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三ヶ月後。桜子はようやくごたごたの大半に決着がついていた。
淳史の妻から請求された五百万円は一円も払わずに済んだ。
アウラのおかげだ。
桜子と入れ替わり、慰謝料の請求書を見つけたアウラは、その意味を理解するとスマホを用いてこちらの法律を調べだし、弁護士の存在を知ると自ら赴いて相談していたのだ。
スマホの中には彼女が依頼した弁護士の連絡先も、弁護士から聞いた重要事項も、やるべきことすべてが保存されていた。
メモ魔が助けとなった。
桜子は日記や名簿を片端から読み返し、スマホに残されたメールのやりとりも読み返して、淳史が『独身だ』と名乗っていた証拠を一つ一つ集めていく。
古傷をえぐるような行為だったが、投げ出すことはなかった。それではアウラの気遣いが無駄になってしまう。
桜子は歯を食いしばって淳史に関する情報を一つ一つ拾っていく。
出会うきっかけとなったマッチングアプリは、淳史はとうに退会していた。しかし思いついて別のマッチングアプリをチェックすると、なんと懲りずに三つのアプリで『独身』と登録しているのを発見した。
それらの証拠を弁護士のもとに持参して、「自分は淳史が既婚と知らなかった」「自分は淳史に騙された立場なので、慰謝料を払う義務はない」と請求を拒絶する旨、弁護士を通して淳史の妻に伝えてもらう(この際、「誰になんと言われようと、絶対に一円も払ってはいけない」と弁護士に厳命された。少額でも払ってしまえば、裁判では「払う意思あり」と解釈されて支払い義務が生じてしまうのだという)。
淳史の妻は激怒した。「泥棒猫の分際で図々しい!!」と弁護士事務所に怒鳴り込んだらしい。
しかし、桜子が集めた証拠は法的に証拠能力を認められ、桜子は「淳史が既婚と知らなかった」「結婚の約束をしてだまされた側だ」と立証することができた。
そして逆に『騙された被害者』として、淳史に慰謝料を請求したのである。
淳史は桜子に電話してきた。延々と謝罪の言葉を並べ、慰謝料の請求をとり消すよう頼んできた。不倫の慰謝料をとれなかったばかりか、逆に夫が請求され、妻がカンカンなのだという。
「そんなに奥さんを怒らせたくないなら、どうして女遊びなんかしたのよ」
本当に、その一言だった。
桜子は法的に相場の額の慰謝料をうけとると、引っ越して淳史との縁を完全に切った。
今、桜子は新しい仕事をさがしている。
アウラがほとんど使っていたとはいえ、二百万円弱が残っていたのは僥倖だった。派遣で貯めたわずかな貯金だけだったら選ぶ余裕もなく、ブラック企業に捕まっていたかもしれない。
悩んだのは、アウラが残していったブランド品だった。処分するのはもったいないが、さりとて桜子一人が使う数ではない。女王陛下は毎日違うバッグをお使いになるだろうが、桜子は普段用と仕事用と外出用、それから冠婚葬祭用の四種類があれば充分である。引っ越し先もワンルームなので、置き場所の問題もある。
悩んだ末、桜子はすべて手元に残すことにした。
アウラが買った服も靴もバッグもアクセサリーもすべて撮影して、写真をレンタルサイトにアップした。
副業をはじめたのである。
誰もが知るブランド品ばかりだったため、この副業はそこそこ当り、桜子は月に数万円の定収を得るようになる。数万でも毎月入ってくるというのは心強く、おかげで慎重に次の仕事をさがす余裕が生まれた。
新しいワンルームで、桜子は全巻そろえた『聖なる乙女の祈りの伝説』シリーズを読みながら、遠い異世界の若き女王のことを考える。
