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持っていたバッグの中身を確認する。スマホがあったので電源を入れてみる。
表示される日付を信用するなら、桜子があの女王陛下と入れ替わって三ヶ月だった。
桜子は夢の中をさまよう気分と足どりで、どうにか自宅にたどり着く。
バッグから鍵をとり出し、二年ぶりの自宅に足を踏み入れると…………室内は一変していた。
「なに、このブランド品の箱の山!?」
せまいワンルームに有名ブランド名がプリントされた箱や紙袋が、ところせましと積みあげられている。部屋を間違えたかと思い、部屋の番号を確認したくらいだ。
仰天してバッグをさぐって財布を引っぱり出すと、万札がみっちり詰まっていた。
「嘘…………!」
愕然と財布を見つめる。
「まさか…………まさか、私の名前で消費者金融とかに手を出したんじゃ…………!!」
桜子は一気に夢見心地を覚まされた。契約を打ち切られた派遣の身で何百万もの借金を抱えたら、人生は確実に詰む。ふるえる手でなおもバッグを漁って、中身をすべてテーブルの上に並べると、通帳が出てきた。
ごくり、と屋上から飛び降りる気分で通帳のページをめくる。
さらに仰天するような数字が記入されていた。
「宝くじの当選金…………? 当選額…………三千万円!?」
目を疑った。
総括するとこうだった。
桜子が徐々に思い出した、アウラの魂が入っていた時の記憶によれば、まずアウラは桜子の肉体に残る記憶から彼女が無職であることを知ると、自由を満喫することにした。『職探し』という発想にならないところが、女王陛下だ。
観光気分で外に出て、宝くじ売り場を発見し、「ものは試しじゃ」と十枚セットを購入して、そのセットの一枚が見事当選した。
(さすが女王…………悪役でも、引き寄せる運が違うんだ…………)
桜子は生まれて初めて目にしたゼロの数にめまいを覚える。
で、大金を手に入れて「将来のために貯金しよう」とならないのも、やはり女王で。
アウラは毎日、買い物だの食事だの観光だの旅行だの、楽しくやっていたようである。さらには大金の一部をあっさり他人に譲ってもいたようだ(この辺は女王ゆえの太っ腹か)。
三千万円が入金された口座の現在の残金は、二百万円を下回っている。
(どう使ったら、たった三ヶ月でこの数字に…………)
その奔放さと金使いの荒さに脱力したが、借金地獄を回避できたらしいのは救いだった。
ちなみに「女王なのにメイドなしで生活できたの?」とも思ったが、そこは科学の勝利というやつで、各種家電とそれらに対する女王陛下の好奇心が、メイドの不在をどうにかフォローしてくれたようだった。
「はあ…………」
これからどうしよう、とテーブルに突っ伏す。
桜子の感覚ではつい二時間ほど前まで、たしかに処刑台の前にいたのだ
人生で二度、本気で死ぬ覚悟を決めたのに、どちらも寸前で肩透かしをくらった。
すぐには意欲も気力もわくはずがない。
が、一つの疑問が浮かんだ。
「そういえば…………アウラはどうなったの?」
こちらに戻る直前、一瞬だけれどたしかに聞いた、覚えのある高飛車な声。
アウラと桜子は魂が入れ替わっていた。
では、桜子の魂が桜子の肉体に戻った以上、アウラの魂もあちらに戻ったことになる。
「だとしたら…………あのまま処刑!?」
テーブルから顔をあげた。向こうの様子が知りたい。
(でも、どうやって…………漫画を読めば、わかる?)
たしか漫画では、アウラはラストまでに処刑されていたはずだ。
そのシーンを確かめたい、と思ったが、あいにく桜子は『聖なる乙女の祈りの伝説』シリーズを持っていない。貸してくれた友人も地元だ。
(本屋…………あ、でも十年くらい前の漫画だから、置いてないか…………)
考えた末、ネットで中古を注文することを思いつく。
スマホの操作を終えるとテーブルに置き、ひとまず食事にとりかかった。
作る気も外出する気もわかず、一つだけ残っていたインスタントラーメン(どうやら女王様はインスタントにも興味津々だったようで、家に置いていた非常食はほとんど消費されていた)に湯を注いで食べはじめると、濃い目の味付けに懐かしさが込みあげ、帰ってきた実感と涙がわいた。
翌日も気力は戻らず、貯金が残っているのをいいことに、夕方までテレビをつけっぱなしにして漫然と過ごした。夜、注文した最終巻が届く。
コンビニ弁当で夕食を済ませると、緊張にふるえる手で漫画を手にとった。
ヒロインやヒーローのシーンをすっ飛ばして、目的の場面をさがす。
「あった!」
後半で三ページほどかけて描写されていた。
『死にたくない…………! 妾は女王じゃぞ、この無礼者!!』『妾から女王位を奪った大罪人!! 聖女を騙る詐欺師が!!』『ええい、放さぬか! 妾は女王ぞ、贅沢をしてなにが悪いのじゃ!!』
短く切られた髪をふり乱して暴れるアウラの、そんな台詞が並んでいる。
(違う)と桜子は思った。
「これはアウラじゃない」
思わず呟いた、その時。
すうっ、と周囲の景色が一変した。
ワンルームにいたはずなのに周囲には人が密集し、夜のはずが青空に太陽が輝いている。
「えっ…………」
きょろきょろと首をふって気がついた。
「アウラ…………!?」
見覚えある処刑台の上。そこに見覚えある処刑人の男と、見覚えある長い白の服を着た髪の短い娘が立っている。
「アウラ――――!」
桜子は思わず背伸びして手をふる。そこで気づいた。
大きく手を振っているのに、隣の人にぶつかりもかすりもしない。むしろ、すり抜ける。
(誰も私が見えていない、気づいていない…………幻なの?)
