにつく。

 ……そしてタイマーもなく時計も見ずに、「そろそろか」と気づいてしまう。機械よりも機械的だなあ。

「じゃあ、そろそろ朝礼始めるぞー」

 副料理長の気怠そうな声が、ギリギリフロア全体に届いた。厨房の同僚やホールスタッフが集合した。

「まず、七つの接客用語いきまーす」

「いらっしゃいませ」

「「「いらっしゃいませ!!!」」」

「かしこまりました」

「「「かしこまりました!!!」」」

「少々お待ちください」

「「「少々お待ちください!!!」」」

「……今日はこんだけでいいか」

 「えぇ…」と、他の従業員から困惑の吐息が広がった。相変わらずやる気の無い人である。この人、ウチの会社じゃ無かったらとっくの昔にクビにされていてもおかしくはないだろう。しかしそれにしても、やる気がないこの人自身が問題なのだろうか、それともやる気を奪う会社が問題なのだろうか。この答えはどう考えても後者だ。いくらやる気や情熱を持って仕事をしてもソレが全くの無意味であると気付かされる。食材もメニューも調理方法も会社に決められて、いくら新しい皿を作り出してもそれが店で出されることはない。本社の人間が全て決めている。けれど何が憎たらしいって、その本社の人間が作る料理がなんだかんだ一番美味いのだ。せめて「俺の方が実力があるのに! クソっ、なんであんなやつに従わないといけないんだ!」みたいな反骨精神をわき起こさせて欲しい。結局のところ上層部は、経営が上手いらしい。そこそこの数の店舗は出しているのに安っぽいチェーン店感は出ていないし、だからといって入りにくい店でもない。

「えー、と、来週から期間限定メニューのぶり大根が出ます。担当者はメニューの確認とかで準備をお願いします。では、開店準備お願いします」

 副店長は基本やる気がないが、店長が居ない日はこの人が現場をまとめるし、店長からも本社からの信頼は厚い。副店長として割り振られている仕事でミスは起こさないし連絡連携レスポンスも早い。『仕事がデキる人』なのだ。ここでは料理の実力者ではなく仕事の能力で出世が決まる。愚痴ばかりを心の中で漏らしながら、今日も仕事が始まる。


「生姜焼き定食一丁お願いします」

「かしこまりましたー」

「アジフライ定食一丁お願いします」

「かしこまりましたー」

「唐揚げ定食お願いします」

「かしこまりましたー」

「かけ蕎麦お願いします」

「かしこまりましたー」

「唐揚げ定食お願いします」

「かしこまりましたー」

 …

 ………

 ……………


 午後二時になると夕方、夜のシフトの人間が出勤してくる。ここで一日の仕事の終わりを実感する。

「仕込みのサラダ残り十一皿です」

「了解です」

 お互い、伝えるべき情報と確認しておくべき情報をしっかりと把握しているため、会話も殆ど発生しない。ピークを過ぎると他の従業員と話す余裕も発生するのだが、料理の話を俺とする奴は少ない。最近始まったドラマとか発見した面白い漫画とかそんなのばかりで、たまに後輩が仕事の効率を質問しに来るぐらい。普通のサラリーマンも、工場で働く職人も、こんな会話ばかりなのだろうか。

 厨房での仕事を終えると、ロッカールームにて日報を手書きか支給されているタブレットで作成し、回収のトレイに置いて、それが勤務の終わり。とくに仕事終わりの用事もないので、まったり着替えていると、副店長が電話をしながら部屋に入ってきた。

「わかりました、そうなんですね。了解です。伝えておきます、はい、お疲れ様ですー」

 おそらく店長からの電話だろう。口ぶりで察しはつく。しかしロッカールームは副店長と二人しかいないので、社交辞令として話しかけてしまった。

「お疲れ様です。電話、どうしたんですか?」

「あー、店長車の渋滞で遅れるって」

「じゃあ店長来るまで残るんですか?」

「いやそれはいらないってさ。あと…」

「あと?」

「まぁ阿部は参加しないだろうけど、すごい久々に新作料理のコンペあるんだと。全従業員参加できるやつ」

「あー…。まぁどうせ本社の人のが採用されるんでしょうけどね」

「だろうな。いけても店長クラスのだろうし。結局半分ぐらいしか参加しないかもな」

「ですね」

「明日明後日休みだっけ? 阿部もどうせならなんかやってみたら?」

「はは、気が向いたら、ですね」

 俺はつい、間の抜けた声で間の抜けた返事をしてしまった。仮にも上司なのだから、もう少しやる気のある態度を見せるべきのはずなのだが。副店長はその後、売上金の集計や発注の処理諸々をするために事務所へ行った。


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