アウラ女王の死を、残されたロヴィーサの民達はどう思っただろう。
彼女が残した言葉が、少しでも彼らの心と記憶に残っていてほしい。ただの悪役女王ではなかったと、一人でも多くの人に思っていてほしい。
いや。
(残っていてほしい、思っていてほしい、じゃなくて。私が、思うのよ)
桜子に文才や画才があれば、あるいは尊大で高飛車なうら若き女王陛下の物語を書いて、誰かに伝えることもできたかもしれない。だが桜子はただのメモ魔だ。文才はない。
だから、心に刻むのだ。記憶と記録に残す。
誰に伝えられなくても、残せなくても、アウラという女王がいたこと、彼女の本当の姿と生き方を、桜子自身の心と記憶に残す。アウラの最後の言葉を、何度だってくりかえす。
『人はみな、生きていくだけで讃えられるべき勇者なのだ。その勇気を誇れ、桜子よ――――』
「生きるよ。アウラの分まで」
窓から青い空を見あげながら、心に誓う。
つらくても苦しくても先が見えなくても、桜子がただ生きる。
それがアウラの言葉が桜子に残った証であり、桜子が生きる限り、アウラの言葉と心の破片は桜子の中に生きつづけるのだ――――
追記:
ロヴィーサ暦二百五年。
オルディネ王朝最後の女王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネ処刑。
聖女、フェリシア・フィーリャ・トゥ・オブリーオが正式にロヴィーサ女王位に就き、オブリーオ王朝が復活する。
新女王はロヴィーサ宰相、ドゥーカ公爵の長男、リーデル・ラ・ドゥーカを夫に迎え、ロヴィーサ貴族も公爵の説得により新たな女王に忠誠を誓い、大国ブリガンテの第二王子の後ろ盾も得て、新女王の御代は心強い始まりとなった。
さらに二年後、女王は後継となる息子にも恵まれ、新女王の治世には神の祝福があることを誰もが確信し、聖女である女王は『聖女王』と呼ばれるようになる。
しかし三年後。リーデル・ラ・ドゥーカは狩りの最中に落馬。ほぼ即死し、新婚生活はわずか五年で幕を閉じる。
葬儀は盛大に行われ、隣国ブリガンテからも第一王子の早世によって王太子となった第二王子が訪れ、恋敵兼親友の葬儀に参列した。
そして喪が明けた一年後。
聖女王とブリガンテ王太子の婚約が発表される。
むろん重臣達は仰天し、「早すぎる」と全員が反対したが、聖女王はすでにブリガンテ王太子の子を身ごもっており、大国ブリガンテの威光にも圧されて、二人の結婚は認められた。
翌年。聖女王は二人目の夫、レスティ王太子との間に二人目の息子を産む。
並行して、ロヴィーサ女王の夫は妻に代わってロヴィーサの国政をとりしきり、ロヴィーサ王宮には多くのブリガンテ貴族や役人が流れ込む。
当然、王宮はロヴィーサ貴族とブリガンテ貴族、二つの派閥にわかれて対立がはじまる。
ロヴィーサ側はロヴィーサ貴族を父に持つ第一王子を旗頭に集まり、王子の一日も早い即位を画策する。しかし一足早く、ブリガンテ王太子が妻である聖女王の許可のもと、自身の息子である第二王子を立太子させてしまう。
さらに彼は政治に興味のない妻を説得し、わずか二歳の第二王子をロヴィーサ新王として即位させると、聖女であり王太后である妻には『聖太后』の地位を与えて国政から退け、自身は新国王の『摂政』としてロヴィーサ国政を一手に握った。
むろん、聖太后には王宮どころかロヴィーサ中の非難が集まる。
しかしブリガンテ王太子は王宮の堅苦しい生活を苦手とした田舎の村出身の妻のため、田園風の可愛らしい離宮を建てて妻と息子を住まわせると、妻子の周囲を自身の息のかかった者達でかためて、妻をあらゆる非難から守った。