桜子は走り出し、見物人達をすり抜けて処刑台の前にたどり着いた。
「アウラ!!」
声をはりあげる。
が、アウラは凛と背筋を伸ばしたまま。
「アウラ…………!」
その姿に桜子は強烈な罪悪感を覚えた。
「私…………なにもできなかった…………!」
二年もあったのに。色々試したのに。
けっきょく、ロヴィーサが侵攻される未来も、アウラが処刑されるラストも、なにも変えることはできなかった。
桜子は一度、いや二度、死を選んだ人間だ。
なのに、その桜子は生き延びて、生きたいはずのアウラが死ぬ。
桜子の失敗のツケを、なんの責任もないアウラが結果だけ負わされる。
罪悪感などという言葉ではとうてい言い表せなかった。
「ごめん…………ごめんなさい、アウラ…………」
桜子は膝が折れ、地面に手をついてうなだれる。
「どうして…………どうして、私は…………」
いっそ、死ぬべきは自分なのに。少なくとも、この二年間の失政の責任は自分にあるのに。
どうして「生きたい」「新しい世界に行きたい」と望んだアウラが。
涙が乾いた地面に音もなく落ちて消えた。その時。
「…………桜子?」
たしかに聞こえた。
「!?」
桜子は顔をあげる。
処刑台の上から、たしかにアウラはこちらを見ていた。
が。
「罪人、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネ。言い残すことはあるか」
アウラの背後から役人が声をかけ、アウラもそちらを向く。
琥珀色の瞳がこちらを見たと思ったのは、偶然か。
しかし。
「言い残すこと、のう…………」
アウラは呟くと民衆へと一歩踏み出し、堂々と胸をはった。
「――――妾は後悔していない!」
人々の視線がいっせいに罪人に集中する。
「この二年間、妾も財務大臣達も、そして妾の友も、せいいっぱいのことをした!! その結果じゃ!!」
可憐ながらもよく通る声。大衆が黙っているため、うしろの者達まで届く。
「聞くがよい、我が民よ! 人は誰も先を知ることはできぬ! 未来とは、見通せぬ闇を怯えながら進んでいくようなもの! なにがあるかわからぬ、それでも一歩ずつ、嫌でも進んでいくしかない! だが!!」
女王はいっそう声をはりあげた。
「だからこそ人の歩みは、人生は尊い! 見えぬ闇を怯えながらも進んでいく、その勇気が尊い! そしてその勇気は、この世界を生きる誰もが持っているもの! 民よ、勘違いしてはならぬ! 尊いのは女王でも聖女でもない! 先が見えなくとも怖ろしくとも、それでも生きていく、その勇気を持った人々すべてだ!! 人はみな、生きていくだけで讃えられるべき勇者なのだ!!」
桜子の、集まった人々の視線が処刑台の上のアウラに集中する。
「生きていれば失敗はする! 先が見えぬ以上、失敗は恐ろしいだろう! 時には、とりかえしのつかぬ結果を招くこともあるだろう! 失敗を反省したり、後悔したりするのはいい! 失敗した責任もとらねばならぬ! しかし!!」
オルディネ王朝最後の女王は断言した。
「挑戦したことを! 努力したことを! 恥じてはならぬ!! 未来はみな、見通せぬ闇! その闇に怯えながらも挑戦したことは、勇気の証じゃ!! その勇気を誇れ!! 我がロヴィーサの民よ! 女王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネ、最後の言葉じゃ! 己が人生を誇れ!! 我がロヴィーサの民は、みな勇者である!!」
堂々たる演説だった。
目をそらすことのできなかった桜子の耳に嗚咽が聞こえる。
「ううっ…………」「女王様…………」「陛下…………」「女王陛下…………っ」
見れば、そこかしこで涙をこらえ、嗚咽をこらえている。
「…………女王陛下、ばんざい!」
どこからか誰かが叫んだ。
それが呼び水になったように、そこかしこで「アウラ女王万歳!!」と声があがる。
桜子は呆然と処刑台の上を見あげた。
「…………そんな顔をするな、我が友よ」
琥珀色の目は優しく細められ、可憐な呟きは耳元でささやかれるようにはっきり聞こえる。
「そなたはできる限りのことをしてくれた。妾はそれで充分じゃ。礼を言うぞ。おそらく、これは神が妾に与えた最後の慈悲であったのだろう。妾は未来が視えたゆえ、政治にも人生にも興味が持てなかった。妾の予見の才が通用しなかったのは、この三ヶ月間が初めてじゃ。心躍る休日であったぞ。ではな。さらばじゃ、桜子よ」
言うと、アウラは自ら処刑人のもとに戻り、彼の手に導かれてその白い首を断頭台の巨大な刃の下に置く。短く切られた毛先が流れて、細い首が露わになる。
「…………っ、アウラっ…………!」
桜子は立ちあがり手を伸ばした。
断頭台の綱が切られる。
「アウラ――――――――!!」
景色が一変した。
気づくと、桜子は自分のワンルームにいた。膝には読んでいた最終巻。
頬には涙がつたっていた。
「…………戻ってる…………」
桜子は声もなく最終巻を抱きしめた。