この事態に、ドゥーカ公爵は王宮脱出という形で反対した。
彼はわずかな隙をついて孫である第一王子を誘拐同然にドゥーカ公爵領へ連れて行くと、オブリーオ王朝とドゥーカ公爵家の血を引く七歳の第一王子に『ドゥーカ大公』を名乗らせ、広大な公爵領の独立を宣言して、自身は摂政として『ドゥーカ公国』の樹立を宣言した。
むろん、一般的には『反乱』にあたる行為である。
しかし聖太后とブリガンテ王太子に憤っていた多くのロヴィーサ貴族は、これを支持。ドゥーカ公国は勢力を伸ばすと思われたが、ブリガンテ王太子の派遣したブリガンテ・ロヴイーサ軍に制圧され、ドゥーカ公爵は第一王子誘拐と反逆の大罪により処刑。ドゥーカ公爵位はそのまま第一王子が保持するも、ドゥーカ公爵領には幼いドゥーカ公爵の補佐としてブリガンテ王太子の側近が送り込まれ、ドゥーカ公国はわずか五年で消滅する。
ドゥーカ公爵派の貴族達も、罰として多額の税が課せられた。
これらの事態に対し、聖太后の異母兄、ソヴァール・ラ・エーデルは完全に出遅れた。
聖太后自身が認めた兄でありながらも、イルシオン王の隠し子であった彼は、自身の存在が公になることで亡父の名が醜聞にまみれることを厭い、出自を隠して一介の貴族として生きる道を選んだ。
彼はロヴィーサの財務大臣だったオーロ男爵につき、研究に没頭する日々を送る。
すでに老齢だったオーロ男爵も新女王の即位にあたって引退を申し出て、男爵領内での隠遁生活に入った。ソヴァールは二重三重に王宮から引き離され、彼が事態を知って王宮に駆けつけた時には事の大半が済んだあとだったのである。
ソヴァールは聖太后に謁見を申し込み、異母妹に女王として実権をとり戻すよう、説得を試みる。しかし世俗の権力に興味のない聖女はそれを良しとせず、「国政はできる人に任せた方がいいわ。大事なことだからこそ、私のような素人が口をはさんではならないと思うの」と異母兄の意見を退ける。そして「レスティ様は優秀で信頼できる人よ。お兄様も知っているでしょう?」と、逆に異母兄を説得してきたのだ。
ブリガンテ王太子の妨害もあってソヴァールはオーロ男爵領へ戻らざるをえず、以降、この兄妹の再会は王太子の厳重な監視のもとで行われ、いつしか異母兄の訪問も途絶えて、ソヴァールはオーロ男爵領でその生涯を終える。
ロヴィーサの正統な王女にして、ブリガンテに現れた聖女。ブリガンテの助力を得てロヴィーサに侵攻し、両親の仇であるオルディネ王朝を討ち倒して新オブリーオ王朝を興した聖女王。そして、のちのブリガンテ王を二人目の夫に迎えて、ロヴィーサがブリガンテの属国となる原因を作った聖太后。
様々な肩書を持った彼女は、ロヴィーサで『希代の悪女』として語り継がれるようになる。
しかしブリガンテにおいては、一国をブリガンテに献上し、その奇跡の力と血をブリガンテ王家に捧げた聖女として、ブリガンテの歴史でも屈指の人気を誇る偉人となる。
彼女はブリガンテ王との間に十三人もの王子王女をもうけ、人生の後半にはブリガンテに戻って、ブリガンテ国民の敬愛と尊敬に包まれて生涯を終えた。
聖太后お気に入りの貴族が残した手記には「聖女になって軍をひきいて戦ったり、女王になって政務をこなしたり、いろいろ大変だったけれど、リーデル様やレスティ様やお兄様達のおかげで乗り越えられたわ。リーデル様とのお別れは早すぎたけれど…………哀しい時は、いつもレスティ様がそばにいてくれた。今は、こんなにもたくさんの愛する子供達と友人に恵まれて…………私は本当に幸せな人間だわ。神様に千回お礼を述べても、足りないくらい」という彼女の言葉が残っている。
二代で潰えたオルディネ王朝。この王朝は長らく『ロヴィーサ王国史上、最短にして最悪の失敗』と語り継がれる。
しかし大量の資料の発見により、後世、歴史家達による再評価が進む。
レベリオ王は日記や政策に関する覚え書き、数々の改革案を書き残し、それらは娘のアウラ女王に引き継がれて、女王自身も処刑までの二年間、手作りの名簿や日記、父の改革案を基にしたさらなる改革案などを残している。
これらの資料はオルディネ王朝の滅亡と共に失われたと思われていたが、ブリガンテ軍が王宮に攻め込んだその日、女王に命じられた財務大臣が運び出して自領の館の奥深くに隠した。
この時、共に運び出された国庫の帳簿の写しにより、当時のロヴィーサが抱えた大赤字の原因が、伝えられてきたようなアウラ女王の贅沢によるものではなく、戦好きのクラージュ王が作った巨額の借金によるもの、という考え方が後世の定説となる。
イルシオン王は父王が作った赤字に対し、特に手は打たなかった。彼は真面目だったが才覚が際立つ王ではなく、ただ伝統と前例に従ってロヴィーサを治めていた。
そのためレベリオ王が積極的な経済改革を唱えて反乱を起こすと、ロヴィーサの大臣達は消極的にだが、彼を支持した。
しかしレベリオ王の改革案の主軸が貴族への課税と貴族年金の削減と知るや、財務大臣をのぞく、すべての大臣達が反対に回る。
そしてレベリオ王の急死にともない、わずか八歳のアウラ王女が即位すると、ロヴィーサの政治は宰相であり摂政ともなったドゥーカ公爵に握られることとなった。
その後、アウラ女王が処刑され、ロヴィーサの政治はフェリシア聖女王を介してブリガンテ王太子に握られる。王太子が大勢のブリガンテ貴族と役人を呼び寄せてロヴィーサ王宮の要職に就けると、ロヴィーサ貴族はレベリオ王の時代に拒絶した課税と年金の削減を、フェリシア聖女王の時代に、レベリオ王の提案以上の税率と削減率で呑まされることとなった…………そう、オーロ男爵の手記では語られている。
アウラ女王は処刑までの二年間、積極的に政治にとりくんだ。
自身に関する支出を削り、舞踏会や式典の数を減らして倹約に努め、庭園の一般公開やお菓子のレシピの印税などで収入を得ようとした。
特に彼女の、その若さにそぐわぬ近代的な税制改革案については、後世の歴史家達も「画期的だ」「天才だったのでは?」と驚嘆し、その後のロヴィーサの運命とあわせて「アウラ女王の治世がつづいていれば…………」と嘆息したほどだ。
莫大な赤字は、在位の短さもあってアウラ女王の時代に解決することはなかった。
しかし処刑にあたり、アウラ女王が石や罵声を投げられることはほとんどなかったらしい。
倹約により予算に多少の余裕を生んでいた彼女は、少額だが税金を下げ、王宮に勤めていた下男下女の薄給を改善していた。
そのため下男下女からひろがった噂とあわせて、民はアウラ女王の治世に期待を抱いていたところだったのである。
後世、アウラ女王が考案した菓子にはそのまま彼女の名が残り、彼女の麗姿は、一般公開によって直に目の当たりにした画家やその卵達の手によって、無数の絵画に残される。
オルディネ王朝に関するこれらの資料はオーロ男爵の弟子、ソヴァールによって長い時間をかけて研究、整理され、彼の遺した論文と共に大切に保管された。
そしてオルディネ王朝を滅ぼした新オブリーオ王朝が倒れ、数百年の時を経てロヴィーサが民主化するのを待って、世間に公表されたのである――――




